自分は絶対に女好きだと思っていた。
たとえ周囲から遊び人だ、たらしだとさんざん罵られようが、男として至極まっとうな性的趣向に、自分なりに満足していたのだ。
だが、しかしだ。
最近、その満足が揺らぎ始めている。
否、揺らぐどころか、がらがらと足下から音をたてて崩れ落ちてゆくような予感が……。
「……歳三さん?」
不意に、傍らであどけない声がした。
慌てて我に返り、見下ろせば、綺麗に澄んだ大きな瞳が彼を見あげている。
それに、何だと微笑み返してやったが、心境はどこまでも複雑だ。
何しろ、その予感の元凶が、この子供だったのだから。
年齢10才、しかも、少年だ。
女の子のような顔をしているが、正真正銘の男の子。
そう、男の子だった。(くどいって?)
「あのね、蒲公英とってきたの……ね? 可愛いでしょ?」
年相応よりかなり幼い舌ったらずな口調が、また可愛さ倍増どころか百二十倍で、男の胸に熱いものを込みあげさせる。
思わず抱きしめ、できるなら、その桜色の頬に唇を押しあてたくて、ついつい手がのびそうになった。
だが、さすがに道ばたでそれはまずいだろう。
というか、十才の男の子を抱きしめたり、頬に口づけたりしてたら、どこから見てもきっぱり変態だ。
そう、何度も何度も自分に云い聞かせ、必死に堪えた。
むろん、傍にいる宗次郎は何も気づいてない。
可愛らしく笑いながら、身を擦りよせ、危険な接近をしまくっている。
常識と男の本能の間で、ぐらぐら揺れまくっている男の悲しい性など、全く知らぬまま。
(……あぁ、まじで俺、いっちまいそう)
土方歳三、十九才。
これからずっとずっとずーっとつづく、可愛い仔猫ちゃん溺愛転落人生を、踏み出しかけたところだった。
事の起こりは、数ヶ月前である。
久しぶりに親友である近藤の道場を覗いた歳三は、そこに見慣れぬ少年を見つけた。
近藤に聞けば、新しく入った弟子で、沖田宗次郎というらしい。
こんな小さいのになぁ──という不憫さとともに、その少年をまじまじと見た歳三は、思わず息を呑んでしまった。
(……す、すげぇ……っ)
いったい、何がすごかったのか。
それは、一言でいうのなら──現代的に云うのなら、まさにクリーンヒット!
どこまでも果てしなく素晴らしく、その少年の容姿は、歳三の好みにぴったり嵌っていたのだ。
いやはや、嵌っているどころか、まさに長年思い描いてきた理想どおりと断言してもよい!
さらさらした絹糸のような柔らかい髪。
ぱっちりとした大きな瞳。それを縁取る、煙るような長い睫毛。
なめらかな白い頬。細い首筋。
ぷるんとした桜んぼのような唇。
男の腕で抱きしめれば、折れてしまいそうな華奢な小さな躯。
(めちゃくちゃ可愛い……!)
思わず、ごっくんと喉を鳴らしてしまった。
(こいつ、もろ俺の好み……俺の好みそのもの!)
(って……何、考えてんだ俺!)
(こいつ、まだ十歳だし、しかも……しかも、男だぞーっ!)
一人、理想の存在にめぐり逢えたことに狂喜乱舞し、すぐさま男である事を思いだして己を叱咤したりしている歳三の、理解不可能な心境などまったく知らぬまま、その少年はじーっと大きな瞳で彼を見つめた。
まるで、観察するかのように。
だが、やがて手をさし出すと、にこっと笑ってみせた。
「沖田宗次郎です」
しかし、その手がとられる事はなかった。
ぱぁっと花が咲いたような可憐な笑顔を見た瞬間、歳三はくらくらと目眩を覚えてしまったのだ。
(か、可愛い……)
もう垂涎ものの可愛さで。
笑顔も、綺麗に澄んだ甘い声も、全部、歳三の好みにどんぴしゃりだった。
だが、しかし!
