「斉藤さんは、剣術が本当に好きですね」
 宗次郎は、にこにこしながら云った。
 稽古の後だった。井戸端で手拭いでお互いの背をふきあいながらの会話だ。
 斉藤は、肌の白い宗次郎の躯にどぎまぎしつつも、ちょっと目をそらして答えた。
「それは……おまえも同じだろう。熱心に稽古に励んでいるじゃないか」
「私の場合は、好きというより強くならなきゃと思っているからです」
 宗次郎はきっぱりと答えた。
「十の年から、この道場に置いてもらっているのです。なのに、弱いんじゃ先生に申し訳がたちませんし」
「なぁ、宗次郎」
「はい?」
 小首をかしげた宗次郎を、斉藤は鳶色の瞳で見つめた。ちょっと躊躇ってから、訊ねる。
「おまえ、何で、おれに丁寧な言葉づかいをするんだ?」
「え?」
「同じ年だし、友人だろ。もっとくだけた話し方をすればいいのに」
「あ……でも、何となく」
 宗次郎は戸惑ったように俯いた。
「ごめんなさい。私、ずっと年上の人とばかりいたから、くだけた話し方というのが出来ないのです。もし……その、斉藤さんがいやなら、あらためますけど」
「い、いや。ごめん」
 慌てて斉藤は謝った。
「そんなつもりじゃなかったんだ。あらためるとか、そんな。ちょっと不思議に思っただけだから」
「本当に?」
「あぁ。おまえがその方が楽なら、それでいいから。おまえの好きなように話してくれたら、それでおれは嬉しいから」
「ありがとう、斉藤さん」
 ぱっと笑った笑顔が、花がこぼれるように愛らしかった。
 それを眩しそうに眺めた斉藤は、不意に、ぴんと背筋をのばした。背に、突き刺さるような鋭い視線を感じたのだ。
 斉藤がその元を探っていると、宗次郎が小さく声をあげた。
「……あ、歳三さん」
 庭先の向こうから、若い男が歩いてくる処だった。すらりとした長身に、さらりと藍色の着物を着流している。
「宗次郎」
 優しい声で呼びかけられ、少年は無邪気な笑顔で駆け寄った。
 最近、歳三があまり姿を見せなかったので、不安に思っていたのだ。離れなければと思いつつ、やはり、歳三がいないと淋しくてたまらない。
「歳三さん、お久しぶりです。どこか行商に行っていたの?」
「いや、遊んでいただけさ」
 さらりと云ってのけた歳三は、黙然と佇んでいる斉藤を一瞥した。だが、声をかけぬまま視線をそらすと、宗次郎の細い肩に腕をまわす。
「それより、宗次郎。今夜、祭があるって知っているか?」
「知っています」
「久しぶりに、俺と一緒に行かねぇか」
「はい! ……あ」
 不意に、宗次郎は両手で唇をおさえた。それから、困ったような顔で斉藤をふり返ると、歳三にむけて、ぺこりと頭を下げる。
「ごめんなさい。先に、斉藤さんと約束しちゃったの」
「……」
「だから、ごめんなさい。歳三さんとはまた別の機会に……」
 宗次郎の言葉に、歳三は何でもない事のように肩をすくめた。小さく笑いながら、くしゃりと宗次郎の髪をかきあげる。
「なら、仕方ねぇな。俺はまた女の処にでもしけ込むか」
「歳」
 傍にいた近藤が窘めるように呼んだが、それに歳三は構う様子もなかった。さっさとその場を離れると、何事もなかったように近藤と談笑しながら、歩み去ってゆく。
 それを見送り、宗次郎は唇を噛んだ。
 斉藤と一緒にいるのは、楽しい。
 だが、久しぶりに歳三と時を過したいと思ったのも、本当だった。そのため、自分が断ったとはいえ、それを何でもない事のように振る舞われると、切なくなってしまったのだ。


(私って、我侭なのかな……)


