冬の空が広がっていた。
それを見上げ、総司は深々とため息をついた。
とたん、傍らから、斉藤が不思議そうにその顔を覗き込む。
「その菓子、うまくなかったのか?」
「違いますけど」
答え、総司は、団子を食べた。
西本願寺の屯所だった。広い屯所の一角で、総司は斉藤と一緒に菓子を食べていたのだ。
この西本願寺に移転してから、初めての冬が訪れてこようとしている。まだ雪は降っていないが、もうそろそろ初雪も近いという噂だった。
鈍色の空を見ると、確かにとも思う。
「雪、降りそうですね」
「あぁ。けど、そんなことでため息ついたのか?」
「それも違います。もっと……色々あるんですよ」
小さく笑った総司に、斉藤は眉を顰めた。ちょっと躊躇ったが、口にしてしまう。
「……副長のことか」
「……」
とたん、黙り込んでしまった総司に、斉藤はまずい事を云ったと舌打ちしたくなった。慌てて知らん顔で、あらぬ方向を見やる。
総司が悲しげな様子をしていれば、まだ慰めようもあるが、何しろ、完全に怒っているのだ。不機嫌そうに、桜んぼのような唇を尖らせている。
その様も可愛く可憐だったが、そんな事を云えば、ますます機嫌が急降下するだろう。
「どうして、あぁなんでしょう。あの人は」
「あの人って……」
「副長の事に決まっています。私のことなんか無視して、一番隊の事なのに、どんどん決めてしまうし」
「それは、おまえが何も云わないからだろう」
「副長も、意見求めた事なんて、ないじゃないですか」
「まぁ……な」
斉藤は、やれやれと首をすくめた。
新選組副長土方歳三と、一番隊組長沖田総司は、犬猿の仲だった。
というより、冷たい関係と云った方が正しいか。
何しろ、もう数年、口もきいていないのだ。私どころか公でも会話は皆無だった。それでよく隊務が成り立つと思うが、土方は一方的に命令を下し、総司はそれに返事もせず遂行する、その状態がずっと続いて来ているのだ。
江戸にいた頃から、あまり仲がよい方ではなかったが、それでも会話はあった。だが、この京に来てから隊のことで激論になって以来、どちらも互いを完全に無視するようになったのだ。
所謂、冷戦状態だった。
局長であり、土方の親友であり、総司の師匠である近藤は、何度も仲介しようとしたらしいが、全く無意味な行動に終わった。
それ以来、斉藤もこの話題はなるべく避けるようにしている。
(喧嘩するほど仲が良いって云うが、この二人の場合は喧嘩もないんだからなぁ)
そんな事を考えていると、総司が不意に「あ」と声をあげた。慌てて立ち上がる。
「どうした」
「ごめんなさい」
総司は、ぺこりと斉藤にむかって頭を下げた。
「私、近藤先生に呼ばれていたのです。すっかり忘れていました」
同じ年である斉藤に対しても丁寧な総司に、思わず微笑んだ。
「いいよ。オレもそろそろ稽古だし」
菓子を懐に仕舞い、立ち上がった。二人ならんで歩いてゆく。
それは、渡り廊下を歩いている時だった。にこにこ笑いながら話していた総司が、ぴたりと口をつぐんだ。
訝しく思いながら視線をやると、思ったとおりだった。
一人の男がこちらにむかって歩いてくる。
「……土方さん」
傍らで、総司が小さく呟いた。
土方は山崎と何か話しながら歩いていた。
人目を惹きつける男だ。すらりとした長身に端正な顔だちだが、それだけではない何かが彼にはあった。あえて云うなら、男の艶というものか。
結い上げられた黒髪に、切れの長い目。男にしては長い睫毛、黒曜石のような瞳。
冷たいまなざしが印象的だった。頬から顎にかけての鋭い線、しなやかな指さき一つまで、これほど端正という言葉が似合う男は珍しいだろう。
江戸でもそうだったが、京に来てからも花街で大層な人気らしい。すげなく冷たい処がまたいいのだと、噂を斉藤も聞いたことがあった。
「……」
土方も、総司の存在に気づいたようだった。
だが、声もかけない。冷ややかな一瞥だけで、すれ違っていった。
総司も知らん顔で、そっぽを向いている。なめらかな頬が紅潮し、僅かに桜色の唇が尖っている処をみると、まだ怒っているのだろう。
(いや、拗ねているって感じかな)
斉藤は心の中で苦笑した。
ずっと、総司に片恋してきたのだ。それこそ、逢った頃から惚れていた。
だからなのか、総司が心の中に誰を住まわせているのか、手にとるようにわかっていたのだ。そして、総司が笑いかけてくれるたび、自分の背に突き刺さる視線の持ち主も。
今も、そうだった。
総司の細い肩に手をまわし、話しかけたとたん、鋭い視線を感じた。殺意まで感じるような視線だ。
(結構わかりやすいんだよな)
そんな事を考えながら、斉藤は総司に冗談を云ってやった。それに、総司がほっとしたように、くすくす笑う。
