人にはそれぞれ好みってものがある。
好きとか嫌いとか。
それは、所謂その人の性格を映し出しているものだし、そんなものに口出しする気は、ぜーんぜんない。
だけど、でも。
それが普通じゃなかったら?
でもって、その人が、自分の恋する人だったら?
やっぱり、気になるでしょう!
大問題になっちゃうでしょう!
もともと普通じゃない恋だった。
何しろ、自分が好きな相手は、可愛い女の子でも綺麗な女の人でもなく、とびきり格好いい男の人。
それも極上の。すれ違った女の人の皆が皆ふり返ること間違いなしの、水も滴るいい男なのである。
実際、顔だちだけ整っていても、ある種の雰囲気をもたない男は駄目なのだが、幸か不幸か、彼はその両方を兼ね備えていた。
端正な容姿に、誰をも惹きつけてしまう魅力、艶やかな雰囲気。
大人の男特有の色気というのだろうか。
ほんの僅かな仕草一つでも、彼のそれは人目を惹いてしまう華があるのだ。
そんな彼に、当時まだ十歳だった総司がたちまち恋に堕ちてしまったのも、ある意味、当然だった。
そして、彼は、総司を可愛がってくれた。
本当に可愛がってくれた。
だけど。
(そこがね、大問題なんだもの)
総司は柱に凭れかかったまま、はぁっとため息をついた。
ぽかぽか陽気の昼下がり。
青空の下、ちゅんちゅん雀が鳴いてる様が、何とものどかだ。
それを聞きながら、総司はちらりと部屋の奥の方へ視線をやった。とたん、いつもの事だが、どきりとする。
いつでもどこでも。
彼を視界におさめた瞬間、どきどきしてしまうのだ。
文机の前で、黒い小袖と袴という姿で胡座をかき、先程からずっと仕事をつづけている彼。
その鍛えられ、しなやかに引き締まった躯。
艶やかに結い上げられた黒髪。
難しい事を考えているからか、僅かに寄せられた形のよい眉。
書類へ視線を落としているため、伏せられた切れの長い目。
黒曜石のような瞳。
男にしては長い睫毛。
きゅっと引き締まった唇は、思わず接吻したいくらいで。
どこから見ても、完璧な男。
頭の切れもよく胆力もあり、今、新撰組の副長なんてものもやっちゃってる人。
だが、問題はそこではないのだ。
問題なのは、彼のお好みというか嗜好で、今こんなにも総司の頭をずきずき悩ませてるのだ。
昔から、どれだけ美しい女に囲まれても、土方は平然としていた。
全く手を出していないようだった。
総司もそれに関しては心配した事などなかった。そりゃ、京に来てから見た事ないほど美しい女たちが秋波をおくっているのを見た時は、いい気がしなかったし、この後どうするのだろう?と、びくびく心配したが、土方は江戸の頃と全く変わらなかった。
どんなに美しい女からの誘いもきっぱり断り、真っ直ぐ屯所へ帰ってくる。
お固い男そのものの行動だった。
だが、その理由を総司はちゃんと知っていた。
(……というか、それが大問題)
女に不自由しそうもない、このとびきりいい男である土方は、何と、可愛い男の子だけを好む男だったのだ。(……注 事実かどうかは定かでないが、総司はそう確信している!)
それはもう、総司が身をもって経験している。
何しろ、十年前に逢った頃から、どれだけ美しい女に云い寄られても見向きもしないくせに、男の子だった自分を抱きしめるは頬に口づけるは、もうべたべたし放題さわり放題だったのだ。
だが、しかし。
そんなこと口外できるはずもなかった。
新撰組の鬼副長が可愛い男の子にしか欲情しないなんてばれたら、威厳も何もあったものじゃない。
はっきり云って、変態!扱いだ。
そして、それが総司の今最大の悩みだった。
あんなにも可愛がってくれたというか、舐めるように可愛がってくれた──いやいや、この表現も何だから、手塩にかけて育ててくれた土方だったが、総司が成長するに従って、だんだん接触も少なくなってきたのだ。
心なしか、その態度も冷たいような気もする。
いや、それも仕方ない事なのだろう。
総司はもう二十歳になる若者で、土方の好みどおりだった可愛い男の子ではないのだから。
土方のお好みの範疇から、完全に外れてしまったのだ。
(でもさぁ、それって私のせい? 大人になった私が悪いの?)
(可愛い男の子じゃなくなったら、ぽいっなんて! そんなの許されると思ってる訳!?)
