数日後、歳三の部屋に行く用事があった。
一番隊組長として働くようになった宗次郎だったので、報告のために副長室を訪れる機会も度々あり、それはそんな機会の一つだった。
宗次郎はきちんと端座して報告を済ませると、大きな瞳でまっすぐ歳三を見つめた。それに、歳三は他の隊士には決してみせない柔らかな表情で、「どうした」と促してくれる。
それに少し慣れない気持ちを感じながら、宗次郎は息を吸った。
「一つ聞きたいことがあるのです。仕事のことじゃなくて……私ごとなのですが」
「あぁ」
歳三はちらりと周囲に視線を投げてから、頷いた。仕事のやりくりを考えたのだろう。
だが、拒絶することはなく、それに安堵した宗次郎は言葉をつづけた。
「あの……歳三さんと、私は、その、念兄弟なんですよね」
「……まぁ、そうだな」
「切欠は何だったんですか?」
「切欠?」
「つまり、えっと」
宗次郎は上手く言えず、口ごもってしまった。
「二人がつきあい始めた切欠です。どんなふうに想いを打ち明けあったのかなと、思って……」
「あぁ」
頷き、歳三はちょっと困ったように宗次郎を見た。何? と小首をかしげた宗次郎に、躊躇いがちな口調で答える。
「おまえは信じないだろうがな……総司から告白してきたんだよ、俺が好きだと」
「……え」
「池田屋の後で労咳だとわかって、それで……その、おまえを江戸へ帰そうとしたんだ。戻って養生した方がいいと思った」
宗次郎は目を見開いた。
「江戸へって……でも、二度と会えないかもしれないのに?」
「あぁ、俺も身が切られるような思いだった」
ほろ苦い口調で答え、歳三は目を伏せた。
「だが、おまえの身体のことを思うと、江戸へ帰した方がよかった。ここでは養生できねぇからな。だが、それを告げた俺に、おまえは泣きながら言ってきた。帰りたくない、俺の傍にいたい、好きだからって……」
「……」
「何度も何度も謝っていたよ。今まで逆らってきたのに手を焼かせてきたのに、病になったとたん言うなんて、ごめんなさいと、ひどく泣いていた。それが可哀想でたまらなかった」
「……もしかして」
宗次郎はおずおずと問いかけた。
「可哀想……だから、恋人になったの?」
そう訊ねたとたん、歳三は即座に「違う!」と強い口調で否定した。それに、ほっとする。
「違う、んだ……」
「当たり前だろう。俺もおまえを好いてきたんだ。初めて逢った時から好きだった。可愛いと思っていた。なのに、あんな酷い事ばかりをしちまって、謝るのは俺の方だと思った。だから、その場で俺は頭を下げて謝って、それで好きだと告げたんだ」
一気に言い切った歳三に、宗次郎は目を見開いた。
今、とんでもない事を聞いた気がしたのだ。
(え、ちょっと待って! 今、この人、初めて逢った時から好きだった、って言ったよね……?)
確かに、今、歳三は言ったのだ。
初めて逢った時から、好きだったと。ならば、今ここにいる宗次郎も好きだったということになるのだ。
あの頃、仲が悪かった頃でも、ずっと、歳三は宗次郎をそういう目で見ていたということに……。
「!!!」
かぁぁぁっと頬が熱くなった。恥ずかしくて、なんかもうたまらない。耳朶まで真っ赤になって俯いてしまう。
それに、歳三は驚いたようだった。
「どうした、顔が赤いぞ」
「……っ」
「気分でも悪くなったのか」
あれこれ心配してくれる歳三に、ぶんぶんと首をふった。何と言っていいのかわからない。
だが、どうしようもなく胸が弾んでくるのは確かだった。嬉しくて嬉しくて、たまらなくなる。
嫌われていると思っていた。
念兄弟になったのも、総司が京に来てから少しは大人になり、歳三の気持ちを変えたのだと思っていたのだ。
だが、そうではなかった。歳三は、子供で勝ち気で逆らってばかりだった宗次郎の頃から、好いてくれていたのだ。
(なんか、嬉しい……)
じんわりと喜びを噛みしめていると、歳三が問いかけてきた。
「何か、俺がおかしな事を言ったか?」
「ち、違います」
慌てて首をふった。
「おかしな事じゃなくて、その、びっくりした……から」
「びっくりした? 何に」
「歳三さんが、私のことを……は、初めて逢った時から、その、好きって言ってくれたこと……」