まるで、鈴を転がすような可愛い笑い声だ。きっと、あの男の元にも届いているだろう。
「……」
恋敵へのちょっとした意趣返しに、斉藤は小さく笑った。
無意識のうちに、爪がくいこんでいたらしい。
副長室に戻った土方は、僅かにため息をもらした。開いてみた手のひらには、爪の痕が残っている。
先ほど、斉藤に肩を抱かれる総司に、苛立った証だった。
自分にはあんな笑顔など、見せたこともない。それどころか、怒った顔や拗ねた顔ばかりだった。時には、憎んでいるような表情で、冷たく視線を返された事さえある。そのたびに、胸奥を貫く痛みは、もはや日常茶飯事になってしまった。むろん、馴れたからと云って、痛みが消える訳ではないが。
土方にとって、総司は、油断すればすぐさま鋭い爪をたててくる猫だった。
一見すれば、可愛らしく可憐なくせに、その爪は鋭く容赦ない。
昔から、何度引っ掻かれたか、わからないほどだった。
土方も手をさしのべようとした事があったのだ。優しくしたいという欲望に負け、手をさしのべた。だが、その都度、鋭い爪で引っ掻かれ、傷をつくったのだ。
あまり気が長い男ではないし、何度も拒絶されれば、やはり彼も傷つく。そこまで嫌われているのかと落ち込みもしたが、次第に諦めに似た境地に達した。
どんなに可愛いと思っても、愛していても、この恋が報われることなどないのだと諦め、遠くから見守るだけにしたのだ。
初めて逢った時から、惚れていた。
可愛くて可愛くて、たまらなかったのだ。可憐な容姿もだが、その素直で気が強くて、明るい性格に何よりも惹かれた。やんちゃな猫のような気まぐれぶりも、魅力だった。
だが、何故か、当時宗次郎と呼ばれていた少年は、彼にまったく懐いてくれなかった。そもそも、初めて逢った時、口喧嘩になってしまったのが悪かったのか。
京にのぼり、お互い、新選組副長、一番隊組長という地位についてからは、口をきくことさえなかった。京に来てすぐ、激論になってしまったのだ。
総司は土方を無視するようになった。そして、土方も矜持の高い男だ。己を無視する若者に頭を下げるような真似をするはずがなかった。
二人の関係は完全に冷え切り、今に至っている。
ただ、それに従い、土方の情愛が冷えた訳では決してなかった。むしろ、表に出せぬからこそ、言葉さえかわせぬからこそ、その情愛は深く激しくなった。
好きなのだ。可愛いのだ。
どんな美しい女にしなだれかかられても、眉一つ動かさぬ男が、この愛らしい若者には夢中だった。
「……叶わぬ恋、か」
爪がくいこんだ痕が残る手のひらを眺め、己の独占欲と執着の強さに、苦笑した。
先ほどは本当に、斉藤を殺してやりたいとさえ思った。
否、いっそ、総司が笑顔をむける男はすべて排除してやりたいぐらいだった。それぐらい愛しているのだ。欲しくて欲しくて、たまらないのだ。
飢えた獣のように、総司だけを欲している……。
「ざまあねぇよな」
苦々しく呟くと、土方は瞼を閉ざした。
「……総司」
「え」
近藤の呼びかけに、総司は我に返った。
慌てて見れば、近藤は苦笑しながら、こちらを見ている。
局長室だった。仕事の話の後、よもやま話になっていたのだが、しばらくの間、総司はぼうっと考え事をしてしまったのだ。ここに来る途中、彼とすれ違ったせいかもしれなかった。
二重の意味で頬が赤らんだ。
「す、すみません……考え事をしていて」
「いや、構わん」
近藤は可笑しそうに答えた。
「おまえは本当に、考えていることが皆、顔に出る。見ていて飽きんな」
「え、そうですか?」
たちまち不安になり、総司は己の頬を手でおさえた。
自分では、これでも気持ちを押し隠せているつもりなのだ。
あの人とすれ違っても、道端の石ころのように無視されても、何一つ堪えていないのだというふりをするために。
自分自身の矜持のためにも、決して暴かれてはいけない想いだった。
もしも、この想いが、あの人に知られるぐらいなら、いっそ死んだ方がましだ。
「そんなに顔に出ますか?」
小首をかしげる総司に、近藤は目を細めた。
「まぁ、最近はおれも接待に馴れてきたからな。人の顔を読むのが昔よりも上手くなってきている。安心しなさい、他にはわからんよ」
「近藤先生……」
総司にとって、近藤は兄のような父のような存在だった。
何でも相談相手になってくれる、尊敬すべき師だ。
だが、それでも、たった一つのことだけは相談できない。
何しろ、近藤はあの彼の親友なのだから。
総司は愛らしく玲瓏とした容姿から、恋に手馴れていると誤解されがちがだが、実はとても初心だった。恋のことになると、とても幼く一途なのだ。
もう十年前から、一人の男だけを恋慕しつづけている。
それを総司はひた隠しに隠していた。相手が全く衆道になど興味がない以上、そうする他なかったのだ。
