その日、総司はメールを貰った。
もちろん、相手は、愛する彼氏──ではない。その彼氏自身に、会う事を固く固く禁じられている相手、有名パティシエの伊庭だった。
もうすぐバレンタインだね。
新作のチョコケーキつくったから、味見してくれるかい?
「わぁ、新作ケーキ!」
総司は思わず携帯電話を握りしめ、歓声をあげてしまった。だが、すぐに、はっと我に返り、慌てて周囲をきょろきょろと見回す。
そこはテレビ局の控え室であり、あの神出鬼没の彼氏がいるはずもなかったが、思わず様子を伺ってしまった。
だが、もちろん、土方の姿があるはずもない。今頃、東京特捜部のエース検事である彼は、忙しくお仕事の最中のはずだ。
「よかった」
ちょっと、ほっとした総司は、あらためてメールを見直した。
今度、一緒にランチでもという誘いである。
その時に、きっとチョコケーキをプレゼントしてくれるのだろう。これまでにも、土方が知らない事だが(知らないはず)、伊庭は度々総司にケーキをプレゼントしてくれていた。
それはもう、頬っぺたが落ちそうなほどおいしくておいしくて、総司はいつも楽しみにしていたのだ。
もちろん、伊庭は総司というぴちぴちの可愛いお魚をケーキで一本釣りするつもりである。土方もそれに気づいているから、反対しているのだ。
だが、総司自身はそんな事には全く気が付かず、
「ケーキ♪ ケーキ♪ 新作ケーキ♪」
と妙な節をつけた歌をうたいながら、るんるん気分で携帯電話を仕舞い込んだ。
そこへ、マネージャーの磯子が忙しく入ってきた。
「総ちゃん、支度できた?」
「うん」
総司はベビーピンクのセーターにジーンズという、シンプルな恰好で、ぐるりと回ってみせた。
肩先で揺れる柔らかな髪のためか、はたまた大きな瞳のためか、どこから見てもボーイッシュな女の子だ。それも、とびきり可愛くてキュートという言葉つきの。
「これじゃ、また土方さんの嫉妬煽りそうよね」
磯子は腕を組み、はぁっとため息をついた。
今日は歌番組に出演予定なのだが、これがまた問題なのだ。他にも出演者たちが大勢いて、当然、男性も多い。
そして、総司と隣あったり、言葉をかわしたりした男達は、ほぼ惚れ込んでしまうという恐ろしい法則があるのだ。
総司は男の子なのだが、誰も気にかけてないようだった。実際、これだけ可愛くて素直で優しければ、当然の事だろう。
むろん、総司は全く何もわかっていない。呑気なもので、今も楽しそうに髪をとかし、鏡を見ながらうきうきセーターの端をひっぱっている。
「とにかく、まぁ……行きますか」
ちょっとうんざりしながら云った磯子に、総司は頷くと、元気よく歩き出したのだった。
「テレビ、見たよ」
「え?」
不意にかけられた声に、総司はびっくりして顔をあげた。
マンションの自室だった。
ダイニングテーブルの上にあるご飯はどれも出来たてで、とってもおいしそうだ。
本日のメニューは、中華。黄色い卵に野菜たっぷりの天津飯、わかめとネギのスープ、トマトやレタス、貝割れ菜に胡麻ドレッシングをかけた中華サラダ、つやつや金色に輝く大学芋だ。
帰宅した総司は、ダイニングテーブルの上にならべられた晩御飯を見るなり、「おいしそー!」と歓声をあげ、今、旺盛な食欲を見せてせっせと食べている処だった。
それらすべてを完璧につくった男は、総司がおいしそうに食べる様を満足げに眺めていたが、ふと、気づいたように云ったのだ。
小首をかしげた総司に、土方は肩をすくめた。
「あれ、生放送だったからな。8時の番組に出ていただろ」
今は夜の10時。
仕事が終ってすぐ帰宅したが、それでも遅めの食事だった。
だが、その帰宅時間を見計らい、ぴったりにほかほかのご飯を用意するあたり、土方もただものではない。というか、もはや慣れか。
