「俺は……おまえが好きだ」
その細い躰を抱きこむようにしながら、土方は耳もとで囁いた。
男の腕の中で、総司の躰がびくりと震える。
それを感じながら、言葉をつづけた。
「初めて逢った時から、おまえだけを愛してきたんだ。可愛くて可愛くてたまらなかった。おまえの全部が欲しい、いつかすべてを手にいれたいと願っていた」
「……」
総司が顔をあげた。潤んだ瞳で、じっと彼だけを見つめてくる。
それに優しく微笑みかけると、なめらかな頬がぽっと火照った。恥ずかしそうに睫毛を瞬き、また俯いてしまう。
「総司……」
その可愛い顔が見たくて、頬を撫でると、総司が小さな声で訊ねた。
「じゃあ……どうして冷たかったの?」
「え?」
「昔から、土方さんは私に冷たかったでしょう? 好きだというなら、どうして?」
「おまえこそ、俺に冷たかっただろうが」
土方は苦笑した。
「猫みたいに気まぐれで、さんざん爪をたてられた覚えがあるぞ。優しくしてやりたいと思っても、おまえはそれを拒絶していた。俺から逃げ回り、逢えば、生意気な口をきくばかりで、俺も……まぁ大人げなかったと思うが、口喧嘩していた方がまだ他の連中よりは近い気がしていたしな」
「なんか、そんなの……」
「歪んでいるだろ? おかしいだろ?」
くっくっと喉奥で笑った。
「俺は、おまえの事になると、気がおかしくなっちまうのさ。恋に狂ってしまう訳だ。おまえ恋しさのあまり、おまえにふれる男どもを殺してやりたいと思ったことも、二度や三度じゃねぇ。京にのぼってからも、嫉妬で狂いそうになりながら、他の男とじゃれあうおまえを遠く眺めていたのさ」
「え、あれって、そうだったのですか?」
総司はびっくりして目を見開いた。
「私、ふざけているから、怒られているんだと思っていました。土方さん、怖い顔していたし」
「そりゃ、怖い顔にもなるだろうよ。ずっと片思いしてきた相手が、他の男に肩を抱かれたりしているんだ。たたっ斬ってやろうかと思ったぜ」
「あの、そんな事で副長が刀を抜いていたら、問題になります」
「そう思うなら、今後、他の男とじゃれあうな」
どこまでも俺様な態度で命じる土方を、総司は呆れたように見上げた。
だが、すぐに、「はい」と素直に頷くと、男の胸もとに凭れかかった。
そのぬくもりを感じながら、小さな声で云う。
「でも、土方さんも……同じですよ」
「同じ?」
「うん。私がいるのに、島原や祇園で女の人を抱いたら許しません。斬っちゃうかも」
「怖ぇな」
くすっと笑った。見上げると、土方は面白そうに笑っている。
それに、総司は唇を尖らせた。
「冗談じゃないんですよ。本気なんですから」
「そうか」
「もう! 全然本気にしてないの」
「本気にしているさ。可愛いおまえに悋気やかれたら、堪らねぇからな」
「り、悋気なんて……」
やかないという言葉は、男の唇に塞がれた。甘い口づけをあたえられ、総司はうっとりと目を閉じる。
横抱きにされ、首筋や耳もとにも口づけられた。男の大きな手のひらが躰を撫でまわすのに、ため息をもらす。
だが、その手が帯をほどこうとした処で、はっと我に返った。慌てて男の肩に手を突っぱね、叫ぶ。
「お風呂っ!」
「……は?」
「だから、お風呂です。入らなくちゃ」
「そんなもの後でいいだろ」
「だって」
総司は男の腕の中でばたばた暴れながら、必死に云いつのった。
「初めてだもの。ちゃんとお風呂に入っておきたいの」
「なら、一緒に入るか」
「それは……」
昨夜と同じ誘いに、言葉をつまらせた。
いきなり、そこまで飛ぶには、まだまだ勇気がいるのだろう。
黙り込んでしまった総司に、土方は苦笑した。なめらかな頬に、ちゅっと音をたてて口づける。