 そんな事を思いながら、ぼうっと立ちつくしていると、斉藤が傍らから声をかけた。
「宗次郎、本当にいいのか」
「え?」
 ふり返った宗次郎に、斉藤は躊躇いがちに問いかけた。
「おれと祭に行く事にしていいのかなと、思ってさ。本当は、あの人と行きたかったんじゃ……」
「えっ、あ、違いますよ。斉藤さんと行くの、楽しみにしていましたし。歳三さんとは何度も行っているから、別に」
 慌てて手をふって否定する宗次郎を、斉藤は鳶色の瞳で見つめた。
 何度も行っているからと云いながら、宗次郎はそれを何よりの楽しみとしていたのだろう。
 自分とは違う、九つ年上の男とのつきあい。最近、知り合ったばかりの斉藤では到底太刀打ちできない、二人の深い繋がり。


(兄弟のようだと聞いているけど……)


 少なくとも、歳三はそうは思っていないだろう。
 斉藤は、先程の視線が、歳三のものであることを確信していた。


(後ろから斬りつけられなかっただけ、良かったと思うべきか)


 それ程、鋭い視線だったのだ。
 殺気さえ感じる程だった。
 怒りと嫉妬ゆえの、刃を研ぎ澄ましたような鋭い視線。
 あまりの激しさに、先ほども、斉藤は何も口だしする事が出来なかった。歳三も斉藤が気づいたとわかっていたからこそ、完全に無視したのだろう。
 宗次郎に対する時は、つとめて己を押え込んでいたようだが、やはり、時折、その内に秘めた情愛がこぼれ落ちるのだ。
 愛しいと、他の誰にも渡したくないと。
 その激しさは、同じように宗次郎を愛しはじめている斉藤には、恐ろしいほど理解できた。
 宗次郎が気づいていないのが、不思議なほどだった。
 幾ら歳三が抑えていても、宗次郎を見る時の彼の瞳、笑顔、声音に、深く激しく愛している男の情愛が滲み出ているのだ。
 歳三とは、この道場へ来た時に逢っていた。随分と綺麗な顔をした男だと思ったが、その程度の印象だったのだ。だが、宗次郎と親しくなるにつれ、その存在が少しずつ大きくなっていった。
 むろん、その事で、宗次郎との仲を諦めようとは思わなかった。
 同じ年の少年に向けるには、あんまりな言葉かもしれないが、宗次郎はとにかく可愛いのだ。
 信じられないほど素直で、優しくて、人を疑うという事を知らない少年だった。気だてもよく、意外にしっかりしていて、その辺りも愛おしい。
 外見はまるで可憐な少女のようで、微笑いかけられるたび、その笑顔の可愛さに、斉藤はどきどきしてしまった。小町娘でも、こんな可愛いのはいないだろう。
 ずっと一緒にいたいと思った。出来れば、自分を好きになって欲しいと思ったが、それは叶わぬ願いだと思っていた。
 確かに、友人として好きにはなってくれているが、そういう方面に関しては、宗次郎はとことん疎いし、幼い。どう考えても、宗次郎がそういった意味合いで、斉藤を見てくれる日がくるとは思えなかった。
 ならば、歳三に対してはどうなのか。
 宗次郎が彼のことをどう思っているのか、斉藤にはまるでわからなかった。兄代りだとしか思ってないようであり、また、こうして淋しそうな表情を見てしまうと、やはり恋しているのかと、思ってしまう。
 だが、そうやって、あれこれ考えている自分に気づき、ふと苦笑した。自分らしくないなぁと思ったのだ。


(恋って、そういうものなのかな)