「あ、見てくれたんだ」
総司は嬉しそうに、にこにこ笑った。
「ちゃんと歌えていた? あの時に着ていたセーター、最近お気にいりなの」
「いい声だったし、歌も良かったし、セーターもよく似合っていた。可愛かった」
そう一気に答えた土方は、だが、形のよい眉を顰めた。
「けど」
「? 何?」
「あの男、誰?」
「え?」
不思議そうな顔をする総司の前で、土方はゆっくりとテーブルに肘をついた。ちょっと総司の顔を覗き込むようにして、訊ねかける。
「おまえの隣に坐って、仲良さそうに喋って、おまえに見惚れまくっていた男」
「は? え……」
「だーれ?」
かくれんぼの時のように訊ねる土方の目は、決して笑っていない。
ちょっと据わっているような気がする黒い瞳に見つめられ、総司は思わずご飯を喉につまらせそうになった。箸を握りしめつつ、答える。
「だ、誰って、歌手仲間ですよ。最近、人気の。土方さん、知らない?」
「知らない」
ばっさり切り捨ててから、土方は言葉をつづけた。
「俺はおまえだけのファンだから。他の歌手なんて目に入らないの。で、あれは誰」
「だから、別にそんな親しい人じゃなくて、たまたま隣に……」
「たまたま隣に坐った、さして親しくない男が、おまえにぼーっと見惚れたり、髪や肩にさわったりするのか」
「友人同志のスキンシップですよ」
「ふうん」
土方は意地悪そうな笑みをうかべた。
「友人だっけ? たまたま隣に坐っただけじゃなかったっけ?」
「えーと、えーと……」
総司はもごもご口ごもってしまった。それをしばらく眺めていた土方は、くすっと小さく笑った。
顔をあげると、柔らかく頬を撫でられる。
「土方…さん?」
「あんまり追究するのも可哀相だから、この辺りで勘弁かな」
「え……」
「でも、もう少し自覚もって欲しいね。総司は男にも女にも、もてまくるから」
「……」
思わず沈黙してしまった。
その台詞、そのまま返してやりたい。
あなたこそ、全然自覚ないんじゃないの?
じいっと見つめていると、土方は、また優しく微笑みかけてくれた。その笑顔も、とびきり綺麗で、ついつい見惚れてしまうぐらいだ。
柔らかく整えられた黒髪に、濡れたような黒い瞳。男にしては長い睫毛、形のよい唇。
しっかり鍛えられた躯に、紺色のセーターとジーンズをつけた彼は、芸能人ではないのに、それどころか、検事というお固い職業なのに、ぱっと人目をひく華があるのだ。
大人の男特有の艶とも、云うのだろうか。
そのくせ、ちょっと甘えるような表情になったり、少年みたいな笑顔になったり、総司は彼とつきあってから、どきどきさせられっぱなしだった。
街へ出れば、総司が変装していても、誰もが土方をふり返ってゆく。見惚れるような視線を向けてゆく。
その彼自身から、「自覚もって」などと云われても……と思ってしまうのだ。
「土方さんの方が」
口に出した総司に、土方が?と首をかしげた。
「何?」
「だから、土方さんの方が自覚ないじゃない」
「どういう意味?」
「だから、もてるってこと。土方さんの方がぼくなんかよりもてるのに、自覚ないと……」
「あるよ」
土方はあっさり断言した。それに、目を丸くした総司に、にっこり笑いかける。
「俺、もてるし。ちゃんとわかってるよ。だから、セフレ3人もいたんじゃないか。総司、知らなかった?」
「知ってたけど、知ってたけど……」
「なら、良かった」
土方は一人納得して頷き、言葉をつづけた。
「まぁ、結局の処、俺は自覚あるのに、総司はない。それが問題なんだから、これからはちゃんと自覚をもって行動して欲しいね」
そう云ってのけた土方は、総司が食べ終わったのを見てとると、さっさと片付けを始めた。
