「――恋でしょ」
 お夕はあっさりと云った。



 宗次郎と同じ年のはずなのだが、どう見ても大人びている。
 稲荷神社の前にある茶屋の看板娘で、きりっとした感じの美人だ。以前、ここにお稲荷さんを食べに来た事がきっかけで、仲良く言葉をかわすようになった。
 もっとも、ただの友人関係だ。お夕にもちゃんと好いた人がいるらしく、そろそろ嫁入りという話も聞いている。
 宗次郎は道場を抜け出し、この神社の茶屋へお夕に逢いに来ていた。相談してみたくなったのだ。
 お夕は客の少ない時を見て、宗次郎を緋毛氈の一つに座らせ、色々と話を聞いてくれた。
 そして、云ったのだ。


「それって、恋でしょ」
「えっ?」
 目を見開いた宗次郎に、お夕はやれやれと首をふった。
「そんな気持ち、恋に決まっているじゃない」
 お夕はおくれ毛にちょっと手をやりながら、きっぱりと云いきった。
「でも」と俯く宗次郎にため息をつくと、言葉をつづける。
「好きでもない人に、甘ずっぱい気持ちなんて抱く? その人のことばかり考えちゃう?」
「だって」
 宗次郎は顔をあげ、まっすぐお夕を見た。
「歳三さんはずっと前から好きだし、一緒にいてくれたし」
「でも、そういうふうに思ったの、最近なんでしょ」
 そう云ってから、お夕は「えっ」と目を見開いた。
「……歳三さん?」
「あ」
 慌てて口をふさいだが、もう遅い。お夕はびっくりした顔で、宗次郎をまじまじと見つめた。近所なので、当然、歳三のことも知っているのだ。
「宗次郎さんが好きなのって、歳三さんなの? あの歳三さん?」
「え、あっ、違うよ。まだ好きとか、そうじゃなくて」
「でも、気になっている人って、歳三さんなんでしょ? へぇ、どんな子を宗次郎さんが好きになったのかと思っていたけど、あの歳三さん相手じゃ、当然よね」
「と、当然って」
「だって、歳三さん、宗次郎さんのこと、とっても大事にしていたじゃない。それこそ、可愛いお嫁さん貰ったみたいに大事に大事にして、見てるこっちが恥ずかしくなるぐらいだったもの」
「……」
 甘やかしてもらっている事は、よくよくわかっていた。だが、傍からは、そんなふうに見えていたとは。
「しかも、あんな恰好よくて女の人にもてまくっている人がよ! 宗次郎さんのこと、よっぽど可愛いんだなぁと思っていたけど。ま、確かに宗次郎さん、気立てもいいし可愛いものね」
 にこにこしながら云うお夕に、宗次郎は真っ赤になってしまった。
 褒められているんだか何だか、よくわからなくなってくるが、歳三が宗次郎のことを可愛いと思って、大事にしてきてくれた事は確かなのだ。
「で、その……えーと、話は戻るんだけど」
「そうそう、宗次郎さんが恋しているのは、歳三さんって話よね」
「あの、違うから。私はまだよく……」
「そう?」
 お夕は小首をかしげてから、悪戯っぽい目で宗次郎を覗き込んだ。
「じゃあ、宗次郎さんは平気?」
「え?」
「歳三さんが他に可愛い人を見つけて、その人をお嫁さんにしちゃって、宗次郎さんにしたみたいに優しくしてても、平気?」
「……っ」
 声さえ出なかった。
 縁談があると聞いた時、仕方ないと思いもした。試衛館に来てくれなくなるかもと、考えもした。だが、自分にしてくれたように、他の誰かに優しくする歳三を想像もしなかったのだ。
 宗次郎は呆然と、大きな瞳を見開いた。桜色の唇が微かに震える。
 その様子に、お夕が苦笑した。
「答え聞くまでもないよね」
「……」
「そんな泣きそうな顔見たら、歳三さん、たまらなくなっちゃうだろうなぁ。そこまで宗次郎さんが自分に恋してくれているなんて、思ってもいないだろうから」
「……」
「いっそ云ってみたら? 好きって。一緒にいてって。そうしたら、答えが見つかると思うわよ」
 お夕は笑いかけると、立ち上がった。ちょうど、お店に客が入ってくる。それに「いらっしゃいませ」と明るく声をかけながら歩みよってゆくお夕を見送り、宗次郎は、きゅっと唇を噛みしめた。











