土方が総司を連れ込んだのは、副長室だった。
 書類を山ほど抱えた山崎が非難の視線を送ってきたが、無視し、ぴしゃりと障子を閉じる。
「さて」
 お互い、坐ってから、土方はおもむろに口火を切った。
 鋭い瞳で、総司を見据える。
「聞かせてもらおうか」
「……」
 総司はぎゅっと唇を噛みしめ、俯いた。長い睫毛を伏せ、桜色の唇を固く噛みしめている。
 その頑な様子さえ可愛いと思ってしまう反面、その気持ちは、どうすりゃいいんだよという困惑にもつながった。
「総司」
 土方は腕をくみ、ため息をついた。
「黙ってばかりじゃ、わからねぇよ。どうして、おまえがあの宿から先に帰ったのか、教えてくれねぇか」
 彼にしては、かなり下手に出ていた。近藤に知られれば、また呆れられることだろう。
 だが、それは総司にも伝わったらしく、表情が動いた。目をあげ、土方を見つめてくる。
 桜色の唇が僅かに震えた。それに、思わず身を乗り出す。
「何だ」
「……土方さんは」
 ようやく口をきいてくれた。そのことに安堵を覚えつつ、土方は答えた。
「あぁ。何だ」
「土方さんは……休息所をもった、のですか?」
「――」
 思いもかけない言葉に、唖然となった。
 まったく考えてもいない言葉だった。
 もっと他の何かを追及されると思っていたのだ。例えば、閨での強引さなど、云われると思っていたのに。
 まさか、ここで出てくると思っていなかった言葉に、さすがの土方も動揺してしまった。
「……」
 だが、その動揺を、総司はじっと見つめていた。心なしか目が据わっている。
 理由もなく、土方は喉が渇くのを覚えた。


 焦る必要など何処にもないのだ。
 それに、あの休息所を手に入れたのは、総司と恋仲になる前だった。最悪な関係だった頃だ。
 なのに、どうして、今、こんなにも後ろめたい気持ちになっているのか。


「それは……」
 どう答えようかと悩んでいると、総司がぎゅっと手を握りしめた。
「やっぱり、噂どおりなんですね」
「噂?」
「休息所をもったという噂です。そこに可愛いお妾さんを置いているって」
「え?」
 土方は慌てて言葉を紡いだ。
「おまえ、完全に誤解しているぞ」
「何が誤解です。実際、休息所を持っているのでしょう?」
「それはそうだが、しかし」
 云いかけ、言葉を途切れさせてしまった。
 総司がいきなり立ち上がったかと思うと、叫んだのだ。
「だいっ嫌い!」
「……」
「お妾さんを囲っていながら、私に手を出すなんて!」
 そう一気に叫ぶなり、部屋を横切った。障子を開いて外に出ると、閉めざま、こう云い放ってくる。
「土方さんなんて、だいっ嫌い!」
 ぴしゃりと障子が閉められた。もの凄い勢いで、足音が去ってゆく。
 それを、土方は呆然としながら聞いていた。


(何なんだ、いったい……)


 嵐が過ぎ去った後のような心地だった。
 というか、どうして、ここに休息所が出てきたのか。
 それが何の関係があるのか。
 いや、妾がいるという誤解さえ、解かせてもらえないこの状況は、いったい何なのか。


