……もう頭の中はまっ白だ。
 っていうか、目の前は真っ暗か。
 この事を近藤に告げたのが総司だと聞かされたとたん、土方は畳にがっくりと手をついてしまった。
 何をどう考える事もできず、呆然と項垂れている。
 そんな彼を眺めながら、近藤が呑気に言葉をつづけた。
「何でも、総司は、おまえが斉藤と出合い宿から出てくる所を見かけたらしいぞ」
「……」
「えらく仲良さそうに談笑していたんだってな。ま、出合い宿にまで泊まる仲だ、当然だろうと、総司は思ったらしいが」
 畳だけを呆然と見つめている友の姿に、近藤は不思議そうに首をかしげた。が、すぐ晴れ晴れと笑うと、慰めの言葉をかけてくる。いやいや、ますますどんどん追い討ちをかけてくる。
「そんなに心配しなくても、大丈夫だぞ〜」
「……大丈夫って……」
「総司は偏見なしで、お二人を祝福しますと云ってたからな。いや、持つべきものは、心の広い友と可愛い弟分だなぁ」
 わははと笑う近藤を前に、


(な、何が祝福だっ!)


 土方は心の中で思わず絶叫した。
 そんな事あるはずないのだ。
 総司が誤解した挙げ句、めらめら怒り狂っているのは絶対に確実。
 あの可愛い恋人は素直で優しいが、意外にも、かーなーり気位も高いのだ。こんな仕打ち、許しておくはずがなかった。
 祝福どころか、今頃、可愛い白うさぎちゃんから凶暴な山猫へと変身し、彼を引っ掻き傷だらけにするため、カリカリカリカリ爪を鋭く研いでいるに違いなかった。
 だが、土方はその方がまだましだと頭を抱えこんだ。


(引っ掻き傷ぐらいですめばいいが……別れようなんて云われたら、どうすりゃいいんだよ!)


 十年来の、それこそ涙ぐましい忍耐と苦労の末にようやく手にいれた、可愛い可愛い──もうめろめろになってしまうぐらい、可愛い恋人なのだ。
 それを、今更別れる!?
 こんな誤解のために!?
 絶対絶対、冗談じゃねぇよーっ!!


「……歳?」
「──」
「おーい、歳、どうした? 戻ってこーい」
 据わった目で宙を見据えたまま、固まってしまった土方に、近藤が心配半分不気味さ半分で呼びかけ、ひらひらと目の前で手をふった。










 さて、一方。
 こちらは、その噂の片割れ斉藤一である。
 屯所に帰ってきてすぐ巡察に出かけた斉藤は、京をぐるりと一回りしてから何事もなく、今さっき帰営したばかりだった。
 着物を着替え終わり、さっぱりした所で、さて剣術師範代らしく道場でも覗くかと廊下を歩いていた。
 そこへ。
「はじめちゃん、はじめちゃぁ〜ん♪」
 意見ありげな笑いを含んだ声をかけられ、斉藤は顔をしかめつつふり返った。
 斉藤をそんな呼び方する人間は、だいたいにおいて限られている。
 見れば、案の定、予測したとおりの人物──原田がにやにや笑いながら、おいでおいでと手招きしていた。
「? 何ですか」
「いやさ、質問〜」
「は?」
 何が何だかわからない斉藤に、原田はにんまり笑った。
「あのさ」
「はい」
「はじめちゃん、あの土方さんと出合い宿で熱ぅ〜い嵐の夜を過ごしたって、ほ・ん・と?」
「………は?」
 一瞬、斉藤の頭の中は、文字通りまっ白!になった。
 あんぐりと口を開けたまま、原田を凝視する。


 い、今……何とおっしゃいました?


「だーかーらぁ〜」
 原田は人より遙かにでっかい地声で、もう一度大きくハッキリくっきり!とくり返してくれた。わざわざ役職つきで。
「三番隊隊長斉藤はじめちゃんと! 新撰組副長土方さんは! 出合い宿で熱ぅぅい───」
「ちょっ…ちょっと待ったぁーッ!」
 失神寸前から立ち直った斉藤は、慌ててさえぎった。
 そんなこと屯所中にふれまわれたのでは、たまったものではないだろう!
 全く身に覚えがあろうがなかろうが、壁に耳あり障子に目ありなのだ!
「どこから! そんな話、いったいどこから聞いたのですっ!?」
 斉藤は原田を部屋に何とかひっぱりこむと、すぐさま、ごくごく当然のことを訊ねた。
 今朝、出合い宿から出てきた所を見られたのかと、あれこれ考えてみるが、今更何をどう後悔しても遅い。
 とにかく、噂がこれ以上広がらない事をひたすら祈るばかりだった。


