総司は思わず黙りこんでしまった。
 やがて、小さな声で問いかけた。
「それで、歳三さんは……いいの?」
 宗次郎の問いかけに、歳三は僅かに顔を歪めた。
「いい訳がねぇよ。俺はおまえと逢いたいし、話したいと思っている。だが、俺が傍にいることが、おまえにとって辛い事であるのなら……」
 言いかけ、きつく唇を噛んだ。どこか自嘲するような笑みをうかべる。
 風に乱される黒髪を片手でかきあげ、目を細めた。
「俺は……本当に駄目だな」
「え?」
「おまえの前では正直でいようと思ったのに、偽っていたからこそ傷つけた、その悔いがあるから、決しておまえの前で己を偽らないと決めたはずだ。なのに、また、己を偽ろうとしている」
「歳三……さん」
「俺はおまえが好きだ」
 きっぱりと言い切った歳三に、宗次郎は息を呑んだ。
 その見開かれた瞳に映る自分を見つめながら、歳三は言葉をつづけた。
「おまえだけを愛している、俺の命よりも大切だ。だから、俺はおまえを手放したくない、愛したいし、傍においておきたい。おまえが嫌だと泣いても、抱きしめたいと思ってしまう」
「と、歳三さん」
「けど、一方で、俺に怯え怖れているおまえを見ると、胸が痛くなる。本当は、そんな顔をさせたくないのに……おまえにはいつも笑っていて欲しいのに、そうさせているのが俺だと思うと、たまらなくなるんだ」
「……っ」
 宗次郎は呆然と彼の言葉を聞いていた。
 好きだ、愛してる。
 そんな言葉を告げられたのは、生まれて初めてのことだった。ましてや、相手は歳三だ。まさか、彼がそのような言葉を口にするなど、思ってもみなかったのだ。
 嘘だと思った。だが、その表情は真摯で、声音も心のこもったものだった。
 今、歳三は真剣に自分に向き合ってくれているのだ。ならば、その告白も真実だと考える他ない。
 そう思った瞬間、かぁっと頬が熱くなるのを感じた。
「……宗次郎?」
 俯いてしまった宗次郎に、歳三が気遣わしげに呼びかけた。心配そうに、その顔を覗きこもうとする。
 それに、ふるりと首をふった。
「ちょっ……ちょっと、びっくりしただけ、です」
「びっくりした?」
「歳三さんが、あんな事を言うから……好き、なんて思ってもみなかったから」
「すまない、いきなりすぎたな」
「い、いえ……歳三さんが謝ることじゃないです。びっくりしたけど、でも、その……嬉しかったし」
 小さな小さな声で言った宗次郎に、歳三はほっとしたようだった。安堵した表情で話しかけてくる。
「嫌がられなくてよかった。いや、俺も……これだけはわかって欲しかったんだ。俺はおまえを愛しているし、大切に思っている。だから、決して傷つけたりしない、いや、そんなこと出来ないということを」
「はい……」
「宗次郎」
 躊躇いがちにだったが、歳三が宗次郎の手に手を重ねた。びっくりして顔をあげた宗次郎を、濡れたような黒い瞳が見つめる。
「少しずつでいい、話しかけること、おまえの傍にいることを……許してもらうことは出来ないか?」
「え……」
「好きになってほしい、念兄弟になりたいなんて言わねぇよ。ただ、おまえと仲良くしたいんだ。おまえに、その、怯えられたり怖がられたりするのは、酷くこたえるし……」
「あ」
 やはり、そうだったのだ。
 歳三は、宗次郎の言動に傷ついていたのだ。それを思うと、もともと素直で優しい宗次郎の心は、切なさと申し訳無さでいっぱいになった。
 今、彼は真剣に誠実な態度で気持ちを打ち明けてくれている。それを信じてみようと思った。
 宗次郎も、彼と少しでも上手くいけばいいと願っていたのだ。
「はい」
 こくりと頷き、答えた。
「私も、歳三さんと仲良くなりたいです。もう怖がったりしませんから」
「ありがとう」
 宗次郎の言葉に、歳三は嬉しそうに微笑んだ。きれいな笑顔に、心の臓がどきりと跳ね上がった。
 木漏れ日の中、歳三は見とれるぐらい、綺麗だった。黒い瞳がきらきらして、形のよい唇が柔らかな笑みをうかべている。
 さらりと風が乱してゆく黒髪をかきあげる指さきまで美しく、まるで絵のようだった。
 ぼうっと見とれていると、歳三が不思議そうに小首をかしげた。とたん、袷から覗いた褐色の肌の艶っぽさに、どきりとする。


