その日は、朝から曇りがちだった。
どんよりとした雲が京の町全体におおいかぶさり、何となく不穏なで無気味な気配を漂わせている。
だが、まだ雨は降っていない。
そのため、曇り空をちらりと見上げただけで、土方は傘も持たずに外出した。
本当は、こんな鬱陶しい日、屯所で仕事に励んでいる方がいいのだが、いや、むろん、可愛い総司といちゃつけるのが一番いいのだが、今日だけはそうはいかない。
今日の外出の目的。
それは、皆様とっくにおわかりのごとく、休息所探し!だった。
それも!
なんと、いい物件が出た!との耳より情報が入ったのだ。
しかも、かなり土方の希望に近いものらしい。
となれば、仕事など比叡山の彼方にでもぽーいっと放り投げちゃって、さっさっと見にいくのが当然至極というものだろう。
世の中には何事も仕事優先という男もいるらしいが、土方の場合、彼が一番優先すべきなのは、可愛くて可愛くてたまらない、ふわふわした白うさぎちゃんのように可憐で愛おしいマイハニー総司なのであった。
しかも、その可愛い恋人との桃色妄想実現のためなら、何を置いても優先させるべし! なのである。
土方はそう固く固く決意していたのだった。
「……あれ、土方さん?」
土方は門をくぐったとたん、声をかけられた。
それに、ぎくっとしながらふり返れば、斉藤が歩み寄ってくる処だった。と云っても、ここは屯所の門前ではない。
例の休息所の物件前なのだ。
既にもう、土方はその物件をじっくり見て出てきたところだった。
「何してるんですか、こんな処で」
「おまえこそ」
土方は切れの長い目でじろりと見やったが、斉藤は一向に平気な顔で呑気に答えた。
「散策ですよ」
「こんな処までか」
「えぇ、何しろ、こっちに総司が好きそうな菓子屋があるって聞いたので」
突然出てきた総司の名に、土方はびくっと反応した。
「! 何で、総司が」
「いやぁ、総司っておいしい菓子に目がないですから」
斉藤はあっさり答えた。
「いつも買っていってやると、ありがとうって可愛い笑顔見せてくれるし、ついついおれも財布の紐緩んじゃうんですよねぇ」
「!!!」
土方は冷静沈着な副長らしくもなく、大いに動揺してしまった。
顔がひきつり、切れ長の目もキリキリつり上がるのをしっかりと自覚する。
思わず固めた拳がわなわな震えた。
人の恋人捕まえて、何が可愛い笑顔だっ!
可愛いってのは本当だが、総司の笑顔はな、可愛いなんて言葉じゃ到底云いつくせないんだぞ!
大きな瞳がきらきらして、すべすべした頬がほんのり桜色にそまって、ぷるんとした唇は艶めき、花もはじらうような笑顔で。
土方さん、だい好き♪
なんて囁いてくれた日には、極楽まっしぐらの夢心地って奴なんだからな!!
などなど、心の中で、土方は一人叫びまくった。
だが、ここでそれを口に出したりすれば、たちまち総司にまで伝わり、心の狭い男だと思われてしまう事だろう。
そのため、心の中の雄叫びをごっくんと飲み下し、土方は無言のまま踵を返した。だが、それを追って歩きながら、斉藤が訊ねてくる。
「で、土方さんは? 何でこんな処に」
「別に」
「別にって……あぁ、この家を見に来たんですか」
「……」
「なるほど。休息所になら、なかなかいい物件ですよねぇ」
「!?」
土方は一瞬唖然としてから、勢いよくふり返った。その端正な顔に、何故!?と思い切り書いてる。
斉藤は、にんまり笑ってみせた。
「あ、びっくりしてますね。けど、永倉さんの時の様子見てたら、だいたいわかりますって。総司のためにの休息所ですよね。うん、なかなかいいんじゃないですか」
「……おまえが良くても仕方ねぇんだよ」
「なら、気にいらないと? じゃ、オレが買っちゃいましょうかね。これなら総司も気にいってくれるでしょうし」
挑発的な言葉をぽんぽん投げてくる斉藤に、土方は目を細めた。腕を組み、じいっと切れの長い目で見据える。
「斉藤……おまえ、機嫌が悪いな」
「そりゃ機嫌も悪くなりますよ」
「何で」
「先日、誰かさんに、たっぷりお惚気を聞かされましてね」
「?」
訝しげに小首をかしげる土方を、斉藤は眺めた。
全然わかっていない様子に、はぁっとため息をついてから、言葉をつづけた。
「で? まだ何処か行かれるのですか? 他にも物件が?」
「少し遠いが、もう一軒見に行くつもりだ」
そう答えると、土方は再び踵を返した。
一刻も早く次の物件も見てしまいたいのだ。こんな処で斉藤の相手などしている暇などなかった。
