さてさて。
 試衛館から逃げ出した歳三は、日野へ向かった。
 このまままではいけない、このままでは変態まっしぐらだと、ある決心をしていたのだ。
 当分の間、近藤の道場「試衛館」を訪れまい。
 ようは、宗次郎に逢わなければいいのだ。
 そうすれば、この「さわりたい!抱きしめたい!口づけたい!」というやばい衝動も、少しは薄れてくれる事であろう(彼の希望的観測)。
 ある意味、まったく無意味な決意をした歳三は、いつもどおり姉おのぶの嫁ぎ先佐藤家へ転がり込んだ。
 だが、ここも彼にとって安息の地ではない。








「今度はなぁに?」
 姉のおのぶが、うきうきと楽しそうに訊ねた。
 この姉は、名主佐藤彦五郎の妻としてやる事が山ほどあり、それをすっぱりチャッチャッと片付ける手際をもちながら、その上で、弟の遊び好きにちゃちゃを入れる暇までつくれる主婦の達人!である。
 だらしなく寝っ転がっている歳三の傍に坐り、せっせと針仕事などをしながら、口も動いてゆく。
「まぁた、どっかの奥さんに手を出したんじゃないの? それとも、可愛いお嬢さん? まったくもう、歳ったら見境ってものがないんだから」
「……そんなんじゃねぇよ」
「どうかしら。うふふっ、」
 そう笑ったおのぶは、不意に何かを思い出したらしく、歳三と似た黒い瞳をきらきらさせた。
「でも、この間は楽しかったわねぇ♪」
「この間?」
「ほら、半年前かな。あんたとの色事がばれちゃって、向こうの旦那さん、奥さんひっつれて怒鳴り込んで来たじゃない」
「……あぁ、あれか」
 歳三はようやく思いだし、頷いた。
 半年も前の出来事であり、最近とんと女遊びとは無縁のため、きれいさっぱり忘れていたのだ。
 そんな歳三を前に、おのぶは楽しそうに言葉をつづけてゆく。
 もちろん、その手もせっせと針仕事に動いているから、すごいものだ。
「おまえに殴りかかろうとして、さっと避けられた挙げ句、一人でぎっくり腰になっちゃっうんだもの。あーんな腰じゃ、若い奥さん満足させられるはずないわよねぇ」
「……」
「ほんっと浮気されて当然よ〜」
 そう云って高笑いする姉は、ある意味、自分より強者だと思う。
 あの修羅場騒動を楽しかったと断言し、けらけら笑うとは、恐れ入る。
 たいしたものだ。
 これじゃ、あの義兄上も尻にギューギューしかれっぱなしだろう。
(……義兄さんも気の毒に)
 歳三は姉を横目でながめながら、しみじみと心に呟いた。
 まぁ、それでも話が別方向に行ったから一安心と、内心ほっとする。
 しかし、まだまだ考えが甘かったらしい。