 好き、一緒にいて。
 それは、考えてみると、宗次郎が歳三に伝えたい思いだった。
 以前なら簡単に口にすることが出来ただろう。歳三もちょっと笑って、「あぁ、ありがとう。俺も好きだよ、一緒にいてやるよ」と、かるく返してくれたに違いない。
 だが、あまりにも状況が変わりすぎていた。あの夜、歳三に口づけられてから、二人の関係は微妙なものになってしまっている。ふれれば壊れてしまいそうな、硝子細工のような関係なのだ。
 そんな中で、宗次郎が歳三に、「好き」とか「一緒にいて」とか、簡単に云えるはずもなかった。歳三がどう受け取るのかもわからないし、宗次郎自身、まだ揺れ動いているのだ。
 何しろ、念者にすると云われていた。そうである以上、今の歳三に「好き」と告げることは、受け入れることになってしまうのだ。彼の念者になるということを、意味していた。
 それは幼い宗次郎にとって、とても勇気のいることだった。何も知らなければまだよかったのかもしれない。だが、これを知ったら歳三は怒るだろうが、原田や永倉に、色々と知識だけは教えられてしまっていたのだ。
 ある意味、宗次郎は、嫁入り前の娘のような状態だった。恋する男と契りを結ぶことを怖がり、初めての恋に揺れている少女のようだったのだ。
 それを歳三も敏感に察していた。宗次郎が自分を嫌がっているだけではなく、怖がっていることもわかっていたのだ。
 もっとも、歳三は、彼があんな事を宗次郎にしたから怯えられているのだと、思っていた。口づけたことで、宗次郎は自分を嫌い、恐れるようになってしまったのだと思っていたのだ。
 まさか、宗次郎がそんな事はすっ飛ばしてしまい、契り自体を怖がっているとは思ってもいない。
 だからこそ、歳三はあれ以来、宗次郎にまったくふれていなかった。以前はよく抱きしめたりしていたが、それもやめている。これ以上、宗次郎を怖がらせたくなかったのだ。
 ところが、それを宗次郎は、別の意味にとらえていた。甘ずっぱい恋心をお夕に指摘されたことで、自覚してから、歳三の態度をやはり気まぐれだったのかと思ったのだ。
 ひと月もの間、気まずい関係であった挙句、こうして一緒に二人きりで過ごしていても、指一本ふれてこようとしない。
 男の気まぐれだったとしか、思えなかった。
 もちろん、あの時は本気だったのかもしれない。
 だが、今は気持ちが変わってしまったのか。どちらにせよ、幼い宗次郎にとって恋心を自覚したら自覚したで、わからない事ばかりだった。九つも年上の男に恋することは、こんなにも辛いのかと、ため息をついてしまう。


(私、子供だものね)


 お夕と別れ、試衛館に戻ってから、宗次郎は縁側でぼんやりと考え込んでいた。歳三は出かけているのか、いない。帰ってみると、どこにも姿がなかったのだ。
 その事に安堵するような、淋しいような複雑な気持ちのまま、宗次郎はため息をついた。
「……宗次郎」
 不意に、横合いから声をかけられ、はっとして顔をあげた。ふり向くと、斉藤が歩み寄ってくる処だった。
 ぱっと宗次郎の顔が輝く。
「斉藤さん!」
 慌てて立ち上がり、駆け寄った。
「久しぶりですね、どうしたんですか」
「ちょっと剣術修行に行っていたんだ」
「修行? すごい」
 宗次郎は思わず声をあげた。自分もいつかは行ってみたいと思っているのだ。どんな経験をしたのか知りたくて、宗次郎は斉藤を縁側に誘った。
「あ、これお土産」
「修行の?」
「違うよ。そこで買った草餅だ」
「ありがとう、斉藤さん」
 にっこり笑った宗次郎は茶を入れてくると、にこにこしながら話を聞き始めた。
 宗次郎にとって、斉藤はだい好きな友だった。だが、歳三への想いとは全く違う。傍にいて楽しいが、歳三といる時のような甘ずっぱさを感じたことはなかった。
 それを、斉藤もよくよくわかっている。斉藤の方は、この少年を少なからず想っていたが、望みのない恋だと半ば諦めていた。何しろ、初めから勝負は見えているのだ。
 斉藤が宗次郎を己のものにすることを、あの男が許すはずもない。
 下手すれば、殺されてしまうだろう。
 正直な話、斉藤も宗次郎を好いてはいたが、命がけと聞かれれば、否と答えぬ訳にはいかなかった。性分なのか、そこまで人を好きになること自体ないのだ。
 斉藤は、宗次郎が傍にいてくれれば良かった。いい友人として笑いかけてくれるだけでいいと、思っているのだ。


(性分なんだろうなぁ)


