さて、近藤主催の宴──つまりは飲み会である。
びくびくしながらやってきた土方は、そこで愛する総司とようやく顔をあわせたのだが、とても言葉をかわせる雰囲気ではなかった。
「あ、総司……」と呼びかけたとたん、総司はにっこり笑顔でふり返ってくれた。
だが、しかし! その目は完全に据わっていた。
めらめらめらめら青白い炎まで背負っている幻覚が、見えるほどだった。
土方はそれを見たとたん、うっと喉に声を詰まらせてしまった。宙に浮いた手もそのままに、固まる。
そんな彼を冷たく一瞥してから、総司はくるりと背を向けた。すたすたと歩み去ってしまう。
宴の席についてから、では斉藤は?と見てみれば、ひたすら彼と視線をあわすのを避けていた。心なしか微妙にやつれているようだ。
噂は既に幹部たちのみにだが広まっているらしく、広間は無気味な雰囲気にみちみちていた。
まさに、一触即発の状態である。
「……土方さん」
あれやこれや考え出すと頭が痛く、難しい顔で一人淋しく酒を飲んでいると、永倉が寄ってきた。さり気なく訊ねてくる。
「あんた、斉藤と総司で二股かけたんだって?」
「……どこで聞いたんだ」
土方はもうぐったりした気分で、訊ねた。それに、永倉がにやっと笑う。
「いや、噂になってるよ」
「……」
「しかし、あんたも物好きだねぇ。あんな可愛い総司がいるのに、まさか斉藤に手を出すとは」
「だから、出してねぇって!」
「けど、噂じゃ二股かけてた事になってるし。しかも、昨日、嫉妬に怒りくるった総司が竹刀ふり回して、斉藤を追いかけ回していたって話だしねぇ。一番隊の連中は皆震えあがって、とばっちりくらうの恐れて逃げ出したらしいけど」
「…………」
「あんたも早いとこ謝った方がいいよ。でなきゃ、総司にぶちのめされちまう。あぁ見えても、総司は怖いからねぇ」
「……あいつの三段突きくらってぶっ倒れる方が、三行半叩きつけられるよりはましさ」
土方はため息まじりに、そう呟いた。
実際、そう思っているのだ。
総司に別れを告げられる事が、何よりも恐ろしいのだから。
それにくらべれば、三段突きくらってひっくり返るぐらいが何だ!
い、いや、そりゃ痛いだろうし、しばらくは伸びたままになるのは確実だが。
それでも、今のような蛇の生殺し状態よりはマシだ。
そこまで考えてから、土方はまた、はああっとため息をついた。恨めしげに、斉藤の方を見やってしまう。
何だって、あいつは昨日俺についてきたんだ!
どうして、俺は昨日、斉藤をさっさと追い払わなかったんだ!
こんな事になるぐらいだったら、あの暴風雨の中、屯所まで全力疾走すればよかった。だいたい、あの時、もう少し早めに切り上げていたら……ぐちぐちぐち。
そうして、土方が今更しても仕方のない後悔の海へ、どんぶらこどんぶらこ漕ぎだしていこうとした、まさにその時だった。
突然、山崎が部屋へ入ってきたかと思うと、土方の方にやってきたのだ。
仕事のことかと顔をあげた土方に、山崎がいつもの謹直な表情で告げる。
「副長、客人です」
「客?」
「何やら、先日の物件がどうのと申しておりますが」
「……あぁ」
土方は休息所の事かと理解し、立ち上がりかけた。当然、総司には秘密にしているので、玄関で会おうと思ったのだ。
だが、そこへ一人の男が駆け込んでくる。驚いてみれば、それはまさに土方が休息所探し云々を依頼している相手だった。
男は、土方の前までくると、まるで大名行列にひれ伏すお百姓さんの如く、がばーっと土下座した。
そして、叫んだ。
「申し訳ございまへんッ!」
「?」
いきなり頭を下げて謝罪する男に、土方は眉を顰めた。幹部たちも皆、驚いて彼らの方へ視線をやる。
その前で、男は叫んだ。
「あの休息所の物件、実は今朝方、火事で焼けてしまいまして!」
「……焼けた?」
「へぇ!」
男は大声で返事をし、畳に頭を擦りつけながら言葉をつづけた。
「せっかく土方先生、斉藤先生ご両者ともわざわざおいで頂き、見て頂いたのに、まことにまことに申し訳あらしまへんっ!」
「…………」
「また別の、土方先生、斉藤先生にふさわしい休息所を探させて頂きまんねんさかいに、えぇあんばいにお願い致しますっ!!」
「…………」
──おそらく。
この男、相当、恐怖していた事と見える。
新撰組の鬼副長に依頼された事であるから、失敗は許されぬ、一刀両断にでもされるのではないかと、震え上がっていたのだろう。
だからなのか、一気にまくしたてると、ぺこぺこ何度も頭を下げてから、ものすごい勢いで広間を飛び出していった。まさに、脱兎のごとくの素早さである。
後に残されたのは、絶句したまま固まっている土方と、事の成り行きに唖然としている幹部たちだ。
広間が、しんと水を打ったように静まり返る。
「…………」
土方は酒の杯を手にしたまま坐っていたが、あまりの展開に、本当はその場から逃げ出したかった。あの男のごとく。
あの男は、まさに爆弾を落としていったのだ。
(あ、あれじゃまるで、俺が斉藤のために休息所を探してたみたいじゃねぇかっ!)
