愛情たっぷり
      甘くておいしくて、ふわふわで
      カリッとした周りに、グラニュー糖がきらきらして


      最高においしい
      彼氏お手製のメロンパン


      さぁ……遠慮なく
      召し上がれ?










 満月のきれいな夜だった。
 その月光の下、総司はとことことお出かけした。
 とは云っても、マンションから数百メートル先にあるコンビニまでだ。
 その理由はメロンパンだった。
 夕食の後、突然、どーしてもメロンパンが食べたくなってしまったのだ。
 そのため、サングラスやら帽子やらで変装した総司は、コンビニへ入るとパン陳列棚へまっすぐ突進し、某メーカーのメロンパンをそそくさと掴んだが早いか、レジで無言のままさし出した。
 声を出せばバレてしまうのだから、人気歌手もなかなか大変なのである。
 そして。
 そんなささやかな苦労の末、ゲットできたメロンパンを総司は満足げに抱え、マンションへと歩き出した。
 その、帰り道だった。
 目の前をすぅーっと通り過ぎた真っ赤なスポーツカーがマンション近くに停まったかと思うと、そこから一人の若い男が降りてきた。
「……あ」
 総司は思わず声をあげてしまった。
 なぜなら、それは、総司の秘密の恋人である──土方だったのだ。
 すらりとした長身に白いシャツとブラックジーンズを纏ったその姿は、夜の街灯の下でも見惚れるぐらい格好よくて端正で。
 艶やかな黒髪を指さきでかきあげながら、土方は車の運転席の方をふり返った。
 そこにいる相手と言葉をかわしている。
「……」
 総司が目を凝らしてみれば、それは明らかに女だった。僅かにしか見えないが、かなりの美女のようだ。
 その美女に、土方はかるく身をかがめた。何か云われ、微かに笑っている。
 誰の目をも惹いてしまう華やかな笑みだった。だが、どこか他人行儀で、総司に見せてくれる優しい笑顔とは違う。
 その事にほっとしかけた総司は、だが、次の瞬間、大きく目を見開いた。
 思わず叫びだしそうになった口を、慌てて両手でふさいだ。
 でも!


(な…に、あれ! 何―っ!?)


 女が運転席から身をのりだしたかと思う間もなく、彼の唇に唇を押しつけたのだ。そのまま、男の首を白い腕でかき抱くと、濃厚なキスをはじめる。
 路上であるにもかかわらず、ディープキスをかわす男女を、通りすぎる人たちもちらちら見ていた。
 だが、そんなこと、総司には全く目に入っていなかった。ただ呆然とその場に立ちつくし、二人だけを凝視していた。
 やがて、女はくすくす笑いながら、男の唇を指さきでぬぐった。そのまま何か別れの言葉を告げ、車を発進させてゆく。
 しばらくの間、土方は遠ざかる車を見送っていた。
 その男の広い背を、総司はぼんやり眺めた。まだ頭の中が混乱してて、何をどうしたらいいのかわからなかったのだ。
 だが、そんな総司の前で、土方はゆっくりとふり返った。
「──」
 そして。
 いまだ呆然と立ちつくす総司を、その黒い瞳に映し──ふっと笑ってみせたのだ。
 形のよい唇にうかべられた、不敵な笑み。
「!」
 その瞬間、総司は知った。
 土方が何もかもわかっていた事を。
 総司が見てる事も知った上で、彼は女とのキスに応じた事を。
 とたん、かぁああっと頭に血がのぼった。
 そして、叫んだ。


「土方さんの莫迦ぁ―っ!!」


 さすが、天下の歌姫。
 その声は、夜空に大きく高らかに響き渡った……。










「何で!? 何で、あぁいう事をするのですっ!?」
 マンションへ帰ってから、総司はきゃんきゃん叫んだ。
 それに土方はゆったりとソファに身をしずめ、テレビを眺めている。視線をニュース番組から外さぬまま、「さぁ」と小首をかしげてみせた。
「どうしてかな」
「ど、どうしてかなって、まるで他人事みたいに!」
「じゃあ、自分で考えてみれば?」
「何を」
「どうして、俺があんな事したかをさ」
 そう云ってから、土方は総司をふり返った。悪戯っぽい表情で、しなやかな指さきを唇にもってゆく。
 先程まで、あの美女とキスしていた形のよい唇。
「たまには俺のこと考えてみるのも、いいんじゃない?」
「何を云ってるのか……わからない……」
「だったら、永遠に謎のまま」
 すっと視線をそらし、土方は呟いた。
「まぁ、それもいいかも」
「……」
 それきり、話を打ち切ってしまった。またニュース番組に視線を戻している。
 テレビの中では、総司にはわかりにくい政治問題が論じられていた。
 それを聞いている土方の真剣な横顔に、少し怯んだが、総司はおずおずとソファに歩み寄った。彼の隣に腰かけ、「ねぇ」と腕に手をかける。
「あの……ぼく、土方さんの云ってることがわからないのだけれど」
「だったら、謎のままでいいだろ」
「でも。ぼく、どうしても知りたいから、教えてくれませんか」
「……」
「お願い、土方さん」
 懇願する無邪気な恋人に、土方は深くため息をついた。
 それから、まだテレビから視線を外さぬまま、ゆっくりとした口調で云った。
「あのさ、おまえもあの女がどういう存在か、わかっているだろ?」
「……え」
「俺のセフレの一人。それも一番長くて深いつきあいの相手」
「……」
 固まってしまった総司にちらりと視線を投げ、土方はまた深々とため息をついた。
「恋人に、セフレとのキス見せつけなきゃならない男の心境っての、少しは察してくれない?」
「心境って……」
「あぁ、もう! ここまで云ってもわからないかな」
 土方はくしゃっと片手で髪をかきあげると、総司の方へ向き直った。ちょっと苛ついた表情で、顔を覗き込んでくる。
 ぐっと手を掴まれた。
「俺は、おまえの恋人なんだぜ?」
「そう……ですね」
「なのに、その前で他の女とキスしてるんだ、少しは動揺して当然だろ? それとも、おまえは動揺しなかったの?」
「ど、動揺したに決まってるでしょ!」
 思わず総司は叫んでしまった。