 いくら明敏な彼でも理解不可能な状況だ。くしゃりと片手で髪をかきあげる。
「どうなっているんだよ、いったい」
 総司が何故、突然、休息所のことなど云い出したのか、さっぱりわからないのだ。しかも、結局、今朝怒った原因もわからず仕舞いだ。
 頭を冷やして仲直りするどころか、尚更縺れてしまった気がする。
「……わからねぇよ、まったく」
 畳の上へごろりと仰向けになった土方は、大きくため息をついた。そこへ、障子が開かれた。
 視線をむければ、何故か、斉藤が顔を覗かせている。
「何だ、おまえか」
「斉藤ですよ。ちょっといいですか?」
「仕事のことか」
「さぁ、どうでしょう」
 飄々とした口調で答え、するりと部屋に入ってきた。
 土方は身を起こしながら、問いかけた。
「廊下に、誰かいなかったか」
「いましたよ。渋面の山崎が渡り廊下に。それと、総司が走りさっていきましたね」
「いや、総司はいいんだ。そうか……山崎、まだ待っているのか」
「当然でしょう。ま、こちらも早く話を済ませます」
 そう云った斉藤は姿勢をただし、土方を鳶色の瞳で見据えた。
「単刀直入に聞きますが、あの後いったい何が」
「総司と恋仲になった」
 あっさり答えた土方に、斉藤はぽかんと口を開いた。
 あまりにも意外な言葉だったのだろう。
 呆然と、目の前で胡坐をかいた膝に片肘をつく男を眺めている。長い沈黙の後、ようやく衝撃から立ち直った。
「恋仲って……つまり、念兄弟になったという事ですか」
「あぁ、契りも結んだ。川止めになってな、宿で二泊したんだ。その間に想いを打ち明けあい、恋仲になった。だが、今、大げんかの真っ最中だ」
「……忙しい人たちですねぇ」
「何とでも云えよ」
 不機嫌そうな表情で答えた。そんな男の様子をまじまじと眺めてから、斉藤は訊ねた。
「で、喧嘩の原因は何なのです」
「不明だ」
「は?」
「だから、わからねぇんだよ。さっきも休息所のことを聞いてきたが、とにかく、あいつは何でか怒っている」
「怒っているって……理由があるからでしょう。いや、休息所のことはオレも聞いていますよ。土方さん、本当に持っているのですか」
「あぁ、持っている」
「そりゃ、怒るでしょう!」
「何で」
 不思議そうに小首をかしげる土方に、心底呆れかえった。


 どこの世界に、妾を囲っていながら恋人になろうと云われて、怒らない人間がいるのか。
 だいたい、総司は勝気で矜持も高いのだ。
 そんなこと許せるはずがないと、土方もわかっているだろうに。


「土方さん」
 はぁっとため息をつき、斉藤は云った。
「総司を本気で欲しいなら、さっさと休息所引き払った方がいいです。でないと、総司の怒り、おさまるはずないですよ」
「それは断る」
 きっぱりと断言した。
「かなり探したし、俺も気にいっているんだ。手放す気はねぇよ」
「なら、総司を諦めるんですね。オレがもれなく頂きますから」
「おまえなんざに渡すかよ」
 切れの長い目が剣呑な色を帯びた。声音も凄みがます。
 どこまで独占欲が強くて身勝手なんだと思いつつ、斉藤は肩をすくめた。
「両手に花って、贅沢すぎるでしょう。そりゃ、土方さんはずっとそうだったに違いありませんが、総司相手じゃ通用しませんよ」
「そんな事、する気はねぇよ。俺は総司だけを大事にしているつもりだ」
「はぁ? 何を云っているんですか。土方さん、あなたは休息所に……」
 追及しかけた時だった。
 障子越しに、「……副長」という声がかけられる。山崎がとうとう痺れを切らしたようだった。時間切れだ。
 土方は苦笑し、文机へと向き直った。障子が開き、書類を手にした山崎が入ってくる。
 仕方なく、斉藤は退散することにした。
 話はまだ途中だったが、それでも、二人の状況がわかっただけでも収穫だ。


(さて、どうしたものかな)


 副長室を出た斉藤は、総司の部屋の方を見やり、考え込んだのだった。












 数日が過ぎた。
 だが、事態は全く変わっていない。
 土方の総司に対する態度は、当然、以前より軟化していたが、隊士たちはその理由を知るはずもなかった。知っているのは、近藤と斉藤、そして、総司自身だけだ。


(私って、本当に子どもだ……)