 そう思いながら、斉藤は小さく肩をすくめた。宗次郎が小首をかしげ、不思議そうに「斉藤さん?」と訊ねてくる。
 それに笑いかけたとたん、背中に鋭い視線を感じた。
「――」
 ふり返ったそこには、思ったとおり歳三が佇んでいた。今、帰ってきたばかりなのか、何か包みを手にしている。
 形のよい眉が顰められ、切れの長い目の眦もつりあがっていた。あきらかに、不機嫌そうな表情だ。
 以前は宗次郎の前だから平静をよそおっていたのにと、斉藤は不思議に思った。だが、もっと不思議なのは宗次郎の反応だった。
「あ」
 と声をあげたかと思うと、怯えたように目を伏せ、斉藤の背に隠れてしまったのだ。
 まるで、彼を恐れているかのような仕草だった。小さく肩を震わせている。
「……」
 それを見たとたん、歳三の端正な顔に、殺気じみたものが走った。黒い瞳が剣呑な色をうかべ、ぎりっと奥歯が噛みしめられる。
 斉藤は訳がわからないまま、息をとめた。刀に手をかけた方がいいのかと、思わず身構える。
 しばらく二人を見据えていた歳三は、やがて、ふいと顔をそむけた。踵を返すと、足早に去っていってしまう。
 遠ざかる男の背を見送っている斉藤の傍で、宗次郎が小さく吐息をもらした。ふり返れば、切なげな表情で長い睫毛を伏せている。
 それは、まるで咲き初める少女のような表情だった。恋をしている、切ない瞳の色なのだ。


(……何だ、そういう事か)


 斉藤は肩の力が抜ける気がした。
 ちょっと悔しい気持ちもあるが、もともと仕方がないと諦めていたところもあるのだ。
 何よりも、斉藤は、宗次郎が明るく笑っていてくれさえすれば、それでよかった。己のものにならなくても、その笑顔が守られるのなら、それでいいのだ。
 切ない恋心をあらわすかのように、傍の木の葉がさわさわと揺れ、散っていった。












 少しは気持ちを取り戻せたかと思っていたのだ。
 昼、宗次郎が出してくれた卵焼き。以前、歳三がうまいと云ったものだった。それを覚えていてくれたのかと宗次郎の様子を伺ったが、よくはわからない。
 だが、それでも卵焼きを口にはこんだ瞬間、思わず笑みがこぼれていた。うまいと、小さく呟いたのだ。
 それに、宗次郎が顔をあげ、「本当に?」と咳き込むように訊ねたのには驚いたが、可愛いなと思ったことも確かだった。思わず抱き寄せてやりたくなったことも。
 少しでも、気持ちを取り戻せたらと思っていた。自分の行為で怯えるようになってしまった宗次郎。それが辛くてたまらなくて。あの無邪気な笑顔をもう一度見せてくれるなら、どんな事でもしてやりたかった。
 だからこそ、外出先で宗次郎の好きな菓子を見つけ、買ってきたのだ。これを渡す時、ちょっとでも笑顔を見られたらいいと思っていた。切ないほど、願っていたのだ。
 だが、歳三が見たのは、他の男にむけられる宗次郎の笑顔だった。斉藤と楽しそうに笑い、菓子を食べている。
 先日思ったのは、こうして留守番を任されたのが、斉藤なら楽しげにするのではないかという事だった。それが現となっていた。実際、宗次郎は、自分以外の男に笑顔を見せ、楽しそうに過ごしているのだ。
 しかも。


(あいつは、俺を見たとたん、斉藤の後ろに隠れた)