 動揺しないはずがないじゃない。
 自分の恋人が他の女の人とキスして、平気でいるなんて。
 そんなの、絶対絶対ありえない!


「だったら、その先の事もわかるだろ?」
 そう訊ねた土方に、総司は「へ?」と目を瞠った。
 それに、くすっと笑う。
「このままでいいと、おまえは思った訳? セフレに俺がとられてしまってもいいと、本気で思っているの?」
「とられるって……え」
 一瞬、総司の思考が停止した。
 もしかして。
 そういう事……なの?
 しばらく黙ってから、総司はおそるおそる訊ねた。
「土方さんがぼくと別れて……あの女の人を本当の彼女に…するって、こと?」
「……」
「そうなの? 本当にそう思ってるの?」
 そう重ねて問いかける総司に、土方は肩をすくめた。
「……天然おとぼけのおまえでも、少しは察しよくなる時があるんだな」
「天然おとぼけって何!?」
「実際、そうだろうが」
 土方はソファに身をしずめ、ふっと微かな苦笑をうかべた。
「天然でなかったら、ここまで男にお預けくらわせといて、平気でいられるはずないよ」
「……」
「むろん、俺だって、おまえと別れるとか……そんな事は本気で考えてないし。けど、いい加減キレそうになってるのは、わかるだろ?」
「キレるって……」
「獣になってしまうってこと」
 そう答えた土方に、総司は思わず後ろへすさった。とたん、彼が片手をのばし、総司の細い肩をしっかり掴んでくる。
「土方…さん……?」
 そう懇願するように呼びかけながら見上げると、土方はにっこり笑った。
 思わず見惚れるぐらい、きれいな笑顔だ。
 だが、しかし、目が笑ってない。
 男はきれいな笑顔をうかべたまま、とんでもない事を云ってきた。
「な? 今すぐキレちゃおうか」
「キレ、キレるって……っ」
「説明したんじゃなかったけ? ほら、獣になるって」
「お、お断り! 絶対にやだやだやだっ」
 慌てて逃げだそうとしたが、そこは何しろ狭いソファの上。たちまち追いつめられ、仰向けに押し倒されてしまった。
 とたん、総司はじたばた暴れ始める。
「やだやだ、やだ……っ!」
「総司、大丈夫だから」
「全然大丈夫じゃないもん! いやっ、絶対にいやだってば……」
 身の危険に抗いまくっていた総司は、突然、目を見開いた。
 そして、次の瞬間、


「きゃああああ──ッ!?」


 と、ものすごい悲鳴をあげた。
 それに、土方もびっくりして、思わず飛び起きてしまう。
「な、何だ」
「……メロンパン」
「は?」
「メロンパンが……つぶれちゃうんですっ! どいてぇーっ!」
 総司は今までの非力さが嘘のような勢いで男をがばっと押しのけ、自分の後ろになっていたメロンパンをしゅぱっと拾い上げた。
 裏表ひっくり返してみながら、「あぁっ、ビニール袋が破けちゃってる!? あっ、クッキーのとこも割れちゃって……っ」などと、何やら真剣な顔でぶつぶつ呟いている。
 どう見ても、今現在、総司の目にはメロンパンしか入ってないようだった。またまたお預けくらわされてしまった彼氏の事など、すこーんっと忘れ去っているようだ。
「……総司」
 微妙に押し殺した声で、土方は呼びかけた。
 それにメロンパンを抱えたまま、総司は素直に返事した。
「はい」
「おまえさ」
「はい、何ですか」
「俺とメロンパン……どっちが大事なんだ」
「……」
 意味不明というより、ある意味ちょっと情けない質問に、総司はきょとんと大きな瞳で彼を見返した。
 それから、小首をかしげて、ちょっと考えて。
「メロンパン……かな」
「ッ!?」
 とたん、男の顔色が変わったのを見てとり、総司は慌てて立ち上がった。むろん、メロンパンはしっかり死守している。
 さささーっと部屋の片隅へ飛んで逃げながら、大急ぎで云いつのった。
「だって、だって! メロンパンはぼくを襲ったりしないもん!」
「あたり前だろがっ!」
「でも、土方さんは襲ってくるじゃない! 今の土方さん、獣さんだし怖いし。だから、メロンパンの方が大事なのっ!」
「じゃあ、俺はメロンパンよりも扱いが下って事か!?」
「……」
 総司は返事をしなかったが、つまりはそういう事なのだ。
 唖然となった土方を前に、さすがにやばいと思ったのか、総司はそそくさと寝室へ逃げ込んでいった。
 ……メロンパンをしっかり抱えて。


