……え?
 今、この人なんて云ったの?
 東京地検特捜部のエース検事って……まさか、土方さんの事?
 え? え?









 呆然としている総司をよそに、二人はさくさく話を進めていた。
 土方が悪戯っぽい瞳で、近藤を眺めた。かるく小首をかしげてみせる。
「それを云うなら、俺が近藤さんとこうしてるのもまずいだろうが」
「何故」
「公安の首席調査官と検事がなれあっても、誰も喜ばないと思うけどな」
「そういうものか」
「そういうものらしいぜ」
 くっくっと喉を鳴らして笑った土方に、近藤も豪快に笑い返した。公安と云うと、どこか暗いイメージがあるのだが、近藤はまるで違うタイプの男らしい。とても公安の首席調査官とは見えなかった。
 ひとしきり会話をかわしてから、総司にも「また今度ゆっくり話そう」と手をさし出し握手してから、近藤は歩み去っていった。
 それをぼんやり見送っていると、土方が柔らかくその肩を抱いた。見上げれば、にっこりときれいな顔で微笑みかけられる。
「疲れた?」
「う、ううん」
 首をふった総司を優しくエスコートし、土方はテラスへと連れ出してくれた。
 少し肌寒いが、ライトで浮かび上がったそこは人気がなく、ざわめきから離れられた事でちょっとほっとする。
 とたん、総司は彼の方へ向きなおった。
「土方さん!」
「ん?」
「あの……あのねっ」
 ちょっと口ごもったが、思いきって訊ねた。
「土方さんって、検事さんなの?」
「……あ」
 土方は今頃気が付きましたという様子で、口許をおさえた。だが、その仕草はどこかわざとらしい。
「バレちゃったか」
「バレた? バレたって事は、本当にそうなのっ?」
「ま、そういう事になるね」
 土方はまるで他人事のように答えると、通りかかったウエィターのトレイからシャンパングラスを二つ取り上げた。
 それを総司に手渡してから、チンと音を鳴らしてグラスをあわせる。
「乾杯」
「……何に?」
「可愛い総司が、俺のお仕事を知ってくれた事に」
「し、知ってくれたって……今まで全然教えてくれなかったくせに!」
「別に教える必要もなかったし、総司も聞かなかったじゃないか」
「嘘! ちゃんと教えてって云った覚えある」
「そうだったかなぁ」
 土方はくすくす笑いながら、グラスに口をつけた。
 シャンパングラスを片手に、柱へかるく背を凭せかけているその姿は、見惚れるほど艶めいて魅力的だ。
 惜しみなくむけられる綺麗な微笑みに、くらりと誘惑されそうになる。
 だが、しかし!


(今度こそ、絶対絶対誤魔化されないー!)


 総司は桜色の唇をきゅっと尖らせ、大きな瞳で上目遣いに彼を見つめた。
 勢いづけだとばかりにシャンパンをぐっと飲み干し、それを傍らの小さなテーブルにとんっと置く。
 それから、細い腰に両手をあてて、彼の方をふり返った。
「──」
 そんな総司に、土方は目を細めた。
 本人は威嚇とか挑戦的とかのつもりだろうが、いかんせん可憐な容姿のために、その仕草も格好も、逆に愛くるしさを倍増させている。
 土方が目の保養だと思いながら微笑んでいる事など露知らず、総司はとんとんっと小さな足で床を踏みならした。
「だいたい、何で今まで教えてくれなかったの? 検事だって一言いってくれれば、いい事でしょう?」
「そうかな。別に教える必要ないし」
「必要ないって、ぼく、土方さんの恋人じゃない! それとも違うの?」
「もちろん、恋人だよ。世界中の誰よりもかわいい、最愛の恋人だ」
「じゃあ、どうして……」
「前にも云っただろ?」
 土方はグラスを傍らに置くと、手をのばし、総司の細い腰をさらうように片腕で抱きよせた。そのまま瞳を覗き込み、柔らかく微笑みかける。
「謎めいていた方が、ずっと恋していられるって」
「そんな」
「まだまだ秘密も謎もいっぱい。だからこそ、恋愛ってつづくんだよ」
「じゃあ、ぼくがあなたの秘密を全部知ってしまったら……恋愛はおわるの?」
 どこか怯えたような表情で訊ねた総司に、土方はかるく首をかしげた。
「さぁ、どうかな」
「……」
「おまえの中では終わるのかも……しれないね」
「……っ」
 そんな!と、反論しようとした。
 だが、それがどうしても出来なかった。
 気持ちのせいではない。どうしてだか、唇が動かなかったのだ。
 ただもれたのは、微かな吐息だけ。
 総司は意味がわからず、ゆるりと首をふった。
「!?」
 次の瞬間、視界が霞んだ。
 そのままふわり──と、花がこぼれるように床へくずれ落ちてしまう。
 その華奢な躯を、男の腕が寸前で抱きとめた。
「……案外、早かったな」
 土方は腕の中で気を失った総司を見下ろし、低く呟いた。
 その黒い瞳が決して恋人の前では見せない冷徹な光をうかべる。しなやかな指さきが、その頬をそっと撫でた。
 先程のシャンパンの中に薬を仕込んでおいたのだ。一瞬の仕業だったので、総司は何の疑いもなく飲んでいた。
 その素直さが今は有り難い。
「総司、おまえを巻き込みたくないんだよ……」
 そう呟きざま、土方は総司の躯をそっと両腕に抱きあげた。白いレースがふわりと流れ、まるで蝶の羽のように広がり美しい。
「お客様、どうされました」
 気づいたウェイターの一人が歩みよってきたのに、
「連れが気分を悪くしたので、引き取らせて貰う」と小声で告げた。
 騒ぎにならぬよう裏手の方へ案内してもらい、パーティ会場から抜け出る。
 扉が閉められる寸前、ちらりとふり返った土方の目に、一人の男の姿が映った……。










