土方はようやく顔をあげた。切れの長い目がまっすぐ斉藤にむけられる。
「おまえ、総司の所に行くつもりだろう」
「……よくわかりましたね」
「ツアー中ついてまわるのは構わねぇが、その分、総司の食事と生活に気をつけろよ」
「え」
 戸惑う斉藤の前で、土方はタブレットを鞄の中に仕舞った。立ち上がりながら、低い声で言う。
「俺が帰ってきて、総司がやせ細っていたり、体調崩していたりしたら、おまえのせいだからな。絶対しっかり管理しろよ」
「う、嘘でしょう!? そんなのオレが出来るはず……」
「嫌なら、ツアーについていかなくていいんだぜ?」
 土方は意地悪く唇の端をつりあげてみせた。総司に見せる顔とは大違いの、思いっきり人の悪そうな笑みだ。
「近藤さんに連絡して、おまえを仕事でキリキリ舞いさせてやることなんざ、朝飯前だ」
「この……っ」
 鬼! 悪魔!
 という言葉はさすがに呑み込んだ。
 土方は、呆然と立ち尽くしている斉藤にひらりと手をあげると、向こうで待っている検事仲間たちにむかって歩いていった。
 すっと伸びた背中、整えられた黒髪に、きれいな黒い瞳。そのしなやかな長身に上質のスーツを纏った姿は、誰もが見とれてしまうほど端正で水際立っている。
 その証に、空港の混雑の中でも、女たちは皆、土方をふり返っていた。もっとも本人はまったく意に介していないが。
 しかし、あの男は東京特捜部のエース検事であると同時に、凄腕スナイパーであり、とんでもなく性格が悪い危険な男なのだ。だからこそ、あんな事を平気で言ってのける。
 あれは彼一流の八つ当たりなのかもしれないが。
「……困った」
 斉藤はその後姿を見送り、深々とため息をついた。












 一応、頑張ってはみた。
 斉藤はコンサートが終わる頃、必ず楽屋を訪れた。
 そして、総司を食事に連れ出したのだ。
 だが、これがとんでもなく面倒で大変だということに、早々と斉藤は気付かされていた。
 何しろ、総司は可愛くて素直だが、歌となったら完全に他のことが見えなくなるのだ。そのため、いくらレストランに連れていっても、作曲のことを考えていたりすると食事をほとんどしないこともあるし、晩御飯はともかく、朝や昼ごはんは斉藤が口出しをしても、あまりとっていないようだった。
 面倒だからと、メロンパンだけ食べて済ませることがよくある。もちろん、斉藤だけでなく磯子もさんざん言っていたが、なかなか本人が変える気がないのを変えることは難しい。
「いつも、どうしていた訳」
 斉藤は訊ねずにはいられなかった。
 あの忙しい土方が朝昼晩と、総司につきっきりでいられるはずがないのだから、今まで体調を整えてこられた方が不思議だったのだ。
「え、いつもですか」
 総司は「んー」と小首を可愛くかしげた。
「晩御飯は、土方さんが週に何回かつくってくれているし、お休みの日は全部つくってくれるし」
「じゃあ、朝と昼は」
「あのね、朝は、土方さんが朝ごはんの用意してから、検察庁に出かけて行くのです」
「え……」
「朝起きると、いつの間にか朝ごはんが用意してあるの。ぼく、朝はちょっと食べるの辛い方だから、サンドイッチとかフレンチトーストとか、果物とか、食べやすそうなものを色々と」
「……」
 斉藤は思わず沈黙してしまった。


 実際の話、土方がどれだけ検事の仕事で忙しいのか、よく知っているのだ。
 おそらく朝、自宅を出るのは6時頃のはずだった。夜明け前のこともあるはずだ。
 何しろ、朝一で手入れが入る先に踏み込むこともあるのだから。
 それで、総司の朝ごはんの用意までしていくなんて、そこまでやるかって話である。


(だいたい、週に何回か晩御飯って、毎日遅くまで働いているし……って、あの人、まさかいったん家に戻って総司の晩御飯つくってから、検察庁に戻ってる訳? えぇっ?)