 そもそも、熱い嵐の夜って何なのだ!
「どうせなら総司と過ごしたかったのに」とか。
「これが総司とだったらどんなに幸せだっただろう」とか。
 互いを罵り、ぶちぶちぐちぐち文句を云いながら、部屋の端っこと端っこで布団かぶって寝たあの夜の、いったいどこが熱い嵐の夜なのだ!


「えーと、どこからだっけ」
 原田はそんな斉藤の心の叫びも知らん顔で、呑気にすっとぼけてみせた。
 それに、斉藤はずいっと身を乗り出し、掴みかからんばかりの勢いで訊ねる。
「いったい誰から!? さっさと吐いて下さい!」
「……はじめちゃんさぁ」
 原田はちらりと斉藤を眺め、ぽりぽり頬をかいた。
「それ聞いてどうすんの?」
「聞いてどうするって」
 斉藤は至極当然という顔で、きっぱり断言した。
「口封じするに決まってるでしょう」
「あ、それ無理」
「無理?」
「だって、相手は総司だもの。総司から聞いたんだわ、おれ」
「………」
「いや、直接じゃないけど、総司が近藤さんに話してるとこ、聞いちゃった訳。で、これはぜひとも確かめなきゃと思ってさ……はじめちゃん? おーい、はじめちゃん?」
 原田は、宙を見つめて固まってしまった斉藤の前で、ひらひら手をふってみせた。だが、それさえ、もはや視界に入っていない。
 土方と同じくで、その噂の出所が総司だと聞いた瞬間、斉藤の目の前は、それこそドン底お先真っ暗!になってしまったのだ。


(ど、どうして……総司がっ!?)


 思わずその場で頭を抱え込んでしまいそうになったが、さすがは斉藤一。っていうか、硬直して体が動かなかったというのが真実だが、とにかく棒立ちになったまま、もの凄い勢いで記憶をばらばらーっと遡った。


 宿から出る所を、見られていたってことか!?
 でも、こっちは総司の姿なんて見なかったぞ?
 物陰から見てたって事だよな。
 じゃ、会話も聞いた?
 会話……会話、えーと何を喋ったんだっ…け……


 斉藤はそこまで考えてから、自分の顔がひくひくと引き攣るのを感じた。


 そう云えば、あの時。
 他言無用だと云った土方に、自分は秘密共有だと答えたのだ。
 秘密共有だなんて!
 それこそ、誤解されても仕方がない台詞ではないかー!?


 気のせいか、背筋がぞぉぉーっと寒くなった。
 何やら、総司がいるはずの部屋から怒りの波長がどろどろめらめらと伝わってくる気がする。
 というか、それはきっぱり気のせいではないだろう。
 その証拠に。


「……斉藤さん」


 突然、後ろからかけられた声に、斉藤はしゃきーん!と背筋をのばした。思わず、ぎゃああと声をあげて逃げ出したくなるが、いかんせん足が動かない。
 むろん、ふり返ろうにも、ふり返れない。
 まるで金縛りにあったがごとくだ。
 そんな、冷や汗たらたら状態のまま硬直している斉藤の肩に、ひっそりと背後から手がかけられた。
 白くて細い手が。
 まるで、夏の夜の怪談のごとく。
 ひんやりと。
「……ねーぇ、斉藤さん?」
「……」
 もはや身動き一つ出来ない斉藤は目だけをそろそろ動かしてみたが、相変わらず要領のいい原田は既にどこぞやらへとんずらしてしまっている。
 きっと総司が現われたとたん、逃げてしまったのだろう。
 立ちつくす斉藤の背に、総司はぴとっとくっついた。
「お稽古……一緒にしましょうか」
 そう云うと、季節外れのお化け──いやいや、総司は、斉藤の耳もとで、うっふっふっふっと笑った。
 だが、その笑い声は、不気味なおどろおどろしいものに充ち満ちている。
 斉藤はごっくんと喉を鳴らし、必死に己を奮い立たせた。
 勇気をふりしぼった。


 斉藤一!
 男だろ、頑張れ!
 頑張るんだーっ!