恥ずかしくて、彼の顔を見ることなんて出来なくて。
首が折れそうなぐらい俯いて答えた宗次郎に、歳三は何も言わなかった。あれ? 怒ったのかなと思って顔をあげてみると、歳三が照れたような表情で目をそらせる処だった。
照れ隠しなのか、ぶっきらぼうな口調で言う。
「そんなもの、今更驚くことでもないだろ」
「でも、私、京に来て大人になってから、好かれたんだと思っていたのです。子供の私なんか嫌いだって……」
「おまえを嫌ったことなんざ、一度もねぇよ」
歳三の瞳がとけるように優しくなった。
そっと手を握られたが、宗次郎はそれを振り払おうとは思わなかった。ただ、戸惑ったまま見上げたとたん、濡れたような黒い瞳で見つめられ、どきりとする。
「俺はおまえに酷い事ばかりをしてきたが、それでも、嫌ったことなんざ一度もなかった。むしろ、可愛くて好きでたまらなかった。けど、俺も莫迦で子供だったんだな。好きなのに、おまえのことを見ると冷たくしたり、酷い事を言っちまったりしていた。おまえの瞳が俺だけを見て欲しいと願うあまり、そんな歪んだ形で繋ぎとめようとしていたんだ」
「歳三、さん……」
「初めて逢った時から、好きだったよ。おまえが俺に水をかけて謝った時から、それこそ一目惚れだったんだ」
「ひ、一目惚れって、あの頃の私なんて子供だし、身なりもきちんとしていなかったし」
宗次郎はなめらかな頬を桜色に染めながら、俯いた。
今も、自分が綺麗だとは思っていない。歳三の傍に並んでも似合いだなんて、到底思えなかった。
だが、それでも、昔よりは鏡の中にいた自分は少しは大人になっていたし、身なりも整えられていた。
なのに、あんなただの子供だった頃から、歳三は一目惚れしたなんて、言ってくれるのだ。信じられない思いだった。
「すげぇ可愛いと思ったよ。俺を見たとたん、大きな瞳をこぼれおちそうなぐらい見開いて、一生懸命謝って、可憐で愛らしくて小さな花みたいだと思った」
「そんなの、歳三さん……目、悪い?」
「俺の目はけっこういい方だぜ」
くすくす笑った歳三に、宗次郎は胸が弾むのを感じた。
こんなふうに話せる日がくるなんて、思ってもみなかった。本当は好かれたいのに、喧嘩ばかりで泣いていたあの頃が嘘みたいだ。
そう思ったとたん、はっと息を呑んだ。
(本当は……好かれたい?)
そんなふうに、自分は思っていたのだろうか。
もしかして、あの頃から、自分は彼に恋していた? だから、彼ばかりが気になって、他の皆には優しいのに自分には冷たい彼が、辛くてたまらなかった。
考えてみれば、自分はそれ程、何かに執着するという事がない性質だった。
もしも他の男に同じような事をされたなら、それこそ、存在ごと消し去ってしまっていただろう。意識することもなく、淡々と対応していたに違いない。
なのに、歳三相手では調子が全く狂ってしまっていた。気になって気になって仕方がなくて、いつも振り回されてばかりいたのだ。
それは、結局の処、宗次郎が歳三に惹かれていたことを意味していた。
嫌いだと思い込んでいながら、その実、彼に惹かれていたのだ。好きになっていたのだ。
突然、わかった自分の想いに呆然としていると、その沈黙に歳三が眉を顰めた。
そっと声をかけてくる。
「おい、総司……?」
「え」
「おまえさ、妙な心配はするなよ」
「?」
きょとんとしている宗次郎に、歳三は苦笑した。
「こんな事を言ったからって、俺は、おまえに念兄弟の仲を無理強いするつもりはないんだ」
「あ、はい……」
「おまえに今、そんな気持ちがない事はよくわかっている。それに」
歳三は一瞬、きつく唇を噛みしめた。
しばらく、何かを悩んでいるかのように、じっと押し黙っている。男の様子に、宗次郎は小首をかしげた。
「? 歳三…さん?」
「あぁ……」
歳三は顔をあげ、大きく息を吐いた。それから、切れの長い目でまっすぐ宗次郎を見つめた。
「俺は約束したものな、おまえに嘘はつかないと」
「えぇ」
「だから、迷ったが、正直に言うよ」
「何をですか?」
「総司……おまえはあの夜、俺に別れ話を切り出したんだ」
「……え」