何だか丸め込まれてしまった気がしたが(気のせいではない)、もう反論する気力もなく、総司はのたのたと自分の皿をシンクに運んだ。
二人並んで洗い物をしながら、ぼんやり考えた。
あんなテレビ番組だけでこれじゃ、例の伊庭からのメールがバレたら、いったいどうなるのだろう。
もともと、伊庭と会う事自体厳禁とされているのに、メール貰った挙げ句、チョコケーキの事がわかったら……
あれこれ考えていた総司は、いつのまにか、傍らから土方が鋭い視線をむけていることに全く気づいてなかった。
不意に、低い声で問いかけられる。
「……伊庭とは、会ってないよね」
「えっ」
突然、タイムリーに伊庭の名を出され、総司は思いっきり慌ててしまった。大きな瞳で土方を見上げれば、切れの長い目でじいっと見つめられる。
総司は息を吸い込み、慌ててぶんぶんと首をふった。
「あ、会ってませんよ。全然、会ってません」
「ふうん」
「メールも貰ってないし、電話もないし、全然」
「なら、いいけど」
土方は肩をすくめ、それから、云った。
「とりあえず、おまえが伊庭と会ったら、浮気だから。俺もセフレとより戻させて貰うし」
「だから、それって絶対に不公平な気が」
「だったら、会わなきゃいいんだよ。それとも、何?」
土方の目が、すうっと細められた。凄味のある低い声で問いかけられる。
「やっぱり、今も逢っているのか?」
「……」
総司は息をつめた。思わず後ずさりそうになるのを必死に堪え、否定しまくる。
「会ってません。会ってません」(最近は)
「なら、OK」
土方はにっこり笑ってみせると、総司の頬に、ちゅっと音をたててキスした。
「これからも、ちゃんと守るように」
「は、はい」
嘘をついてしまった罪悪感にちくちく胸を痛めている総司を、知る由もなく、土方は上機嫌で柔らかな髪をくしゃりとかき回した。
「片付けは終わり。いいつけ守ったよい子には、プリンがあるよ」
「プリン?」
「冷蔵庫の中。デザートが欲しいだろうと思って、つくっておいたから」
土方の言葉に、総司はいそいそと冷蔵庫を開けてみた。すると、中には綺麗に一つずつラップされたプリンが入っている。
総司はうきうきしながらプリンを取り出し、丁寧に皿の上へあけた。口に含めば、まったり濃厚なカスタードプリンに、カラメルソースがからみあい、極上のおいしさだ。
「んー、おいしい♪」
「よかった」
土方は嬉しそうに笑った。プリンを食べる総司の前に坐り、楽しそうに眺めている。
その笑顔は明るく優しく、とたん、総司の胸がまたちくちく痛み出した。
(云いつけ守ってないのに……)
おいしいプリンを食べながら、総司はこの先どうしようかと、悩んでしまったのだった。
伊庭との待ち合わせは、街角のカフェだった。
一部オープンカフェになっているそこは、一面ガラスばりの事もあり、日射しがさしこみあたたかい。
冬とはいえ、今日は晴れ渡った青空であり、カフェはほどほどに賑わっていた。
総司はもちろん、大きめのサングラスをかけ、地味な色合いのセーターにジーンズという、どこにでもいる学生のような恰好で、椅子に腰かけている。
あまり大きな声を出さなければ、国民的アイドルである人気歌手総司だとばれる事もないだろう。
「はい、これ」
伊庭は小さな白い箱を手渡してくれた。
中身は、もちろん、新作チョコケーキだ。
総司は箱の中をのぞき、わぁっと小さく声をあげた。
チョコのスポンジ生地に苺のクリームをはさんだ、可愛いスクェアケーキだった。砂糖がけされた苺とハート型したホワイトチョコが飾られ、とても愛らしい。
「おいしそう♪ とっても可愛くて素敵ですね」
弾んだ声で云った総司に、伊庭は微笑んだ。