 きゅっと唇を噛みしめた。
 打ち合わせが終わった処だった。公の場での土方の態度は、一見すれば何も変わることはない。
 だが、総司に対する口調が、刺すようなものでなくなった事は確かだった。
 他の幹部に対するのと変わらぬ口調で、話しかけてくる。それに、総司は俯くばかりだった。
 時折、土方の黒い瞳が、こちらを見つめている事もわかっていた。
 だが、それを見返したことはない。いつも彼の視線をさけ、話しかけられても極力言葉少なに逃げていた。
 そんな総司の態度に、土方が次第に苛立ってきているのも感じている。
 このままではいけない事も。


 この間の事もそうだった。
 朝、拗ねてしまったことを反省したはずなのに、またやってしまったのだ。
 土方が休息所のことを肯定したとたん、頭の中が真っ白になり、気が付けば「だいっ嫌い!」と叫んでいた。
 あの時の彼の傷ついた表情が、今も忘れられない。
 思いだすたび、胸の奥がきゅうっと痛くなり、泣きたくなった。


 どうして、こうなってしまうのか。
 本当は仲直りしたいのに。
 休息所なんて引き払って、うめという娘とも別れて、自分だけを見つめて欲しいのに。


 これでは、どんどん土方の気持ちを離れさせるばかりだった。
 こんな拗ねてばかりいる自分など、誰が望むだろう。そのうち、愛想をつかされてしまうに違いない。
 だからこそ、まだ土方が優しく話しかけてくれるうちに、心を開かなければと思うのに、どうしてもその一歩が踏み出せないのだ。
 だいたい、今更、何を云えばいいのか。
「どうすればいいの……」
 はぁっとため息をついた総司は、隣の席を見やった。
 土方の姿は既にない。黒谷へ行かなければならぬからと、早目に席をたっていったのだ。
 そのすぐ傍で、監察の山崎と吉村が小声で何か話していた。それをぼんやり見やる。
 とたん、ふと思いついた。反射的に声をかけてしまう。
「あの……っ」
「?」
 訝しげに、山崎が振り返った。実直で真面目な男だ。
 彼なら嘘をつくことはないだろうと思われた。それに、最近、誰よりも土方の傍近くにいる男だ。
「山崎さんに、聞きたいことが……あるんですけど」
「何でしょう」
 隊の事だと思ったのか、吉村が一礼して去って行った。それを見送りつつ、総司は両手を握りしめた。
「ごめんなさい。隊の事じゃないのです、その、土方さ……副長のこと、なのです」
「副長の?」
 不思議そうな顔になった。
 当然だろう、土方と総司は犬猿の仲なのだ。
 それが何をいったい聞きたいというのか、訝しく思って当然だった。
 だが、そこはさすが監察として、あちこち潜入してきただけに物慣れた山崎、穏やかな笑顔で促した。
「沖田先生は、副長の何をお知りになりたいのですか?」
「たいした事ではないのです。あの、えっと……その、き、休息所のことなんですけど」
「はい」
 あっさり頷いた山崎に、総司は声を詰まらせた。今更だが、休息所の存在を思い知らされた気がする。
「副長、休息所を……もっていますよね」
「そうですね、一度お邪魔したことがあります」
 隠すような事ではないと思ったのか、淡々と山崎は答えた。
「そこに、あのお妾さんがいると思うんですけど……その人の名前、うめという方ですか?」
 総司の問いかけに、山崎は小首をかしげた。
「さぁ、うめという名前かどうか……そこまではちょっと」
「お妾さんと逢われたのですか? どんな人でした?」
「あの方がお妾さんかどうかは存じませんが、可愛らしい方でしたよ。小柄で明るくて……町方の娘さんだと思いましたが」
「……」
 さぁっと血の気がひいた気がした。
 可愛らしくて明るい、小柄な娘。
 その娘が、土方の本当に愛する人なのだ。心から慈しみ、愛している「うめ」という娘。
「……っ」
 総司は、逃れようのない事実を突き付けられ、目眩さえ覚えた。
 今にも、わっと泣き出してしまいそうだ。
 だが、こんな処でそんな醜態をさらせるはずもなくて、必死に自分を堪えた。山崎に礼を云って立ち上がりかけ、はっと思いだした。
 慌てて坐りなおすと、身を乗り出した。
「あの、この事、土方さんには内緒にしておいて下さいね」
「……え、えぇ。わかりました」
 怪訝そうにしながらも、山崎は頷いてくれた。それに安堵しつつ、総司は問いかける。
「それから、もう一つだけ、教えてくれませんか」
「はい」
「その休息所の場所です。どこにあるか、教えて欲しいのです」
「……」
 一瞬、山崎は困ったような表情になった。教えていいのか、迷ったのだろう。
 だが、そこに、横合いから声がかかった。
「教えてやってくれよ、山崎」
 見上げると、斉藤が立っていた。
「とんだ修羅場になるかもしれないけど、それはそれ、土方さんが蒔いた種だしさ」
「修羅場……?」
「この総司は、土方さんの念弟なんだよ」
「さ、斉藤さんっ!」
 総司は顔を真っ赤にした。慌てて誤魔化そうとするが、もはや遅い。
 だが、驚くことに、山崎は成程と納得したような表情になり、にこやかに云った。
「そういう事でしたら、お教えします。副長にも、ようやく春がきたという訳ですか」
「春……?」
「副長にご命令で、沖田先生の身の周りに気配りしておりましたので、副長のお気持ちは存じています」
「え……」
 総司は驚き、目を見開いてしまった。
 何それ、である。
「つまり、土方さん、山崎を使って総司のことを守っていたって訳?」
「と申しますか……沖田先生に云い寄りそうな男を、排除していました」
「うーん、それって、オレも対象?」
「まぁ、そうです」
「何か複雑……」
 ぶつぶつ呟く斉藤をよそに、総司はだんだん頬が熱くなっていくのを感じていた。


