その日、総司はテレビ局にいた。
歌番組の収録があったのだ。
「総ちゃん、疲れた?」
控え室を出て歩きながら、磯子が問いかけた。
それに、総司はちょっと小首をかしげる。
柔らかな髪がさらさらと揺れ、なめらかな頬が淡く火照っているさまは、天使のように可愛らしい。
歌った後の高揚感と疲れに、大きな瞳を潤ませながら、総司は答えた。
「少し……疲れたかも」
「この後、インタビューを受けたら終わりだから、ちょっとだけ頑張ってね」
「うん。でも、それまで時間ある?」
「あるわよ」
磯子は不思議そうな顔になった。
「何か用事があるの?」
「そうじゃなくて、あれ。飲みたいなぁと思って」
総司が指さす先、自動販売機があった。そこには、総司がお気にいりのジュースがある。
「いいわよ。ちょっとだけ休んでいきましょ」
二人はジュースと紅茶をそれぞれ買うと、休憩室のベンチに腰かけた。さっそく飲み始める。
割合広い休憩室なので、何人か人がいたが、総司の存在には誰も気づいていないようだった。何しろ、そのまま帰るつもりだったので、深く帽子をかぶり、サングラスをかけていたのだ。
ジュースを飲みながら、総司は、目の前にあるテレビを眺めた。横で、磯子はスケジュール帳を開いてのチェックに余念がない。
ちょうどニュースの時間だったらしく、様々な事件が報じられている。
それをぼーっと眺めていた総司の目が、突然、大きく見開かれた。
(……え? えぇっ!?)
テレビは、どこかの会見場を映し出していた。
ひな壇のようになった処に、スーツ姿の男たちが並んでいる。その真ん中。
際だって目立つ男がいた。
まだ若い男だ。
端正な顔だちに、均整のとれた長身の男。
整えられた艶やかな黒髪に、切れの長い目。きりっと引き締まった口許が意思の強さをあらわしていた。
人を真っ直ぐ見つめる黒い瞳は深く澄んでいる。
上質のスーツを着こなし、悠然としている様は、まるでトップモデルのようだ。
だが、彼はモデルではない。それどころか───
「東京地検特捜部の土方です」
書類を手にし、かるく一礼した。
「今回の件に関し、私の方からご説明させて頂きます。お手許の資料を……」
耳に心地よい、深みのあるいい声だった。
どこか甘さもあるが、男らしい低い声だ。それは彼によく似合っている。
土方は静かな口調で説明をしていった。それは、総司が初めて見る、仕事中の彼だった。
厳しく引き締まった表情。鋭いまなざし。記者たちから飛ぶ質問への的確な答え。
そこにいるのは、まさに、東京特捜のエース検事だった。いつも総司を甘やかしまくっている優しい彼氏の姿は、どこにもない。
だが、その姿は、総司の目を釘付けにするには十分で……
(うわー、恰好いい……!)
総司は思わず見惚れてしまった。頬を両手でおさえ、うっとり見入ってしまう。
かなり大きな事件のようで、土方が云っている事も難解すぎて、総司にはよくわからなかった。
だが、とにかく恰好いいのだ。世界中に、この人が自分の彼氏なんだよーっと、ふれまわって自慢したいぐらい恰好いい。
もちろん、そんな事できるはずもないけれど……。
「あ、土方さんじゃない」
傍らから、磯子が云った。それに、はっと我に返る。
うっとり見惚れていた自分にちょっと頬を赤くしながら、総司はこくりと頷いた。
「そう、みたい。事件の記者会見じゃないかな」
「ふうん。実物もいいけど、テレビ映りもいい男よね。感心しちゃうわ」
笑いながら磯子が云った、その時だった。
ある会話が耳に入ってきたのだ。
「あの人、やっぱりいいよね」
「特捜のエース検事なんでしょ?」
そっとふり返ってみると、少し離れた席にいる女性アナウンサーたちだった。
テレビを見ながら、楽しそうに話している。
「ほんと最高―」
「だって、俳優顔負けの恰好よさに、あの頭の切れだもの。しかも独身!」
「芸能人より、断然、狙いめじゃない」
「頑張っちゃおうかな」
うきうきした彼女たちの会話に、総司は固まった。
頑張っちゃうって、何!?
彼に、何をするってこと?