ところが、歩き出した土方の後ろから、斉藤がひたひたひたひたついてくる。
「…………斉藤」
しばらく無言で歩いていたが、どうにも我慢ができず、土方はくるりとふり返った。出来るだけ、怖い顔で睨み据えてやる。
ところが、一隊士なら震え上がるだろう鬼副長の睨みも、斉藤はへいのへっちゃらだった。
けろりんぱとした顔で、訊ねてきた。
「はい、何ですか」
「何ですかじゃねぇよ! どうして、俺についてくるんだっ」
「あぁ。その物件、一緒に見ようかなと思いまして」
「は? おまえが見てどうするんだ」
「興味と関心ですかね。いいじゃないですか、お気になさらず」
「……」
気にするなと云われて、はいそうですかと出来るものなら、とっくにしているだろうが。
っていうか、そもそも初めから聞いたりしねぇよ。
だいたい、後ろからひたひたついて来られて、それを気にしないでいられる人間がいるのか?
そう土方は思ったが、ここであれこれ揉めても仕方がないと、半ば諦めの境地に達した。遠い目をしてふうっとため息をつくと、再び目的地にむかって歩き始める。
ところが、次の物件にたどり着いたとたん、土方よりも斉藤の方が家の中を丹念に熱心に確かめはじめた。
この押し入れが狭いとか、庭の見晴らしは割合いいとか、土間の竈の具合は今一つだとか、あれこれ細かく云ってくる。
そんな斉藤を、(おまえは近所の世話好きおばさんか!)と思いつつ、土方はなまあたたかい目で眺めた。
だが、ここに来た目的は、自分と総司のための休息所選びなのだ。斉藤の事は視界から消してしまおう。
そう決意すると、土方はくるりと背をむけ、家の中を見回した。
……割合いい。だが、やはり、先程見た家の方がいいようだ。
あれなら、屯所とも遠すぎず近すぎずだったしな。
値段も手頃だった事だ、あれに決めちまうか。
そう思いながら、土方は踵を返した。まだ何やらごそごそしている斉藤に、声をかける。
「おい、そろそろ出るぞ」
「はいはい」
土方が家を出ると、斉藤もさっさと外へ出てきた。
辺りはもう薄暗い。すぐ夜になってしまうだろう。
ここは結構屯所から離れているので、早めに帰ろう──と云いかけたその瞬間、だった。
「!?」
突然、ザァァ──ッ!!ともの凄い轟音をたてて、雨が降り始めたのだ。
まさに、豪雨と云うに相応しいどしゃぶり状態だ。
たちまち、辺りは一寸先も闇状態になってしまった。
「うわ、やばい」
斉藤は慌てて周囲を見回し、走り出した。それにつられ、土方も雨の中を走り出す。
……後でよくよく考えれば、その家で雨宿りすればいい事だったのだが、何故か二人とも走り出してしまったのだ。
もっとも、その雨は一晩降り続いたので、まさか、自分の家でもない場所で一夜を過ごす訳にもいかず、結局は同じ事になっていたのだろうが。
とにかく二人は雨の中をずぶ濡れになって走り、目についた店へと飛び込んだ。
暖簾をくぐったとたん、「おこしやす〜」と声をかけられた。
だが、しかし。
顔をあげた二人は、そこが何の店であるか知った瞬間、ぴしりと固まった。
「……土方さん、あのう……」
斉藤が長くて重苦しい沈黙の後、言葉をつまらせながら云った。
「ここって……」
「云うな」
「って、そういう訳にも」
「云うなって云ってるだろ」
「どっちでも事実は同じでしょうが!」
「……」
土方は眉間に皺を刻み、むっと黙り込んでしまった。
それに、少々混乱した斉藤がまくしたてる。
「いったい、どうするんですか!? 外へ出ればどしゃぶりの雨、中に入ればここは……」
「宿だな」
「宿は宿でも、出合い宿! つまりは、連れ込み宿ですよっ」
思わず声を荒げた斉藤に、土方はさも嫌そうな表情をうかべた。心なしか少しずつ出口の方へじりじりと後ずさっている。
「それぐらい見りゃわかる」
「そりゃわかるでしょう。何度も総司と利用した事があるでしょうし」
「……いや、ねぇんだ、それが。茶屋の方さえも」
「え!? 本当ですか」
「一度ぐらい利用したいとは思っていたが……まさか、おまえと来る事になるとはな。最悪の気分だ」
「それはこっちの台詞です! 何が悲しくて、土方さんと……」
出入り口付近で、ひそひそ小声で言葉をかわす男二人を、店の者は訝しげに眺めた。
どうも様子がおかしい。
ずぶ濡れで、しかも何やら揉めている。
だが、客は客だった。
この時代、男同士の利用客もへん事はへんし、こっちゃも商いや!