もともと一触即発だったこの場へ、火に油を注ぎまくったのだ。
そして、今。
そのために、めらめら燃えさかっているだろう人物は……
「……そ、総司」
ゆらりと立ち上がった総司に、皆の目が集中した。
もともと土方と総司の仲は公認されたものであり、今回の二股騒動は、皆も知るところだった。
それが、今まさに追い討ちをかけられたのだ。
裏切られた総司がどんな行動に出るのか、皆、固唾を呑んだ。
そして。
「……土方さんの、ばかあああぁ──ッ!」
そう叫ぶなり、いきなりスパーンッ!と刀を抜きはなった総司に、皆は「うわーッ!?」と総立ちになった。
幹部連中が慌てて右へ左へ逃げまどう中、総司は刀をブンブンふり回しながら、土方を追いかけた。
というか、当然、土方は身の危険から回避行動をとったのだ。三段突きぐらいならいいが、一刀両断されれば、さすがに死んでしまう。
最愛の者の手にかかるなら、幸せだ……なーんてのたまう男もいるらしいが、冗談ではない。生憎、そんな自虐的な趣味は持ち合わせてないのだ。
「何で逃げるんですかー!?」
「逃げてあたり前だろうがっ」
「逃げるって事は、やましい事があるからでしょ!? やっぱり、二股かけてたんだーっ!」
「総司、落ち着け!」
「隊内での私闘は禁ずだろうがっ」
「私は茶屋にも連れていってくれないくせに、斉藤さんとは出合い宿で、しかも休息所なんて! うわーんうわーんうわーんっ」
わんわん泣きながら追いかける総司と、必死にあちこち逃げ回る土方、それを囲んであたふたする幹部たちで、広間は上へ下への大騒ぎとなった。
膳がひっくり返り、徳利が割れ、酒が飛び散る。
それを見た永倉が「あぁ、もったいねー」と徳利かき集める横で、近藤が追いかけっこを続ける二人を呆然と眺めていた。
斉藤は部屋の片隅で頭抱えてうんうん唸り、それに原田が「はじめちゃん、追いかけっこに参加しねーの?」とにやにや笑っている。
そうこうするうちに、総司はとうとう土方を広間の片隅へ追いつめた。
大きな瞳を涙でいっぱいにし、えぐえぐしゃくりあげながら刀をふりあげる姿は、何とも鬼気迫るものがある。
それに、土方はぜぇはぁ肩で息をしながら観念した。というか、逃げようがないのだ。
誤解で斬られるのは無念だが、これも自分のまいた種ではあるだろう。
壁に背をつけたまま土方は瞼を固く閉ざした。総司の刃が己にふり下ろされるのを待つ。
だが、しかし。
「……なん、で…逃げないの……?」
カタンッという音に目を開けてみれば、総司がその手から刀をとり落し、ぽろぽろ大粒の涙をこぼしていた。
土方だけを見つめ、さめざめと泣いている。
「……総司」
「どうして……逃げない、の?」
そう問いかけられ、土方は思わず周囲をぐるりと見回してしまった。だが、とても逃げられるような状況ではない。
逃げようがない状態に追い込んだ相手からの訊ねにしては、おかしなものだと思ったが、土方は生真面目に答えた。
「これじゃ、逃げられねぇよ」
「でも……刀で対抗はできるでしょう?」
「あのな、俺がおまえに刀を向けられるはずねぇだろうが」
土方は苦笑をうかべた。
「可愛いおまえに刀向けるぐらいなら、おまえに斬られて死んだ方がましだよ」
「土方…さん……」
彼の真摯な言葉に、総司の目が大きく見開かれた。しばらく、潤んだ瞳のまま、土方だけを見つめている。
やがえ、短い沈黙の後、涙声のまま、ぽつりぽつりと問いかけ始めた。
「……どうして、斉藤さんと出合い宿に行ったの?」
「総司」
「私を……茶屋にだって連れていってくれなかったのに」
「連れていってくれなかったって……え? 連れていって良かったのか?」
「あたり前でしょう!?」
不意に総司は顔を真っ赤にすると、叫んだ。もう気恥ずかしさも何も、吹っ飛んでしまったらしい。
「私だって、土方さんが欲しいんだから! だい好きなんだから、たまには茶屋とかで色々して欲しいと思って当然じゃないですかっ」
「い、いや……そういう処、嫌いだと思ってて。それで、遠慮してたんだ」
「変な遠慮しないで下さい! だいたい、そんなの信じられないんだから! 斉藤さんとは出合い宿へ行ったくせに!」
「だから、あれは嵐にあっちまったからなんだ!」
土方は慌てておっかぶせるように、云った。
「雨で屯所に帰れなくて、仕方なく目についたあの宿へ泊まっただけだ」