総司は深く深く息を呑んだ。
とられちゃう。彼をとられちゃう。
それしかもう頭になくて、思わず立ち上がりかけてしまう。
「総ちゃん、総ちゃん」
不穏な気配を察したのだろう。磯子が慌てて総司の腕をひっぱった。
見下ろせば、何があっても離しませんよという表情で、こちらを見据えている。何しろ、わかりやすい総司のことだ、マネージャーである彼女には全部お見通しなのだろう。
総司は思わずバタバタ暴れそうになったが、とたん、彼女たちの会話がまたまた耳に入った。
「頑張っちゃうって、誕生日?」
「もうすぐって話でしょ」
「まずはプレゼントからかぁ。なるほどねぇ」
(……え?)
総司は目を見開いた。
誕生日。
誕生日って……誰の?
「へぇ、そうなんだ」
気持ちを切り換えさせるためか、磯子がにこにこと云った。
「土方さんの誕生日、もうすぐなの?」
その問いかけに、黙ったまま見つめ返した。
無言の総司の様子に、磯子は焦った顔になった。
「な、何? そのすがるような表情は」
「磯子ちゃん……」
「だから、何」
「ぼく……知らない」
総司は小さな小さな声で云った。
え? と、磯子が首をかしげる。いくら何でもすぐ意味がわからなかったのだろう。
だが、やがて、はっと息を呑むと、おそるおそる問いかけてきた。
「まさか……」
「……」
「土方さんの誕生日、いつか知らない…の?」
「……っ」
とたん、総司の瞳がうるうるっと潤んだ。今にも、その場に突っ伏し、わぁっと泣き出してしまいそうだ。
こんな処で泣かれたら、それこそスキャンダルのもとになってしまう!
磯子は、慌てて明るい声をつくった。
「そんなの大丈夫よ! これから聞けばいい事じゃない」
「聞くって、本人に?」
「そ、そうかな」
「出来ないよ、今更」
総司はそれこそ泣きそうな声で云った。
「つきあってるのに、彼氏の誕生日さえ知らないなんて。磯子ちゃんなら、聞けるの?」
「うーん……」
唸ってしまった磯子に、総司はきゅっと唇を噛んだ。
「何が何でも探り出すしかないよね」
「探り出すって、土方さんの誕生日? そんなの本人に聞いたら……」
「それが出来ないから、こっそり探り出すんだもん。で、誰にも負けないお祝いをするんだから」
「……」
呆気にとられる磯子の前で、総司はやけっぱち気味にジュースをごくごくごくーっと一気飲みした。
そして、未だきゃあきゃあ騒ぎつづけている女子アナたちを見据えると、きっぱり云いきったのだった。
「……絶対、負けないから!」
あーゆーれでぃ?
「……どうした」
不思議そうに問いかけられ、総司は我に返った。
え? と顔をあげれば、黒い瞳がこちらをじっと見つめている。
今日の土方は、スーツ姿だった。珍しく仕事帰りに待ち合わせをし、外で食事する事になったので、検察庁からそのまま直行してきたのだろう。
仕立ての良いスーツを着こなし、ゆったりと椅子に腰かけている様は、モデルさながらだ。
綺麗に整えられた黒髪も、こちらを見つめるアーモンド形の目も、形のよい唇も。みんなみんな、見惚れてしまうのが当然の恰好良さで……
「総司」
しなやかな指さきに頬をふれられ、びくりと肩を跳ね上げた。目を見開くと、視界の中で、土方が微かに苦笑する。
椅子の背に凭れかかりながら、云った。
「まったく何を考えているんだか……作曲のイメージでも浮かんだ?」
「え、あ……ごめんなさい」
総司は慌てて座りなおし、ぺこりと頭を下げた。
久々のデートなのだ。最近、二人とも仕事が忙しくてマンションの方でもあまり逢えていない。だからこそ、今日誘われた時は嬉しくて嬉しくて、舞い上がっていたのに。
「ごめんなさい。ちょっとぼんやりしていて」
「体調でも悪い?」
「違いますけど。どうして?」
「いや、総司がデザート食べるの忘れるなんて、ただごとじゃないからさ」
そう笑う土方に、総司はベビーピンクの唇を尖らせた。
「ぼくだって、考え事ぐらいしますよ」
「ふうん。歌のこと以外で?」
「もちろんです」
「たとえば?」
「たとえば……」
あなたのお誕生日の事、とか。
口先まで出かかった答えを、総司はごっくんと飲み込んだ。
あれから、三日の時が過ぎていた。だが、まだ答えは全然見つかっていない。
