きょとんとしている総司に、しまったと思ったが、もう言葉は戻せない。
土方は唇を引き結ぶと、黙ったまま視線を落とした。
我ながら拗ねたような態度で情けないと思うが、総司相手だと、自分でも信じられないぐらい不器用になってしまうのだ。
そんな土方を前に、しばらくの間、総司は男の言葉の意味を考えているようだった。
だが、どうしてもわからなかったのだろう。
やがて、おずおずと問いかけた。
「あの……一つ聞いていいですか」
「何だ」
「どうして、ここに突然、斉藤さんが出てくるのですか?」
「おまえが親しくしている、唯一心を許した男だろう」
「親しいことは親しいですが……でも、全部許している訳じゃありませんよ」
「あたり前だ」
吐き捨てるような口調だった。
切れの長い目をあげると、総司をまっすぐ見据えた。
「そんなもの、全部許していたら堪らねぇよ。今頃、斉藤をたたっ斬っている」
「ど、どうして」
「それは……っ」
云いかけ、はっと我に返った。
危うく口にしてしまう処だったのだ。
昨日からやはり気持ちが緩んでいるのか、ともすれば零れそうになる想いに、唇を噛みしめる。
土方は煩わしげに片手で髪をかきあげると、立ち上がった。着物の裾をひるがえし、部屋を出ていこうとする。
とたん、総司の声が飛んだ。
「行かないで……!」
「――」
土方は鋭く息を呑んだ。
信じられないことに、後ろから総司に抱きつかれていたのだ。ぬくもりと細い指さきを感じる。
総司は今、華奢な躰を押しつけるようにして、彼の背に抱きついていた。
哀しいぐらい可愛い声が懇願した。
「また出ていったりしないで……土方さんがいなくなるのは嫌なの」
「総司……」
「ごめんなさい……私が不快な事を云ったなら、謝るから。でも……お願い、出て行かないで」
切ない言葉に胸奥が熱くなった。何よりも背中に感じる総司のぬくもりが、たまらない。
「……」
ゆっくりとふり返った土方を、総司は潤んだ瞳で見上げた。桜色の唇がわななき、今にも泣きだしそうだ。
いとけない表情に、たまらなくなった。思わず、その細い躰を抱きしめてしまう。
背中がしなるほど抱きしめ、髪に、頬に、口づけをおとした。
「……あ」
それに、一瞬、総司は小さく声をあげたが、抗おうとはしなかった。それどころか、躰の力を抜くと、おずおずと男の背に手をまわしてくる。
彼に身を寄せてくれる仕草に、愛しさがこみあげた。
愛しくて愛しくて、たまらなくなる。
「……総司……総司……っ」
その名だけを呼びながら、土方はその髪に、なめらかな頬、耳もと、白い首筋に唇を押しあてた。口づけられるたび、総司は身を震わせたが、それでも抗い一つしなかった。
二人してくずれるように畳の上へ坐りこんだ。その頬を両手でつつみこみ、仰向かせる。
総司は潤んだ瞳で彼だけを見上げていた。その一途な表情に、胸が痛くなる。
(……愛してる……)
告げられぬ言葉を胸に、顔を近づけた。
今度こそ、そっと唇を重ねる。
「!」
一瞬、総司の目が見開かれた。だが、すぐに目を閉じると、男を迎えいれるように柔らかく唇を開いてくる。
土方はたまらず細い躰を横抱きにすると、深く唇を重ねた。舌で口内をさぐり、舐めあげる。
その度に、総司が感じているのか、躰を震わせた。ぎゅっとしがみついている細い指さきが、いとおしい。
角度をかえて、何度も唇を重ねた。
遊び慣れた男相手なのだ、初心な総司が太刀打ちできるはずもない。
激しく甘い口づけに、たちまち躰の芯が痺れてしまった。
「っ…ぁ、ん…ぅ……」
熱をもてあまし、どうしたらいいかわからず、男に縋りつく。
それに、土方は大きな手のひらで、背中や腰を撫でてくれた。甘い疼きに、喘ぐ。
「は…ぁ……っ」
吐息をもらした唇が、また塞がれた。唇が腫れぼったくなるまで吸われ、舐められる。
総司はくらくらするような口づけに、陶然となった。口づけが終わった後も、男の腕にぐったりと抱かれている。
それを土方も離そうとしなかった。膝上に抱きあげてやり、髪を撫でたり、頬に口づけたりしている。
外は雨だった。また、雨脚が強くなってきている。
その雨音を聞きながら、二人はいつまでも抱きあっていた。
長く引き離されていた恋人たちのように……。
告白も何もなかった。
想いを告げあった訳でもないのだ。
だが、先ほどまでとは違う何かが、二人の間に存在していた。
「土方さん」
部屋から出ていた総司が戻ってきて、問いかけた。
「夕餉とお風呂、どちらにしますか?」
まるで妻のような問いだったが、二人ともまるで気にしていなかった。
土方は僅かに小首をかしげた。
「そうだな、昨夜と同じにしよう。先に夕餉だ」
「わかりました」