 歳三の姿を見たとたん、怯えたように見開かれた目。さっと斉藤の後ろに隠れたその様子に、思わず叫びだしそうになった。


 そんなにも嫌いか、と。
 そんなにも、俺が憎いのかと。


 嫌悪さえ感じる宗次郎の様子に、腹の底から怒りがこみあげた。それを庇う斉藤に殺意さえ感じたのだ。
 心底、殺してやりたいと思った。殺して奪いとれるものなら、奪い取ってやりたい。そうして、今すぐここで、宗次郎の小さな躰を組み伏せ、思うさま蹂躙してやりたかった。男の欲望をたたきつけ、壊してしまいたいと渇望したのだ。
 飢えきった獣のように。
 だが、寸前で、歳三の理性がそれを押しとどめた。ずっと長年抱いてきた宗次郎への愛ゆえだったのか。
 彼らから視線をそらすと、自分を無理やり動かすようにして、その場を立ち去ったのだ。むろん、彼らを視界から消しても、激情がおさまりはしなかった。
 これ以上見ていたくなくて、その場から立ち去ったのだが、一人で部屋にいるとかえって二人のことが気になった。宗次郎が斉藤と笑っているさまを思い出し、腹の底が焦げるような思いを味わったのだ。
 半ば諦めていた頃なら、良かった。だが、手に入れたいと思ってしまった以上、歳三の中ではもう後戻りは出来ないのだ。この情愛を、なかった事になど出来ない。
「……最悪だ」
 歳三は壁に寄りかかり、片膝を抱え込んだ自堕落な格好で庭の方を眺めやった。障子を閉めてしまわないのは、宗次郎のことが気にかかるからだ。斉藤と別れ、ここへ来てくれないかと思っているからだ。そんな事、あるはずもなかったが。
 ここまで自分が宗次郎に溺れこんでいるとは、正直な話、自覚していなかった。
 いつも、どんないい女に云い寄られても、かるく流し、あしらってきた彼だったのだ。なのに、あんな幼い少年にふりまわされ、一喜一憂してしまっている。
 しかも、そんな自分を情けないと思うどころか、もっと溺れこんでしまいたいと望むなど。
「重症だよな」
 はぁっとため息をつき、歳三は片手で黒髪をかきあげた。
 恋が病と云うのなら、自分の場合はかなりの重症だ。それも、一縷の望みもない恋だというのに。
「日野に帰っちまうか」
 やけっぱちの気分で呟きながら、歳三はごろりと横になった。そして、先ほど見た宗次郎の笑顔を思い出しながら、目を閉じたのだった。
 鋭い胸の痛みとともに。












 その日の夕餉は、いつも以上に気まずいものだった。
 歳三は眉間に皺をよせ、不機嫌そうな表情で飯を口にはこんだ。一言も口をきかない。
 そんな歳三に話しかけられるはずもなく、宗次郎は黙って給仕するばかりだった。昼餉の時のことが嘘のようだ。
 だが、宗次郎は、歳三が怒っている理由を少しはわかっていた。
 自分のせいなのだ。自分がまた、歳三から逃げるようなそぶりをしたから、腹をたててしまったのだろう。誰でもあんな事をされたら、怒るに決まっている。ましてや、こうして留守まで一緒にあずかってくれているのに。
 少しずれてはいたが、宗次郎は、歳三の怒りが自分にある事はわかっていた。むろん、恋心を自覚したばかりの宗次郎に、歳三の冷たい態度は辛くてたまらない。
 せめて、こちらを見て欲しいと大きな瞳で見つめてみたが、歳三は一瞥さえしなかった。冷ややかな表情で箸をはこび、さっさと食事を終えてしまう。
 片付けの後、歳三が沸かしてくれた湯につかった。歳三はもう先に湯を済ませている。
「……おやすみなさい」
 歳三の部屋の前を通る時、せめてもと声をかけた。むろん、返事がかえってくるとは思っていない。
 だが、少しでも言葉をかわしたかったのだ。だから、突然、障子が乱暴に開かれたのには、驚いた。
 びっくりして見上げると、障子の桟に手をかけた歳三がこちらを見下ろしていた。
「……入れ」
「え」
「いいから、入れ。話がある」
 ぴしゃりとした口調で云われ、宗次郎は慌てて部屋の中に入った。
 部屋の中は、ぼうっと行燈の明かりが灯されていた。あたたかな雰囲気で、少しほっとする。
 だが、布団が敷かれていることに気づき、ぎくりとした。妙に意識してしまい、頬が熱くなるのを感じる。
「あの……何でしょうか」
 宗次郎は入口近くに縮こまったまま、訊ねた。その様子に、歳三が眉を顰める。
「何だよ、怯えているのか」
「え、ちが……」
「まぁ、そうだよな。おまえ、俺のこと怖いと思っているだろう。だから、あんなふうに斉藤の後ろに隠れたりして……」
 口に出したとたん、その時の事を思い出したのか、歳三の表情が険しくなった。ちっと短く舌打ちすると、手をのばし、宗次郎の腕を掴む。それに、びくりと身をすくめた様子に、ますます歳三の目が剣呑なものになった。
「そんなに怖いのか」
「怖くなんか、ありません」
「嘘つけ。怖いなら怖いと云やぁいいだろう。そんなに俺が嫌いなら、そう云えば……」
「……っ」
 宗次郎は一生懸命、首をふった。そうではないと云いたいのだ。むしろ、好きなのだと伝えたいのに。
 だが、歳三はそんな宗次郎の想いに、気づくことはなかった。切れの長い目でじっと宗次郎の顔を見つめてから、不意に、興味を失ったように視線を外した。顔をそむけ、低い声で云い捨てる。
「……明日、俺は出ていくよ」
「えっ」
 宗次郎は目を見開いた。


















次、お褥シーンがありますので、苦手な方は避けてやって下さいませね。

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