 おのぶは身を乗り出すと、歳三の顔を覗きこんできた。
 その目が好奇心にきらきら輝いているのが、ちょっと怖い……。
「で、何? 今度は何なの?」
「だーかーら、何もねぇって」
「隠さないで教えてよ。こっちはのどかな田舎暮らしで、退屈しきっているんだから。弟なら、姉を少しは楽しませて頂戴」
「どういう論理だよ」
「あら、人生の潤いって奴よ」
「姉貴のお喋りの種にされるなんざ、真っ平御免だよ」
「ほら、やっぱりあるんじゃない♪」
 おのぶの言葉に、あっと口をおさえたがもう遅い。
 歳三は慌てて、ぶんぶんと首をふってみせた。
「ないない。本当に何もねぇよ」
「嘘ばっかり〜。女関係でもめなきゃ、ここにはとんと顔を出さないくせに」
「じゃあ、これからはもっと顔出すさ」
「あらあら、珍しくしおらしい事を云うじゃない」
 嬉しそうに、おのぶがころころ笑った時だった。
 下働きの娘が襖を開け、顔を覗かせた。
「あのう。お客さんですけど……」
「どちらさま?」
「試衛館の近藤勇さんです」
「あら」
 おのぶは、びっくりしたように目を見開いた。
「すっかり忘れていたわ。そう云えば、今日出稽古だと聞いてて……お一人でいらしたの?」
「いえ。お弟子さんを連れておられます」
 とたん、歳三はぎくりとした。
 「お弟子さん」という言葉に、いや〜な予感を覚えてしまったのだ。
 その弟の様子を目ざといおのぶが見逃すはずもなかった。きらりーんと目を光らせる。
「なぁに? ふふっ、歳、落ち着かないわねぇ」
「え、そ…そうかな」
 歳三は誤魔化し、慌てたように立ち上がった。
 意味もなく前髪をかきあげ、あちこち着物の襟などを整えたりしながら、うわずった声で云った。
「ちょっと、俺、そのっ、用事を思い出した。出かけてくるわ」
「何を云ってるの。勇さんがいらしてるのよ、挨拶しないでどうするの」
「いや、俺、よく逢ってるし」
「あんたに逢いに来られたかもしれないじゃない」
「そんな事あるはずねぇって」
「何で、そう決めつける訳? えらく逃げ腰じゃない」
「に、逃げてなんか」
「ふうん。じゃ、ちゃーんと挨拶なさい」
「だから! それはっ」
 そうやって姉弟がごちゃごちゃ揉めている真っ最中だった。
 突然、スパーンッ!と襖が開いたのだ。
 下働きの娘に、案内されてきたのだろう。
 そこには、近藤が立っていた。





「おのぶさん! お久しぶりです!」
 威勢のよい彼らしい大きな声。
 しかも。
 その隣をおそるおそる見やれば。
 やっぱりと云うべきか、当然と云うべきか、ちょこんと坐った宗次郎の姿。
「……」 
 その小さな花が咲いたような可憐な姿に、どっくんと歳三の胸が高鳴る。
「よぉ、歳!」
 近藤はにこにこと笑った。
 部屋へ入ってくるなり、ばしばし歳三の肩を叩いた。
 そして、屋敷中に響き渡りそうな大声で云ってのける。
「逢いたいだろうと思ってなぁ。おまえの可愛い宗次郎を連れてきてやったぞ!」
「…………」
 親友の言葉に、がっくり項垂れてしまった。
 何か、目眩がする……。

(……勝っちゃん)

 そのまま、その場に坐り込んでしまいそうだ。畳の上に手をついて、がっっくりと。

(あんたって人は……あんたって人は!)
(何でこう気を使うというか、もう少しを気を回すっていうか……いや、逆に変な意味で気まわしすぎなのか……)

 沈黙している歳三の傍で、おのぶがちょっとびっくりしたように宗次郎を見た。
 だが、すぐに相好をくずすと、笑いかけた。
「あら、可愛らしいお弟子さんねぇ。宗次郎ちゃんって云うの?」
「はい」
 こっくりと宗次郎は頷いた。
 それに、おのぶは微笑んだ。
「歳三といつも仲良くしているの?」
「はい、とても優しくしてくれます。歳三さん、だい好きです」
「そーお。よかったわねぇ」
 ほんの少し目を細めたおのぶに、近藤が横合いから云った。
「いやもう、こっちが呆れるぐらいの可愛がりようで。あれこそ、舐めるような可愛がりようと云うんですかねぇ、はははっ」
「あらあら、うちの歳がねぇ」
「毎日、可愛くて可愛くて仕方ないみたいで。そのくせ、抱っこはしてないようですが」
 そう云った近藤に、歳三はいやな予感を覚えた。
 慌てて見てみると、なんと驚いたことに、近藤がひょいっと宗次郎を抱きあげる処だった。
 宗次郎もにこにこ笑って、おとなしく抱かれている。

(俺だってまだした事ねぇのに!)