 あらかじめリザーブしておいた部屋に総司を休ませると、土方は足早にそこから抜け出た。
 早めに事を片付け、総司が目覚めるまでに戻ってきたかったのだ。
 ところが、あと少しでパーティ会場だという廊下の一角だった。不意に横あいから声をかけられた。
「……土方さん」
 驚いてふり返った土方は、そこに立つ人物に全身の緊張をといた。
「何だ、斉藤か」
「……斉藤か、じゃありませんよ」
 歩みよってきた若者に、土方は煩わしげに前髪をかきあげた。スーツのタイを締め直しながら、口早に告げる。
「あまり驚かせるな。こっちは今急いでいる」
「わかってますよ。ですが、驚いたのはこっちの方。ひっくり返りそうなぐらい驚いて、唖然呆然の有様だったんですからね」
「?」
 訝しげな土方に、斉藤はかるく肩をすくめた。
「あなた、さっき総司と一緒にいたでしょう」
「……あぁ」
「いったい、いつの間に知り合ったのです。随分親しげだったですが」
「あいつは……総司は、俺の恋人だ」
「!?」
 とたん、斉藤はぽかんと口をあけた。それこそ、唖然呆然だ。
 それを眺めながら、土方は言葉をつづけた。
「色々あって、あいつと知り合って、恋人同士になったのさ。すげぇ可愛い恋人だぞ」
「……い、いや、そりゃ可愛いってわかってますけどね……しかし。何でまた、よりによってあなたと!」
「何だ、よりによって、とは」
「ですから、どうして、あなたなんですか! 総司はあなたの素性というか、裏の仕事のことも全部知っているのですか?」
「いや、知らない」
 あっさり答えた土方に、斉藤は呆れかえった。
「知らないって、じゃあ、どうするのです。バレたら」
「さて、どうしようか」
 土方は悪戯っぽい笑みをうかべた。ちょっと考えるふりをしてから、どこか、うきうきした口調でつづける。
「そうだな、総司を誘拐して国外逃亡でもしちまうか」
「冗談じゃありませんよ! 特捜のエース検事が人気歌手を誘拐なんて、それこそ三流誌が大喜びしそうなネタじゃありませんか」
「そうかな。楽しそうじゃないか。恋人たちが手に手をとって逃避行、ゆく先は二人だけの薔薇色パラダイスって奴だぜ?」
「何がパラダイスですか。……だいたい、あなたは昔っからそうですよね。我が道を行くというか、周囲の心配もどこ吹く風というか」
「いいだろ、俺の人生なんだから」
「それに巻き込まれる方はたまったものじゃありませんよ」
 うんざりしたようにため息をついた斉藤は、今更気が付いたように、ぐるりと周囲を見回した。
「そう云えば、総司は?」
「部屋で寝てる。一服もったから」
「は?」
「いや、別の日を選ぶつもりだったが、ものはついでだし」
「え、まかさ」
 斉藤は呆気にとられ、歩き出そうとした土方を慌てて引きとめた。
「こんな処で、裏の仕事するつもりなのですか」
「もちろん」
「もちろんって、そんな事したら、近藤さん、カンカンになって怒りますよ」
「いや、公安もわざわざ捜査する手間暇はぶけるだろ。だいたい、これも国の指示だし、当然、近藤さんも知っている仕事だ」
「でも、こんなパーティ会場で実行なんて指示されてないでしょう。あの男の自宅周辺の方が余程警護も甘いし、狙撃しやすい……」
「さすが、公安調査官」
 土方はくすっと笑い、斉藤の顔を覗き込んだ。
「全部下調べ済って訳だな。そのためにも、このパーティへ潜り込んだのか」
「潜り込んだなんて失礼な。これでも売れっ子カメラマンですからね、ちゃんと招待されてますよ」
「あぁ、おまえも裏表の顔もってたものな。ふうん」
 肩をすくめた土方は、ふっと視線をそらせた。しばらく黙ってから、微かな笑みをうかべる。
「……まぁ、色々口出ししたくなるのも、わかるがな」
「わかるが、何です」
 そう訊ねた斉藤に、土方はふり返った。不意にすっと低めた声で、ゆっくりと告げる。
「……消されたくなきゃ、おとなしく眺めてな」
 そう云いざま、土方は手で拳銃の形をつくり、人さし指を斉藤の胸に突きつけた。悪戯っぽく笑いながら、バン!と囁いてみせる。
 だが、その黒い瞳は笑みなど全く含んでいなかった。むしろ、ぞっとするほど冴え冴えとした冷たい光をうかべている。
「!」
 それに息を呑んだ斉藤にもう目もくれず、土方はすっと身をひるがえした。しなやかな足取りで廊下を横切り、パーティ会場へと戻ってゆく。
「……」
 それを見送り、斉藤は諦めたようにため息をついた。










