俺がおまえを傍におきたい、おまえに傍にいて欲しいから。
呆然と総司は彼を見上げてしまった。
それに、土方はにこやかに答えた。
「傍においておくには、こうするのが一番だろ。私用だとなかなか難しいし、誘っても断られるだろうし。だから、公用にかこつけてってやつだよ。いや、公私混同じゃねぇぞ」
いえ、それ立派な公私混同ですから。
総司の心の中でのツッコミを知ってか知らずか、土方は言葉をつづけた。
「で、なんだ。今から俺、接待なんだが。おまえもついてきてくれ」
「お断りします!」
「何で。今、俺は言っただろ、公用だって接待だって」
「完全に公私混同でしょー!」
「そうか? 護衛ぐらい好きに選んでいいだろ、副長の特権だろ」
「そんな特権、聞いたことありませんよ」
「まぁまぁ、あまり苛立つなよ。可愛い顔が台無しだぞ」
「か、かか可愛いって……っ」
耳たぶまでカァーッと赤くなるのが自分でもわかった。やばいと思って両手でおさえたが、目の前で面白そうに笑う男には丸わかりだ。それがとんでもなく悔しい。
ぽんぽんと頭に手を置かれ、そのまま髪を撫でられた。
「ほら、行こうぜ。そのままでいいから」
「だから、私、おことわ」
「副長命令だぜ?」
唇の片端をあげて笑う土方に、総司は絶句した。命令という言葉にではない。その格好よさ、あふれんばかりの魅力に、ノックアウトされてしまったのだ。
ちなみに渡り廊下でじゃれあっている二人はとんでもなく目立っていた。あちこちから隊士たちの視線が飛んでくる。
それを感じながら、総司は火照った頬に手の甲をあてたのだった。
接待と言っても、会津藩との小さな宴に参加するものだった。
もともと犬猿の仲であるはずの総司を連れてきた土方に、会津藩の面々は驚いていたようだが、何も余計な事は言わなかった。
程々に酒や食事を楽しみ、あまり会話は弾んでいなかったが(もともと土方は寡黙な方なのだ。この接待を引き受けた事自体、驚きだった)、それなりの感じで宴は終わった。
料亭の玄関口で会津藩の人々を見送った総司は、はふと息をついた。土方の隣でずっと黙って食事をしていただけだったのだが、やはり少し疲れたのだ。
それを面白そうに土方が切れ長の目で眺めやった。
「疲れたか」
「えぇ」
こくりと頷いた。ちょっと後ろを振り返って、料亭の仲居たちがいないのを確かめてから言葉をつづける。
「やっぱり、こういう堅苦しい処は好きじゃありません」
「なるほど」
「土方さんは慣れているだろうけど」
「別に慣れたりしてねぇよ」
「嘘ばっかり。女の人と遊ぶ、えーと、先斗町とか祇園とか、こんな感じでしょ」
「何で先斗町や祇園に俺が行き慣れていることになっているんだ」
「事実だから」
「噂話さ」
さらりと流した土方は、軽く両腕をあげて伸びをした。その若い男らしい伸びやかな所作に、どきりとする。
「さすがに疲れたな。俺も肩が凝った」
「土方さんでも」
「だから、俺が接待慣れしている言い方するなよ。こっちは近藤さんの担当だ」
「でしょうね。どうして今回、土方さんの出番だったのですか」
「腹痛で寝込んでいる。さすがに酒は飲めんだろう」
「あー、なるほど」
近藤の姿が見当たらないと思っていたら、そういう事だったのか。
頷いていると、土方が総司の顔を覗き込んだ。
「おまえ、あまり食ってなかっただろう。口にあわなかったか」
「美味しかったですけど……でも、何だか堅苦しくてそれどころじゃなかったのです」
「なら、帰りに食っていくか。何でも奢ってやるぜ」
「あ、それなら」
総司は行き先に見た店を思い出した。それを口にした総司に、土方が目を見開く。
「そんなところでいいのか」
「気楽でいいです。美味しそうだったし」
「わかった。じゃあ、その店にしよう」
総司が言ったのは、川の傍に縁台を並べている屋台の店だった。麺ものや稲荷鮨などを出しているようだった。
二人は月見蕎麦と稲荷鮨を頼んだ。甘い出汁の香りが食欲を誘う。
「……おいしい」
出汁をのんでから、総司は思わず頬を綻ばせた。それに、土方が頷いた。
「美味いな。いい出汁の味だ」
蕎麦も稲荷鮨もとてもやさしい味で、美味しかった。とくに、稲荷鮨は油揚げの甘辛さと酢飯の酢加減がちょうどよく、とても美味しい。
二人して食事を終えると、総司は店の主に「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」と丁寧に挨拶した。それに、店の主が嬉しそうに「へぇ、おおきに」と笑顔を見せた。
素直な総司に目を細めた土方は、その小さな手を引いて場から立ち去った。気づかぬうちに手を繋がれていた総司は、歩き出してから、その事を知った。
「あ」
「どうした」
わかっているくせに平然と返してくる土方に、何も言えなくなる。
一瞬、手を引こうとしたが、彼の大きな手がすばやく握りしめたのだ。しなやかな指さきに、どきりとする。
手をつなぐことなど、初めてだった。里にいた時もありえなかったことだ。
(それは……本当に?)
