しばらく沈黙した後、土方は掠れた声で呟いた。
「……おまえ、何を云っているんだ」
「何って、一緒にお風呂に入りましょうと云っているのです。副長より先に私がお湯を頂くのもおかしいですし」
「俺が構わんと云っているだろう」
「でも」
 尚も云いつのろうとする総司に、土方は短く舌打ちした。不意に、苛立った表情になった男に、総司が目を見開く。
「土方さん……?」
「いい加減にしろよ」
 感情のない、押し殺された声音だった。
「男を弄ぶのも大概にしろ」
「も、弄ぶって……」
「今の言葉のどこが違うと云うんだ」
「云っている意味がわかりません」
 そう答えたとたん、土方が手をのばした。え? と思った瞬間には、ぐっと肩を掴まれ、乱暴に躰を壁に押しつけられている。
 驚いて見上げると、頭の両側に男の手がつかれる処だった。彼の腕の檻に閉じ込められたような格好になる。
「な…に……?」
 総司は怯えた表情で、愛しい男を見上げた。
 それに、土方はきつく眉根を寄せた。黒い瞳に苛立ちと焦燥の色がうかぶ。
「おまえ、本当に意味がわからねぇのか」
「わかりません」
 総司は大きく首をふった。
「どうして、急に土方さんが怒ったのか……そんなの……」
「あぁ、そうだな」
 土方が自嘲するような笑みをうかべた。
「おまえにわかるはずもねぇよな。おまえにとって、俺は男でもなんでもない。そんな対象として見てない以上、わかるはずがねぇか」
「え……?」
 総司は目を瞬いた。


 男でもなんでもない。
 そう云われた瞬間、いくら幼い総司でも意味が理解できたのだ。
 井戸端で躰を拭っている時など、お互い何度も逢ったことがあるし、江戸にいた頃は道場の皆で湯屋にも行ったことがある。
 そのため、意識せずつい云ってしまったが、この宿の浴室で二人きりで湯を使うということは、つまり、自分の裸身を彼に見せることになるのだ。
 そして、自分も彼の裸身を……


「!」
 とたん、かぁっと頬が熱くなるのを感じた。耳朶まで真っ赤になってしまい、総司は両手で顔をおおった。
 急に恥ずかしくてたまらなくなってしまったのだ。
 普通に考えれば、同性同士なのだ、恥ずかしがることもないだろう。
 だが、総司は彼に恋しているのだ。誰よりも愛しい男なのだ。
 その彼に、平気で裸身を見せようとしたこと自体、信じられない話だった。
 さっきの言葉全部取り消しです! と叫びたくなる。


(やだ、なんで私、わからなかったの? どうして……っ)


 ぎゅっと目をつむり、首をふった。
 だが、土方は、突然、耳朶まで真っ赤になった総司に、驚いたようだった。怒りもそがれ、呆気にとられた表情で、総司を見下ろしている。
 そんな彼の前で、総司はその場に坐りこんでしまった。それに、土方が慌てて跪く。
「どうした、気分でも悪くなったか」
「違うの……違います」
「なら……」
「……さっきの……」
 顔を両手でおおったまま、小さな声で云った。
「全部……忘れて下さい」
「は?」
「私が云ったこと……お願いだから、全部忘れて」
「……」
 土方の目が見開かれた。ようやく、総司の態度の意味が理解できたのだ。
 とたん、思わず笑ってしまった。可愛くて可愛くて、たまらなくなったのだ。
 だが、そんな土方に、今度は総司が怒ってしまったようだった。拗ねたような表情で見上げてくる。
「笑うなんて、ひどい……っ」
「すまん。けど……すげぇ可愛いな」
「――」
 男の口から出たとは思えぬ言葉に、総司は息をとめてしまった。


 可愛い?
 今、あなたは私を可愛いと云ったの?


