後ろで斉藤が何やら叫んでいたが、ガン無視で局長室向けて突っ走った。
「総司です」と声をかけて「お、おう、総司か」の応答も終わらぬうちに局長室の障子をスパーンと開ける総司を、近藤は唖然と見上げた。ちょうど茶を呑んでいたところらしく、湯呑を手にしている。
「土方さんは、どこですか!」
「……と、歳か」
「そうです」
「あー、歳は自分の部屋に戻ったが……」
「わかりました、では」
 そのまま一礼だけして身を翻そうとした愛弟子を、慌てて呼び止めた。
「どうしたのだ、いったい」
「土方さんに用事があるのです」
「それは見ればわかるが、総司、おまえ……怒っているではないか。喧嘩か?」
「喧嘩ではありません。いえ、今後、土方さんの対応次第でその可能性もありますが」
「穏やかではないな」
「全く穏やかではないのです」
「うぅむ」
 近藤は思わず唸ってしまった。それから、まだ縁側に突っ立っている総司を見る。
「最近、少しは拗れが修正されてきたと思ったが、まだ無理か。歳とのこと、素直になれんか」
「? おっしゃっている意味がわかりません。それに」
 総司は細い眉を顰めた。
「あちこちから拗れと言われますが、何が拗れているのですか。私と土方さんの間柄は昔も今も変わらないと思いますが」
「ならば、二人の間柄はどのようなものだと思っている」
「仲が悪い、です」
 ちょっと躊躇いがちに答えた総司を、近藤は眇めた目で眺めやった。どこか観察するような視線だ。
 長い沈黙の後、ぽつりと「そうか」と頷いた。それに、総司はちょっとイラッとした。が、黙ったまま頭を下げると、その場から立ち去る。
 頭の中には何度も同じ言葉が繰り返された。


(拗れているって、何がどこが!? 誰も彼もはっきり言わないくせに!)


 このイラつきの相方である土方にしてもそうだ。
 策士であり表裏どころか、裏の裏(それはつまり表か)まで深読みすべき男である土方の言葉が、信用できるはずもない事はよくよくわかっていた。が、それにしてもまさか騙されていたとは。一番大元である記憶喪失という事実まで嘘を吐いていたとなれば、さすがに怒りを覚えて当然だった。
 イラつくどころの話ではない。
 総司は素直で真っ直ぐな性格のため、あれこれ策を弄することが嫌いだ。だからこそ、総司とは真逆に策略を張り巡らせることが得意な土方が怖くて、苦手だった。彼にどんな言葉をかけられても信じられないのだ。つい疑ってしまうのだ。まさか、ここまで騙されているとは思わなかったが。


「あー、もう頭がぐちゃぐちゃ!」
 総司は渡り廊下の途中で立ち止まると、一気に叫んだ。
 近くにいた隊士たちがビクッと怯えていたが、知ったこっちゃない。
 はぁっとため息をついて歩き出そうとした瞬間、視界に一人の男の姿が目に入った。彼は総司を見ると、僅かに眉を顰めた。 
 それに、総司は桜んぼのような唇を、きゅっと噛みしめた。
「お話があります」
 渡り廊下の真ん中で向き合った男を、まっすぐ見上げた。
 土方は少し首をかしげた。
「話? ここでは出来ん話か」
「たぶん」
「……わかった。俺の部屋で聞こう」
 そう言って踵を返した土方に従いながら、どう切り出そうかとあれこれ考えた。が、結局のところ、単刀直入に聞いてしまう。
「土方さんが私を騙していたと聞いたのですが、本当ですか」
 坐るか坐らないかのうちに突っ込んできた総司に、土方は目を瞬いた。? という顔になっている。
 それに、またイラッとした。


 心当たりがありすぎ?