総司は、きいぃぃっと込みあげる怒りに震えた。が、不意にはっとして顔をあげる。
なぜなら、いつのまにか土方がこちらに視線をやり、頬杖をつきながら笑っていたのだ。
「……すげぇ面白い」
いきなり云われた言葉に、総司は「えっ?」と聞き返した。
それに、土方は喉奥で低く笑った。
「さっきから見てりゃ、青くなったり赤くなったり、怒ったり落ち込んだり。忙しいことだな」
「み、見てなんかいなかったくせに……!」
「ちゃんと見てました」
「嘘! お仕事ばっかりで、私の事なんか全然構って……」
「何だ、構って欲しかったのか?」
くすくす笑いながら、土方は黒い瞳で覗き込んできた。
その濡れたような黒い瞳に、またどきどきする。頬がかぁっと上気するのを感じた。
やっぱり、この人って格好いい。男っぽいというか何というか。
でも、きっとこの人自身は無自覚だから。
でなきゃ、しなやかな指さきで艶やかな黒髪をかきあげながら、僅かに目を細めてみせる──なんて、思わず見惚れてしまうような色っぽい仕草を、できるはずがないもの。
自分へ向けられる熱い視線を知らないからこその、仕草、笑顔、身ごなし。
そりゃ、わかってやってるなら、むかってきちゃうけど?
「まったく、おまえはいつまでも子供だな」
「子供じゃありません!」
総司は桜色の唇をとがらせた。それから、俯いて、声を落とした。
「そりゃ……土方さんは、私が子供でいて欲しいと思ってるだろうけど……」
「実際、子供だろうが」
「だったら、何で……っ」
云いかけ、慌てて口をとざした。
まさか、云えるはずがない。
まだ子供だと思ってるなら、どうして、私を前みたいに可愛がってくれないの?
この間だって、意を決してお布団もぐりこんだのに、抱きしめてもくれなかった。
いったい、どうしてなの?
……なんて。
顔を真っ赤にしたまま、ぎゅっと両手を握りしめた総司に、土方は小首をかしげた。
「? 総司……?」
「……」
「おまえ、今日おかしいぞ? 熱でもあるんじゃねぇのか」
「あ、ありませんっ」
「ふうん」
土方は僅かに小首をかしげて眺めていたが、やがて、「なら、いい」と低く云い捨てると、素っ気なくまた仕事へ戻ってしまった。
それに、きゅっと唇を噛みしめる。
可愛い男の子でなくなっちゃった、自分。
彼の好みの範疇から外れてしまった、自分。
もちろん、嫌われてはいないと思うが。
好きだとか、時には気まぐれに愛してるなんて、云ってくれるし。
でも、そんなの当然、本気だなんて思えなかった。あくまで彼一流の気まぐれなのだ。
猫とか犬とか相手に云ってるような、そんなものなのだ。
だって、自分はもう彼のお好み範疇から、外れてしまったのだから。
だい好きな可愛い男の子でも何でもないのだから。
「……」
総司は両膝を抱えこむと、拗ねたように頬をぷうっとふくらました。
それを、こっそり見ていた土方が、(……すげぇ可愛い)と緩みきった笑みをうかべていた事など、全く気づかずに───
「……え?」
それを聞いたとたん、総司は大きく目を見開いた。
一瞬、嘘でしょう!? と思ったのだ。
だが、藤堂は真剣!な顔で、こくこくと頷いた。
「すっげぇ可愛いんだ。あれじゃ、土方さんも気にいるよなぁって感じ?」
「う、そ……」
「嘘じゃないって。見てみろよ、一度」
「…………」
総司はあまりの衝撃に声さえ出なかった。躯中がわなわな震えてしまう。
藤堂が云ってきたのは、先日はいった新入り隊士の事だった。
名を榊鈴太郎。
年は十六才なのだが、小柄で華奢な体つきのため、よりいっそう幼く見える。
総司とはまた違った感じの、とても可愛らしい少年だった。
性格も素直で優しいらしく、皆、鈴、鈴と呼んで可愛がっている。
その鈴が、土方の小姓に任じられ、土方自身も鈴を気にいって贔屓にしているという話だったのだ。
胸の奥がぎゅうっと痛くなり、思わず「うっ」と呻きながら両手でおさえてしまった。
隊内で土方と総司は恋人同士だと思われているが、むろんそれは真実ではない。
否定するのも悲しくて何も云わなかったが、内心ちょっと喜んでいたことも確かで。
彼との噂を聞いたり、からかわれたりする度、どきどき胸を高鳴らせ、頬をそめたりしていたのだ。
小さな、ささやかな幸せだったのだ。
なのに。
(……もし、土方さんがその子を恋人にしたら、そんな幸せもなくなっちゃうのっ?)
