「え……?」
 総司は思わず目を見開いた。





 久々に重なった休日だった。
大人気で忙しい天下の歌姫である総司と、これまた忙しい東京特捜部エース検事の土方が、一緒に休めるなど、とてもとても貴重なことなのだ。
 その休日の朝、出かけようと誘われた総司が連れられてきたのは、マンションの地下駐車場。
 そこに停まっている車に、総司は目を瞬いた。
 総司は全く車に詳しくないが、エンブレムが見慣れない形なので、外車だと思う。ラインが綺麗なアイリッシュブラウンの車だった。
「借りたの?」
 そう訊ねた総司に、土方は「いや」と首をふった。キーレスなのか、近づくだけで鍵が開く。
「買った」
「え?」
「だから、買ったんだ。一週間前に」
「……」
 総司は呆気にとられ、土方を見上げた。


 いくら世間知らずで天然な総司でも、車を買うということが、コンビニでメロンパンを買うのと違うぐらいわかっている。
 なのに、今、この男は云ってのけたのだ。
 いとも簡単に。


「買ったって……そんな簡単に」
 思わず呟いてしまった総司に、土方は重々しく頷いた。
「確かに簡単ではなかったよ」
「ですよね。高いから、お金の事とかもあるし」
「いや、そっちは問題ない。俺は独身貴族だし、忙しすぎて、たいして金を使う事もないからね」
「……独身貴族」
「返上させてくれるなら、嬉しいけれど?」
 くすっと笑いながら覗き込まれ、総司は目を見開いた。思わず頬がふくらんでしまう。
「それって、ぼくと別れて、結婚したいという事?」
「まさか」
 土方は総司の手をとり、その指さきに口づけた。
「俺の伴侶は、おまえだけだよ。独身貴族をやめるのは、おまえと結婚する時さ」
「結婚って……土方さん、わかってる? ぼく、男の……」
「可愛い男の子だよ。けど、これもわかっている事だろ? 俺とおまえは深く深く愛しあっているということ」
「そ、そりゃそうですけど……」
 もごもごと口ごもってしまった総司を愛しげに見つめてから、土方は可愛い恋人を車へと促した。
「とにかく金はもともと用意してあったし、問題はなかったんだ」
「じゃあ、何が問題だったの?」
「色々とね」
 土方はくすっと笑ってみせた。それを見上げた。
「でも、どうして急に?」
「え?」
「土方さん、車をもつ必要ないって云ってたじゃない。なのに、どうして?」
「当然、必要にかられたからさ」
 土方は助手席のドアを開けてくれながら、云った。
「この間の騒動で、しみじみ思ったんだ。車があった方が便利だなぁと」
「? この間の騒動って?」
 不思議そうに聞き返しかけて、あ、と口をつぐんだ。おそるおそる見上げてみた総司は、やっちゃったと首をすくめる。
 こちらを見ろす土方の顔は完全に無表情だった。感情のない瞳で、総司をじっと見下ろしている。
 そのとんでもない迫力と威圧感に、総司は慌てて助手席に乗り込んだ。


 この間の騒動とは、例のストーカー騒ぎの事だった。
 怒られる訳ではないが、あの時のことが話題になると、土方はぴりぴりした空気を纏う。
 それが総司には、とんでもなく不気味だった。
 蛇に睨まれた蛙のようだ。


(ううん。土方さんとぼくだから、狼に睨まれた猫かな? って、そんな冗談云える雰囲気じゃないけれど……)