 とんでもない事実に仰け反りつつ、斉藤は質問を重ねた。
「じゃ、じゃあ……昼ごはんは? そこまで土方さんの手料理って訳には」
「どうして? そうですよ、土方さんの手料理ですよ」
「え」
「だって、お弁当つくってくれるんだもの」
 あっけんからんと言ってのける総司に、斉藤はもはや呆然とする他なかった。


 土方は忙しい早朝というか夜明け前に、朝食どころか弁当まで用意してから、出勤しているのだ。
 もはや涙がでるほどの尽くしぶりだった。
 だが、そのしっぺ返しが斉藤に(何でオレに!?)返ってきている。
 そこまで土方が総司をどろどろに甘やかしてしまったゆえに、総司は土方がつくったご飯でなければ食べないぐらいになってしまったのだ。
 放っておけば、何日でも食事も忘れてスタジオにこもってしまう総司を見かねてのことだったのだろうが。


「もちろん、わかっていますよ」
 総司は、ぷんとベビーピンクの唇を尖らせた。その表情は、春のポスターに掲載されてもおかしくないぐらい、ベリーベリーキュートだ。
「土方さんに甘えすぎているなぁって、ぼくだってわかっているんです。ぼくって我儘だし、土方さんがいないと駄々こねちゃうし」
「わかっているなら、少しは変えようという努力を」
「だって」
 椅子に腰掛けた総司は、足をバタバタとさせた。
「土方さんが言うんだもの。ぼくが料理とかしようとすると、とめちゃうし、甘やかさせてくれよ? って笑うし、我儘言ってくれた方がいいって、その方が嬉しいっていつも言うの。我儘いってる総司もかわいいよって」


(そんな事いうなら、自分で全部責任もてッつーの!)


 珍しく乱暴に心の叫びをしてから、斉藤は、はぁっとため息をついた。


 結局のところ、土方が悪いのだ。
 何もかもあの男が悪いとしか思えなかった。
 だが、土方の怒りは恐ろしい。
 何をされると決まっている訳ではないが、何をされるかわからない処に彼の真の恐ろしさがあると言えるだろう(推測)。


「……まぁ、とにかく、食事はきちんと取るべきだよ」
 力なく言った斉藤を、総司は大きな瞳でじーっと見つめた。それから、言った。
「もしかして、斉藤さん」
「何」
「ぼくのこと、土方さんに頼まれた?」
「え」
 びっくりして顔をあげると、総司はにこにこと可愛い笑みをうかべていた。
「やっぱり、そうなんだ。土方さんに、ぼくのこと頼まれたんでしょ?」
「あ、ああ……まぁ、その」
「嬉しいなぁ」
 うきうきした口調で、総司は言った。
「土方さん、ぼくのこと気にしてくれていたんだ。あんなに楽しそうに出張行っちゃうから不安になっていたけど、でも、やっぱり大丈夫だよね。ぼくのこと、斉藤さんに頼んでいってくれるんだもの」
「……」
「うふふ、土方さん、だぁい好き」
 目の前に本人がいないのに、ここまで盛り上がれる総司も総司だが、こんな天然でふわふわほんわかの総司に年中つきあっている土方も見上げた根性だと言えるだろう。


(オレ、一生、あの人には叶わないかも……)