宗次郎は、その名前通り男の子なのだ。
女好きの彼が手を出していい存在ではない。いや、むしろ出すべきではないだろう。
むろん、たらしと云われた自分がこの少年をおとせぬはずはない。
たとえ十才の男の子相手でも、おとしてみせる自信はある! と、何の自慢にもならぬ妙な自信を満々にみなぎらせ、歳三は思った。
自信はあるのだ。
だが、しかし……。
(……やっぱり、まずいよなぁ。こいつ、男だし)
(けど、何だってこんな可愛いんだ? あぁ! こいつが女だったら……)
女の子だったら、九才の年の差など知ったことではない。
今から囲いこむように可愛がって、絶対絶対変な虫がつかないよう守って、でもって好み通りにこの手で育て上げたなら。
絶対、絶対、俺の嫁にする!
(それこそ男にとって究極の理想だよな……)
思わず、想像してしまった。
どれだけ周囲から反対されようが何だろうが、そんなもの蹴散らかして、自分だけのものにしてしまうのだ。
で、お雛さまみたいに着飾らせ、大切に大切に家の奥へしまっておく。
自分だけの宝物。
この世で一番、綺麗で可愛くて大切な宝物。
もし、本当に自分だけのものになってくれたなら、毎日、朝から口づけて、すべすべした肌を撫でまわして、あの華奢な体をぎゅーっとこの腕に抱きしめて。
夜は夜で、そりゃもう幼くて細い躯を堪能しまくって。
めくるめく愛欲の日々って奴だ!
新婚だったら、そんな日々も許されるだろう。
細い指さきで腕とかにしがみつかれ、甘い声で可愛く鳴かれたら、それだけで俺、一発で昇天しちまいそうな気が…………
「……歳? おい、歳!」
突然の大声で呼ばれ、、桃色妄想で頭の中をいっぱいにしまくっていた歳三は、はっと我に返った。
慌てて見やると、目の前に立つ親友は思いっきり不審そのものの顔をしていた。腕組みし、胡乱げな目つきで歳三を眺めている。
傍らの宗次郎も、不思議そうに彼をじいっと見つめていた。
自らの置かれた状況に気がついた歳三は、慌てて笑顔をつくった。
「……え、あー、いや。ちょっと考え事しちまってさ」
「まったく」
近藤は深々とため息をついた。
「いきなり、遠い目してぼーっとするから、宗次郎がびっくりしてるだろうが」
「悪い悪い」
歳三は謝ると、宗次郎の方へ身をかがめた。
桃色妄想はともかくとして、可愛い男の子と親しくしておくのは、まずいどころかとても宜しい事だろう。
こんなにも可愛い男の子なのだから。
「宗次郎か。俺は歳三だ、よろしくな」
ぽんっと頭に手をおき、ついでに髪をさらりと指さきにからめてみた。
思ったとおり、さらさらと指通りがよく柔らかで艶やかだ。
それに思わず目を細める。
頭を撫でられたと思った宗次郎は、またにっこり笑った。
「はい! よろしくお願いします」
あどけない、無邪気な笑顔だ。
もちろん、男の邪な妄想などまったく知らないからこその笑顔なのだろうが。
(……やべぇ、ほんと可愛すぎだ)
歳三はさり気なく、宗次郎の髪や首筋に指さきでふれながら、小さく笑い返してみせたのだった。
当然のことだが、相手はまだ十才である。
なので、手を出すことは一切なかった。
もっとも、手を出すも何も、そこまで罪人になるつもりも、変態になるつもりもない。
歳三にだって、理性とか常識というものがあるのだ(一応)。
ただ、やっぱり本心は完全に押し殺せるはずもなく、ついつい手をのばしては(出すのではない! のばす!のだ)、宗次郎の柔らかな髪を撫でたり。
なめらかな頬や首筋にふれて、そのすべすべした白い肌の感触を味わったりしては、ささやかな満足を得ていた。
だが、抱っこはまだだった。
十才の男の子だという事もあったが、そんな事をして、自分の邪な感情がばれないだろうかとひやひやしてたため、抱っこはやめにしておいたのだ。
(っていうより、何で、俺が、この俺が! 男の子を抱きあげて、妄想しなきゃならねぇんだよっ)
イライラと自分にあたってみても、仕方がない。
ここ最近、あんなに頻繁だった花街通いもなくなり、女ともまったく遊ばなくなってしまっていた。
ぜーんぜん、まったくすっぱりその気になれないのだ。
やりすぎてとうとう枯れたか〜などと、近藤などにゲラゲラ笑われたが、むろん真相は全く違う。
対象がかわっただけなのだ。
性的偏向が変化したと云うべきなのか。
美しく艶やかで仇っぽい女 → 可愛い可愛い男の子
他人から見れば、ものすっごい方向転換だろう。
薩摩から江戸に向けて漕いでいた船が、いきなり大阪へカクンッと向きを変えたようなものだ。いや、違うか。
とにかく。
いくら何でも抱きたいとまでは思わないが(そこまで変態になってないと、まだ自分を信じたい)、ふれたいさわりたい口づけたい抱きしめたいと、頭の中を朝も昼も晩もその欲望でいっぱいに満たしてしまう対象は、もちろん、この世でたった一人。
十才の男の子──宗次郎だ。
(……もしかして……俺って変態?)
