花畑の中だった。
 気がつけば、総司は綺麗な花畑の中で仰向けに寝転がっていたのだ。
 否、それは語弊があるかもしれない。大事に、大切に、横たえられていたと云った方がいいだろう。
 背の後ろには柔らかな敷物が敷かれ、しかも、その下はビロードの絨毯のようなふかふかの芝生だ。
 ゆっくり身を起してみれば、まっ青に澄んだ空の下、可愛らしい花畑がひろがっていた。その周囲にある綺麗な森がまたメルヘンチックな感じを際ただせている。
 赤やピンク、黄色、紫など、色とりどりの小さな花が咲きみだれるそこは、まるで秘密の花畑だ。
 花々から香る匂いが心地よく、さらさらと風が総司の髪を柔らかく吹きみだしていった。
「……ここ、どこ?」
 呆然としたまま、呟いた。
 そんな総司の前を、ひらひらと紋白蝶が飛んでゆく。
 それを目で追いつつ、総司は何とか頭の中をはっきりさせようと努力した。
「えーっと、確か……ぼく、スタジオにいたよね。新曲作りに頑張っていて、それで……」



 それで?
 …………。












 二週間、休みなしで働いていたのだ。
 ロケやCM録りが重なった事もあったが、総司自身、ロケで行った地でインスピレーションをえて、新曲をつくりたくなってしまったのが、運のツキだった。
 もともと仕事になると周囲が全く見えなくなる総司は、夢中で新曲づくりに没頭してしまい、マネージャーの磯子や社長の原田が心配するのも気にとめず、何日もスタジオにこもりっぱなしだったのだ。
 そこへやって来たのが、土方だった。
 おそらく磯子から連絡がいったのだろう。
 以前のように怒られるとびくつく総司に、突然現われた彼は、妙に上機嫌だった。
「随分頑張っているんだな」
 そう云って、総司の手許にある楽譜を覗き込んだ。さらっと目を走らせ、小さく笑う。
「何だ、主旋律は全部出来ているじゃないの」
「そういうの、土方さん、わかるの?」
「だてに、おまえのファンやってないからね。けど、それなら……もう休んでもいいんじゃない?」
「でも」
 総司はゆるく首をふった。
「もう少しやりたいから。最後までやってしまいたいし」
「そんな事云っていたら、いつまでたっても休めないよ?」
「だって」
 反論しようとした時だった。
 先程、土方からさし出されたジュースをこくこく飲んでいたのだが、不意に、ぐにゃりと視界が歪んだ。あれれ?と思う間もなく、すうっと全部が遠ざかる。
 くたりと膝から力が抜けて倒れ込む総司を、力強い腕がしっかり抱きとめた。
 状況がわからぬまま見上げると、土方はかるく唇の端をあげていた。総司と視線があえば、にっこり笑いかける。
「おやすみ、俺の可愛いお姫さま」
 しなやかな指さきで、そっと頬を撫でられたとたん、すべてがフェイドアウトした。












「で、気がついたら……って、えぇっ!?」
 総司は思わず叫んでしまった。
 どう考えても、一服もられてしまったのだ。挙げ句、この花畑へ連れてこられたのだろう。
 総司を休ませるためだろうが、ここまで強硬手段をとるとは! にっこり笑いながら、その実、土方はとんでもなく怒っていたのかもしれない。
 その事に、ちょっと怖くなりつつ、総司は,


(でも、ここまでするかなぁ)