 いや、別に叶わなくてもいいけどと思いつつ、斉藤は、今頃ドイツにいるはずの男を思って、ちょっと遠い目になったのだった。












 コンサートツアーは無事終了した。
 だが、それで斉藤が気を抜くことを許された訳ではない。
 まだ土方は帰ってこないのだ。
 どうやって、総司の体調管理を続けるか悩んでいる斉藤の元に、総司がやってきたのは九州最後の夜だった。
「斉藤さん、これ見て!」
 部屋に入るなり、総司はある物を目の前に突きつけた。
 それに、小首をかしげた。
「? 何だ……航空チケット……?」
「そ。飛行機のチケットです」
「えーと、福岡発、フランクフルトって……えぇっ!?」
 発着先を見たとたん、思わず仰け反ってしまった。
 目の前でにこにこしている総司を、まじまじと見る。
「ま、まさか、現地まで乗り込むってこと? 総司が自分で?」
「うん」
 総司はあっさりと頷き、大事そうにチケットを仕舞いこんだ。
「うまくチケットとれたから、福岡から飛ぶことにしちゃった。ぴゅーって」
「ぴゅーって……そ、それはまずいよ! 絶対まずい」
「どうして?」
「ど、どうしてって……」
 言葉に詰まってしまった。


 何しろ、土方は今、大仕事の最中なのだ。
 表向きはドイツ警察との合同捜査だが、それ以上に裏の仕事がやばすぎた。
 大物を仕留めるため、土方は今、動いているに違いない。
 斉藤はよくよく知っていたが、スナイパーとしての仕事をしている時の土方は酷く気がたっている。
 まさに、獲物を狙う狂暴な肉食獣そのものだった。
 そんな彼の前に、いくら恋人でも総司みたいな仔猫が飛び出すなんて、危険極まりない。
 下手すれば、鋭い牙をたてられてしまうかもしれないのだ。


「あのさ、土方さんも仕事で行っているんだろ? そんな処に行ったら邪魔に……」
「ぼく、土方さんのお仕事の邪魔しないよ。そこまで莫迦じゃないもん」
「い、いや、そういう事じゃなくて」
「もう斉藤さんの言っていること、わからないや。あ、明日早いからすぐに寝なきゃだめなの、ごめんね」
「ちょっ、総司……」
「じゃあね、斉藤さんも気をつけて東京に戻ってね」
 バイバイと手をふると、総司は駆けていった。それを斉藤は追いかけようとして、だが、何と言って引き止めたらいいのかわからず、頭を抱え込んでしまった。


(やばい、やばい、やばい……)


 結局、斉藤は、二人が無事日本に帰国してくれることをひたすら祈る他なかったのだった。












 土方さんを、びっくりさせたい。
 わくわくとそんな事を考えている総司は、当然ながら、事前に土方に連絡を入れることはしなかった。
 だが、彼が泊まっているホテルは知っている。そこへ行けば、逢えるだろうと思っていた。
 福岡からドイツまでは直行便で12時間だ。
 時差があるため、現地時間の昼頃に到着した総司は、いそいそと土方が宿泊しているホテルに向かった。こんな所では顔を知られていないため、サングラスをする必要もなくて嬉しい。
 もちろん、総司はドイツ語などまったくわからないため、ガイドを頼んでいた。全部、磯子が手配してくれたのだ。たまたま現地に住んでいる芸能会社、つまり原田の部下が空港まで出迎え、総司をホテルまで連れていってくれる。
「ありがとうございます」
 丁寧にお礼を言ってから、総司はホテルを見上げた。風格のある立派なホテルだ。町並みも日本とは全く違っていて、外国に来たんだなぁと実感させる。
 だが、昼ごろに到着した事にちょっと戸惑っていた。土方は仕事中であるため、ホテルにいるとは思えなかったのだ。
 とりあえず、総司はホテルの近くにある店で食事をとることにした。どの店で食べようかなぁと、考えこむ。
 店を見ながら歩いているうちに、結局、ホテルの前まで戻ってきてしまった。
 その時だった。
 ちょうど、一人の男がホテルの玄関から出てきた。
 それを何気なく見やった総司は、びっくりした。土方だったのだ。
「土方さ……」
 思わず声をかけようとして、途切れた。
 いつもとまるで違う土方の様子に、どきりと心臓が跳ね上がった。別人のようにさえ見えてしまう。
 一瞬、違う男かと思ったほどだった。