 かぁぁぁっと頭に血がのぼった。
 思わず、傍にいるおのぶがびっくりするような大声で叫んでしまう。
「勝っちゃんッ!」
 それから、だだっと走り寄り、その腕をばんっと叩いた。
 目を丸くしている宗次郎を無理やり奪いとると、己の胸もとに強く抱き込んでしまう。
「宗次郎……!」
 今までの躊躇いも忘れて、ぎゅうぎゅう抱きしめた。
 腕の中にある小さな体が、めちゃくちゃ可愛い。
 すべすべした肌も、腕をまわすと感じる細っこい腰も、今、頬にふれている柔らかな髪も。

 どれだけ、こうして抱きしめたかったことか!
 しかも逢うのが久しぶりなだけに、感涙にむせび泣いてしまいそうだ。(もう、ほとんど中毒症状か)
 あぁ、こんなに気持ちいいなんて。
 こんな極楽浄土一直線になれるなら、もっと早く抱っこしておくべきだった……って、違うだろ!

 歳三は顔をあげると、きっと近藤を睨みつけた。





「何、すんだ! 宗次郎に何やってんだよっ」
「何って……抱っこだが。抱っこぐらい、いつでもしてたぞ」
「いつでもって、俺はしてねぇのに!」
「したらいいじゃないか」
「そんなの簡単に出来るはずがねぇだろ!」
「だから、何で」
「何でって……そんなもの決まってるじゃねぇか! 宗次郎に、もっともっとさわりたくなっちまうからに決まってるだろッ!」

 そう一気に叫んでしまってから、歳三は、はっと我に返った。





(……今、俺……何て云った?)

 何かとんでもない事を口にしてしまった気がする。
 変態まっしぐらっぽい言葉を……。
 いや、っぽいどころか、そのものの。

 ……やっぱり、俺って変態?





 一人青くなったり赤くなったりしている歳三の前で、近藤はにこにこ笑った。
「何だ、そんな事か」
「そ、そそそんな事って」
「オレだって、さわりたいと思うぞ。宗次郎は可愛いからなぁ。まぁるい頬っぺたの感触、まるで餅みたいだものな」
 そう云いながら、はははっと笑ってみせる純朴男、近藤勇。
 彼の中に、歳三のような危ない性的趣向は全くないのだ。
 ないからこそ、こーんな事が平気で云えてしまったりする。
 そんな友人の爽やかな笑顔が、邪な妄想をかかえている歳三からすれば、哀しくなるほど眩しく輝かしい……。





「まぁまぁ、喧嘩はおよしなさいって」
 妙におっとりした口調で、おのぶが云った。
 おそるおそるふり返った歳三の前で、にこやかな笑みをうかべている。
「せっかくいらっしゃったのに、歳も近藤さんと仲良くしなくちゃ」
「姉さん……」
「それにしても、ねぇ」
 おのぶは歩み寄り、まだ歳三が腕に抱いている宗次郎を眺めた。
「歳がこーんな小さな子を可愛がるなんてねぇ。今まで、ぜーんぜんなかったのに、珍しい事もあるものよねぇぇ」
「……」
 ふふふっと笑ったおのぶが顔をあげたとたん、ばっちり目があった。
 紅い唇の端が、にんまりとつり上がる。
「……」
 姉の様子に、歳三はうっと詰まった。
 歳三が何でこの家に戻ったのか、ちゃーんと勘づいたのだろう。
 その上で、弟をからかいまくる口実が出来た事に、内心ほくほく大喜びしているに違いない。

(……何だって、こんな事に……)

 歳三はぐったり疲れきった気分で、ため息をついた。








 ……結局。
 わざわざ日野まで逃げてきた挙げ句、その努力もあっさり水の泡と化してしまった。
 そして、今。
 歳三と宗次郎は二人きりでいる。
 彼自身に割り当てられた奥の部屋だった。
 気をきかせたのか何なのか、おのぶが宗次郎をここに連れてきて残していってしまったのだ。
 去り際、歳三を見やりながらうかべた意味深な笑みに、ますますげんなりしたのは確かだった。