 総司が誤魔化すように周囲をきょろきょろ見回していると、土方が運転席に躰を滑りこませてきた。敏捷な動きがとてもしなやかで、肉食獣めいた男にどきどきする。
「あ、あの」
 ちょっと大きな声で、総司は云った。
「広いですね、この車」
「あぁ」
 土方は気づいたように、車内を見回した。
「シートも車内も広めのものを選んだからね。その方がゆったり出来るし」
「そうですよね。あ、このシート、座り心地がいいですね。クリーム色で綺麗だし」
「おまえにあわせて、優しい感じのインテリアを選んだんだ。乗り心地のいい車が最条件だったから」
「乗り心地のいい車?」
 小首をかしげた総司に、土方はくすっと笑った。身をのりだし、そのなめらかな頬にキスをする。
「可愛い恋人を乗せるんだ。当然のことだろう?」
「あ、ありがとう……土方さん」
 彼の好みもあっただろうに、何よりも自分を優先してくれた事が嬉しくて、総司は頬を染めた。
 土方はシートベルトを締めると、エンジンをかけた。車の低いエンジン音が地下駐車場に響く。
 ゆっくりと走り出していく車の中で、総司は居心地がいいなぁと思った。
 この間、借りた車に乗せられた時もそうだったが、土方の運転はとても丁寧で穏やかだ。決して無理はしないし、乱暴な事もしない。
 煽られる事があっても相手にしない処が大人の男だなぁと、しみじみ思った。
「どこへ行くの?」
 そう訊ねた総司に、土方は「そうだなぁ」と小首をかしげた。ちょっと小さく笑っただけで、運転を続けている。それに、目を瞬かせた。
「え、もしかして、決めてないとか?」
「実はそうなんだ。総司、どこか行きたい処ある?」
「うーん……」
 総司は考え込んでしまった。車に乗っているのだから、やはり車でしか行きにくい処の方がいい。
 となると―――
「定番の海、かなぁ」
「春の海か」
 土方は悪戯っぽく笑った。
「この季節じゃ泳げないよ」
「いいのです。ただ、海辺を土方さんと歩いてデートしたいだけだから」
「本当に定番だ。でも、いいよ、行こう」
 土方は手早くナビを操作すると、高速道路の入り口に車を向かわせた。すいすい走っていく車の中で、総司は嬉しそうに微笑んだ。 












「わぁ、海……!」
 総司は思わず歓声をあげた。
 広い駐車場には一台も車は停まっていなかった。シーズンはずれだし、平日なので、当然の事だろう。むろん、人目を避けなければならない二人には、その方が都合がよかった。
 サングラスも帽子もつけないまま、総司は海辺へと降りた。さくりと白い砂が足元でくずれる。
 ふり返ると、土方がゆっくりと歩み寄ってきた。手をさしだされる。
 え? と小首をかしげる総司に、くすっと笑った。
「歩きにくいだろう?」
「あ」
「手を繋ぐのも、定番じゃない?」
 そう訊ねる土方に、総司は慌てて手をさし出した。しっかり指と指を絡めて恋人つなぎにし、歩いてゆく。
 駐車場と同じく、海辺には誰もいなかった。波音だけが響いている。
 晴れ渡った春の空の色が柔らかで、それを映したように海の色も優しげだった。時折、風が総司の髪を吹き乱してゆく。
「前にドラマで見たのです」
 総司は小さな声で云った。
「恋人たちが二人きりで海辺を歩いているの。何だか、とっても綺麗で優しくて……いいなぁと思って見ていたから」
「それは、俺と逢う前? 俺と逢った後?」
「もちろん、逢う前ですよ。たまに休みになっても何もする事なくて、つまらなくて、恋人が欲しいなぁと思っていた頃の事」
 ちょっと淋しそうに笑う総司に、土方は目を細めた。不意に総司の手を引っ張ると、胸もとに引き込んで抱きすくめる。
 耳元で、男の声が囁いた。
「……淋しい思いをさせて、ごめん」
「っ、土方さんが謝る事じゃ……」
「もっと早く逢えていればよかった。そうすれば、おまえにそんな淋しい想いをさせる事もなかった」
「土方さん」
 総司は、土方の背に手をまわし、ぎゅっとしがみついた。優しく囁いてくれる男が、誰よりも愛しい。
「でも、今、こうして逢えているもの。幸せだもの」
「総司」
「だから、いいじゃない。土方さんもぼくと一緒にいて、幸せでしょ?」
「もちろん、」
 土方はにっこり笑い、総司の頬にちゅっと音をたててキスした。また手を繋ぎ、歩いてゆく。
 寄せては返す波の音が耳に心地よかった。しばらくの間、そうして海辺を散策していたが、少し離れたところに可愛い赤色の屋根の建物を、総司が見つけた。
「あれ、何かな」
「たぶん、レストランかカフェだろうね」
「わぁ、行きたい。お腹も空いたし」
「飛び込みだと、味の保証ができないよ」
 土方は僅かに眉を顰めた。