「冗談だよ。おまえ、先に入ってこい」
「え、でも」
「俺は気が変わったりしねぇよ。絶対にだ」
そう云ってから、悪戯っぽい表情で総司の顔を覗き込んだ。
「おまえこそ、逃げたりするなよ」
「そんな事しません」
思わず云ってから、総司はちょっと長い睫毛を伏せた。
「そりゃ……怖いことは怖いけど」
「……優しくするよ」
土方はその細い躰を柔らかく抱きすくめ、囁いた。
「決して乱暴なことはしないと、約束する」
「本当?」
総司は不安げな表情で、土方を見上げた。
「なんか、土方さんって閨の中でも冷たくて容赦ない感じがするんだけど」
「おまえ、本当に俺が好きなのか」
「はい」
こっくりと頷き、総司は微笑んだ。
「だって、そういう冷たい処も皆、好きなんだもの。冷たくて怖くて、優しくて甘くて、いっぱいわからない処だらけの土方さんがだい好き」
「……」
総司の言葉に、土方は苦笑した。
良くも悪くも云われているのだろうが、それでも、だい好きという言葉は甘く響き、彼の心をとろかしてしまう。
長年、好いてきた相手からだからこそ、尚更のことだった。
「ほら、早く風呂に入ってこい」
子ども相手のように、ぽんっと背を押してやると、総司は桜色の唇を尖らせた。それでも、素直に頷き、部屋を出ていく。
それを見送り、土方は昨夜のように窓際へ歩み寄った。腰をおろし、窓枠に寄りかかる。
外はまだ雨が降っているようだった。川止めもいつまで続くのか、わからない。
だが、この川止めのおかげで、総司と想いが通じたのだ。感謝しなければならなかった。
(むろん、わかっているが……)
土方は目を伏せた。
よくわかっているのだ。
隊へ戻っても、この関係を続けられるとは限らない。
何しろ、副長と一番隊組長という関係であり、また今まで犬猿の仲だったのだ。それがいきなり親密になれば、人の噂を呼ぶだろう。
あれ程、愛らしい容姿をもった総司のことだ、すぐさま土方の念弟だと囁かれるに違いなかった。
そうなった時、傷つくのは受け身の方なのだ。
むろん、土方は彼のすべてで守るつもりだった。
だが、それでも、彼の知らぬ処で、傷つく事もあるだろう。
総司は堪えられるだろうか。
そんな背徳の恋よりも、ふつうの恋がいいと、いつか彼から離れていくのではないだろうか。
……それが怖かった。
何も知らぬ時ならいい。
だが、一度味わってしまった幸福を、失うほど恐ろしいことはなかった。
愛しているのだ。
総司を失えば、気が狂いそうなほど……
土方は思わず片手で顔をおおい、きつく唇を噛みしめた。
その時だった。
「……土方、さん?」
細い指さきが、肩にふれた。
それに、はっとして顔をあげれば、総司が不安そうな瞳で覗き込んでいる。
いつのまに戻ってきていたのか。
新しい浴衣をまとい、湯の香りを纏いつかせた総司は初々しく愛らしかった。
大きな瞳が不安げに揺れているさまが、いとけない。
「総司……」
思わずその細い躰を抱きよせた土方に、総司はおとなしく従った。そればかりか、彼の広い背に手をまわし、縋りついてくる。
小さな声が問いかけた。
「やっぱり……気がかわっちゃった?」
「え?」
「私なんて、抱くの…嫌だと……」
「そんな事あるはずねぇだろう!」
思わず声を荒げてしまった。
土方は身をおこすと、総司の細い肩を掴み、その顔を覗き込んだ。
「俺がおまえを抱くの、嫌になるなんてこと、天地がひっくり返ってもねぇよ。ずっと欲しかったんだ。欲しくて欲しくてたまらなかった、その俺の苦しみも何も知らないで……」
「なら、どうして悩んでいたの!」
男の言葉を遮り、総司が叫んだ。
「土方さん、悩んでいたじゃない。私が戻ってきた事にも気づかないで……っ」