 信じられぬ言葉にぼうっとなっていると、土方が総司の手を掴んだ。
 腰にも腕をまわし、軽く抱きおこしてくる。驚いて見上げる総司に、悪戯っぽく笑いかけた。
「せっかくの、おまえからの誘いだ」
「え……?」
「一緒に入ろうぜ」
「は? え、えぇっ?」
 先ほどまでその事で苛立っていた男とは思えぬ軽い口調で云ってのける土方に、総司は唖然となった。慌てて男の胸に手を突っぱねる。
「と、とんでもありません! 副長がお先にどうぞ!」
「その副長が一緒にと誘っているんだ。それに、もともとおまえが誘ったことだろう?」
「でも、それは意味がわかってなくて、あの……っ」
「ふうん、今はわかっている訳だ。なら、云ってみろよ」
「え?」
「ほら、俺と一緒に風呂に入る意味、云ってみろって」
 意地悪く訊ねてくる土方に、総司は唇を震わせた。
 そんなこと、云えるはずがないのだ。ずっとずっと片思いしてきて、なのに、それを告げることができなかった男。
 女遊びをくり返し、子供の自分など相手にもしてくれなかった人。


 そんな彼に……云えるはずもないのだ。


 泣きそうな顔で俯いてしまった総司に、土方は我に返ったようだった。


 自分がやりすぎたことに気づいたのだ。
 総司が相手だと、どうしても加減を忘れてしまう。つい云いすぎたり、構いすぎたりしてしまうのだ。
 それもこれも、溺愛しているからこそだった。
 何もかも全部、食べてしまいたいほど可愛くてたまらないのだ。


 しばらく黙ってから、ぽんっと優しく頭を叩いてやった。それに、はっとして見上げる総司の表情があどけなく可愛い。
 土方は柔らかく微笑みかけた。
「すまん、からかいすぎたな」
「土方さん……」
「ほら、先に入ってこい。俺は後でいいから」
 着替えを胸に押しつけられ、総司はちょっと躊躇ってから、こくりと頷いた。素直に部屋を出ていく。
 それを見送り、土方は深くため息をついた。煩わしげに黒髪を片手でかきあげ、目を細める。
「……何をやっているんだ」


 九つも年下の総司を相手に、苛立ったり舞い上がったり、ふり回されっぱなしだった。
 総司はまだまだ子供なのだ。ことに恋愛ごとに関しては、本当に初心だった。そんな総司の無邪気な言動にいちいち苛立っても仕方がないとわかっているはずなのに、どうしてもふり回されてしまう。
 色恋沙汰には慣れきっているはずだった。
 だが、駄目なのだ。総司相手になると、今までの経験など何処かへ吹っ飛んでしまい、不器用そのものになってしまう。
 だいたい、いつも通り手馴れた段階を踏むことが出来ていれば、とうの昔に、総司を手に入れることはともかく、少しは好意をもたせるよう仕向けられていただろう。今ほど嫌われていなかったはずだ。
 なのに、どうだ。
 己の不器用さのために、総司に嫌われ、今では隊内でも有名な犬猿の仲だった。恋仲になどなれるはずもない。
 だが、だからこそ、つい舞い上がってしまうのかもしれなかった。僥倖のように与えられたこの一時に。
 この宿に来てから、総司は驚くほど素直だった。助けだした彼へ礼を云い、その言葉にも素直に従い、時折、笑顔まで見せてくれたのだ。