 土方はスーツ姿ではなかった。
 黒いシャツにボトムスという姿で、なめし皮のコートを羽織っている。
 色の濃いサングラスをかけているため、端正な顔は半ば隠れてしまっていた。それでも、艶やかな黒髪も、かきあげるしなやかな指さき、すらりと引き締まった躰つき、すべてが土方であることを指し示している。
 だが、雰囲気がまったく違うのだ。
 いつも総司に見せてくれている柔らかな甘さなど、微塵もなかった。


 ゆっくりと歩き出した土方を見て、総司は、あるものを連想した。
 それは、黒豹だった。
 しなやかな黒い天鵞絨のような毛並みをもった、美しくも狂暴な肉食獣。
 今の土方は、まさに黒豹そのものだった。近寄ったが最後、鋭い牙をたてられてしまいそうな……。
「……っ」
 呆然としていた総司は、のろのろと立ち上がった。
 行っちゃだめ。
 追いかけたらだめと、頭の奥で誰かが警告していたが、身体が止まらなかった。
 カフェを出て、土方の後を追ってしまう。
 土方は足早に歩いていた。どこか目的の場所があるのか、周囲に視線をむけることもなく歩いてゆく。自分に向けられた広い背を、総司は大きな瞳で見つめた。
 背を向けられたことなど、ほとんどなかった。そのためか、彼を遠くに感じてしまう。
 こうして後ろから見ても、彼のスタイルの良さはずば抜けていた。現地のドイツ人とすれ違っても、遜色のない体格だ。すらりと引き締まった長身は、まるでモデルのようだった。


(土方さんって……本当に綺麗)


 いつもとは違う黒豹みたいな彼も、きれいだと思った。
 その時だった。
 突然、土方がすっと裏路地へ入ったのだ。
 総司は慌てて追いかけ、覗きこんでみたが、そこにはもう誰もいない。
「え……?」
 目を見開いた。急いで裏路地へ入って走り、勢いよく角を曲がる。
 とたん、きつく腕を掴まれ捻り上げられた。
「Ich will was fur mich!  Ich verfolge Sie──」
 鋭い声音がドイツ語で何かを告げた。それが途中で途切れる。
 腕を捻り上げられたまま見上げると、土方が驚愕の表情で総司を見下ろしていた。信じられないものを見たように、呆然としている。
 だが、総司が腕の痛さに泣きそうな顔になったとたん、はっと我に返った。慌てて手を離し、崩れ落ちそうになった総司の躰を抱きとめてくる。
「どうして、総司……おまえ、ここに」
「……ひどい! 土方さん」
 総司の瞳はもう涙でいっぱいだった。
「せっかく土方さんを追いかけてきたのに……こんな痛いことするなんて……っ」
「すまない、総司……悪かった、本当に」
 珍しく土方は動揺しているようだった。
 衣服が汚れるのにも構わず路上に跪くと、総司のシャツの袖口をまくり上げた。腫れていないか、確かめている。
 だが、捻られたのは一瞬だったため、たいした事ではないようだった。
 ほっと安堵の息をもらした土方は、そのままの姿勢で総司を見上げた。いつもと視点が逆転する状態に、総司はどきどきしながら彼を見つめた。
 土方が僅かに眉を顰めた。
「なぜ、ここに来たんだ」
「そんなの……決まっているでしょう? 土方さんに逢いたかったんだもの」
「逢いたかったって……ここ、ドイツだぞ」
「直行便なら、すぐだもの。眠っていたから、あっという間でしたよ」
 あっけんからんと言ってのける総司の予想以上の行動力に、ちょっと頭痛を覚えながら、土方は立ち上がった。さて、どうするかと考えこむ。
 その姿を、総司は大きな瞳でじっと見つめた。
「ね? 土方さん」
「何だ」
「どうして、そんな格好しているの?」
「……」
 土方は押し黙ってしまった。


 いったい何と答えればいいのか。
 まさか、正直に答える訳にはいかない。
 標的を殺しにいく処だったなどと。


 土方はコートの内側に潜ませてある銃の重みを感じながら、口を開いた。