 初めての気持ちに戸惑いつつ、斉藤は、不思議そうに自分を見上げてくる宗次郎に笑いかけたのだった。












「……いいのか」
 二人から離れ、母屋に戻ったとたん、近藤が問いかけてきた。
 それに、歳三はふり返った。
「何が」
「あの二人のことだ」
「……」
 妙に心配そうな近藤を、歳三は黒い瞳で見つめた。友人の端正な顔を見つつ、近藤は言葉を重ねる。
「おまえ、心配ではないのか。いや、斉藤が何かするって事じゃない。そうではなく、おまえ自身、宗次郎を諦めて構わないのかという事だ」
 長年のつきあいである近藤は、歳三が宗次郎に抱く想いを知っていた。どれ程、深く激しく愛しているか、それをよくよくわかっていたのだ。
 そのため問いかけた近藤に、歳三は肩すくめた。
「構わないも何も……」
 歳三は、片手で煩わしげに前髪をかきあげた。指さきから、さらりと艶やかな黒髪がこぼれる。
「宗次郎が望んだつきあいだ。俺がどうこう出来る事でもねぇだろう」
「だが、歳」
「あんたは心配性だな」
 歳三は苦笑し、近藤を見た。
「俺が宗次郎に何かすると思っているのか。それとも、斉藤に斬りかかるとでも思った訳か」
「……おれはおまえが心配なのだ。おまえの気持ちが」
 近藤は一瞬、唇を噛んだ。そして、顔をあげると、意を決したように云った。
「おれは、おまえが宗次郎を大切にしてきた事を知っている。おまえはいつも、宗次郎のことを一番に考え、守り、慈しんできた。歳、おまえにとって、宗次郎はかけがえのない存在であるはずだ」
「……」
「なのに、本当にいいのか。おまえは宗次郎を思いきることが出来るのか」
「……」
 歳三は、深くため息をついた。
 しばらく押し黙っていたが、やがて、低い声で話し始める。
「俺は、確かに宗次郎を大切に想っているよ。他の誰よりも可愛いし、斉藤にかっさらわれるなんざ、我慢できねぇ話だ。だが、それも……宗次郎が選んだ事なら、仕方ないじゃねぇか。あいつは、俺ではなく、斉藤を選んだのかもしれない。そうであるのなら……」
 いったい、何が出来ると云うのだろう。
 人の想いなど、他の者がどうこう出来るはずもないのだ。想いを強制することも、押しつけることも出来ない。
 もしも、本当に宗次郎が斉藤を選び、斉藤の念者にでもなってしまえば、それこそ気が狂うほどの嫉妬に苛まれる事になるだろうが、だからといって、それをとめる術はなかった。
 今まで変わらず、ただ見守ってゆく他ない。
 兄代りとして見守ってゆくことしか、自分には出来ぬのだから。


(自業自得とはいえ、情けねぇ話だよな)


 歳三は近藤と別れ、一人になった後、きつく唇を噛みしめた。
 先程、見た光景が蘇る。
 斉藤にむけられていた、無邪気で愛らしい笑顔。
 あれが、自分だけのものであれば、どんなに良かったか。どれほど幸せだったか。
 だが、そんな事、望むべくもないことだった。この世には、どんなに渇望しても与えられぬものがあるのだ。
 歳三にとって、それは、宗次郎の心だった。
 宗次郎に愛されることだった。
 あの幼い宗次郎が、彼を男として見てくれる日がくるなど思えない。どんなに愛しても求めても、宗次郎の愛が彼にあたえられる事はなかった。むしろ、それを歳三は諦めと共に受け入れつつあった。
 だが。相手が斉藤であるのなら、話は別だ。
 宗次郎と似合いの娘ではなく、他の男であるなど、到底許せることではなかった。むろん、許せぬからと云って、歳三にはどうする事も出来ない。宗次郎が斉藤に魅かれ、心開いてゆくさまを、ただ見ているより他ないのだ。
 むしろ、いつまで耐えられるかだろう。
 先ほどでも、刀があれば危うい処だった。斉藤を斬り捨てていたかもしれない。そうして、驚きと非難の表情をうかべる宗次郎をこの腕に浚い、逃げていたかもしれないのだ。


(いや、それは……むしろ、本望か)