「記憶のことです。里で嘘ついていたのでしょ? 本当は記憶があったのに」
「あぁ、その事か」
 嘘がバレたのに、土方はあっさり頷いた。俯く総司を覗き込むようにして、笑いかけてくる。
「それで、総司は怒っている訳だ」
「……怒らない理由が見つかりません」
「なるほど。まぁ、怒って当然だよな」
 悪戯っぽく笑いながら、土方は頬杖をついた。その余裕の態度に、唇を尖らせる。
「怒って当然だとわかっているなら、どうして嘘をついたのです。記憶があるならさっさと屯所へ帰ればよかったのに」
「おまえを置いて? それとも連れて?」
「どちらでも、あなたの好きなように」
「むろん、俺の好きにしたさ。その結果があれだ」
「結果って……記憶がないふりをした事が?」
「あぁ」
 頷く土方に、目を見開いた。
「どう、して」
「……」
「本当にわからない。どうして、そんな事したの。あなたに何の益もないのに」
「損得勘定じゃねぇよ。俺が望むまま行動しただけだ」
「だから、それがわからないのです。記憶のないふりをすることが、何故あなたの望みになるの」
「わからねぇか」
 土方は切れの長い目で、まっすぐ総司を見つめた。その黒曜石のような瞳に見つめられ、息をとめる。
 どきりとした。
 今までのどこか軽い調子が嘘のような、真剣な表情。熱っぽい光を湛えた瞳が、少し怖いとさえ思った。
 思わず目を伏せてしまった総司に、男の手がのばされた。そっと髪を撫でられる。
 びっくりして顔をあげれば、土方は溶けそうなほど優しい瞳で総司を見つめていた。視線があえば、柔らかく微笑みかけられる。
「本当は、こうしたかった」
「え」
「おまえを可愛がり甘やかしたいと、いつも思っていた。だから、それをあの里でやったんだ」
「か、かかか可愛がりって……ッ」
 総司は耳たぶまで赤くなるのを自覚した。
 なんだかとんでもない事を言われた気がする。子供の時ならともかく、この年になってまさか可愛がりたいとか言われるとは思っていなかった。
 自分って、そんなに小動物系なのだろうか。癒し系ってとこか。
 土方の思惑からは完全に外れた形で曲解した総司は、こくこくと頷いた。
「つ、つまり、自分も記憶がないって言えば、私が素直にその、か、可愛がりを受け入れると思われたってことですか」
「まぁ、そうなるな」
「……」
 あっさり頷いた土方に、総司は黙り込んだ。
 怒る! 文句言う! と意気込んでここまで来たが、可愛がりたかったなんて、わかったようなわからないような理由を説明されると、どうにも怒れなくなってしまったのだ。
 自分を可愛がりたいなんて言っている人を怒れるだろうか。いや、怒れない。
 だが、不意に総司はあることに気がついた。思わず土方をまじまじと見てしまう。
 その視線に気づいた土方が「何だ?」と小首をかしげるのに、問いかけた。
「私を可愛がりたいって言いましたけど、でも、土方さん、私のこと嫌いですよね?」
「……」
 土方の目が見開かれた。珍しく絶句している。それに構わず言葉をつづけた。
「疎んじているし嫌っているし、色々と酷い事も言われた記憶があるのです。嫌われているって自覚ありまくりです。なのに、どうし」
「ちょっと待ってくれ」
 総司の言葉を遮り、土方は一つ息をついた。それから居住まいをただすと、総司をまっすぐ見つめた。
「さっき、言ったはずだ。本当は可愛がりたかったって。俺が……素直になれなかっただけの話なんだ」
 片手でくしゃりと前髪をかきあげた。
「俺は遊びなら幾らでも言えるが、本気になると何も言えない情けない男なのさ。だから、おまえに対しても酷い事を言っちまった」
「つまり、本音は言えないけど、余計な事なら言っちゃうって訳ですか」
「……」
 ずばっと切り込んできた総司に、土方は呻いた。が、ここが正念場だと潔く頭を下げる。
「悪かったと思っている。すまん」
「……謝ってもらう必要はないです」
 総司は首をふった。
「私も結構酷い事言った覚えがありますし、酷い事もしましたし」
「そこは覚えているんだな」
「えぇ。それに、あなたが私を嫌うゆえの行為でなければ……嫌って、ませんよね?」
 言いかけてハッと気付き、慌てて訊ねた。それに土方が答える。
「嫌っているはずがねぇだろう!」
「じゃあ、いいです」
 あっさり許してくれた総司に安堵の息をつきかけたが、土方はどこか腑に落ちぬものがあった。何か違和感があるのだ。
 だが、それに思い至る前に、総司は立ち上がった。「失礼しました」と頭を下げてさっさと部屋を出てゆく。
 それをぼんやり見送っていると、開いた障子から斉藤が顔を覗かせた。今にも笑いだそうな顔になっている。
 眉を顰め、睨みつけた。
「何だ」
「全然、通じていませんね、あれは」
「……」
「総司、あなたの気持ち、まったくわかっていませんよ。大方、犬猫でも可愛がるような気持ちだと思っているんじゃないかなぁ」
「そんな事あるはずねぇだろう」
 とは言いつつ、あの総司なのだ十分あり得ると思ってしまう辺りが恐ろしい。
 利口で素直だが、その分、思考が今ひとつぶっ飛んでいて常人には理解したがいものがあるのだ。やはり、一つの道を極めている天才の思考など(総司は誰が見ても天才剣士だ)常人には推し量れないのか。他者から全く常人ではないのに、自分はごく普通だと思っている男は深々とため息をついた。
「前途多難すぎるだろう」
「ですね。まぁ、この間、オレを脅した成果まったくありませんでしたね」
「……ばらしたのはおまえだろうが」
「そうですよ」
 けろりと吐いた斉藤は言った。
「オレは総司の幸せを望んでいますから。ま、総司が怒り狂ってあなたの所へ向かった時は、ちょっと肝を冷やしましたが」
「後でやばいと思うぐらいなら、ばらすな」
「オレは言いましたよね。ばれたら逃げられる、と」
「俺も言ったはずだ、絶対に逃さねぇと」
 切れの長い目を細めた土方に、斉藤は肩をすくめた。そのまま出ていきかけ、振り返る。
「一つだけ助言を」
「何だ」
「総司は素直なので策を弄したりしません」
「当然だ」
「だから、言葉をそのまま受け取ります。言わなきゃ伝わらないし、遠回しも皮肉も通じないってことです」
「……あぁ」
 不機嫌そうに答えた土方に、斉藤は小さく笑うとそのまま部屋を出ていった。