(この人、こんなに綺麗だった……?)


 見る側の気持ちが変われば、相手の姿も違ってくるのか。
 宗次郎は自分の気持ちに戸惑いながら、視線をそらす。
 いったん高まった鼓動は、なかなか鎮まりそうになかった。












 二人の関係が変化したことを誰よりも喜んだのは、近藤だった。
 喜んだというより、やれやれと肩の荷を下ろしたような気持ちだったのか。
「これで少しはおまえの機嫌もよくなるだろう。いや、助かった」
 と言ったものだから、土方は嫌そうに眉を顰めてしまった。
「俺は仕事に私事を持ち込んでねぇつもりだぜ?」
「そうか? 思いっきり影響していると思うが」
 近藤は笑った。
「総司が記憶を失ってから、いつも苛立っていただろう」
「苛立っていた……というより、気落ちしていたんだよ。それに、近藤さん、あんた誤解している」
「何を」
「俺は総司と念兄弟に戻った訳じゃねぇ。ただ、あいつと色々と話して、あいつに普通に接してくれるように頼んだだけだ」
「それでも、かなりの進歩だろうが。おまえも気持ちが晴れたから、そんな顔をしているのではないか」
「顔?」
 土方は小首をかしげ、己の顔を片手で撫でた。意味がわからない。
 それに、近藤が苦笑した。
「すっきりとした顔をしているぞ。本当に、契りを結んでいないのか」
「言っただろう? 今の総司は、十四才の宗次郎なんだ。そんな事できるはずもねぇよ」 
 きっぱり言い切った土方を、近藤は疑わしそうに眺めやったが、何も言わないでおいた。これ以上からかえば、怒り出すだろうと思ったのだ。
「まぁ、何にしろよかった。おまえと総司がぎくしゃくしていると、色々とこっちも困るからな」
「あんたには関係ないだろうが」
「そう云うな。……あぁ、それから、伊東とはどうなっているんだ。総司は相変わらず仲が良いのか」
「……切れてはいないようだ」
 思わず眉を顰めた。


 本当なら、手を切らせてしまいたい。
 だが、念兄弟としてつきあっている頃でさえ出来なかったのに、今この状況で「伊東と話すな」など、言えるはずもなかった。
 総司は伊東とつきあう事に、何の躊躇いもないようだった。むしろ、伊東といる時、心地よさげにして幸せそうに笑っている。
 その光景を見て、腹の底が焦げそうなほど嫉妬している男のことなど、想像もしていないのだろう。今の総司にとって、土方は恋愛対象ではないのだ。
 先日の神社の件以来、総司は少しずつ土方に心を開いてくれるようになった。話しかけても怯えた様子はみせなくなったし、時折、愛らしい笑顔も見せてくれる。
 だが、一方で、総司が彼の恋人でない事も確かだった。目の前に、誰よりも愛した恋人がいるのに、抱擁も口づけることも出来ないのだ。
 すべすべとしたなめらかな肌や、ふっくらと柔らかな唇、細い指さき、腕の中で甘く悶えていた白い躰……そのすべてを思い出すたび、躰が熱くなった。
 一度、溺れこむほど味わってしまっただけに、たまらなく辛かった。まさに、蛇の生殺しの状態だ。
 だが、総司は、土方にあくまで友人として接していた。その態度は、伊東や原田、永倉に対するものと変わりはない。
 ならば、土方も同様にする他なかった。兄代わり、年上の友人としての態度をとれば、総司も警戒しないでくれる。まるで小さな動物を手懐けていくような心地だった。手間はかかるし忍耐も必要だが、どこか面映い。
 それでも、二度と同じ過ちは犯したくなかった。総司を傷つけたくない、大切にしたい。
 幸せだけをあたえてやりたいのだ。


