「……おいしそう」
 総司は思わずショーケースの中を、じいっと覗き込んでしまった。
 だが、その行動は別に不審でもなんでもない。
 他の皆もそうしているのだから、人気ケーキ店という場所ではごくごく当たり前の事だろう。


 そこはケーキ屋さんだった。
 それも、東京の街角の路地裏の、ものすっごくわかりにく場所にある小さな小さなケーキ屋さんなのだが、正直な話、とんでもなくごった返していた。
 店員の仕事ぶりが早いためか、行列などは出来ないが、それでも知る人ぞ知る超人気ケーキ屋である。
 総司の恋人である土方は、料理はもちろん、時々お菓子もつくってくれるのだが、さすがにケーキの出現頻度はあまりない。
 つくるとなれば、ホールケーキになってしまうし、いくら甘いもの好きな総司でも一人でホールケーキを食べられるはずがないからだ。
 そのため、土方がつくってくれるケーキと云えば、どうしても、マドレーヌやフィナンシェ、マフィンといったパウンド系になる。
 だが、今日の総司は、生クリームのスポンジケーキがめちゃくちゃ食べたかった。食べたくて食べたくて仕方がなかったのだ。
 そのため、オフの日に、伊達メガネと地味な服装という変装(?)をして、わざわざこの評判の店までやって来たのだが。


「……うーん、どうしよう」
 総司はショーケースの中にずらりと並んでいるケーキを、きょろきょろと見回した。今の季節ならではのモンブラン、定番の苺ショートケーキに、カスタードたっぷりのフルーツケーキなどなどなど。
 どれもこれもおいしそうで、先程から目移りしてしまっているのだ。
 大人買いしてしまいたいぐらいだが、いくら何でも全部は食べられないだろう。
「決めちゃおう」
 こっくり一人頷くと、総司は店員に合図した。あまり周囲に聞かれないよう気をつけつつ、小さな声で注文をしてゆく。
 だが、若い男性店員の方は気づいてしまったようだった。何しろ、国民的アイドル、天使の歌姫なのだ。その甘く澄んだ声は、誰もが一度は聞いた事があるし、何よりも変装していてもわかる可愛らしさ、わからないはずがなかった。
 幸い、出来た店員だったため、一瞬目を見開いたが、すぐに知らぬふりをしてくれた。てきぱきとケーキを箱にいれ、丁寧に渡してくれる。
 総司は安堵し、小さく微笑みかけてから店を出た。
「早く帰って食べようっと」
 うきうきしながら、総司は表通りへと出た。伊達メガネをかけ直し、少し深めに帽子をかぶった。だが、そこで不意に手がとまってしまった。


(……え?)


 道路の反対側を、一人の若い男が歩いていたのだ。
 昼休みなのか、仕事仲間の男たちと一緒であり、穏やかに談笑している。
 すらりとした長身に上質のスーツを纏い、すっきり整えられた黒髪も、端正な顔だちも、すれ違う女のほとんどがふり返ってしまう程の華やかさだ。ただ華があるだけではない、そこには完成された大人の男らしい精悍さがあり、それがまたえも云われぬ色香を醸し出していた。
「……土方、さん……」
 総司は思わず、その名を呟いた。
 久しぶりに見る恋人の姿だった。実は、ここ二週間ほど逢っていなかったのだ。土方も忙しいようだったが、総司がコンサートで北海道まで旅行していた事もあり、すれ違いの日々がつづいていた。
 なのに、まさか、こんな処で逢えるなんて。
 総司は嬉しさに頬を上気させた。何とか合図して、こちらに気づいてもらう方法はないかと考える。
 その時だった。
 不意に、土方の視線がこちらへ向けられた。何の気なしにだったのだろうが、こちらを一瞥する。
「──」
 総司をみとめた瞬間、その目が見開かれた。何か云いたげに、形のよい唇が開かれる。
 だが、それは本当に一瞬の事だった。
「……え?」
 驚いた事に、土方は総司を無視したのだ。すっと冷ややかに顔を背け、まるで何事もなかったように同僚たちと話を始める。
 こちらに視線を向ける事さえしなかった。そのまますれ違ってゆく。
 総司は呆気にとられ、彼の姿を目で追った。


 何で? どうして知らんぷりするの?