 深く深く、ため息をつきたくなった。
 総司の恋人である土方は、東京特捜部のエース検事というお固い職業のわりに、時々、思ってもみない行動にでる。慎重とか、堅実とか、そういう言葉の似合わない彼にふり回され、びっくりさせられるのは、よくある事だった。
 だが、まさか、ここまでやるとは!
「一服もって誘拐だもん。下手したら、犯罪じゃない」
 目の前にいない相手に呟きつつ、総司はえいっと立ち上がった。
 とても綺麗な花畑だが、いつまでたってもお迎えが来ないので、総司は探索に出かけることにしたのだ。土方がすぐ現われると思っていたのに、目を覚ましてから、かれこれ30分はたつ。
「土方さん、どこかにいるとは思うんだけど」
 総司は花畑をゆっくりと横切り、まるく囲むようにある森の中へ入ってみた。
 もっとも、森と云っても明るく、綺麗な色合いの樹木や花々が咲きみだれる、とても優しい雰囲気だ。白い小道もつくられてあり、明らかに人の手が入っていた。
 その事にちょっと安心しつつ、とことこ歩いてゆく。
 鳥の鳴き声、木の葉の擦れる音だけが響く世界に、気持ちがとても安らぐのを感じた。見上げれば、綺麗に澄んだ青空で、思わず「んーっ」とのびをしたくなる。
 考えてみれば、こうした自然にふれるのも久しぶりの事だった。
 いつも、無機質で殺風景な都会で暮らしているのだ。息がつまりそうな毎日だった。
 総司自身、こうした自然の中で暮らす方がずっと好きなので、いずれ仕事が落ち着いてきたら、郊外の方へ引っ越したいと思っている。海や山の近くで音楽をつくり暮らしてゆけたら、どんなに幸せだろう。
 そんな事を考えながら、総司は森の中を歩いていった。時折、木の葉の間から、栗鼠が顔をのぞかせる。
 小道が途切れ、不意に森をぬけた。とたん、目を見開く。
「……あ」
 森の傍を流れる小川にそうように、とても可愛らしい家が建っていた。
 フレンチカントリー風の家だ。ダークブランの焼き瓦に、しっくいの壁、木枠の窓や水色の扉がとても可愛らしい。
 家の際には花々が咲き乱れ、そよそよと風にゆれていた。
 まるで絵本に出てくるような、いかにも女の子が喜びそうな家だ。
「……」
 しばらくそれを眺めていたが、総司はゆっくりと木戸を押した。庭の中に入り、家へと近づいてゆく。
 ここが何処なのかわからない以上、とりあえず道を聞いてみるべきだと思ったのだ。きちんと手入れされている事から、空き家ではないとわかる。
 総司はドア傍についたレトロな紐をひっぱった。カランカランと愛らしい音が家の奥で鳴る。
 やがて、誰かが近づいてくる足音がし、扉が静かに開かれた。
「……えっ?」
 総司は目を見開いた。
 扉が開いた向こう、そこに立っていたのは一人の若い男だった。
 黒髪に黒い瞳。
 よく見慣れた優しい笑顔で、こちらに手をさしのべてくる。
「土方、さん」
 思わずそう呟いた総司に、土方はかるく身をかがめた。総司の手の甲にキスを落しながら、悪戯っぽく笑った。
「ようこそ、お姫さま」
「な、何? どうして……?」
 総司は今もって状況が理解できなかった。
 もしかして?とは思っていたが、それでも、何故、この家から土方が出てくるのかさっぱりわからない。
 いったい何がどうなっているのか。
 呆気にとられていると、土方はにこやかに云った。
「そろそろ起きる頃だと思っていたけど、少しだけ心配したよ」
「心配って……」
「薬の分量間違えたかと思っちまった」
 にっこり笑いながら云ってのけた土方に、総司は目を見開いた。
「やっぱり、一服もったんだー!」
「あ、気づいてた?」
「気づいてって、あたり前でしょ! あんなの、あんなっ」
 怒りのあまり言葉につまった総司に、土方は身をかがめた。耳もとに唇を寄せ、そっと囁きかける。
「それもこれも全部……可愛いおまえのためさ」
「……っ」
「けど、ごめんね。総司、愛しているよ」
「……」
 一瞬彼を見上げた総司は、耳朶まで真っ赤になった。俯き、こくりと小さく頷いてしまう。
 こちらを見つめる、濡れたような黒い瞳。
 きれいな笑顔に、耳もとで囁きかける低いなめらかな声。


 こんなにも魅力的な彼に、誰が逆らえるの?