こくりと頷いた総司は、そのことを仲居に告げたようだった。しばらくたつと、膳が運ばれてくる。
二人は昨夜と同じように向かい合い、食事をとった。
だが、その雰囲気はまるで違っていた。親しく話はしていたが、どこかぎこちなかった昨夜と違い、二人とも口数が少なかった。時折、視線をあわせ、笑みをかわす。
言葉ではなく、態度や視線だけで会話をしているようなものだった。甘い雰囲気が心地よい。
だが、一方で考えずにいられなかった。
(……総司はどう思っているのだろう)
嫌がられていない事は、確かだった。
勝気な総司のことだ、嫌がっていれば、あの場で平手打ちでもくらわされていた事だろう。だが、総司は抗い一つもせず、今も、笑顔をみせてくれる。
それは、受け入れられたと思ってよいのかと、男を悩ませる態度だった。
総司が彼の言動に対して、どう思っているのか、さっぱりわからないのだ。
まさか、口づけの意味を知らない訳もなかろうと眺めやるが、総司は愛らしく小首をかしげ、大きな瞳で見つめ返してくるばかりだ。その様を見るうち、土方は己が次第に苛立っていくのを感じた。
はぐらかされている気さえしたのだ。
口づけまでしたのに、知らぬ顔をしている総司が何を考えているのか、さっぱりわからなかった。
そのわからなさが、彼を苛立たせる。
総司が愛らしければ愛らしいほど、この美しくも可愛い生き物に翻弄されている己が、愚かそのものだと思った。
いや、恋に溺れた男は皆、愚かなのだ。
「……総司」
食事が終わった後、土方は呼びかけた。それに、総司が素直に「はい」と返事をし、傍に寄ってくる。
まるで幼妻のような従順さに、尚更、苛立ちを覚えた。
好きでもないのに、嫌っているはずなのに、どうしてそんな態度をとるのか。
この宿屋にいる間、仕方なく従っているだけなのか。
副長である彼に逆らえば、後が煩いからと己を抑えているのか。
思わず手をのばし、その細い手首を掴んだ。
ぐいっと乱暴に引き寄せれば、小柄な躰は簡単に男の腕の中へ倒れ込んでくる。
さすがに驚いたのか、総司が慌てて彼を見上げた。
「土方、さん?」
小さく不安げに問いかける総司を、土方はひどく残酷な思いで見下ろした。
ここを適当に切り抜ければいいと思っているのか。
あんな事を男にされて、屈辱を覚えぬはずがないのに。
だが、ならば、どこまで堪えられるか試してやろうじゃねぇか。
この躰を犯されても、それでも、おまえは微笑んでいられるのか……?
「おまえが欲しい」
耳もとに唇を寄せ、そう囁きかけた。
とたん、総司が目を見開いた。信じられぬことを聞いたという表情で、彼を見上げている。
その表情に奇妙な満足感を覚えつつ、土方は言葉をつづけた。
「おまえのすべてが欲しいんだ。今夜、抱いてしまいたい」
「……」
「受け入れるか? それとも拒むか?」
しばらくの間、総司は呆然としているようだった。
大きな瞳で彼だけをじっと見つめている。
だが、やがて、なめらかな頬が艶やかに上気した。長い睫毛を伏せると、細い指さきが男の着物をぎゅっと掴んだ。
それを冷ややかな気持ちで眺めていると、総司が小さな声で云った。
「……お風呂、入ってからでもいい?」
「え?」
「だから、お風呂。入ってからにしたいんですけど……いいでしょう?」
「……」
思ってもみない事を云われ、土方は総司を見下ろした。だが、恥じらうような表情に、言葉の意味が理解できる。
「あ、あぁ」
返事をした土方に、総司は恥ずかしそうに笑った。
「今夜も一人で入りますね。あの、先に……土方さんが入ってもらっていい? 私、待っているの怖いから」
「何で」
「だって、お風呂から出てきたら、土方さん……気が変わって、私なんか相手にしてくれる気なくなっちゃいそうで」
「……」
土方は黙り込んでしまった。
まさか、今更、総司を試すために訊ねたとは云えなくなってしまう。
もちろん、総司を抱きたいことは確かだったが、まさかこんな答えが返ってくるとは思ってもみなかったのだ。
激しく拒絶されるか、嫌悪の色を示されると思い込んでいた。
そうなれば、冗談だと笑い飛ばしてやるつもりだった。
なのに、総司は今、彼を受け入れようとしていた。
その恥らう様子からも、本気であることは確かなのだ。
思わず問いかけた。
「何で……俺を受け入れるんだ」
「え?」
不思議そうに、総司が彼を見上げた。
「どういう意味ですか?」
「だから、何で。おまえ、俺のこと嫌っていただろう。口もきかない間柄だったじゃねぇか」
「……」
「なのに、どうして、俺なんかと同衾しようとする。嫌いな男に抱かれても、構わねぇのか。おまえ、男に抱かれるって意味、本当にわかっているのか」