もんもんと朝も昼も晩も、宗次郎のことで頭をいっぱいにした挙げ句、歳三がおそるおそる出した結論はそれだった。
人生まだまだ十九年。
最初に色々弾みでやっちゃってから、ずーっと女好きで通ってきた。
周囲はもちろん、自分もそう信じきっていた。
だが、今の自分はもうひたすら、可愛い可愛い一人の男の子のことで、頭がいっぱいいっぱいなのだ。
宗次郎が欲しくてたまらない。
あの可愛い声で笑ってほしい。
あの綺麗な瞳で、自分だけを見つめてほしい。
ここ数ヶ月の間に、歳三は、宗次郎の容姿だけでなく、その明るく無邪気で素直な性格にも夢中になってしまっていた。
何をしても、どんな事をしていても。
とにかくもう、可愛くて可愛くてたまらないのだ。
箒で門前をせっせと掃いてる姿も可愛いし、道場をだだだーっと雑巾がけしてる姿なんてのも涙ものの可愛さだし(小袖の裾をからげてるため、そこからすんなり伸びた白い足がまた、男心を微妙にそそるのだ)、この間なんか料理を手伝っている姿に、思わずぼーっと見惚れてしまった。
襷がけにして、前掛けなんかつけたりして。
一生懸命、大根を切っている可愛い姿。小さな背がもう可愛くて愛しくて、思わず後ろからぎゅっとしてやりたい程で。
あの時も、
「? 歳三さん?」
と小首をかしげられたが、その仕草がまたまた可愛いかったな……などと、しみじみ思い出したりする土方歳三十九才。
「歳三さん!」
そんな彼に、宗次郎もよく懐いてくれた。
逢いに行けば、歳三さん歳三さんと可愛い声で呼んでくれ、甘えて身をすり寄せてくれる。
質素だが清潔な着物ごしに感じる、少年の体温に感触に、自分でも呆れるぐらい狼狽え動揺してしまい、慌てて突き放してしまったりして。
そのくせ、その事に傷ついたらしい宗次郎が、大きな瞳に涙をうかべたとたん、ぎゅううっと胸奥が息苦しくなり、慌てて「ごめん」と手を握りしめ笑いかけてやる。
そんな時に、涙をためた瞳で彼を見あげる少年の、ちょっとはにかんだような笑顔がまたもう、めちゃくちゃ可愛くて───
(……あぁ、俺、ほんと溺れこんじまってる)
思わず天を仰いでしまう歳三だったが、もちろん、これでいいはずがない。
いや、ちょっといいかな?と思ったりもするが、このままでは下手すりゃ変態まっしぐらだ。
そりゃまずいだろ。
男としてまっとうな道に戻りてぇ。
などと、歳三が思っても、不思議はないだろう。
道場の片隅で頭を抱えもんもんと考え込んだ挙げ句、結局、逃亡することにした。
宗次郎の前から、すっぱり消えたのだ。
(三十六計、逃げるに如かずって奴だ)
目指すはただ一路、日野だった。
だが、そこも彼にとって安息の地ではない。
つづく