一瞬、唇を噛んだ。それから、土方の胸に縋りつくと、総司は涙まじりの声で云った。
「お願いだから、本当のことを話して。あなたの気持ちを知りたいの……同情や憐れみで抱かれるなんて、惨めすぎる」
「総司……」
「子供の頃から、土方さん、あなただけを見つめてきました。愛してきたの。でも、ずっと叶わない恋だと思っていた。それが……受け入れてくれて、あなたも私を好きだと云ってくれて、とても幸せだけど……でも」
総司は目を伏せた。
「でも、あなたに無理強いしているなら、私への憐れみゆえなら、そんなの……全然嬉しくないから。少しは好いてくれていても、それが契りを結ぶほどじゃないなら、はっきり云ってくれた方が……」
「俺はおまえが好きだ」
きっぱりと、土方が云いきった。それに、総司の肩がびくりと震える。
だが、俯いたままの総司を見下ろし、土方は静かに続けた。
「おまえを誰よりも愛しているし、欲しいと思っている。おまえのすべてを俺のものにしたい、当然、契りも結びたい。だが、おまえは……俺の念弟になることに、堪えられるのか」
「え……?」
驚いたように、総司が顔をあげた。意味がわからないという表情だ。
それを見つめながら、土方は躊躇った。
だが、ここで確かめた方がいいと思った。その方が互いのためになるのだ。
「俺の念弟になれば、おまえは、隊の中で誹謗中傷されるだろう。こういった事は、受け身の方が傷つくことが多いものだ。それに……おまえは堪えられるのか」
「……」
「むろん、俺はおまえを守る。俺のすべてで守るつもりだ。だが、こんな九つもの年上の男に好き勝手される関係より、まっとうな恋の方がいいに決まっている。いつか、娘と所帯をもち幸せになりたいと、そう望む日が来るんじゃねぇのか」
土方は総司の瞳を覗き込み、低い声で云った。
「俺たちの恋は、許されぬものだ。それに、おまえは堪えられるか……?」
「……」
しばらくの間、総司は押し黙っていた。じっと土方を見上げたまま、黙りこんでいる。
言葉が過ぎたかと思った時だった。
総司がゆっくりとした口調で、云った。
「土方さんは……私を何だと思っているの?」
澄んだ瞳が、まっすぐ彼を見つめた。
「あなたにとって、私はその程度の存在なの? 弱くて、あなたに守ってもらわないと生きてゆけなくて、傷つくのが怖いから恋もしない、そんな弱い人間だと本気で思っているの」
一瞬黙ってから、総司はきっぱりと云いきった。
「莫迦にしないで……!」
「……」
土方の目が見開かれた。
「……総司……」
「私は、沖田総司です。新選組一番隊組長沖田総司です。あなたにふさわしくなりたい、あなたの傍に立っても誰ひとり指さす事ができない存在になりたいと望み、ずっと戦いつづけてきたのです。なのに、そのあなたが私を否定するの? 私が、傷つくことを恐れて、あなたとの恋から逃げ出すようなそんな……っ」
悔しさと怒りのためか、総司は唇を震わせた。涙が瞳にあふれ、ぽろぽろとこぼれ落ちてゆく。
「総司……すまない」
たまらず、その細い躰を抱きしめた。
「俺が間違っていた。おまえを子ども扱いしていたんだ……おまえは強いよ。俺なんかより、ずっと強い」
「土方…さん……」
「俺はもう迷わない。おまえを愛することに、二度と迷ったりしねぇよ」
「……」
総司は黙ったまま、土方の背に手をまわした。ぎゅっとしがみつく。
愛することに、二度と迷わない。
その言葉が何よりも嬉しかった。
むろん、生意気な事を云ったという自覚はある。
彼は優しいからこそ、総司を守ろうとしてくれていたのだ。傷つくのではないかと、気遣ってくれていたのだ。
なのに、生意気な事を云ってしまったことを、申し訳なく思っていた。