 頭の中は、それこそ?マークだらけだ。
 そのうち、事態はもっととんでもない事になった。
 彼らの後ろから小走りにやってきた若い女が、「土方さーん!」と笑い声をあげながら、彼の腕に抱きついたのだ。なかなか愛らしい、小柄な女性だ。どこか総司に似ている気がする。
 マキと呼ばれた女性は、同僚のようだった。土方の腕に手をからめ、甘えるように話しかけている。
 それを、土方も全く嫌がらず受けいれていた。優しい笑顔で、答えている。


(何なの、これ……!)


 総司は怒りにわなわな手が震える気がした。いや、気のせいでなく、手にしたケーキの箱がカタカタ音をたてて震えている。
 久しぶりに逢った恋人に笑いかけるどころか、あっさり無視した挙げ句、他の女の子に笑顔を見せているなんて!
 これって、これって、世にいう浮気なの!?
 倦怠期に入っちゃったって事なの!?
 もともと、土方に幾人ものセフレがいる事は、知っていた。もう手を切ったと云ってくれたが、それはそれでいいのだが、あの女の子はどう見ても違う。そんなタイプではない。しかも、仕事仲間であるのなら、尚更そんないい加減な関係をもったりしないだろう。
 じゃあ、彼女は何なのか。
 まるで自分に向けるような、あの優しい笑顔は。


「……信じらんない」


 呆然と呟く総司の視界に、土方の姿はもうなかった。












「そりゃ、仕方ないんじゃないの?」
 磯子はケーキにフォークを刺しながら、云った。
 それに、総司は唇を尖らせた。
 あの後、速攻でマンションの部屋に駆け戻り、一人きぃぃぃっと嫉妬と怒りに燃えさかっていた総司なのだが、そこへたまたま磯子と斉藤がやって来たのだ。それも、例のケーキ屋のケーキを山ほど買い込んで。
 結局、ほとんど大人買い状態になったケーキの数々を、総司は機嫌よく食べていた。現金なもので、おいしそうなケーキを見たとたん、ころっと機嫌もなおってしまったのだ。
 だが、どことなく元気のない総司に気づいた磯子が「何かあったの?」と訊ね、それに総司は答えたのだ。


 土方さんが可愛い女の子に抱きつかれ、一緒に歩いているのを目撃した、と。


「だってね」
 磯子は肩をすくめた。
「あの容姿、頭の切れ、仕事ぶり、人あたりの良さよ。あれで独身じゃ、もてない方が不思議でしょ」
「わかってるもん、そんなの」
 総司はケーキを食べながら、拗ねたように答えた。
 わかっている。理性ではわかっているのだ。
 恰好よくて頭もよくて、きれいな笑顔で優しくて。そんな彼を皆がほっておくはずがない。女はもちろん、あの時、一緒にいた同僚たちも土方を慕っているようだった。
 だから、こんなやきもちはおかしいと自分でも思う。なのに、やっぱり悔しいのだ。地団駄踏んで叫びたくなるのだ。
 その人にさわっちゃ駄目―っ!! と。
「なら、そう云えば良かったのに」
 ずっと黙っていた斉藤が、ぼそりとそう云った。それに、え?と目を見開いた総司の傍で、磯子が目をつり上げる。
「何云ってんのよ。そんな事したら、総司の恋人が誰だか丸わかりでしょ。せっかくこの間のスキャンダルがおさまった処なのに」
「それはわかるけど」
 斉藤は肩をすくめた。
「総司が素直にそう云ったら、土方さん、喜んだと思うよ?」
「そうかなぁ」
「絶対そうだって。ま、次は試してみる事だと思うけど」
「次なんか、いらないもん」
 総司はぷうっと頬をふくらませた。
 女の子と腕を組んでいる処なんて、二度と見たいはずがない。絶対にお断りだった。
「だいたい、土方さん、最近……冷たいし」
「冷たいって、逢う機会がないだけだろ?」
「そうなんだけど……でも、メールも電話もないし」
「あー、それは」
 斉藤はちょっと苦笑いをうかべた。
「今、あの人、めちゃくちゃ忙しいみたいだから」
「え?」
 総司はきょとんとした顔で、斉藤を見つめた。
「何で、斉藤さんがそんな事知ってるの? 連絡とりあってるの?」
「うっ」
 斉藤は呻いてしまった。
 確かに、土方とは顔見知り程度の斉藤が、彼の仕事状況まで知っているのはおかしい。
 だが、バレるのはまずいのだ。色々ヤバイのだ。
「ま、前に云っただろ?」
 慌てて言葉をつづけた。
「おまえの事を連絡して欲しいと、云われたって」
「え、そうなの? 大変ね、斉藤さん」
「まぁ、たいした事じゃないから。で、色々と話のついでに」
「そうでしたね」
 総司はあっさり頷いた。こくこくと頷き、ケーキをほおばっている。
「そんな話、聞いたような聞いてないような」
「聞いたはずだよ。とにかく、それで、土方さんが超忙しいという事も知ってる訳だ」
「ふうん」」
 何がどう忙しいのかわからないが、総司は黙ったまま、もぐもぐとケーキを食べつづけた。