と、きっぱりわりきって考え、鷹揚に笑いかけた。
「お部屋にご案内しまひょか」
「……」
店の者の言葉に、土方と斉藤は思わず顔を見合わせた。
本当は、こんな相手とこんな場所に泊りたくない!
っていうか、絶対絶対お断りだ!
だが、外は嵐のような豪雨状態。ごぉぉぉーっと雨と風が唸っている。
あの中へ戻るのは、まさに滝壺へ飛び込むようなものだろう。
それに、あの豪雨の中を、遙か遠い屯所まで長距離全力疾走する気力も体力も、二人にはない。
この場合、気合いだとか剣の腕前だとかは、なーんの役にも立たないのだ。
「……案内してくれ」
不本意と不機嫌と苦渋を足して三で割ったような表情で、しぶしぶ答えた土方の隣、斉藤はがっくりと肩を落とした。
翌朝は、ちゅんちゅんと雀の声も爽やかな快晴だった。
窓から見上げれば、青空がいっそ清々しいほど美しい。
昨夜の嵐が嘘のようだった。
それを眺め、土方は大きくため息をついた。
向こうでは、斉藤がしゃかしゃかと歯を磨いている。
こんな出合い宿だからなのか、隣あって寝ている人物のせいなのか(もちろん、布団は二枚敷いてもらって、部屋の端と端で寝た!)、どうにもなかなか寝付けなかったのだ。
おそらく理由は両方だろうが、明け方ようやく寝付き、はっと気づいて飛び起きてみれば、とっくの昔におてんと様は天高く高く昇ってしまっている。
正直、屯所に帰ってからの云い訳を考えると、頭が痛かった。
土方は思わず大きくため息をついた。
それに、斉藤がじろりと視線をむけて云う。
「ため息ばっかりついてると、幸せが逃げていきますよ」
「……もう逃げられてる気がする」
「じゃあ、それ以上逃げられないようにするんですね」
そう云うと、斉藤はさっさと部屋を出ていった。
それに、もう一度ため息をつく。
確かに、ここを早く出るべきだった。斉藤と出合い宿で一夜を過ごしたなど、恐怖の悪夢以外のなにものでもないのだ。さっさと出て、さっさと忘れるにこした事はない。
土方は勘定をすませた。
そして、後で絶対、斉藤に割り勘で払わせようと思った。何しろ、休息所のために節約の日々なのだ。
「別々に屯所へ帰ろう」
そう提案した土方に、斉藤は少し考えてから頷いた。
「ま、その方が賢明ですね。こんな所に土方さんと泊ったなんて知られたら、どんな騒ぎになるか」
「それがわかってるなら、他言無用だぞ」
「土方さんと秘密共有ってのがもの悲しいものがありますが、仕方ありませんね」
「一言多いんだ、おまえは」
そんな会話を交わしながら宿を出た二人は、町の角で左右にさっさと別れ、歩み去った。
互いも、その宿の方も、全くふり返らずに。
───そして。
二人が立ち去った後だった。
例の出合い宿の物陰から、一人の若者がふらふら〜と歩み出てきた。
華奢な躯に淡い色合いの着物を纏い、とても可愛らしい若者だ。
だが、今、その可愛い顔は衝撃に青ざめていた。
握りしめた白い手も、わなわなと震えている。
しばらく、大きな瞳をかっと見開いて、二人が別れた角を凝視していたが。
やがて。
「……」
二人が出てきた出合い宿の方をゆっくりふり向き、じいぃっと睨めつけると、いきなり、
「土方さんの、ばかぁぁぁ──―っ!!」
喉も張り裂けんばかりの声で絶叫し、脱兎の如く、いずこかへと走り去ったのだった……。
以下、次号につづく!!(笑)
つづく