 総司には食生活を煩く云う彼だが、実は、自分自身のことになると無頓着だった。
 スナイパーとして活動している時など、寝食も忘れがちだし、とれたとしてもファーストフードだ。
 だが、総司には躰のためにも良いものを与えたかった。
 出来るなら自分がすべてつくりたいが、ここではそうもいかない。
 そのため、慎重にならざるを得ないのだ。


 もっとも、総司の方は気にもとめていないようだった。
「いいじゃないですか。こういうのも楽しいし、それに、あの店なら海がよく見えそう」
「けど……」
「ね? お願い、土方さん」
 総司は土方の腕に抱きつき、大きな瞳で甘えるように見上げた。可愛い歌姫のおねだりに、土方は苦笑した。
 本当に甘いなぁと思いつつ、車のキーを取り出す。
「いいよ。駐車場に戻って、車で行こう」
「歩いていけると思うんだけど」
「近く見えるけど、意外と遠いはずだよ。こういう広い場所じゃ、距離感が曖昧になるからね」
 そう云うと、土方は総司を連れて歩き出した。駐車場に戻り、車に乗りこむと、エンジンをかける。
 土方が云ったとおり、店まで意外と距離があった。高台にあり、店の前には小さな駐車場があった。そこからも海は見渡せる。
 店はこぢんまりとしたカフェだった。むろん、ランチもやっていて、丁度ランチの時間が始まったばかりだった。
 入ってみると、総司が思っていたとおり、窓ガラスいっぱいに海の光景が広がっていた。とても綺麗で、清々しいほどだ。高台にあるため、宙に浮いたような不思議な感覚になる。
「きれいな店ですね」
 総司は席に坐り、うきうきとした口調で云った。もちろん、奥まった席をとったし、総司は薄いサングラスをかけている。
 それに、土方は小さく笑った。
「ご機嫌だね」
「だって、土方さんとお出かけなんだもの。デートだもの。ご機嫌になって当然でしょう?」
「確かに」
 くすっと笑い、土方はメニューを手にとった。洋食やパスタがメインらしく、様々なものがある。
 その中から、二人はおすすめランチを選んだ。スープやサラダ、パン、デザート、コーヒーに、メインのディッシュがつくランチだ。
 運ばれてきた料理は素朴だが、とてもおいしかった。
「あたりでしたね」
 嬉しそうな総司に、土方は苦笑した。
「そういう勘があるのかな」
「おいしい店を見つける勘? だったら、嬉しいです」
 総司は相変わらず旺盛な食欲を見せて、ぱくぱく食べた。


 それを見ながら、この細い躰でよく食べると毎回のことながらしみじみ思った。
 だが、これぐらい食べないと、あれだけの声量は無理なのだろう。
 コンサートになると、細い躰を元気いっぱい動かして踊り、唄っている。それも2時間以上なのだ。
 倒れるのではとハラハラしてしまうが、いつも、総司はけろりとしていた。
 それも、この食欲のおかげなのだろうと思う。


 もっとも、土方自身もよく食べる方だ。
 体格がしっかりしている事もあるが、どちらかと云えば細身の彼が食べる量は、なかなかのものだった。
 そのあたり、デスクワークがメインの検事らしくないと、斉藤に云われている。
 だが、スナイパーである以上、躰を鍛えることは、自分の命を守る事でもあった。そのため、変えることなど出来ない。