「でも、泊まった事は本当なのでしょう? それって……」
「あのな、斉藤とだぞ? 云っておくが、布団だって部屋の端と端に敷いたさ。おまえとならどんなにいいだろうって、何度も思いながらな」
「土方さん……」
総司は桜色の唇を、きゅっと噛みしめた。視線があちこちさまよい、細い指さきが握ったり開かれたりする。
しばらくたってから、どこか拗ねたような口調で、つづけた。
「じゃあ……どうしてそんな処に斉藤さんといたの? 斉藤さんと休息所を探してたっていうのは、本当の事なの?」
「あれは偶然だ。たまたま会ったんだ」
土方は総司の可愛い顔を覗き込み、真剣な口調で云った。
それに、総司は潤んだ瞳で見上げた。
「……土方さん」
色々問題はあるけれど、彼の顔はとてもきれいで端正なので、だい好きなのだ。とくに、黒曜石のような瞳が何よりも魅力的だった。
その濡れたような黒い瞳で間近にじっと見つめられ、総司は頬がぽぉっと上気するのを感じた。長い睫毛が躊躇うように震える。
その心の揺れを、さすが元たらし、おとすにかけては百戦錬磨の土方は、むろん見逃さなかった。ここぞ!とばかりに、その手をすかさずはしっと握りしめる。
「斉藤がついてきたので、仕方なく一緒に見たんだ。偶然なんだ」
「……」
「それに、あの休息所はもともと、総司……おまえのために探してたんだぞ!」
「……私の、ため?」
総司の目が大きく見開かれた。それに、しっかりと頷いてやる。
「そうだ! おまえのためにだ」
日頃の寡黙さはどこへやら。
土方は、総司を口説くため、ものすごい勢いでまくしたてた。
「おまえと一緒に幸せに暮らしたいから、だから、一生懸命休息所にできる家を探し回っていたんだ。だいたい、考えてみろよ? ずーっと十年もおまえだけに惚れてきた俺が、今更、何で、それも斉藤なんかに目移りしなきゃならねぇんだ。この俺には、こんなにも可愛いくて大切な、愛しい愛しいおまえがいるんだぞ!」
「土方さん!」
たちまち、総司の目が感激の涙に濡れた。
うるうるっとしたかと思うと、そのまま土方の胸へ勢いよく飛び込んでくる。男の背にほっそりした両手をまわし、ぎゅーっと抱きついた。
「ごめんなさい、私……何も知らなくて! あなたの事を疑うなんて、私が莫迦でした。本当にごめんなさい……!」
「いいんだ、総司。それだけ、おまえが俺を愛してくれてるって事だものな」
「もちろんです! 愛してます、土方さんっ!」
「総司、俺も愛してるよ」
二人はそう叫びあうと、しっかりと互いを抱きしめあったのだった。
もはや周囲の状況などまったく目に入っていない。
抱きあい、見つめあい、愛してる!とか好きだ!とか叫びあって、また抱きあって。
先程から、土方と総司は何度も何度も、それをくり返している。
熱っぽく甘ったるく。
まさに世界は愛しあう二人のためだけに! なのである。
だが、しかし。
(……愛してるよ! じゃないっつーの)
そんな熱愛ばかっぷるを、広間の片隅から生ぬるーい目で眺めていた斉藤は、いじけまくりながら、そう心の中で呟いた。
だいたい、こんな騒ぎになるぐらいなら、初めから二人で休息所探しをすれば良かったのだ。っていうか、さっさと茶屋にでも何にでも行ってくれれば、こんな事にはならなかったはず。だいたい、なーにが、斉藤なんかに! だよ。
どーせね、どーせ……。
心の中でさんざん愚痴りまくった斉藤は、はぁっとため息をついた。
それから。
ばかっぷるたちの痴話喧嘩に巻き込まれた挙げ句、「斉藤なんかに!」とまで云われてしまった憐れ三番隊隊長斉藤一は、一連の出来事からある教訓を会得したのだった。
愛とはかくも無敵であり。
そして。
とてもとてもとても!!傍迷惑なものなのだ、と。
……さて。
数日後、土方はようやく念願の休息所を手にいれた。
総司も気にいってくれたし、多数の条件も満たした好物件だ。
もちろん、愛する可愛い白うさぎちゃんを連れ込む──いやいや、招きいれる事にもめでたく無事成功した。
となれば、これまた長年の念願かなって、桃色の日々。
そして、やっぱり。
I LOVE BABY!な日々なのである。
[あとがき]
3周年記念連載「I LOVE BABY!弐」完結です。
終わってみると……へたれ土方さんより、はじめちゃんの方がずっとさんざんな目にあってるような。ラストまでおつきあい下さり、ありがとうございました♪