「ほら……入って」
 土方は、総司の肩を抱くようにして家の中へ招き入れた。それに従い、家の中へ入る。
 絵本のような世界が広がっていた。
 暖炉に、白い塗り壁、木の床。窓際のニッチに置かれたソファに、小さなテーブル。一人掛けのソファが幾つか置かれ、どれも座り心地がよさそうだ。
 階段のむこうに、小さなキッチンがあるのが見えた。白いタイルが天窓からの光にきらきら輝いている。
「わぁ、可愛い」
 思わず歓声をあげた総司に、土方は満足げだった。総司をダイニングテーブルの前に坐らせながら、云った。
「お腹すいているだろう? 朝ご飯、すぐ用意するから」
「うん」
 こっくり頷いた総司に微笑みかけ、土方はキッチンの中へ入っていった。いい匂いがただよい始める。
 それを目で追いながら、総司は家の中をきょろきょろ見回した。
 何だか、不思議と懐かしい感じのする家だ。可愛くて、どこか白雪姫に出てくる七人の小人の家みたいな感じがある。
 やがて、土方が朝食をはこんできた。
 焼きたて白パンに、レタスやトマトのサラダ、オムレツ、南瓜のポタージュ、紅茶という組み合わせだ。こうした料理をぱっぱっと手際よくつくれてしまうあたりがすごいと、総司は素直に尊敬してしまう。
 しかも、そこらのレストラン顔負けのおいしさなのだから、検事なんてやっているのがもったいないぐらいだ。
 総司は「いただきます」と手をあわせると、さっそく頂く事にした。おいしそうに、ぱくぱく食べていると、土方は楽しそうに目を細めてそれを眺めている。
 視線があえば、にっこり笑いかけられ、本当に恋人同士なんだなぁと実感する一瞬だ。
「あのね、土方さん」
 食事もあらかた食べ終り、デザートとして出された林檎のシャーベットをスプーンですくいながら、総司は呼びかけた。
 それに、土方がかるく小首をかしげる。
「何?」
「ここ、どこ?」
「……」
 土方は一瞬目を見開いた。だが、すぐに、くっくっと喉奥で笑いだす。
 総司はぷうっと頬をふくらませた。
「笑うことないでしょ」
「いや、悪い。けど、総司らしいなぁと思ってさ」
「?」
「今頃になって、ここが何処かなんて聞くあたり、総司らしいよ」
 そう云ってから、土方はテーブルに頬杖をついた。悪戯っぽい瞳で総司を眺め、にっこり笑いかける。
「でも、駄目。教えてあげない」
「な、何で?」
「教えたら、ここから脱出できちゃうだろ?」
「脱出!?」
 思わず聞き返してしまった総司に、土方はにこやかな笑顔で云った。
「脱出、逃亡、まぁ、なんでもいいけど。とにかく、簡単に逃げられると思わない方がいいよ」
「何それっ!」
 総司は呆気にとられた。それに、土方は平然と言葉をつづけた。
「当然、これは磯子ちゃんも了承済だから。総司には休養が必要だよ」
「休養って、今日で十分休養したもん。眠ったし、食事もとったし」
「全然そうは思えないね。とにかく、当分の間の休養は決定済」
「決定済じゃない! 絶対絶対、やだからっ」
 そう叫ぶなり、総司はガタンッと音をたてて立ち上がった。猛ダッシュで扉へ向けて走り出す。
 だが、土方は全く動じなかった。手早く食器を片付けながら、云う。
「この家から出るのはいいよ。庭も、どうぞご自由に」
「え?」
 訝しく思ってふり向いた総司に、土方はかるく肩をすくめた。
「もっとも、森は脱出不可能だから。何せ、魔法の森だし」
「魔法の…森?」
「そう、魔法の森。お姫さまを閉じこめるため、俺がこの手で魔法をかけたんだ」
 優雅と云ってもよい仕草で、ひらりと手をひらめかせ、土方は悪戯っぽく笑ってみせた。
 甘い笑顔に、思わず見惚れてしまう。
「……」
 呆然と立ちつくす総司の前で、土方は小さく歌を口ずさみながら、片付けを再開した。もう、それきり、総司の方を見る事もない。
 その端正な横顔を見つめ、総司は唇を噛んだ。
 手をのばせば、金色のノブに指さきがふれる。
 そっと視線をめぐらせた窓の外のむこうには、緑生い茂る森。


(魔法の森なんて、嘘だよね……?)