「信じられねぇ話だよな」
 土方は呟きながら、窓際に歩みよった。そっと障子を開いてみれば、雨が降り出している。
 ここへたどり着いたのが、雨が降る前でよかったと心底思った。病身の総司を冬の雨にさらすなど、とんでもないことだ。
 土方は障子を閉めると、火鉢の火をより強くおこした。浴場から戻ってくる総司を、あたたかい部屋で迎えてやりたかったのだ。
 しばらくたつと、総司は部屋に戻ってきた。彼が先ほど渡した浴衣を身につけている。なめらかな頬が上気したさまが、息を呑むほど艶めかしかった。
「……お先でした」
 小さな声で云って、ぺこりと頭を下げた総司に、土方は慌てて立ち上がった。なるべく見ないように気をつけつつ、足早に部屋を横切る。
「行ってくる」
「はい、いってらっしゃい」
 背で聞こえた甘い声に、どきりとなった。
 まるで幼妻にでも云われたような甘ずっぱい気持ちに、ふり返ることなど出来なくなる。間違ってふり返ってしまえば、そのまま細い躰を抱きしめてしまいそうだ。
 土方は足早に部屋を出ると、ため息をついた。こんな調子で今夜を乗り切れるか、不安になってしまったのだ。
 今更ながらだが、別々の部屋にしておけばよかったと後悔しつつ、浴室にむかった。














 一風呂あびて部屋に戻ると、総司は先ほどの土方のように窓際に坐っていた。
 細く障子を開き、外を眺めている。
「……冷えるぞ」
 そう声をかけると、慌ててふり返った。びっくりしたように目を見開いている顔も、可愛い。
「すみません」
 急いで閉めてから、総司は長い睫毛を伏せた。
「部屋を冷やしてしまって……」
「部屋のことじゃねぇよ。おまえの躰が冷えると云ったんだ」
 そう云ったとたん、総司が驚いた。何気なく云った言葉への反応に、眉を顰める。
「何だ」
「い、いえ……あの、土方さんが私の躰を気遣ってくれるなんて、思わなかったから」
「……おまえは俺を何だと思っているんだ」
 思わず低く呟いてしまった土方に、総司は慌てて声をあげた。
「ごめんなさい。そうじゃなくて、嬉しくて……」
「俺がおまえのことを気遣うと、嬉しいのか」
「はい」
 こくりと頷いた総司が可愛かった。不安気に、大きな瞳でこちらを見上げているさまがいじらしく、思わず抱きしめたくなる。
 だが、それを堪え、土方は視線を部屋の奥に移した。二間続きの襖が開かれ、奥の部屋に布団が敷かれてあるのが見えた。
 そちらへ視線をやった土方に気づき、総司が小さな声で云った。
「あの……さっき、仲居さんが敷いてくれました」
「そうか」
 出来るだけさり気なく答えたつもりだが、声が掠れたように感じた。
 総司も風呂へ入る前のひと騒動のせいか意識してしまい、今は耳朶まで赤くして俯いている。
 その様子は、まるで初夜を不安がり恥らう幼妻のようだった。初々しさの中に、甘い艶っぽさが匂いたつようで、男の情欲がひどく刺激される。


(……困ったな)


 土方はひそかに唇を噛んだ。
 狂おしいほど愛してきた存在なのだ。ふれたい、抱きたいと思ったことも、一度や二度ではない。
 まるで飢えた男のように渇望してきた総司を、目の前に晒され、自分がどうするかさえわからなかった。己の中にある情欲を抑えきれるか、正直な話、自信がない。
 いっそ布団を動かして襖を一枚隔てた状態で寝ようかと考えたが、そんな事をすれば、自分がいかに危険な男か総司に教えるようなものだ。
 狼と兎が一緒に休むようなものだった。その上、兎は可愛くて甘くて、最高にうまそうだ。
 だが、ここで食べてしまう訳にはいかなかった。
 いくら夢の中でさんざんした事とはいえ、手込めなどしたくない。