(……俺は、メロンパン以下か)


 がちゃっと鍵の音が鳴った扉を前に。
 土方はそんな拗ねきった考えを抱いてしまったが、むろん、このままにしておくつもりは毛頭ない。
 確かに、総司があんな言動をするようになったのには、自分にも責任がある。何しろ、可愛いからと、とことんまで恋人を甘やかしてしまったのは、この自分なのだから。
 だが、しかし!
 男の我慢・忍耐にも限界というものがあるのだ。
 プライドというものもあるのだ。
 そのあたり、ぜひとも、あのわがままな恋人に教えてやらなければならないだろう。
「……みてろよ」
 土方は低く呟くと、腕組みした。
 そして。
 メロンパン以下の扱いを受けてしまった彼氏は、鍵をかけられた扉を見据え、あれこれ策をめぐらし始めたのだった……。










 さて、その翌朝である。
 総司はちょっとびくびくしながら、寝室の扉を開けた。そぉーっと顔を覗かせ、きょろきょろと見回してみる。
 だが、そこに土方の姿はなかった。
 その事にほっとして、総司は大急ぎで洗面所に飛び込んだ。さっさと身支度をすまさなければ、遅刻してしまうのだ。
 洗面と着替えをすませた総司は、キッチンで牛乳だけを飲み、部屋を出た。玄関扉に鍵をしめ、くるりと向きをかえる。
 そのとたん。
「……おはよう」
 突然、かけられた声に、総司は飛び上がりそうになってしまった。
「!?」
 慌てて見上げれば、土方がにっこりときれいな笑顔をうかべ、そこに立っていた。
 朝の光の中で、その笑顔は眩しいほど爽やかだ。
「……お、おはようございます!」
 総司は思わず後ずさりそうになりつつも、きちんと挨拶を返した。これも芸能人の習性という奴だ。
 土方はそんな総司に一瞬だけすうっと目を細めたが、すぐ、もとの優しい笑顔にもどった。
 にこやかな笑顔で、手に下げていた紙袋をさし出してくる。
「はい、これ」
「? な…何、ですか」
「この間云ってただろ。今日、戸外でCMのロケだって」
「え、はい」
「だから、お弁当。どうせちゃんと食事しないだろうし、でも、そんな事すると体壊すと思ったから、今朝つくっておいた」
「土方さんの手作り?」
 びっくりして思わず問いかけた総司に、土方は「当然だろ」と苦笑しながら、さし出してきた。
 それを、総司は両手で大切そうに受け取った。嬉しくて嬉しくて、思わず顔がほころんでしまう。
 何しろ、土方がつくってくれる料理は、それはそれはおいしいのだ。未だ教えてくれないお仕事はシェフですか?と聞きたくなるほど、和洋中どれをつくって貰っても、最高!だった。
 もともと総司はご飯を食べる事は好きだが、ついつい仕事の忙しさから抜いてしまいがちになる。尚かつ、外食や弁当では、食欲も低下しがちだった。
 だが、そんな総司にとって、土方がつくってくれる食事は何よりのご馳走なのだ。
 それを、今日は昼にも食べられるのだから、喜んで当然だろう。
「ありがとう! 土方さん」
 嬉しそうに紙袋をぎゅっと抱きしめた総司に、土方も微笑んだ。手をのばし、髪を撫でてくれる。
「喜んでくれて嬉しいよ。ちゃんと食べてくれよな?」
「もちろんです! ちゃんと全部食べます」
 そう元気に明るい声で答えた時、階下の方でプップー!とクラクションの音が鳴った。それに、あ!と声をあげる。
「磯子ちゃんだ」
「早く行かないと、叱られるぞ」
「うん。じゃ、いってきます」
「いっておいで」
 そう云いながら優しい笑顔で見送ってくれる彼に、大きく手をふって、総司はうきうきとエレベーターへ乗り込んだ。


 ──だから、知らなかったのだ。


「……」
 エレベーターの扉がすぅーっと閉じられた瞬間。
 お弁当まで用意してくれた優しい彼氏が、それまで振っていた手を徐におろし
 ──そして。
 ゆっくりと唇の端をつりあげ、不敵な笑みをうかべたことを……。