ふと、心の中で小首をかしげた。
この手の感触に覚えがある気がしたのだ。しなやかな指さき、大きな手、優しくそっと、まるで壊れものを扱うように握られた手。それは確かに覚えがあった。
だが、里では手をつないだ記憶などない。その経験があるとしたら、以前の話だった。
(でも、そんなことありえるの?)
総司は、月明かりの中、土方の端正な横顔を見上げた。
自分はこの男のことを憎んでいたはずだ。
それはもう、心の底から。
殺したいぐらいの激しさで憎んでいた。あの絶望も慟哭も苦悶もすべて、しっかり覚えている。
なのに、そんな関係の二人が手を繋いだりするだろうか。
それもまるで恋人同士のように、……指と指をからめあう、なんて。
絶対、ありえない。
「……っ」
つきりと痛んだ胸奥を隠すように、否、縋るように彼の手を握った。
それに気づいた土方が見下ろしてくる。
「どうした」
「っ、何が…ですか」
「泣きそうな顔しているぞ」
「え」
驚いていると、土方が繋いでいない方の手をのばした。そっと目元にふれられる。
「ほら、今にも涙がこぼれそうだ」
「……」
「いったい何があった。何がおまえを泣かせた」
あなたが泣かせたの、でしょう。
以前の自分なら言えた。
少なくとも、里から戻ってきたばかりの自分なら言えただろう。全部、土方が悪いのだと、接待に連れ出したことを詰って手を振り払ったに違いない。
だが、今の総司には到底出来ぬことだった。
そんな事をすれば、今の二人の関係が壊れてしまう。この脆くてやさしい関係が。そして、何よりも土方が傷つく。総司から向けられた言葉の刃を、土方は傷ついた表情で受け止めるだろう。それが目にうかぶようだった。
(この人は、こんなにも優しい……)
思えば、里から戻って以来、土方は強引だったが、いつも絶対的に優しかった。
総司の気持ちを蔑ろにすることも、否定することも拒絶することもなかった。ただ、いつも優しく笑いかけ、手をさしのべてくれたのだ。どんなに総司が苛立っても反抗しても、根気よく傍にいつづけてくれた。
それがどうしてなのか、聞くことは怖い。
気まぐれなのだと、言われたらどうすればよいのかわからない。
否、気まぐれなのだとしか思えなかった。あまりにも突然、態度の変わった土方に驚き戸惑うばかりなのだ。
だが、以前なら気まぐれだろうと何だろうと、総司は拒絶していただろう。彼からの誘いも言葉もすべて拒絶し、手酷く彼を傷つけていたに違いない。攻撃し彼の矜持も立場も叩き壊して、そして、きっと。
(伊東先生のところに逃げ込んでいた)
そう考えれば、総司は、土方の覚悟の重さに息を呑む思いだった。
里から帰ってきての一連の言動を、総司が受け入れたからいい。もしも受け入れず拒絶していれば、土方は面目を失っていたかもしれないのだ。それは土方のような立場にある男にとって、致命的な事だった。
何しろ、総司が逃げ込むであろう相手は、敵対している参謀伊東なのだ。それは隊内での派閥争いにも関係していく以上、かなりの覚悟がなければ出来ぬ行動だった。
むろん、総司が受け入れる保証など、どこにもない。それどころか、拒絶する可能性の方が高かったのだ。
なのに、土方は総司に手をさしのべた。優しく話しかけ、手元に引き寄せたのだ。相当の覚悟がなければ出来ぬ行動だった。
