土方がその話を聞いたのは、初夏の昼下がりだった。
しばらくの間、土方自身も仕事がこんでいたこともあり、総司と逢えない日々がつづいていた。だが、メールや電話のやりとりはしていたし、その時も、総司は元気そうな様子だった。
だから、そんな事になっているとは思いもしなかったのだ。
「総ちゃんの事で話があるの」
わざわざ検察庁までやってきた磯子は、土方を呼び出し、近くのカフェで話をきりだした。
むろん、磯子は土方の裏の顔までは知らない。否、知らないと云う事になっている。
だが、二人とも、総司を守るためなら手段を選ばない主義だった。
そういう意味では、共同戦線をはっていると云ってもよい間柄だ。
「話?」
土方は椅子の背に凭れ、磯子を見やった。
磯子は土方を真っ直ぐみると、はっきりとした口調で云った。
「総ちゃん、ストーカーにつきまとわれているのよ」
「……」
磯子の言葉に、土方は表情を変えなかった。だが、僅かに目を細める。
「……それで?」
短い沈黙の後、低い声でそう訊ねた土方に、磯子は落ち着いた口調でつづけた。
「スタジオやテレビ局の前での待ち伏せは、ファンなら当然の事なんだけど、それがプライベートにまでなると、ちょっと異常でしょう? それも、スケジュール、きっちり調べ上げているみたいで、怖いぐらい総ちゃんの後をつけてくるのよ。総ちゃんがオフの日にご飯を食べにいくレストランにもいるし、コンビニへ出かけても、電車に乗っても、いつもつけまわしてきて……」
「相手はわかっているのか」
「わからないの。尾行を知ったのも、向こうから写真が送られてきて発覚したのよ」
「写真?」
「総ちゃんが外出する処や、コンビニで買い物している処の写真とかよ。初めは記者かなと思ったんだけど、毎日、赤い封筒で送ってくるとなると、ちょっとね」
「なるほど」
土方は目を伏せ、珈琲カップに口をつけた。
総司の前で甘く微笑んでいる時と違い、端正な顔に厳しい表情をうかべた土方は、まるで別人のようだった。
だが、これも彼の一つの顔なのだ。
それを眺めながら、磯子は云った。
「ねぇ、土方さんは検事なんでしょう? そっちの方から何とか出来ないかしら」
「そのストーカーの正体を調べ上げ、警察へ突きだしてくれと云う事か」
「警察は駄目。総ちゃんが芸能人である以上、ストーカーだと訴えてもファンの一人だという事で片付けられてしまうだろうし」
「なら、調べるだけでいいのか。始末の方はどうする」
「こっちでするわ」
「なら、引き受けられないね」
土方は薄く嗤った。形のよい唇が酷薄な笑みを刻む。
男の一面を垣間見せる、ぞくりとするような冷たい表情だ。
「そいつの始末、俺に一任すると云ってくれれば、片付けてやるよ。それ以外の条件なら、駄目だ。引き受けられない」
「じゃあ、土方さんは、総ちゃんのストーカー、放置するって事?」
「そうは云ってない。始末を自分でつけたいなら、そっちで勝手にやればいい。だが、俺は俺で動かせてもらおう」
「……わかったわ」
しばらく唇を噛んで考え込んだ後、磯子は結論を出した。
どんな始末のつけ方かはわからないが、とりあえず、彼に頼む他ないのだ。
各自勝手に動いたりすれば、混乱を引き起こすのは間違いない。
それだけは避けなければならなかった。
「土方さんに一任するわ。それでお願いできる?」
「わかった」
「それからね、最後に一つだけ」
磯子は身をのりだした。
「総ちゃんは自覚してないから」
「?」
「だから、ストーカーの事。総ちゃんは自覚してなくて、熱心なファンの一人って思いこんでいるみたい」
「……熱心なファンが、そこまでつきまとうか」
「うーん、その境界線が難しいのよね。でも、今回、総ちゃん、怪我までさせられたから……」
磯子は途中で言葉を呑み込んでしまった。
その言葉を聞いたとたん、目の前にいる男がさっと表情を変えたのだ。切れの長い目の眦がつりあがり、黒い瞳がぎらりと獣じみた怒りに燃える。
それは一瞬の事だったが、彼の奥底を流れる危険さを垣間見た気がした。
「怪我をさせられたのか」
「え、えぇ。いきなり腕を掴まれて引きずられたみたい。もちろん、そのストーカーの仕業と決った訳じゃないけど、ただ、時期が時期だから」
「いつの事だ」
「今日よ。TV局を出て、ファンに囲まれてすぐ。あたしはその場にいなかったんだけど、膝を打って……あ、でも、たいした事はなかったから」
「そうか」
言葉少なだったが、土方があれこれ思惑をめぐらせているのは確かだった。指の関節を口許にあて、考え込んでいる。
「今日のことで、総ちゃんも少しは自覚したと思うの。でも、ファンをとても大事にする総ちゃんだから、避ける事も拒む事もできないだろうし」