総司は足下の地面がぱかっと割れて、自分の躯が奈落の底へどーんと真っ逆さまに落ちてゆく気がした。
だが、しかし、ここで態度や表情に出す訳にはいかない!
土方さんが小姓の一人を気にいってる。
そーんな些細なことで、仮にも隊精鋭である一番隊隊長の総司が取り乱す訳にはいかないのだ。何しろ、周囲には自分たちだけではない。他の隊士たちの目や耳もしっかりあるのだから。
むろん、本心は、違った。
この場ですぐ、脳天気にもこんな事を告げてくれた藤堂の胸ぐらガッと掴んで、ユッサユッサ揺さぶりまくって、
「それって本当なのッ!? 嘘吐いたら許さないからねーッ!」
と、きりきり締め上げ絶叫し、問い詰めてやりたいのは、山々なのだが。
そうもいかないのが、大人の悲しいところ。
「ふ…ふうん」
総司は必死に笑みをうかべ、冗談にまぎらわしてみせた。
「土方さんが、小さな子を可愛がるなんて。そんな趣味あったんだ〜、知らなかったなぁ」
「そりゃさぁ」
総司の気持ちなど全く知る由もない藤堂は、言葉をつづけた。
「あれだけ可愛いけりゃ、仕方ないって。まさに美童って奴? ま、総司とはかなり違う感じだけどな」
「わ、私と違うって……」
「総司が霞桜なら、あっちは紅梅かな。けど、鈴はまだ子供だから」
(……子供だから余計に心配なんじゃないーッ!)
思わず心の中で絶叫してしまった総司だったが、藤堂にそれを云っても始まらない。
とりあえず話を終えた総司は、気持ちを落ち着けようと道場へ向かった。竹刀でもブンブン振って平常心を取り戻そうと思ったのだ。
(平常心、平常心)
(あの人の男の子好き変態は今に始まった事じゃないんだし、いちいち気にしても仕方ないんだもの!)
(それに、土方さんにだって、少―しは常識があるだろうし)
(う…でも、あの可愛い男の子好き変態の土方さんじゃ、あまり……)
惚れてるわりには、けっこう土方に対して失礼極まりない事を考えながら、ずんずん道場へ向かって歩いた。
そのため、前を全く見ていなかった総司は、角を曲がったとたん、どんっと人にぶつかってしまったのだ。
「あっ!」
ちょっと高めの声があがったかと思うと、誰かが転ぶ音がした。
驚いて見ると、廊下に小柄な少年が転んでしまっている。が、総司を見あげると、慌てて顔を真っ赤にして手をついた。
「も、申し訳ありません! 沖田先生……」
ふっくらした頬が紅潮し、総司を見あげる瞳が子犬のようだ。
その幼さの反面、紅をさしたような唇が果実めいて、とても艶めかしかった。
藤堂の言葉どおり、まさに紅梅を思わせる美童だ。
「……きみは」
総司は思わず口ごもった。
とたん、その少年の後ろから、すっと手がさしのべられた。
「鈴、おまえもけっこうそそっかしいな」
そう苦笑しながら、鈴の体をひょいっと抱え起こしたのは、誰あろう──新撰組副長土方その人だった。
呆然と立ちつくす総司の前で、土方は鈴の頭に手をのばした。くしゃっと髪をかきあげる。
「もう少し気をつけろよ」
「は、はい。申し訳ありません」
「一日にこう何度も転ばれちゃ、おちおち連れて歩けねぇだろうが」
「も、申し訳ありません」
しゅんと肩を落としてしまった鈴に、土方は声をたてて笑った。
むろん、鈴は副長に対してかちこちに緊張しまくった表情だったが、土方は心を許した笑顔をうかべていた。
鈴を見つめるその黒い瞳も優しい。
「……」
それを、総司はぼんやりと見つめた。
ずっと自分にだけ向けられると信じていた、その笑顔。
いつも冷たく整った顔だちだが、笑うと少年のようになる、明るくて優しい彼の笑顔。
それが今、自分とは違う少年に向けられているのだ。
それも、どこから見ても、土方好みの可愛い男の子に!