 そう心に呟きつつも、何だか不安になってしまった総司だった。












 先程から、総司は庭の中を行ったり来たりしていた。
 時々、顔をあげて家の方を見るが、土方は何をしているのか全く出ても来ないし、声もかけない。
 その様子に、総司は唇を噛んだ。


 もともと、土方は総司の健康管理に関してはやたら口うるさく、今までも家に閉じこめられて無理やり休養させられたりした事が、何度かあった。
 だが、どこだかわからない所に閉じこめられたなんて、初めてのことだ。
 挙げ句、魔法の森だなどと云って、後は知らん顔だなんて。


「それだけ……怒ってるという事?」
 やたら、にこやかだったので気づかなかったが、実は、土方は深く静かに怒っていたのではないだろうか。
 考えてみれば、この二週間、まともに彼と連絡もとっていなかった。土方から送られてきたメールへの返事も滞りがちで、挙げ句、電話もとらなくて。
 彼も、東京特捜部のエース検事だ。多忙の合間を縫うようにして、総司に連絡をつけてくれているのはわかっていたのに。
 全部放っておいてしまったのは、自分の方。
「でも……」
 総司はぎゅっと両手を握りしめた。
 連絡しなかったのは、悪いと思う。無理をして倒れる寸前まで働いて、心配かけてしまったのも。
 でも、だからと云って。
 総司の意志なんか簡単に忘却の彼方へ放り投げ、誘拐してここに監禁って。


 そんなのあり?
 普通そこまでやる!?


「絶対、おかしいんだもん」
 つんと尖らせた唇で呟き、総司は庭から森の方をふり返った。
 一見すれば、とても綺麗な森だ。だが、そう思ったとたん、先程聞いた彼の言葉が耳奥に蘇った。


『お姫さまを閉じこめるため、俺がこの手で魔法をかけたんだ』


「そんなのある訳ないし」
 総司はきっぱり云いきると、庭を真っ直ぐ横切った。そうして、一瞬だけ躊躇ったが、木戸に手をかけ、押し開く。
 思いもかけず、ぎいっと大きく音がなり、思わず飛びあがった。
 おそるおそるふり返ってみたが、家から土方が出てくる気配はなかった。おそらく、家事やら何やらをしているのだろう。
 総司は少しだけ不安だったが、森の中へゆっくりと歩み入った。
 ここを抜けなければ、逃げ出す事はできないのだ。きちんと歩いてゆけば、きっといつかは抜けられるはず。
「よし、頑張るぞ」
 一人気合いを入れてから、総司は勢いよく歩き出した。
 その細い背を、家の中から、窓枠に寄りかかった土方が愉しそうに眺めている事など、全く気づかぬまま……。
















「……嘘、何で?」
 総司は思わず呟いた。
 何度も何度も見たはずの光景が、目の前に広がっている。
 いわゆる、お花畑だ。
 今朝、総司が寝っ転がっていた花畑だった。相変わらず、とても綺麗で清々しく、紋白蝶がひらひらと飛んでいるメルヘンチックな光景。
 しかし、総司は今それどころではなかった。
 森の中を、かれこれ3時間は彷徨いつづけているのだ。薄暗い森でも、鬱蒼と茂った無気味な森でもない。
 綺麗に手入れされた白い小道や、樹木、花々が咲きみだれる美しくも優しい森だ。
 なのに、そこから逃げ出す事ができなかった。何度やっても、先程から、ぐるぐる同じ所ばかりをまわっている気がする。道から外れても同じくで、結局は、あの家か、もしくは花畑のところへ出てきてしまうのだ。
「本当に、魔法の森だ」
 総司はため息をつき、花畑にぺたりと坐り込んでしまった。
 ほとほと疲れてしまったのだ。いい運動にはなっただろうが、ここから逃げ出せないのではどうしようもない。
 ぐったりした気分で青空を眺めていると、後ろから声をかけられた。
「そろそろ、お昼にしようか」
「土方さん!」
 ふり返った総司は、思わず叫んでしまった。
 いつの間に現われたのやら、土方がランチボックスを抱え、佇んでいる。
 淡いペパーミントグリーンのシャツに、洗いざらしのジーンズがとてもよく似合っていた。さらさらと風に揺れる黒髪に、こちらを見つめている黒い瞳。
 花畑に佇む様は、まるでお伽話の王子様のようだ。
 視線があうと、小さく笑いかけてきた土方に、総司は頬を染めた。