 昔から好きだったというのは、あれは嘘ではなかったのだ。
 たとえ、あちこち浮気していようが、妾をもっていようが、それでも、総司を好いてくれていた事だけは真実だった。
 それが、今の総司にはたまらなく嬉しかった。
 だが、ならば、尚のこと、土方をそのうめという妾から奪い返したい。
 自分だけしか見ないように、してしまいたいのだ。
 欲しいのは彼だけなのだから。


 総司は気持ちもあらたに、山崎が書いてくれる地図をじっと見据えたのだった。













 翌日の夕暮れだった。
 総司は、一軒の家の前に佇んでいた。
 山崎に教えてもらった休息所だ。決して豪華ではないが、手入れされた庭や小奇麗な家が心地よさそうだった。江戸のような佇まいで懐かしい気さえする。
 だが、ここで土方がうめという娘と睦みあっているのだと思ったとたん、胸奥が痛くなった。
「……御免下さい」
 何度か、声をかけてみる。だが、応えはなかった。
 かなり迷ったが、総司は戸を開いてみた。二間に土間があるだけの小さな造りの家だ。そこに人影はなかった。
 総司は中で待たせてもらおうと思い、框に腰をおろした。


 うめという娘に逢って、どうするつもりか、どう話をするつもりか、まだ決めてはいない。
 恋愛経験が乏しい総司なのだ。何をどう云えばいいのか、わかるはずもない。
 それでも来てしまったのは、実際に、そのうめという娘に会いたかったからに他ならなかった。


「逢ってどうするかなんて、わからないけど……」
 声を荒げるような事だけはしないでおこうと思った。自分は武士であり、相手は女性なのだ。
 そんな事を考えていた総司は、はっとして顔をあげた。
 外で男女の笑い声がひびき、近づいてくるのを感じたのだ。男の声は明らかに土方のものだった。
「……っ」
 明るく楽しそうに笑っている男女の様子に、総司は、指さきがすうっと冷たくなるのを感じた。
 嫉妬というものが、こんなにも重く苦しいものであることを知り、泣きたくなる。
 呆然と坐りこんでいると、二人の声はどんどん近づいてきた。やがて、戸が開かれる。
「!」
 一瞬、土方は身構えたようだった。刺客だと思ったのか、その手が素早く刀の柄にかかる。
 だが、そこにいるのが誰なのか気づいたとたん、目を見開いた。
「……総司?」
「――」
 唖然としている男を、総司は澄んだ瞳でまっすぐ見つめた。