「……」
「せめて、気をつけるように、土方さんからも云ってくれる? 土方さんの言葉なら、少しは聞くと思うんだけど」
「わかった」
土方は頷くと、立ち上がった。磯子が手を出す暇もなくレシートを取り上げ、さっさと歩き出してゆく。
彼もかなり忙しいらしく、ちらりと時計に目をやっていた。
その上、検察庁から出てきた男が彼の方へ駆け寄っていくのが見えた。何か慌ただしく話しながら、建物の中へ入ってゆく。
それを見送り、磯子はため息をついた。
ドアを開けたとたん、ふわりと香った匂いに、総司は息を呑んだ。
びっくりして目を丸くしていると、土方が優しく微笑みながら歩みよってきた。
淡いグリーンのシャツにブラックジーンズを纏い、腰にギャルソンエプロンをつけている様が、とびきり恰好いい。
「土方さん!」
思わず靴を脱ぎ捨て、飛びつくように駆け寄った。
「総司、お帰り」
抱きついてくる総司を、土方はしっかりと受けとめてくれた。男の逞しい両腕が華奢な躯を受けとめ、柔らかく抱きあげる。
ちゅっと落とされるキスが甘い。
たて抱きにされた恰好でリビングへ入りながら、総司は小首をかしげた。
「どうして? 急にどうしたの?」
「案件が片付いたのさ。それで、総司の顔が見たくなって急いで帰ってきた」
「連絡してくれたら良かったのに。土方さんがいるなら、もっと早く帰ってきたのに」
「それじゃ、何も用意してあげられないよ」
「あ、晩ご飯」
総司はダイニングの方を見て、目を輝かせた。
久しぶりの土方の手料理だ。
総司が世界中で一番だい好きなご飯だった。
今日の献立は、鶏肉と夏野菜の揚げ甘辛からめに、サラダ、卵の中華風スープだった。手作りのゆかりまで用意され、デザートはマンゴープリンだ。
「おいしい」
さっそく手を洗い、着替えてから、土方のお手製料理を食べた総司は、幸せそうな笑顔で云った。
相変わらず細い躯で旺盛な食欲を見せ、ぱくぱくと食べている。
それを満足そうに眺め、土方は自分も箸をすすめた。
一緒に食事をとるのはもちろん、逢うことさえも久しぶりだった。
ここの処、ずっと二人共に忙しく、すれ違いが続いていたのだ。
そのため、二人ともにいられる事が何よりの幸せだと、しみじみ思う。
総司は可愛い笑顔で、土方に話しかけた。
「本当に久しぶりですね。メールとかはしてたけど」
「そうだね。おまえも忙しかったみたいだし……この間のロケはどうだった?」
「あ、CMの? 楽しかったですよ。その時ね」
楽しそうに話す総司に優しく頷いたり、相づちをうったりしてやりながら、土方はさり気なく恋人の様子を観察していた。
怪我をさせられたという事だが、磯子の言葉どおりたいした事はないようだ。
先程、彼に飛びついてきた時も、元気そのものだった。
もっとも、総司を傷つけたのだ。報復に、傷の浅さ深さなど関係ないが。
もはや、見つけ出し捕まえるどころか、その先の報復まで考えつつ、土方は食事をつづけた。
食事が終って片付けもすませると、総司はさっそく土方にじゃれついてきた。
いや、片付けをしている最中も、手伝いと称してじゃれついていたのだが。
このあたり、甘えたなお姫様は可愛らしい。
ソファに土方が腰かけると、総司はいそいそと彼の膝もとにあがった。横向きで坐り、男の逞しい胸もとに凭れかかる。
時折、頬を擦りつけたり、ぎゅっと抱きついたりしてくるのが可愛くて、土方はその頬や首筋にキスをおとした。
だが、それでも肝心の事は忘れない。
「……総司」
「ん、なぁに……?」
心地よさげにキスをうけながら、総司が聞き返した。耳元に唇を寄せ、低い声で問いかける。
「怪我したって、ほんと?」
「え」
総司はびっくりしたように、顔をあげた。ぱちぱちと目を瞬かせている。
「どうして知ってるの?」
不思議そうな総司に、土方は肩をすくめた。
「磯子ちゃんから聞いた。ストーカー被害にあっているってことも」
「ストーカーじゃないですよ。ファンの人。ちょっと……熱心だけど」
口ごもる総司を見下ろし、土方は眉を顰めた。
「つきまとって写真毎日送りつけたり、挙げ句は怪我させたり、熱心なファンって一言じゃ片付けられないんじゃないの」
「うーん、でも……」
「総司」
土方は総司の顔を覗き込み、彼にしては厳しい口調で云いきかせた。
「おまえが素直で優しくて、ファンを大事にしている事もよくわかっている。俺だって、おまえのファンの一人だ。そういうおまえは、素晴らしいと思うよ」
「土方さん……」