彼は九つも年上であり、しかも、新選組の副長なのだ。
こうした甘い関係になる前なら、侮蔑のまなざしを向けられ、冷笑された事だろう。
だが、一方で、後悔はしていなかった。
総司自身が傷つかないためには、この恋を諦める他ないのだ。
そんな事、絶対に嫌だった。泣き叫びたいぐらい、怖かった。
一縷の望みもないと、ずっと一人で泣いていた恋なのだ。それが、信じられないことに叶えられ、今でも夢ではないかと思ってしまう。
彼が自分を愛してくれていたなんて、本当だろうかと、先ほども風呂の中で何度もくり返していたのだ。
なのに、その恋を諦めるなんて出来るはずもない。
(私も……二度と迷わない)
総司はそう思いながら、目を閉じた。
彼の背に手をまわし、そのぬくもりを感じながら、心の奥底から祈るように思った。
もっと強くなりたい。
迷わぬ気持ちを、この恋を穢さぬためにも。
決して彼の重荷にはなりたくなかった。
彼の邪魔だけはしたくないのだ。
「……総司」
なめらかな低い声が耳もとで囁いた。それに顔をあげると、優しく口づけられる。
甘い接吻はやがて、深く濃厚なものとなり、総司は小さく震えた。それが男を刺激したのか、躰のあちこちを大きな手のひらが撫でまわし始める。
首筋に口づけられた。
「たまらねぇな……」
「何が?」
うっとりとした表情で訊ねた総司に、土方がくすっと笑った。
「湯あがりのおまえさ。すげぇ色っぽい」
「――」
その言葉に、総司は我に返った。慌ててばたばた暴れると、男の腕の中から逃れる。
土方がびっくりして目を見開いた。
「どうした」
「お、お風呂です!」
「あぁ、おまえ、もう入っただろ?」
「そうじゃなくて、土方さんも入ってきて。私、全部きちんとしたいから」
「??? 何をきちんとするって云うんだ」
土方が訝しげに眉を顰めた。
「風呂に入るのはいいが、おまえ、いったい何をするつもりなんだ」
「何をって……」
総司はもごもごと口ごもってしまった。以前、原田に見せられた春画本や、隊士たちのたまり場で聞いた話を、思いだす。
羞恥に、ぽっと頬が熱くなった。
それに、土方は不機嫌そうな表情になった。思わずその細い肩を掴み、覗き込む。
「おまえ……余計な事を知っているんじゃねぇだろうな」
「余計な事って?」
「色事だよ」
「……知っていたら、駄目なの?」
上目づかいに訊ねる総司に、土方はため息をついてしまった。
この様子では色々と知っていることは、確かだ。
恐らく、原田や永倉たちから仕入れた知識だろう。はたまた、斉藤か。
勝手な話だが、男としては、無垢でいて欲しかった。
さんざん自分は遊んでおきながら、何を勝手なと非難されるだろうが、そんなもの構やしない。
とにかく、あまりそういう知識はもっていて欲しくないのだ。
土方はあれこれ考えてから、しぶしぶ答えた。
「まぁ…な、あまり嬉しくねぇな」
「そうなんだ」
総司はちょっと桜色の唇を尖らせた。
「土方さんは、いっぱい遊んでいるし、いっぱい知っているのに?」
「知らねぇよ」
「嘘ばっかり。四十八手も全部やっちゃったんでしょ?」
「……総司」
凄みのある低い声で呼ばれ、総司はびくりと肩を震わせた。おずおずと見上げれば、土方は不機嫌そうに眉を顰めている。
それに、慌てて謝った。
何だかわからないが、とんでもなく彼が怒っている事だけはわかったのだ。
「ご、ごめんなさい」
「……」
「その……ちょっと知っている言葉、使いたくなったの。だから、あの」
「風呂に行ってくる」
そっけない程の口調で云うと、土方は立ち上がった。浴衣などを小脇にかかえ、さっさと部屋を出ていってしまう。
それを見送り、総司はきゅっと唇を噛みしめた。