 そう心の中で叫ぶなり、斉藤は勢いよくえいっと後ろをふり返った。
 凍った笑みをうかべている総司に、一瞬怯んだが、ここで引いたら終わりだと一気にもの凄い勢いでまくしたてはじめた。
「総司っ! あれは誤解なんだ!」
 斉藤一、人生において、これ程力をこめて弁をふるった事もないだろう。もう必死の形相、必死の論調である。
「昨日は嵐で、突然雨が降ってきたんだ!」
「……ふーん」
「それであんな所に土方さんと一緒に泊まることになって、けど、何もやましい事はない! そんなのある訳ないだろ!?」
「さぁ……どうでしょうねぇ」
「し、信じてくれ! ただ泊まっただけなんだ! たまたまそこが出合い宿だっただけで、やましい事はこれぽっちも……っていうか、何で!? 何でおれがこんな弁明しなきゃならないんだぁぁ──ッ!!」
 斉藤はもう完全に混乱してしまい、大声で叫びながら、頭をバリバリとかきむしった。
 それを、総司はにこやかな笑顔で眺めた。
「あのね、斉藤さん」
「……」
「私、別に何も弁明求めてませんし、誤解なんかしてませんよ」
「……え?」
 斉藤は、暗闇に射しこむ一条の救いの光をかいま見た思いで、総司を見た。
 だが、その淡い期待はすぐさま砕け散る。
 それこそ、こっぱ微塵に。
「斉藤さんと土方さんは、出合い宿に行ったんですよね?」
 総司は両手を後ろにまわすと、愛らしい仕草で、斉藤の顔を下から覗き込んだ。
「そして、二人で一緒に夜を過ごして、翌朝屯所へ帰ってきたんですよね?」
 にこにこと笑いながら、ねちねち念押ししてくる総司に、斉藤はううっと呻いた。その呻きを答えとしたのか、総司は「ふぅん」と頷いた。
 髪を一筋、指さきに絡めながら、ゆっくりとした口調でつづける。
「大丈夫ですよ。、お二人の行動の意味がわからない程、私も子どもではありませんから。まったく全然何一つ誤解なんかしてません」
「……」
「えぇ、もう、これっぽちもぜーんぜん誤解なんかしてませんから、どうぞ安心して下さいね」
 にこやかな笑顔。
 柔らかで丁寧な口調。
 だが、しかし、その目は完全に据わりきっていた。
 斉藤が絶句したまま硬直していると、総司はもう一度にっこりと笑った。それから、その笑顔のまま、くるりと背をむけた。
「さぁ、お稽古しましょうか」
「……い、いや、その、オレは……」
 口ごもりつつ斉藤が思わず後ずさったとたん、総司がちらりとふり返った。
 その据わりきった目で、じーっと見つめてくる。
 顔の方は笑っているから、尚更怖い。
「恋敵とのお稽古は嫌ですか?」
「こ、恋敵って……な、な……っ」
「同じ剣術師範代じゃありませんか」
「……」
「これからも、仲良くお稽古しましょうね?」
「…………はい」
 斉藤は力なく頷くと、がっくりと項垂れた。




 その後、道場でくり広げられた「斉藤先生の悲劇」は、その場に居合わせた隊士たちのみが知る事なのである……。










 その翌日の事だった。
 新撰組屯所内の大広間において、幹部たちのみの宴が行われた。
 近藤主催のそれはもともと予定されていたものだった。もの、だったのだが……
「……」
 土方は、広間前に立ったとたん、ぶるぶるっと身震いした。
 どうしてだか、とんでもなくいやな予感がしたのだ。
 ぞくぞくーっと背筋をはいのぼる悪寒は、決して気のせいではあるまい。
「副長、どうかされましたか?」
 傍らから島田が不思議そうに訊ねてきた。
 それに、「いや、何でもない」と首をふった。そして、勇気をふりしぼり、土方は広間へ入った。
 いつもなら、数人の幹部たちで適当に酒を飲んで終わる宴なのだが、何しろ時期が時期だ。
 噂はとっくの昔に、幹部の間を駈けめぐりまくり、近藤主催の宴にしては異常なほど出席率が宜しかった。ほとんどの幹部が出席している。
 そして。
 無気味なほどの緊張感が漂う中、宴は始まったのだった。




        嵐の予感?













つづく