「おいしかったですね」
 ごちそうさまでしたーと店の人に言って出ると、総司が満足そうに笑った。まるで、たっぷりミルクを舐めた仔猫のようだ。
 それを可愛いと思いつつ、土方は車のドアを開いた。
「さて、お姫様、次はどちらへ?」
 車に乗り込んでから訊ねた土方に、総司はちょっと唇を尖らせた。
「ぼく、お姫様じゃないですけど」
「俺にとっては、大切で可愛いお姫様さ。で、どこへ行きたい?」
「うーん、あのね」
 総司はちょっと困ったように笑った。
「笑わないでくれる?」
「笑う訳ないよ」
「あの、ね。ボーリングに行ってみたいのです」
「ボーリング?」
 びっくりしたような顔になった土方に、総司はこくりと頷いた。
「ぼく、行った事がなくて。ほら、普通の高校生活もした事がないから」
「なるほど」
 土方は頷くと、さっそくナビで検索した。幸い、5キロほど走ったところにボーリング場を見つける。
 そこへ向けて車を走らせ出した土方を、総司は大きな瞳で見つめた。
「土方さん、本当にいいの?」
「何が」
「だから、その、ボーリング場なんて……土方さんには退屈じゃない?」
「総司と一緒なら楽しいよ。もちろん、サングラスは外したら駄目だからね」
「うん、わかっています」
 何しろ、全国にファンがいる人気絶頂の歌姫なのだ。総司だとわかれば、たちまち黒山の人だかりになってしまうだろう。
 だが、その心配は杞憂だった。
 二人が訪れたボーリング場は、雰囲気を出すためかナイト営業っぽくされてあり、照明も極力絞られていたのだ。レーンだけが照明に浮かび上がっている。
 二人は一番奥のレーンを選び、また、あまり人数も少なかったため、気にすることなく遊ぶことが出来た。
「ここ、いいですね」
 総司はにこにこしながら、云った。
「あんまり人も少ないし、照明は暗めだし」
「照明はともかく、平日だから人も少ないんだと思うよ」
 あっさり答えた土方に、総司は、そっかとあらためて気が付いた。
 考えてみれば、総司は芸能人であるため、休みが日曜日などになるとは限らない。むしろ、こうして平日になる方が多いぐらいだ。
 だが、もっとよく考えてみれば、土方は公の仕事である検事なのだ。検事の場合、休みは土日と限らないのだろうか。
「あのね、土方さん」
 彼の袖を掴んで呼びかけると、ボールを磨いていた土方がふり返った。
「何?」
 小首をかしげて促してくる土方を、総司は大きな瞳で見つめた。
「土方んさんって、お休みって……どんなふうにとるの?」
「?」
「今日、平日でしょ。なのに、お休みがとれてるって……どうして?」
「そりゃ、とれるよ」
 何だ、そんな事かとばかりに、土方は肩をすくめた。
「あれだけさんざん土日も祝日もない仕事の状況なんだ。振替にすれば、幾らでもとれるのさ」
「振替?」
「つまり、休みの日に出た分を、別の日で休みとしてもらうって事」
「そっか……そうなんだ」
 安堵したように頷く総司を、土方は可笑しそうに眺めた。
「俺がサボっているとでも思ったの?」
「そ、そんな事ないけど、でも、ちょっと不思議に思って」
「まぁ、もっとも、総司のためなら仕事なんて彼方に放り投げちゃうけどね」
「え、それは駄目ですよ」
 総司は慌てて手をふった。
「そんな事したら、クビになっちゃいます。だめ、ちゃんとお仕事してね」
「はいはい」
 笑いながら、土方は総司をレーンへと促した。
 やったことのない総司は、土方に構え方から投げ方まで、丁寧に教えてもらった。総司の後ろに立ち、背中から抱え込むようにして手をそえてくれる男に、どきどきする。
 いつも抱き合ったりキスをしたりしているのに、こうしてごく普通の場面の中、身体がふれあうと強く意識してしまうのだ。
 彼が大人の男、それも誰もがふり返るほど魅力的な極上の男だということに。
 総司がある程度上手く投げられるようになると、土方は見本のようにプレイをしてくれた。見惚れるぐらい綺麗なフォームで投げ、見事にストライクが決まっていく。


(この人って、どうしてこんなに恰好いいの?)


 向こうの方で、きゃあきゃあ騒いでいる女の子たちに気づき、総司はちょっと唇を尖らせた。