「でも、本当のファンなら、おまえに危害を加えたり、怖い思いをさせたりしないと思う。おまえが楽しく幸せに歌ってくれること、それだけを願うはずだ」
総司は息を呑み、彼を見上げた。
その可愛い顔は強ばっているが、それでも、彼の言葉に納得しているのだろう。瞳が悲しげに揺れている。
ちょっと可哀相だと思ったが、心を鬼にして言葉をつづけた。
「総司、そいつはファンなんかじゃない。自分の欲望を優先させているだけの、ストーカーだ」
「……うん」
「磯子ちゃんも心配している。おまえも出来るだけ気をつけた方がいい」
「はい……」
しゅんとなって俯いてしまった総司に、土方の瞳の色も和らいだ。可哀相でたまらなくなり、優しく抱きしめる。
額や頬に、何度も甘いキスをおとした。
その小さな頭を胸もとに抱き寄せ、囁きかけた。
「大丈夫だよ、俺がついている。俺がちゃんと守ってあげるから」
「でも、土方さんだって、お仕事があるし、とても忙しいし……」
「何が一番大事かって事だろ?」
土方は総司の顔を覗き込んだ。濡れたような黒い瞳に見つめられ、総司の頬が上気する。
甘く優しく微笑んだ。
「俺にとって、総司以上に大切なものはないんだよ」
「土方さん……」
「大丈夫、安心して。俺が全部いいようにしてあげるから」
土方の場合、この「いいように」とは、とんでもない危ない事をさしているのだが、そんなことを全く知る由もない総司は素直にこくりと頷いた。男の腕の中、安堵したように身をまかせている。
その華奢な躯を抱きしめながら、土方はこれからの作戦を練り始めた。
「おまえは、知っていた訳か」
開口一番そう問いかけてきた土方に、斉藤は目を見開いた。
公園のベンチだった。木陰になったそこは、初夏でも涼しい風が吹きすぎてゆき、なかなか心地よい。
さわさわと鳴る葉擦れに、緑の影。そんな光景の中、綺麗な白いベンチに腰かけた男は、カメラマンである斉藤にすれば、いい被写体だったが、むろん、カメラをむけるどころの騒ぎではない。
突然、呼び出され、問い詰められているのだ。
というより、情報収集のため?
かなり怒っているなーと思いつつ、斉藤は慌てて手をふった。
「まさか。だったら、知らせてますよ」
「信じられねぇな」
薄い笑みをうかべ、土方はベンチに凭れかかった。
お互い、仕事中に落ち合ったため、土方はスーツ姿だった。
プレスされた白いワイシャツに、タイトに締められたネクタイ。上質のスーツ。
東京特捜のエース検事と云えば官僚なので、エリート然とした身なりは当然なのだが、裏の顔も知っている斉藤からすれば、つい違和感を覚えてしまう。
しかも、スナイパーの時のような不敵な笑みをうかべているため、尚更のことだ。
「ストーカーの正体も、わかっていたりするんじゃないのか」
「知りませんよ。オレだって、昨日聞いたばっかりなんですから。それも、偶然」
「磯子ちゃんからか」
「いえ、総司からです。妙に磯子ちゃんが張り付いているから、どうしたのかと聞いたら。怪我もさせられたそうですね」
「あぁ、あれか」
土方は不快そうに目を細めた。
「ストーカーの仕業だろうが、ファンだろうが、総司に怪我をさせるなんざ許さない」
「でしょうね。まぁ、総司は気にしていないようですが、実際、毎日、つけ回してその証拠写真を送りつけてくるってとこが、危険です。このまま放っておいたら、まずいだろうと思いますよ」
「放っておくつもりはねぇよ。おまえは何か情報ないのか」
「少しだけ」
斉藤は小さく笑ってみせた。
こう見えても、公安調査官なのだ。ストーカーの一人ぐらい探れなくては、情けない限りだ。
何よりも、可愛い総司のためなら、どんな事でも探り出してやるつもりだった。
「ストーカーは、男です」
斉藤はビジネスライクな口調で答えた。
「例の封筒と写真を調べてみたら、指紋が出てきました。その大きさから、男だと判断できた訳です。むろん、年齢などはわかりませんが」
「男か」
「えぇ。それから、数日前から、封筒は総司のマンションのポストに投函されています。それも、郵便でなく直接なので、防犯カメラを見れば、男が映っている可能性が高いです」
「そっちは、俺の方が調べよう。住人だからな」
「お任せします」
斉藤は、腕時計に視線を走らせている土方を見ながら、云った。
「磯子ちゃんに聞きましたけど、始末は自分に任せろと云ったそうですね」
「あぁ」
土方は切れの長い目を斉藤にむけた。
「その通りだ。あっちに任せたら、甘い処理になるに決まっているからな」
「じゃあ、あなたはどう始末をつけるつもりなのです。まさか……」
「……」
無言のまま立ち上がった土方に、斉藤は顔を引き締めた。
シリアス展開はしませんので、ご安心を♪