その上、彼とは犬猿の仲だ。
江戸の頃から、顔をあわせば口喧嘩ばかりだった。否、喧嘩も出来た頃ならいい。
京にのぼってから、隊務のことで激論になった事もあり、以来、ほとんど口さえきかぬ日々が続いていた。
(もう……何年、話していないのだろう)
局長室を辞し、自分の部屋に戻りがてら、総司は思った。
話すことはもちろん、今までも、優しくしてもらった事など一度もない。
こちらを見向きもしないのだ。そんな冷たい男を、どうして愛してしまうのか。今も、好きで好きでたまらないのは、何でなのか、自分でもわからなかった。
だが、恋とは、そういうものなのだろう。
土方が他の誰かに笑いかけているのを見ると、激しく嫉妬してしまう。
彼の瞳に映るすべてを壊してしまいたくなる。
その激しい執着と感情が、総司は怖いほどだった。何か魔にでも憑かれているのかと、身震いしたこともある。
だが、今ではわかっているのだ。
これは恋の焔だ。
自分は、恋の焔の虜とされているのだ。
「……っ」
総司はきゅっと唇を噛みしめ、足をとめた。
見上げてみれば、鈍い色合いの空が広がっている。冬独特の冷たく澄んだ空だった。やはり、雪が降るのかもしれない。
だが、そんな空が彼自身のようで、好きだと思った。何でも彼に結びつけてしまう自分に、笑いがこぼれる。
総司は目を伏せると、踵を返した。外に出て、散策しようと思ったのだ。
誰も誘いたくはなかった。
一人で、どこか遠くへ行ってしまいたかった……。
その日の昼過ぎだった。
昼餉の後、土方は副長室でいつもどおり隊務をとっていた。
山積みになった書類を決裁し、筆を走らせてゆく。
その時だった。慌ただしい足音が近づいたかと思うと、突然、何の前触れもなく障子が開かれた。
「何だ、慌ただしい」
思わず眉を顰め、ふり返った土方は、そこに血相をかえた斉藤を見た。いつも飄々としている斉藤が、こんな顔をしているのだ。余程の事がおこったのかと思った。
「どうした」
「総司が浚われました」
「は?」
一瞬、意味がわからなかった。
総司が浚われるなど、いったい……どういう事なのか。
訝しげな表情の土方に、斉藤がまくしたてた。
「今、知らせがあったのです。総司らしい侍が浚われるのを見たと」
「浚われるって……まさか、あいつは娘じゃねぇぞ」
思わず苦笑する土方に、斉藤は言葉をつづけた。
「土方さんは知らないかもしれませんが、総司はいつも私用で外出する時、刀を持たないのです。重くて辛いからと。そのために、戦うこともできなかったと……」
「刀を持たずに出ているのか」
土方の声音が、不機嫌そうな色を帯びた。それに、斉藤は首をすくめるが、そこを云っている場合ではない。
「そうです。でも、今は総司が浚われた事の方が問題で……」
「斬られるのではなく、捕らわれたのか。何故だ」
立ち上がりながら、苛立だしげに云った土方に、斉藤は一瞬、口をつぐんだ。だが、仕方なく答える。
「おそらく……容姿のせいではないかと」
「容姿……?」
訝しげに問い返してから、土方も理解した。さっと顔色がかわる。
新選組一番隊組長、隊随一の剣の腕前だとあらかじめ聞いていた者たちは、総司に逢うと、一様に驚く。
その華奢で少年のような躰つきに、愛らしさに。
絹糸のような黒髪も、長い睫毛、大きな瞳。ふっくらした蕾のような唇。
しみ一つない白い肌から、桜貝のような爪にいたるまで、可憐な花のようだった。
総司が笑うと、ぱっと花が咲いたような明るさに包まれるのだ。
気が強くて我儘で、手に負えない仔猫のような気性とは裏腹に、その姿はまるで砂糖菓子のように甘く愛らしい。
そんな総司が刀も持たずに無防備に歩いていれば、男たちの餌食にされても不思議ではなかった。
この時代、男色は決して珍しいことではないのだ。
無言のまま部屋を出た土方に、斉藤が慌てて云った。
「目撃された場所は、寺田町です。駕籠で移動しているかと……」
「おまえは堀川の方を探せ、俺は河原町の方を探す」
「わかりました」
新選組一番隊組長として浚われたのであれば、まだいい。
だが、そうでないのならば、大事にはしたくなかった。できることなら、内密に自分たちの手で探し出してやりたい。
男に傷つけられているかもしれない総司への配慮もあったが、そんなこと考えたくもないことだった。あの総司が男たちの餌食にされるなど、考えるだけで気が狂いそうになる。
土方は厩に向かうと、一頭の馬を引き出した。それに飛び乗り、鞭をあてる。
風をきって走り出した馬の上で、土方は総司の無事だけを祈るように願った。
(……総司……!)
冬の空に小雪が舞い始めていた。
痛いシーンは一切ありませんので、ご安心を。むしろ、甘甘?