 仕事が忙しいのは、わかる。
 それで連絡がとれないのも、逢えないのも、わかるのだ。
 けれど、だからと云って、今日の事がちゃらになる訳ではない。決してない!
 土方が忙しかろうが何だろうが、自分を見たのに無視した事、挙げ句、自分の見ている前で(絶対、知ってたのに)女の子といちゃついていたこと(ただ腕を組んでいただけなのだが、総司にとってはいちゃつきになっている)を、許せる訳がないのだ。


 絶対、絶対、許せない!
 きぃぃぃぃぃっ!


 新たに怒りを再燃させた総司は、カップを掴むと、なみなみと注がれた紅茶を一気飲みした。
 それを、傍らから、斉藤と磯子が心配そうに眺めやっていた。












 その翌日の事だった。
 総司は対談の仕事のため、テレビ局に来ていた。
 少し前にあった話で、総司にしては珍しく、速攻でOKしていたのだ。その理由は、ケーキだった。
 何しろ、対談の相手は、例のケーキ屋のオーナー兼パティシエだったのだ。
 総司は少し緊張しながら、対談が予定されているスタジオへ向った。とたん、傍らから声をかけられる。
「……え?」
 ふり返ると、そこには一人の若い男が立っていた。なかなか整った顔だちだが、どこかで逢ったような気がする。
 ぼんやり眺めている総司に、彼はにっこり笑ってみせた。
「こんにちは、また逢ったね」
「……あの……?」
「覚えてないかな、ええーと」
 ちょっと困ったように頭をかく姿に、総司は、あっと声をあげた。
 あのケーキ屋の店員なのだ。総司に気づきながらも、知らぬ顔で接待してくれた彼。
「こ、こんにちは!」
 慌てて頭を下げた総司に、彼はにこにこ笑った。
「思いだしてくれた? また逢えて嬉しいよ。もちろん、だからこそ、この話受けたんだけど」
「え?」
 きょとんとする総司に、彼は名刺をとり出した。悪戯っぽい笑顔で、それをさし出す。
「伊庭と云います。以後お見知りおきを」
「え……」
 総司は伊庭という名に、すぐさま思い至った。
 今日の対談相手なのだ。つまり、彼があの店のオーナー兼パティシエという事になる。
「オーナーが店に出ていたのですか?」
 びっくりして問いかけた総司に、伊庭は肩をすくめた。
「忙しい時は。そのおかげで、今回はラッキーだったけど」
「ラッキー?」
「きみに逢えたことさ。ものすごいラッキーだね」
 気障っぽい言葉だが、伊庭にはよく似合っていた。明るい笑顔が気持ちいい。土方とはまた違った感じの、いい男だ。
 伊庭はスタジオへと総司をエスコートするように歩きながら、訊ねた。
「ケーキはどうだった?」
「とってもおいしかったです!」
 総司は可愛らしい笑顔で、答えた。声がうきうきと弾んでいる。
「どれもおいしくて、また食べたくなっちゃいました」
「じゃあ、また買いに来なよ。今度、新作をつくっておくからさ」
「本当ですか?」
 嬉しそうに訊ねた総司に、伊庭は微笑んだ。手をのばし、くしゃっと総司の髪を撫でる。
「きみのための、特製ケーキをつくるよ」
「え、そんな……申し訳ないです」
「天下の歌姫のためさ、むしろ光栄だね」
 甘い言葉を囁きかけてくれる伊庭に、総司はなめらかな頬を染めた。最近、土方と逢って優しくしてもらってないためか、何だか不思議と気持ちがうきたってくる。
 スタジオへ入ってゆく足取りも軽く、にこにこと天使の笑顔をふりまいた。自然、伊庭も目を細め、熱っぽいまなざしをむけている。
 総司に自覚はないのだが、その姿は天使のように、はたまた妖精のように綺麗で可愛らしかった。
 笑顔ともなれば、花が咲いたような可憐さだ。
 その可愛い笑顔をむけられて、恋に落ちない男はいないだろう。
 しかし、この事態を、あのとんでもなく独占欲の強い嫉妬深い男が知れば、いったいどうなる事か。