 歳三は目を伏せ、ひっそりと嗤った。
 もう己の気持ちを押し隠さなくてもいい、思うがままあの少年を腕に抱き、貪りつくすことが出来るのだ。それは、どれ程の歓喜か、快楽か。
 だが、一方で宗次郎の心は、二度と手に入らないだろう。あの愛らしい顔にうかべられる、嫌悪、憎悪は、彼の心を鋭く刺し貫くに違いない。
 いったい、それを望んでいるのか、いないのか。
 近藤に云われるまでもなかった。もはや、ぎりぎりの処まで来ているのだ。ずっと押さえに抑えてきた情念があふれ、宗次郎を巻き込もうとしている。
 斉藤の存在が、その箍を外しかけているのかもしれなかった。いったん流れ出した激流は、誰もとめる事は出来ないだろう。
「……」
 暗い瞳で、歳三は後ろを見やった。
 遠く、宗次郎の笑い声が響いた気がしたのだ。
 いつもは愛しく思えるそれが、今の彼には、胸を突き刺すものに思えた。












 宗次郎は土間に下りて、水を汲んだ。
 一口飲んでから、ふうっと小さく吐息をもらす。
 真夜中だった。早めに休みはしたのだが、ふと目が覚めてしまい、起きてきたのだ。むろん、水を飲んだらすぐ戻るつもりだった。
 廊下を歩きながら、ふと、ある部屋の方へ視線をやる。
 いつも、歳三が訪れてきた時、寝泊りにつかっている部屋だった。だが、ここひと月ほど、その部屋は全く使われていない。
 あの祭りの誘いを断った日から、ぱったりと歳三の訪れはなくなってしまったのだ。
 日野へ戻っている訳でもないようだった。なぜなら、江戸の街中で姿を見たと、原田や永倉たちが云っていたためだ。
 それはいつにない事だった。江戸にいる時、歳三は必ず試衛館を訪れてきたのだ。
 なのに、全く姿も現そうとしない。
 宗次郎は気になって仕方がなかった。


(まさか、歳三さん、私が祭りを断ったから……なんて事はないよね)


 そんな子どもっぽい事で機嫌を悪くするような男でない事は、よくよくわかっていた。それに、あの時、歳三も何のわだかまりもない様子で笑っていたのだ。
 だが、宗次郎には、それしか思い当たる節がなかった。もっとも、歳三の訪れがない理由が、宗次郎以外にあるのなら、どうしようもない事なのだが。
「私が理由だなんて……思い上がっているのかな」
 小さなため息をもらし、宗次郎は頬に手の甲をあてた。
 ひやりと冷たい。
 春先といっても、まだ寒かった。とくに朝夕の冷え込みは、思わず身震いするほどだ。
「早く寝よう」
 そう呟き、宗次郎は足早に部屋へ戻った。
 宗次郎は離れに小さな部屋を貰っている。武士の子である事を尊重し、近藤があたえてくれたのだ。
 部屋に戻ると、布団の中へもぐりこんだ。眠ろうと、目を閉じかける。
 その時、だった。
「!」
 カタンッと音が鳴った。明らかに部屋の外からだ。
 宗次郎はびっくりして、身を起こした。何だろうと目をこらした次の瞬間、縁側に面している雨戸がガラリと開く。
 そこから、黒い影がいきなり飛び込んできた。
 あっと思った時には、宗次郎の体は床に押さえつけられている。
「ぃ、ぃや……っ」
 叫び、抗いかけた宗次郎の唇を、男の手のひらがおおった。きつい血の匂いがする。
 それに尚更怯え、懸命に抗った。暴れ、足をばたつかせる。
 宗次郎も剣術の心得がある少年だった。竹刀さえあれば、誰にもひけをとらない。だが、力での勝負となると、あまりに非力だった。大人の男の前では、儚げな少女のように扱われてしまうのだ。


(どうしよう、こんな……!)


 しばらくの間、激しい物音と荒い息づかいだけが部屋に響いた。
 母屋であったなら、すぐさま誰かが駆けつけて来ただろう。だが、そこは生憎、離れだった。賊が入っても、誰も助けには来てくれないのだ。
 このまま殺されるのかと思った瞬間だった。
 少年の耳に、男の声が届いた。
「……宗次郎……っ」
 低く掠れた声に、聞き覚えがあった。
 いや、それどころか、ずっと待ち焦がれていた男の声なのだ。


(……歳三…さん……?)


 宗次郎は大きく目を見開いた。



















歳三さん、我慢の限界こえちゃいます。

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