「失礼します」
総司は冷ややかな声で呟くように云うと、すっとその場を通りすぎた。
「……総司?」
訝しげな声がかかったが、それも全く無視した。
これ以上、その場にいたくなかったのだ。
総司は逃げるようにそこから立ち去りながら、きゅっと唇を噛みしめた。
その翌日、総司に笄が届けられた。
前々から注文していたものなのだ。
手にとってみると、とても良い出来だったが、総司はちょっと悲しくなってしまった。
思わず目を伏せてしまう。
だが、すぐに心配そうな職人の表情に気づき、慌てて微笑んでみせた。
「ありがとう。とてもいい出来ですね、綺麗です」
その言葉に、職人もほっとしたようだった。安堵した笑みをうかべ、総司から約束の代金を受け取ると頭を下げ、去ってゆく。
総司は笄を包み直すと、懐にしまった。
その一部始終を少し離れた所から見ていたらしい原田が、訊ねた。
「何を買ったんだ? 小刀か何かかい?」
「違いますよ、笄です」
「あぁ、前の折れてしまったと云ってたものな。新しく作ったのかい」
「えぇ」
こくんと頷き、総司は懐をちょっと抑えた。知らず知らずのうちに、頬がふわっと上気する。
それに、原田がにやにや笑った。
「総司も隅におけないねぇ」
「え?」
「そんな顔してるんだ、大方、好いたの人の名でも、笄に彫って貰ったんだろ?」
「え……えぇっ!? ち、違いますよッ!」
慌てて否定して叫んだが、真っ赤になった顔や、上ずった声が図星だと白状しているようなものだった。
が、それに気づかず、総司はわたわたと両手をふり回した。
「そそ、そんな好いた人の名前なんてッ!」
「名前じゃない訳だ」
「な、名前じゃなくて、そのっ、好きな花ですけどっ」
「花?」
「その人が、好きな花を笄に彫って……っ」
そう答えかけ、総司はハッと我に返った。
半ば白状してしまった事に気づき、慌てて両手で口をおさえたが、もう遅い。
原田は「ふーん」とにやにや笑っているし、その上、総司の綺麗に澄んだ声はよく透るので、他の隊士たちも興味深そうに顔を覗かせていた。
総司は真っ赤になったまま、俯いた。
胸もとをおさえたまま、きゅっと唇を噛みしめる。
いつもは雪のようにまっ白な項まで桜色に染められている様が、思わず息を呑むほど艶めかしかった。
そこらの娘など及びもつかない、可愛らしさ、可憐さだ。
原田はこれ以上、こんな総司を人目に晒していたらあの男に殺されそうだと思い至り、周囲の隊士たちをしっしっと追い払った。
「おらおら、見せ物じゃねーんだぞ。散った散った」
隊士たちが不承不承去ってゆくと、原田は総司の顔を覗き込んだ。ぽんぽんっと頭をかるく叩いてやる。
「ごめんな、余計な事まで云わせてしまった」
「そ、そんな原田さんが謝る事なんて……っ」
「いや、ほんと悪かった。ごめんな」
原田が大きな手で総司の背を押してくれた。
それに、こくりと頷き、総司は歩き出した。足早に部屋へ戻ると、慌ただしく障子を閉めた。部屋の真ん中に坐り込み、ほおっと息をもらした。
そうしてから、あらためて懐から例の笄を取り出した。
そっと手にとり、見つめる。
(……土方さん……)
何か飾りを入れましょうと云われ、総司は思わず、土方が好きな花を口にしてしまったのだ。
梅を。
梅の花を彫ってもらい、その裏に小さく家紋をいれた。
それも、自分のものではない土方の家紋を───
「……だって」
総司は呟いた。
「これを持っていたら、少しはあの人に近づける気がしたんだもの」
まるで自分に云い訳するような口調に気づき、きゅっと唇を噛みしめた。
だが、本当にそうだったのだ。
ずっと恋してきた彼。
だが、彼はいつでも、まるで猫か犬の子でも可愛がるように総司に構うだけで、いつまでたっても対等の立場として見てくれない。
恋愛の対象になどして貰ってないのだ。
その挙げ句、もう大きくなったからと飽きられ、さっさとあの鈴という少年に乗り換えられてしまった。
それも、藤堂が云うところの「紅梅」のような少年に。
土方好みの、紅梅みたいな───
「……どうせね」
総司は笄を指さきでくるりと回すと、拗ねきった声で呟いたのだった。
「私は枯れかかった桜ですよ〜」
──さて
こんなすれ違いまくりの二人が
てんやわんやの騒動の末に
めでたく恋人同士になれるのは
あと何日後?