(……あーあ、もう知らないから)


 磯子は頭痛がする思いで、こめかみを押えた。












 ドアを開けたとたん、大きく目を見開いた。
 思わず叫んでしまう。
「……土方さん!」
 玄関の三和土に、見慣れた男物の靴があったのだ。しかも、キッチンの方からいい匂いが漂ってきている。
 総司が慌てて靴を脱いでいる間に、ひょいっとリビングの入り口から土方が顔を覗かせた。目があうと、優しい笑顔になる。
「お帰り」
「ただいま!」
 元気よく叫んだ総司はたたたっと走り、勢いよく土方に飛びついた。体格差があるので、足が宙に浮かずぶら下がってしまったが、すぐさま男の逞しい腕が小柄な躯を抱えあげてくれる。
「土方さん、土方さん」
 嬉しそうにくり返し、ぎゅうっと抱きついてくる総司を、土方も咎めなかった。抱きかかえたまま、額や頬にキスを落としてくる。
「逢いたかった……」
「あぁ、俺も逢いたかったよ」
 土方は総司の躯をソファの上へそぉっと下ろした。そうして、幼い子どもにするように髪を撫でながら、優しい声で訊ねた。
「元気にしてたか? おなか空いただろ?」
「うん。もうぺこぺこ」
「じゃあ、すぐ用意するよ。後ちょっとで出来上がるから」
 キッチンへ歩み去る土方を見送り、総司はうきうきした気分で洗面所へと走った。手を泡だらけにして洗っていたが、ふと気がつく。


 何で、急に?
 忙しいって聞いていたのに。


 総司が戻ってみると、テーブルの上に、白パン、豚肉ソテーの林檎ソースがけ、牛蒡サラダ、野菜たっぷりのトマトスープが並べられてあった。
 いい匂いがして、とてもおいしそうだ。
「わぁ、おいしそう」
 大喜びで席につく総司に、土方は微笑んだ。向かい合って、二人、食事を始める。
 久しぶりに食べる土方の料理は、とてもとてもおいしかった。頬っぺたが落ちそうだ。
 幸せだなぁ〜♪と、ついにこにこしてしまう。
 それに気づいたのか、土方が楽しそうに問いかけてきた。
「おいしい?」
「えぇ、とっても!」
「それは良かった」
「でも、どうして? 今日、ぼくが早めに帰ってくること知っていたの?」
 問いかけた総司に、土方は悪戯っぽく笑った。黒い瞳がきらめき、形のよい唇が笑みをうかべる。
「そりゃあ、情報ソースってものがあるからさ」
「つまり、磯子ちゃんでしょ」
「それもあるし、たまたま俺の方の仕事が一段落ついたし」
「ふうん」
 頷きはしたが、ちょっとだけひっかかった。
 何だか、土方の言葉に裏があるように思えて仕方なかったのだ。だが、それが何であるか皆目見当も付かない。
 食後、土方は総司に苺ジュースを出してくれた。当然、それも自家製だ。
 リビングの方で、土方は珈琲、総司はジュースという形で、落ち着いた。ふかふかしたソファに坐っていると、眠くなってくる。
 だが、土方の言葉で、我に返った。
「……え?」
 聞き返した総司に、土方は何気ない口調でくり返した。
「だから、今日テレビに出ていただろう?」
「あ……うん」
 例の対談の番組だった。生放送だったため、それをたまたま土方が見たのだろう。
 とたん、総司はとても楽しかった事を色々思いだした。身をおこし、嬉しそうに話し始める。
「あのね、伊庭さんのケーキ屋さん、ぼくも買いに行った事があるのです。とってもおいしいケーキ屋さんで、たまたま伊庭さん自身が接客してて、今日オーナーだと知ってびっくりしちゃった」
「……ふうん」
「それでね、すっごく嬉しい事を云われたの」
「嬉しい事?」
 土方が形のよい眉をひそめ、総司を見やった。いつのまにやら、その目がひどく剣呑な色を湛えている。
 だが、その事に全く気づかぬまま、総司はうきうきと言葉をつづけた。















相変わらず天然な総ちゃんです。つづき、お楽しみに♪