 総司が記憶を失ったことで、明らかになったことがあった。
 あの頃、宗次郎であった頃、歳三の言葉に宗次郎が深く深く傷ついていたことだった。あんなにも怯えるほど、辛くて泣きそうになるほど、傷ついているとは思ってもいなかったのだ。
 莫迦な男だと思った。己の愚かさを激しく悔いたが、今更どうすることも出来ない。
 念兄弟としてつきあう事になった時、土方は、いつから好きになってくれていたのかと聞いたが、総司は大きな瞳で彼を見上げ「秘密」と笑ってみせた。
 そのため、無理に聞き出すことはなかったのだが、今になって思うのだ。あの時、ちゃんと聞いておけばよかったと。
 真実、総司が彼のことを好いてくれていたのかは、わからない。どんな想いで、あれほど怖がり嫌っていた男に身をゆだねていたのか。
 ただ、どんな形であれ、今、総司は彼の手元にいてくれる。怖がらず、拒絶しないで、笑いかけてくれるようになったのだ。
 ならば、己のすべてで守りたいと思った。


 総司を愛してる。


 それだけを想い、土方は固く瞼を閉ざした。












「最近、上手くいっているようですね」
 そう言った伊東に、宗次郎はきょとんと小首をかしげた。
 二人は、伊東の部屋にいた。少し奥まった処にある伊東の部屋からは庭の緑が見え、とても心地よい。爽やかな風がふわりと髪を乱した。
「上手くとは?」
 問いかける宗次郎に、伊東は苦笑した。
「土方君とのことですよ。最近は二人でいる姿を、時折見るようになった」
「あ……は、はい」
 こくりと頷いた。
「この間、と……土方さんと、色々と話をすることが出来て、少しわかることが出来たのです。それで」
「なるほど。では、少しは記憶も戻ったのですか?」
 伊東の問いに、宗次郎は目を伏せた。きゅっと唇を噛みしめる。
「それがまだ……」
「そうですか」
「あの」
 宗次郎は顔をあげ、伊東を大きな瞳で見つめた。
「私は、伊東先生とは、どのような仲だったのですか? 私が、その、記憶を失う前は」
「親しい友人でしたよ」
 伊東は静かな声で答えた。
「きみは私を慕ってくれましたし、色々と知識を私から吸収しようとしていた。好意を持ってくれてはいましたが、土方君に対するものとはかなり異なるものでしたね」
「かなり異なる?」
「恋ですよ。きみの瞳には土方君しか映っていなかった。切なげな表情で、いつも彼のことばかりを追っていた。念兄弟であるはずなのに、まるで片恋をしているようでした」
「片恋……」
 思わず呟いた。


 不思議だと思ってしまう。
 歳三は、好きだ、愛していると告げてくれた。なのに、伊東の目から見ると、片恋をしているようだったという。
 公認の仲だったのだから、堂々と両想いの恋をすることが出来たはずなのに。