総司にすれば気が気じゃないのだ。こうしている間に、もしも土方の誕生日が過ぎてしまっていたら、どうしようもない。勝ち負け以前の問題になってしまう。だからこそ、必死だった。
最近は、いつもその事ばかり考えている。
どうしようどうしようと、あれこれ思い煩っているのだ。
そんな中での誘いに、総司は嬉しいのと同時に、ちょっとどきどきするものがあった。
今日がデートだと知った磯子などは、さっさと聞いちゃえば? と呑気に云っていたが、それも何だかいけない気がしてしまう。
こんなにも総司を愛してくれる彼なのだ。
自分の誕生日さえ覚えていないと知らされれば、土方は傷つくに違いなかった。何も云わないだろうが、淋しそうに視線をおとす彼が、目にうかぶようだった。
それを思うだけで、胸の奥がぎゅっと苦しくなる。
(土方さんを傷つけるなんて、絶対したくないから。でも、このままじゃ……)
「総司」
またトリップしていたらしい。
土方が苦笑しながら、総司の手をぽんぽんと軽く叩いた。
「本当に今日はおかしいな」
くすっと笑い、瞳を覗き込んだ。悪戯っぽい表情だが、どこか探るような視線も感じる。
「アイスがとけてしまうよ」
「あ……はい」
総司は頷き、慌ててアイスを食べ始めた。だい好きな苺アイスが、少しとけてしまっている。
スプーンを口にはこびながら見上げると、珈琲を呑んでいる土方が気づき、にっこりと笑いかけてくれた。
優しい笑顔だ。
あのテレビの記者会見で見せていた厳しい表情とは、まるで違う。
むろん、あの時も恰好よかったが、総司は今の彼の方が好きだった。何よりも安心できる。優しい大きな翼でつつまれているみたいに。
「あ」
不意に声をあげた総司に、土方は首をかしげた。
「何?」
「あのね、土方さんって……」
「?」
「天使みたい」
「……っ」
土方は呆気にとられ、まじまじと総司を見た。それから、思わず声をあげて笑ってしまう。
「天使って、俺が?」
「うん。ぼくを守ってくれる、大きな翼もっているもの」
「天使なのは、おまえの方だよ」
くすくす笑いながら、土方は総司の頬を指さきで突っついた。
「CMでも、天使の恰好をしているだろ」
「あれは……なんか不思議と好評なのです。よくわからないんだけど」
「よく似合っているよ。天使そのものの歌声だし、天使みたいに綺麗だ」
さらりと云ってのける土方に、総司は頬が熱くなるのを感じた。いつも彼はストレートに愛を告げてくれるが、やはりまだまだ馴れないのだ。
総司は恥ずかしそうに長い睫毛を伏せ、スプーンを口にはこんだ。苺が濃厚でとてもおいしいアイスだ。
「これ、おいしい」
思わず云った総司に、土方はくすっと笑った。
「やっぱり苺が好きなんだ」
「うん。だって、甘くて可愛いし」
「ここのデザートは苺がメインでおいしいって聞いたからね。それで、このレストランを選んだんだ。もちろん、料理も総司の好みだろうと思ったし」
「とてもおいしかったです。でも」
総司はアイスを食べおわると、テーブルに頬杖をついた。
「土方さんは、ぼくのことなら何でもわかっちゃうんですね。好みもみんな」
「そりゃもう総司の恋人ですから」
悪戯っぽく笑いながら云ってのける土方に、総司は桜色の唇を尖らせた。
「何だか狡い。ぼくは全然土方さんのこと知らないのに」
「知っているだろ。俺の名前も、住んでいる場所も、仕事も」
「そういう事じゃなくて……」
はぁっとため息をつきたくなってしまった。
よくよく考えてみれば、まだまだ謎の多い彼なのだ。
自分のことは滅多に明かしてくれないし、何か訊ねても煙に巻かれてしまう。
九つも年上で、しかも東京地検特捜部のエース検事なんてハードな仕事をやっていて、挙げ句、さんざん遊んできた百戦錬磨の彼にかなうはずがないけれど、それでも、少しは彼のことを知りたいと思う。
それこそ、彼の云うとおり恋人なのだから。
(……そりゃ、誕生日も知らない恋人だけど)
総司は頬杖をつき、窓外へ目をやった。
どんどん気持ちが急降下していってしまう。目の前にだい好きな彼がいて、幸せなデートの真っ最中のはずなのに。
何だか、ゴールの見えない駆けっこでもしている気分だ。
(どうすればいいのかなぁ)
その恋人から鋭い視線を向けられている事に気づかぬまま、総司は深くため息をついた。
さて、総ちゃんは無事土方さんの誕生日を祝えるのでしょうか?