「それは……土方さんも同じことでしょう?」
黙って彼の言葉を聞いていた総司が、不意に切り返してきた。澄んだ瞳でまっすぐ土方を見つめる。
それに、たじろいだ。
「何が」
「だから、土方さんだって同じだと云ったのです。どうして、私を抱こうと思ったの? 私、同性ですよ、あなたがずっと嫌って、遠ざけていた邪魔な存在です。なのに、どうして抱こうとなんて思ったの」
「……」
「私だって、土方さんが何を考えているのか、わからない。何で、この宿に来てから優しくしてくれるのか、口づけたりしてくれるのか、そんなの……全然わからない」
そう云ってから、総司は顔をそむけた。きつく唇を噛みしめている。
じっと何かを考えこんでいるようだったが、やがて、掠れた声で云った。
「もしかして……憐れみなの? 同情ですか?」
「?」
突然、意味のわからぬ事を云われ、土方は眉を顰めた。
それに、総司が上擦った声で言葉をつづけた。
「私が土方さんを好きだってこと、本当は気づいていて、それで同情して、抱いてやろうと思ったの? 同性のくせにあなたに恋しているみじめな私に、憐れみをかけてやろうと思ったのですか? でも、そんなの……全然嬉しくない。私、惨めになるばかりだもの。そりゃ、この宿に来て優しくされて嬉しくなかったと云ったら、嘘になるけど、でも」
「……ちょっと待て」
立て板に水のごとくまくしたてる総司を、土方は遮った。
今、何か聞き捨てならない事を、耳にした気がしたのだ。
とんでもなく重要なことを、総司が云った気がした。
口をつぐんだ総司を見下ろしつつ、土方は片手でくしゃりと黒髪をかきあげた。そうしながら、問いかける。
「おまえ、今……何て云った?」
「え? この宿に来てから優しくされて……?」
「そうじゃない、その前だ」
「えっと、全然嬉しく……」
「もっと前だ。前の方」
「……何て云いましたっけ?」
きょとんとした表情で、総司は小首をかしげた。
それに、土方はゆっくりと幼子に云ってきかせるように、言葉を告げた。
「おまえは、確か……こう云ったんだ。俺が同情で抱くのかと。おまえが俺を好きだってこと、本当は気づいていたからだと」
「あ、そうです」
思いだしたのか、総司が大きく頷いた。
「私、そう云いました。私が土方さんを好きだってこと、本当は知っていて、それで……」
言葉が途切れた。
ようやく、自分が何を云ってしまったのか理解したらしく、呆然と目を見開いている。そして、次の瞬間、「いやあっ」と叫ぶと、顔を真っ赤にして隣室へ駆けこんでしまった。
襖がぴしゃりと乱暴に閉められ、部屋へ閉じこもってしまう。
それら一連の行動を土方は暫し呆然と眺めていたが、やがて、はっと我に返った。
(あの狼狽えよう……なら、本当なのか? 本当に、総司は俺のことを……?)
次の瞬間、狂おしいほどの歓喜がこみあげた。
まだ信じられない想いでいっぱいだが、それでも、総司の「好き」という言葉は今でも耳奥に残っている。
土方は慌てて後を追い、襖を押し開いた。
見れば、総司は部屋の片隅でうずくまっていた。後ろから見える耳は真っ赤だ。
「総司」
声をかけると、びくりと細い肩が震えた。だが、ふり返らない。
土方は総司を怖がらせないよう、ゆっくりと近づき、少し離れた処に腰を下ろした。何と云うべきか悩んだが、やがて、低い声で告げた。
「……好きだ」
「――」
「俺も、総司……おまえが好きだ」
「!」
とたん、勢いよく総司がふり返った。見れば、その大きな瞳は涙でいっぱいで、悔しそうに唇を噛みしめている。
何でここでそんな表情をされるかわからず、呆気にとられていると、総司が思い切り叫んだ。
「ひどい!」
「は?」
「同情も憐れみもいらないって云ったでしょう? そんなの全然嬉しくないって」
「……」
「なのに、どうしてそんな事を云うの! 今ここで、そんな嘘をつかれても、惨めなだけなのにっ」
「総司、おまえな……」
思わずため息をついてしまった。
長年、愛してきたのだ。それこそ、気が狂いそうなほど愛しくて愛しくてたまらなかった。
だが、告げることなど出来ないと、諦めた恋だった。
それが突然、総司の言葉で許されたのだ。叶ったのだ。
まだ、どこか信じられない心地なのは確かだが、それでも、想いをこめて告白した。
なのに、全く信じてもらえないなど、ひどいのはどっちだと云いたくなる。
「話を聞け」
土方は近寄ると、その細い手首を掴んだ。無理やりふり返らせ、瞳を覗き込む。
総司はいやいやと首をふった。口づけた時も抵抗しなかったのに、今は別人のように暴れ、抵抗してくる。
「……総司……!」
その愛しい小柄な躰を、土方は己の腕の中に無理やり閉じ込めた。