 ──それまで。
 すうすう熟睡していた総司は、突然ぱっちりと目を開けた。
 綺麗な模様が描かれた天井が目に入る。
 あれは、何とか調の模様って云うのだろうか。
 大きなベッドの上で仰向けになり、そんな事を考えながらぼーっと天井を見上げていた総司は、がばっと起き上がった。
「ここ、どこっ!?」
 そう叫んだ総司に、すぐさま答えが返ってきた。
「パーティやってたホテルの一室だよ」
 その聞き慣れた声にふり返ってみれば、土方がスーツの上着を脱いだ格好で、ソファに腰かけこちらを見ている。
「……ホテル……?」
 きょとんとした顔で聞き返すと、土方はいつもどおり、きれいな顔でにっこり微笑んだ。今まで読んでいたらしい新聞を傍のテーブルに置いて立ち上がり、ゆっくりと歩み寄ってくる。
 ベッドの傍まで来た彼は総司のすぐ傍に腰を下ろし、手をのばした。そっと頬にふれられる。
「お目ざめの気分は?」
「べ、別に悪くないけど……でも、どうしてぼく」


 パーティで彼と話していたはずなのに。
 いったい何がどうなって、こんなベッドの上にいるのだろう。


 疑問でいっぱいの総司に、土方はにこやかな笑顔であっさり答えた。
「一服もらせて頂きました」
「……は?」
 一瞬、総司は言葉の意味がわからなかった。というより、頭まっ白という気分だ。
 そんな可愛い恋人に、男はさくさく説明した。
「つまり、俺がおまえに即効性の睡眠薬を一服もったって訳だよ。まぁ眠ってたのは3時間ぐらいだから、大丈夫。あ、今か? 今は夜の7時だ。そうだな、そろそろ夕飯の時刻だし、何かとろうか。それとも、レストランにでも行こうか。このホテルの近くにおいしい洋食屋が」
「ちょっ……ちょっと待って!」
 総司は慌てて土方の言葉を遮り、両手をばたばたふり回した。それに、土方が、
「何?」
 と、首をかしげてみせる。
「な、何って……一服って何なのっ!? っていうか、どうして、ぼくが一服もられなくちゃいけないの!?」
「男が恋人に一服もる理由なんて、一つしかないと思うけどな?」
 土方はそう云うと、身をのりだした。すっと掠めるようにキスを落としてから、甘い声で囁きかける。
「……愛してる、総司」
「う……うん」
「世界中の誰よりも愛してる。これだけは、本当の気持ちだ」
「あ、ありがとう」
「だから、おまえを俺のものにさせてくれ」
「……ものって……ぇ…え、えぇーっ!?」
 言葉の意味が呑み込めた瞬間、総司は大慌てでベッドの上をざざざーっと後ずさっていた。だが、時すでに遅し。
 しなやかな獣のごとくのしかかってきた男に捕らえられ、あっという間に純白のシーツの上へ組み伏せられてしまった。
 ぱったり仰向けにされた状態で大きな瞳を見開いた総司に、土方はにっこりと微笑いかけた。
「な? わかっただろ? 男が恋人に一服もる理由」
「こ…こんなのズルい! お薬で眠らせて、ホテルに連れ込むなんてっ」
「けどさ、こうでもしなきゃ、おまえ俺にさせてくれないじゃないか」
「そ、そんな事ないもん! いつかはちゃんとするつもりだったしっ」
「ふうん、いつかは…ね」
 土方はにやりと人の悪い笑みをうかべてみせた。その黒い瞳が意地悪そうな光をうかべる。
「つまりは、するつもりだったんだよな? もう心構えは出来てたって事だよな?」
「え! あ、う」
「じゃあ、そのいつかが今になっても、ぜーんぜん構わないよな? むしろさっさと済んで大歓迎だろ?」
 そうたたみかけるように云ってくる土方に、反論など出来るはずもなくて。
 いよいよ追いつめられた総司は、最後の手段に打って出た。
 ぷるんとした唇を震わせ、うるうる潤んだ瞳で彼をそっと縋るように見つめる。
 弱々しい、しっかり甘えを含んだ声で訊ねた。
「……しなくちゃだめ?」
「……」
「どうしても……しなくちゃ、だめなの?」
「……」
 土方は総司を組み伏せたまま、一瞬、その形のよい眉を顰めた。
 黒い瞳が僅かに揺れ、その唇が何かを堪えるように噛みしめられた……。















[あとがき]
 さてさて、総ちゃんは狼さんから再び逃げられるのか? それとも、今度こそ土方さんの念願成就か(笑)。
 後編、また読んでやって下さいね♪