 以前は、総司がこの男に捕まったことを危惧していた。彼の激情に総司が巻き込まれ、傷つけられると思ったのだ。
 が、よくよく見てみれば、振り回されているのは土方の方だった。
 里でつけていた名のごとく小鳥のように、あちこち飛び回っている総司を、いつも追いかけている。愛しさのこもった瞳で見つめながら。
 執着も独占欲も度が過ぎれば狂気になるが、総司ならば、それを柔らかく受けとめ流していくのだろう。
 もしかすると、この男の黒い部分に気づかない可能性だってあるのだ。永遠に。


「まぁ、オレは総司が幸せならいいのさ」


 斉藤の片恋は実らないが、憂いの表情で目を伏せる総司は、二度と見たくない。
 いつでも、あの可愛い笑顔でいて欲しいのだ。
 土方との関係が、刃のように冷たく尖ったものではなく、甘酸っぱい恋になればいいと、心から思う。
 その奥底に、男の狂気に似た熱情が潜んでいたとしても、それが総司に牙を剥かなければいい。気づかなければいい。


 青空を見上げなら、そう祈るように思った。












 それは突然の出来事だった。
 椿の花が見事だと噂の神社に、総司は行きたいと思っていた。ちょうど黒谷からの帰りにそれはあったのだ。
 いつものように土方の護衛として黒谷へ同行していた総司は、帰り際、彼を見上げた。
「お願いがあるのです」
 そう言った総司に、土方は驚いたように振り返った。
 少し黙ってから破顔する。
「珍しいな、おまえからの願いなど」
「そうでしょうか」
「おまえは欲がねぇから、つまらん。俺としてはもっと我儘を言ってくれた方がいいな」
「……?」
 男の言葉の意味がわからず、総司は小首をかしげた。
 それに、土方がくすっと笑った。
「本当におまえは初だ」
「初って、何にですか」
「まぁ、いい。それで? どんな願いだ」
「寄りたい所があるのです」
 おずおずと申し出た総司に、土方は頷いた。
「いいぜ、どこでもつきあうさ。日頃おまえに無理強いしているからな」
「無理強いって、結構私も楽しんでいますよ」
 そう言った総司に、ちょっと目を見開いた。
「……へぇ、まさかそう言ってもらえるとはな。世辞でも嬉しいよ」
「世辞じゃありませんってば。そうじゃなくて、寄り道いいんですね?」
「あぁ。どこだ」
 歩き出しながら問いかけた土方に、総司は何気なく答えた。
「この先にある神社です。椿がとても見事だと評判で……」
 とたん、彼の肩が強張った。
 総司も剣士だからわかるのだ。男の纏う気配が張り詰めたものになったことを。
「……?」
 怪訝に思って見上げた総司は、息を呑んだ。


(……土方、さん……?)


 もともと土方は端正な顔だちの男だ。副長として振る舞っている時、冷徹な表情であるがゆえか、酷薄な印象を与えることが多い。以前、彼との関係が険悪だった頃も、幾度、刃のような冷たさを突きつけられた事か。
 だが、ここ最近、土方が総司にむける表情はいつも柔らかだった。優しく静かな表情ばかりで、彼の中にある冷たい残酷さを忘れかけていたのだ。
 なのに今、土方の横顔は冷たい程の無表情だった。この世のすべてを拒絶するような冷たさだ。
「……」
 何も言えず押し黙っていると、土方はふっと息を吐いた。それから、低い声で言い捨てた。
「駄目だ」
「え」
「その神社は……駄目だ。他の場所にしろ」
「……」
 最近の彼にしては珍しい命令口調に、総司は目を見開いた。