 黙り込んで板間の縁を眺めている歳三の傍に、宗次郎はちょこんと坐っている。
「……あのね」
 しばらくの間、同じように黙っていた宗次郎が、不意に口を開いた。
 顔をあげて見やれば、細い指と指をもじもじと組み合わせている。
 それから、宗次郎は恥ずかしそうに云った。
「本当はね、若先生にお願いしたのです」
「え?」
「私を……一緒に連れていって下さいって」
「? 何で」
 そう訊ねた歳三を前に、宗次郎はぽっと頬を赤らめた。
 視線をあちこちさまよわせながら、答える。
「佐藤さまのお家に、歳三さんがいるかもって聞いたから……」
「……」
「逢いたくて……歳三さんに、逢いたくてたまらなくて……」
「……」
 歳三はひたすら黙り込んだまま、宗次郎を見つめた。形のよい唇を固く引き結んでいる。
 そんな男の様子に、宗次郎は不安げに瞳を揺らした。
「……ぁ」
 ぷるんとした桜色の唇が震え、その大きな瞳にじわっと涙がうかんだ。
 やがて、おずおずと手をのばし、きゅっと歳三の手を掴んだ。
「……ごめん…なさい」
 宗次郎は悲しそうに云った。
「勝手に来て、迷惑だった……?」
「いや、迷惑なんかじゃねぇよ」
「でも……歳三さん、怒ってる……」
「怒ってねぇって。俺は……」
 言葉をとぎらせ、歳三はふいっと顔をそむけた。





 そうだ。
 怒ってなどいるはずもない。
 むしろ──

(……何だって、こんなに可愛いんだ!)

 あまりの可愛さいじらしさに、頭がまっ白になってしまいそうだったのだ。
 ドックンドックンドックンと躯中が熱くなってくるのを感じる。
 とくに、その、腰あたりが微妙にやばい。これも、いけない男の性って奴か?
 あぁ、こんな小さな、しかも男の子相手に……俺は、やっぱり変態だ。
 けどさ、こんな可愛い事云われちまったら、誰だってたまらねぇだろうが。
 そうだ。
 もう男の子だろうが十歳だろうが、何がどうでもいい。
 とにかく何でもいいから、今すぐ喰っちまいてぇ!





 だが、しかし。
 そんな危険極まりない事を心の中で絶叫している歳三でも、宗次郎には知られてはならない──と思う程度の常識は、ある(たぶん)。
 すーはーと深呼吸を何度かくり返してから、歳三は宗次郎の方へ再び向き直った。
 ささっと「優しいお兄さん」の仮面をかぶる。
 両手でそっと小さな手を握り返してやり、優しい声で答えた。
「……怒ってるんじゃねぇんだ。ただ、ちょっとびっくりしただけだ」
「ほんと?」
「あぁ。嘘はつかねぇよ」
「よかった……」
 宗次郎はそっと吐息をもらすと、嬉しそうに小さく微笑んだ。細い指さきが男の指に甘えるように絡められる。
 その笑顔が花のように可憐で、男心を煽りたてまくった。

(……何度も何度も思った事だが、こいつはどうして女じゃねぇんだろう?)
(女なら即押し倒して……い、いや、いくら何でも十はまずいから、せめて十四ぐらいになるまで待って……)

 などと、またまた桃色妄想にひたりかけた歳三に、突然、宗次郎がぴとっとくっついてきた。
 体温の高い小さな躯を押しつけ、危険な密着をしてくる。
「そ、宗次郎?」
 思わず声が裏返ってしまった男を、宗次郎は大きな瞳で見あげた。
 そして。
 きゅっと男の躯に細い両腕をまわして抱きつきながら、甘ったるい声でこう囁いたのだった。



   「歳三さん、だぁい好き♪」





 ─────撃沈。






 土方歳三、十九才。

 これからずっとずっとずーっとつづく、可愛い仔猫ちゃん溺愛転落人生を、思いっきり踏み出してしまった瞬間だった……。









つづく   









[あとがき]
 これで一応、「可愛い男の子に一目惚れ! 宗次郎編」は終わりです(笑)。次からは、「総司編」なので舞台も京都に。
 ここからは、恋バナ風にいきたいなと思っています。総司の気持ちも書きたいですし。