「私は、土方さんに愛されていなかったということですか?」
 そう問いかけた宗次郎に、伊東は苦笑した。
「土方君の想いまでは、私にもわかりません。ただ、私がきみと親しくするたび嫉妬していたので……そういう事だと思ったのですが」
「あの人が嫉妬するなんて、想像もつきません」
 不思議そうに言う宗次郎に、くすっと笑った。
「そうですか? 私は、きみという宝物を手にいれながら嫉妬する彼も複雑だなと思いましたよ。まぁ、私もきみが欲しかったので、それが表にあらわれていたのかもしれませんが」
「え、伊東先生……」
「私はきみが好きなのです」
 そう言ってから、目を丸くしている宗次郎の様子に、伊東はおかしそうに笑い出した。
「まるで鳩が豆鉄砲を食らったようですね。そんな処も可愛らしくて、心惹かれます。本当に、きみは素直だ」
「伊東先生、からかって……」
「からかってなどいませんよ。私は真剣にきみが好きだし、欲しいと思っている。ですが、きみは土方君に恋していたし、私の事はただの友人としてしか思っていなかった。そのため、口に出すこともなかったのです」
「なら、どうして今……」
「きみが記憶をなくしたからですよ。今のきみは、彼の恋人ではない」
「……」
 伊東の言葉に、宗次郎はふっくらとした桜色の唇を噛んだ。


 確かに、その通りだった。
 前はどうあれ、宗次郎は歳三の恋人ではないのだ。
 それに、今なお、不思議だとしか思うことが出来なかった。
 本当に、自分は彼とつきあっていたのだろうか……?
 あんな喧嘩ばかりしていた子供の自分を、彼はどうして好きになってくたのか。


 歳三があの神社で「好きだ」と告げてくれた。
 愛してるとも言ってくれたのだ。
 だが、その実感が宗次郎にはなかった。
 それに、彼が愛しているのは、記憶のあった総司なのだ。一番隊組長としてめざましい働きをし、公私ともに土方を支え、凛としていた若者。
 記憶がなくて十四才の心しかない自分とは、大違いだ。
 だからこそ、歳三も一切手を出してこないのだろう。愛してると言いながら、歳三は宗次郎を年下の友人として扱っていた。もしくは、部下として。
 それが当たり前だとわかっていながら、奇妙な寂寥感があった。
 何か物足りないのだ。彼と話した後、ついと向けられた背中に淋しさを感じた。手をのばされれば、身を竦ませてしまうくせに、ふれて欲しいなどと思ってしまう。
 自分の中の自分に、宗次郎は戸惑っていた。
 ついこの間までは、大っ嫌いな男だった。記憶を失ってからは、怖いと思っていた。だが、彼が傍にいることに慣れてくると、時々、奇妙な衝動がこみあげてくることに気づいた。


 彼を見つけると、身を寄せたくなった。手をからめ、指をからめたい。
 きれいな黒い瞳で見つめて。
 なめらかな低い声で話しかけて。
 広い胸もとに飛び込み、息がとまるぐらい抱きしめられたい……。


 そんな思いを抱いてしまう自分を、宗次郎は最初、拒絶した。
 つい先日まで嫌いだと思っていた男に対して、抱きつきたいなんて、おかしい、間違っていると思ったのだ。
 だが、やがて、宗次郎は気づいた。
 これは、自分の中に眠っている大人の総司が望んでいることなのだ。
 好き、愛してる、と。
 彼を熱いぐらい求めて叫んでいるのだ。
 それがわかるから、宗次郎は伊東が言った「片恋」という言葉に、つい鋭く反応してしまった。
 片恋だったからこそ、こんなふうに求めてしまうのだろうか。切なく、泣きたいぐらい彼が恋しいと感じてしまうのか。
 ならば、歳三が告げた言葉は偽りだったのか。否、それは違うだろう。歳三は確かに宗次郎を何度も傷つけた男だが、決して偽りは口にしなかった。嘘をつくことだけはしなかったのだ。


(いったい、二人はどうしてつきあい始めたのだろう)


 失ってしまった記憶を、宗次郎は心から知りたいと思った。

















少しずつ二人の気持ちが近づきますが、次回で、総司が記憶を失った時の事情が明らかに。