宗次郎は息を呑んだ。
何を言われたのか、意味がわからなかったのだ。呆然と、彼を見てしまう。
その様子に、歳三がかるく肩をすくめた。
「驚くだろう? 俺だって驚いたさ、いきなりだったからな」
「別れ話って……え、別れて下さいと、私が言ったのですか?」
「あぁ」
短く答え、歳三は顔を歪めた。思い出すのも辛い出来事なのだろう。
それに、宗次郎は困惑した。
「あの、意味がわかりません……どうして? それに、あの夜って」
「おまえが記憶を失った朝の前夜だよ」
「でも、歳三さん、そんな様子なかったじゃないですか。私と、そういう事もしていたし……」
言いかけ、宗次郎は気がついた。
別れ話をされたと、歳三は言った。
だが、それを受け入れたとは言わなかったのだ。歳三の性格からしても、すぐさま納得できる事ではなかったに違いない。おそらく二人は口論になっただろう。
なのに、あの朝、歳三は、躰を重ねたことを示唆していた。となれば、それは……。
「……っ」
表情が固くなった宗次郎に気づいたのだろう。
歳三が苦々しげな表情で、目を伏せた。
長い沈黙の後だった。
彼のものではないような、掠れた低い声がゆっくりと告げた。
「そうだ……あの夜、俺はおまえを手込めにした。嫌がるおまえを無理やり抱いたんだ」
悔いる事ばかりだった。
どうして、宗次郎を傷つけたのだろう。
好いているのなら、もっと素直になって優しくすればよかった。なのに、何度も何度も傷つけて、その事で己自身も傷つけて。
なのに……また傷つけた。
別れたいと言われた瞬間、目の前が真っ暗になった。
それは土方にとって絶望を意味していたのだ。
一度、己のものになったと信じた存在だった。この世の何よりも大切な、最愛の恋人だった。
それを失って生きてゆけるとでも?
俺が、おまえを手放すことが出来ると、本気で思っているのか。
今まで感じたこともない程の怒りと嫉妬と苦痛が、彼を襲い、激しく揺さぶった。
燃え上がるような激情に我を忘れた。半ば、気が狂っていたのかもしれない。
気がつけば、総司は自分に組み敷かれたまま、失神していた。深々と繋がったままの状態で、見下ろすと、その白い肌に色濃く残された蹂躙の跡。
乱れきった褥や辺りに脱ぎ捨てられた着物、倒れた調度品は、総司の抵抗がどれほど激しかったかを物語っていた。総司の頬には涙の跡があり、痛々しいぐらいだった。
「……っ」
土方は慌てて身を起こした。躰を離し、総司の下肢を探る。傷つけてはいないようだったが、何度も奥に放ったのだろう、どろりと彼のものが零れた。
いったい幾度、抱いたのか。
それも無理やりの行為だったことは、明らかなのだ。
土方は深い悔恨に襲われた。
あれほど傷つけないと誓ったのに、自分はまた総司を傷つけてしまったのだ。別れ話をされたとはいえ、話もまともに聞きもせずに手込めにするなど、正気沙汰ではなかった。
とりあえず周囲を片付け、総司の躰を清めた。丁寧に手当をしてやり寝着を着せたが、総司はぴくりとも動かなかった。それに不安になり、何度も唇に手をあててみた。息をしていることに安堵する。
土方は新しい褥に総司の躰を横たえてから、傍に自分も入った。そっと両腕で抱きすくめながら、思う。
頼むから、俺を拒まないでくれ、と。
身勝手な男だとは思った。
だが、それでも己の気持ちを抑えることが出来なかった。
愛しているのだ。総司しか欲しくないのだ。
総司が傍にいるから笑うことが出来るし、喜びや悲しみを感じることが出来る。総司に逢うまでは、こんな気持ちになったことなどなかった。適当に女と遊び暮らしていた日々。
だが、総司と逢った瞬間から、世界は色を変えたのだ。
愛などなくても生きてゆけると思っていた。
それは愛する者に出会っていなかったからこそ、言えることだ。
今の彼は、総司を愛さずに生きてゆくことが出来なかった。僥倖のように総司を手にいれることが出来て、笑顔をむけられて、幸せに酔いしれた。
なのに、それを失うなど到底堪えられるはずがなかった。
「……総司……っ」
土方は愛しい恋人の名を呼ぶと、その細い躰を縋るように抱きしめた。
明日の朝、自分を見る総司の瞳を恐れながら……。