「ありがとう。そう云って貰えると、嬉しいよ」
「家に帰ってから食べさせて頂きますね。ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げた総司は、箱を紙袋へ丁寧な手つきで仕舞った。それに、伊庭がもう一つ何かをさし出す。
「これ、頼まれていた奴」
「……あ」
総司は目を見開いた。
新作チョコケーキのお誘いを受けた時に、思いつき、伊庭に頼んでいたものだったのだ。
大事そうにそれを受け取った総司は、ぱっと輝くような笑顔になった。嬉しそうに、にこにこと伊庭に笑いかける。
「ありがとうございます!」
「うーん、なんか複雑だねぇ」
伊庭は苦笑しながら、テーブルに頬杖をついた。それに、総司が「え?」と小首をかしげる。
「複雑……ですか?」
「そう。複雑な男心ですよ」
男前の顔でちょっとおどけてみせた伊庭は、手をのばした。総司のなめらかな頬を、指さきでちょんと突っつく。
「チョコケーキより、それの方で、こんな可愛い笑顔になっちまうんだからなぁ」
「あ……ごめんなさい」
「謝られると、余計に複雑。何しろ、恋敵に塩送るようなものだから」
「……」
総司はちょっと困ったような顔になり、長い睫毛を瞬かせた。目を伏せ、紅茶のカップを取り上げる。
その時だった。
軽やかな電子音が鳴り、総司は「?」という顔になった。周囲を見回してから、自分のものだと気づき、取り出す。メールかと思ったが、通話の方だった。
耳をあて、応える。
「はい、もしもし?」
『俺だ』
なめらかな低い声が耳もとでそう告げたとたん、総司の心臓は思いっきり跳ね上がってしまった。
反射的に飛び上がらなかっただけ、ましなぐらいだ。
「ひ、土方さんっ」
思わず小さな声でその名を呼んだ総司に、前に坐っている伊庭は片眉をあげた。その後、どこか面白がるような様子で、こちらを眺めている。
総司はびくびくしながら、小声で話した。
「ど、どうしたのですか。何で……お仕事は」
『もちろん、仕事中だよ』
土方の答えに、総司は心底ほっとした。お仕事中なら、もしバレてもすぐさま飛んでこられるような事はないだろう。
「そうですか。それで、えっと……何かのお誘い?」
『あぁ。今夜、家に帰れるのかなと思って。晩飯の事があるだろ』
「大丈夫です。ちゃんと帰れますよ」
明るい声で答えた総司に、土方は一瞬沈黙した。やがて、「ふうん」と呟いた。
「? 土方さん?」
『てっきり駄目だと思っていたけど。晩飯まで一緒にするつもりだったんだろ?』
「え」
目を瞬いた総司に、土方は突然、声音を変えた。切り込むような口調で云い放つ。
『今、誰といる』
「……っ」
総司は息を呑んだ。
やばいやばいやばいと頭の奥で警鐘が鳴り出した。必死に頭を回す。
「だ、誰とって、友人ですよ。ぼくだって、友達づきあいぐらい……」
『あの伊庭って男だろう?』
そう云った後、土方はため息をついた。
『約束したのにな。絶対会わないって約束したはずなのに、おまえはそれを破った訳だ』
「そんな……何の根拠があって……」
もごもごと口ごもった総司に、土方はまた黙り込んだ。それから、思いっきり意地悪そうな口調で云ってくる。
『総司、窓の外を見てごらん?』
「……え」
『歩道橋の上だよ』
「──」
めちゃくちゃ嫌な予感に、総司は冷や汗たらたら流しながら、視線を窓外へやった。
ガラス窓のむこう、都会の光景がひろがっている。街路樹も冬のため葉もなく、おおい隠すものは何もない。
カフェが入っているビルの斜め前、大きな歩道橋があった。
その上で手すりに寄りかかり、こちらに視線を向けているのは……
「! 土方…さんっ」
総司は大きく目を見開いた。