 土方はため息をつき、黙ったまま隣室に入った。それに、総司がおずおずとついてくる。
 二人並んで突っ立ったまま、一瞬、布団を見下ろした。綺麗に並べられ、その上、心なし近すぎるような気がする布団の敷き方だ。
 だが、それをどうこう云うのも問題すぎて、土方は仕方なく布団をめくった。何気ない様子で腰をおろし、総司を見る。
「休まねぇのか」
 あえて寝るとは口にしなかった。その事に気づいているのかいないのか、総司は慌てて「はい」と返事をすると、自分の布団の側にまわった。布団をめくり、坐る。
 だが、その動きに、土方は思わず舌打ちしたくなった。
 布団の上に二人して坐ったため、まるで向いあうような形になってしまったのだ。それこそ、初夜を迎える新婚夫婦のような、甘ずっぱい雰囲気が漂う。
 総司は一瞬だけ彼を見上げ、視線があったとたん、慌てて俯いた。白い項が桜色に染まり、ぞくぞくするほど色っぽい。
 それをしばらくの間、土方は見下ろしていたが、きつく唇を噛みしめた。視線をそらし、無言のまま布団の間に躰をすべりこませる。
 こちらに背をむけるようにして寝てしまった土方を、総司は切ない表情で見つめた。


(……土方さん……)


 怒っているのかと思った。
 先ほども、土方は眉を顰め、どこか怖い表情だったのだ。やはり、風呂に入る前のひと騒動がいけなかったのだろうか。
 せっかく優しくしてくれたのに。
 ここに来てから、信じられないぐらい優しい言葉を何度もかけてもらった。手をひいてくれたり、肩を抱いてくれたりした。それはもう、土方に恋している総司にとって、夢のような出来事だった。
 胸がどきどきして、頬が熱くなり、何をどう云っていいのか、緊張しっぱなしだったのだ。
 だから、ついおかしな事を云ってしまい、土方を怒らせてしまったりした。そんな不器用な自分が切なくなる。
 今も、もしかしたら、また彼に不快な思いをさせたのかもしれなかった。風呂から帰ってきて、すぐに自分を気遣ってくれたのに、あんな事を云ったせいか。
 信じられなかったのだ。馴れていないのだ。
 彼に優しくされることに。
 ずっとずっと、切ないぐらい望んできたことなのに。


 総司は目を伏せると、おずおずと布団にもぐりこんだ。
 明日、新選組へ戻る。
 そうなれば、この夢のような一時も終わってしまうのだ。
 今、こんな隊から離れた場所にいるからこそ、土方は優しくしてくれている。だが、隊に戻れば、再び、冷たく一瞥さえ向けられない間柄になるのは、目に見えていた。


(……でも……)


 今だけはこうしていられるのだ。
 一夜の夢であっても、愛しい男と床をならべて休むことが出来るなど、思ってもみなかった。
 総司は布団の中で躰を丸めた。少しずつ布団の中があたたかくなってくる。
 それを感じながら、目を閉じた。













「……総司」
 低い声に起こされた。
 はっとして目を開くと、土方が覗き込んでいる。
 それに、一瞬、訳がわからなくなった。どうして、土方がすぐ傍にいるのか、こうして見つめられているのか、状況が掴めなかったのだ。
 思わず周囲を見回し、ようやく思いだした。
 そうだ、昨夜、自分たちはこの宿屋に泊ったのだ。
「す、すみませんっ」
 寝過ごしたと思った総司は、慌てて飛び起きた。褥の上に正座し、襟元をかきあわせる。
 それに、土方は肩をすくめた。
「謝ることはねぇよ」
「でも、あの、私、寝過ごしたんじゃ……」
「寝過ごしたと云えば、そうだが、早く起きていてもどのみち同じことだ」
「え?」
 土方は外の方へ顎をしゃくってみせた。
「聞いてみろ」
「何を、ですか」
「雨の音だ。すげぇ降っているだろう」
「そうですね」
 素直に頷いた総司に、土方は云った。
「さっき知らせがあった。川止めになったそうだ」
「川止め……」
 総司の目が見開かれた。渡し舟がとめられ、ここから動けないということなのだ。
 土方は膝上に頬杖をつくと、くすっと笑った。切れの長い目が総司を見やる。
「つまり、ここでしばらく過ごさなきゃならねぇって事さ。俺と二人きりでな」
「土方…さん……」
「いやか?」
 低い声で訊ねられ、総司は息をつめた。