土方は己の立場や矜持、そのすべてと引き換えにする覚悟で、総司に手をさしのべたのだ。
何故、あなたはこんなにも私に優しいの。
私はあなたに何一つ、返すことができないのに。
土方さん、どうして。
……切ないぐらいだった。
胸奥が苦しくて切なくて、唇を噛みしめてしまう。
そんな総司に、土方が目を細めた。目元にふれていた指さきをすべらせ、柔らかく手のひらで頬をつつみこんだ。その優しさに、とけてしまいそうだ。
「泣くな……」
なめらかな低い声が囁いた。
命じているのに、優しい声音。それを幾度も聞いた覚えがあった。この人の腕の中で、そのぬくもりと鼓動とともに聞いた、優しい囁き。
そっと目を閉じた総司の手が引かれた。気がつけば、柔らかく抱きすくめられている。
花びらを降らすような口づけが、額に、目元に、頬に、落とされた。それが心地よくてたまらない安堵感で、土方の背に手をまわす。ぎゅっとしがみつくと、より深く抱きすくめられた。
「……総司……っ」
掠れた声で名を呼ばれ、躰が心が――震えた。
何か、大切なことを忘れている気がした……。
時が過ぎていく。
いつの間にか夏や秋が過ぎ、冬になろうとしていた。
新選組は相変わらず忙しく慌ただしいが、その中で、土方と総司の関係はより深まっていっていた。最近では二人ならんで外出するさまに、誰も驚いた顔をしない。
総司も土方からの誘いを断らなくなっていた。友人関係とは違うが、兄弟以上、恋人未満としか言えぬ関係になっている。
そんなある日のことだった。
「失礼します」
障子ごしに掛けられた声に、土方は筆をすべらせていた手をとめた。
応えれば、するりと部屋に入ってくる。吊り目がちの若者は巡察の報告に来たのだろう、いつもどおりの口調で述べた。
だが、報告が終わった後も出ていかない。
何だと視線をやれば、斉藤はため息をついた。
「……はっきり言えばいいじゃないですか」
「何がだ」
「総司を騙すのはやめた方がいいと思いますよ」
「人聞きの悪い言い方だな」
苦笑する土方に、斉藤はきっと唇を引き結んだ。
「実際、そうでしょう。あなたは里にいた時も総司を騙していたじゃないですか」
「別に何も言わなかっただけだ」
「必要なことを何も。それ自体が問題でしょう」
土方はくすっと笑い、文机に肘をついて寄りかかった。切れの長い目で斉藤を眺めやる。
「おまえ、いつ気づいたんだ」
「名前ですよ。いくら偶然でも隼人はないでしょう。隼人って土方家の当主の名じゃないですか。そんな偶然ある理由ない」
「なるほど。総司はこっちに帰ってからも気づかなかったがな」
「総司は素直ですから。その総司を里に閉じ込め、どうするつもりだったのです」
はっきり切り込んできた斉藤に、土方は黙ったまま薄く笑んだ。ぞっとするほど酷薄で、傲慢な表情だ。何があっても、今の総司には絶対見せないだろう笑みだった。
まざまざと表れたこの男の本性に、背筋が冷えた。だが、ここで引くわけにはいかないのだ、大切な友人のためにも。
「どうするつもりだったのです」
「あのままでいたさ」
さらりと言葉を返し、土方は肩をすくめた。
「総司と里で暮らしていくつもりだった。村人たちには着いてすぐ根回ししたしな。総司の心が完全に手に入ったら、まぁ、隊へ戻ってもいいかと思っていた。もっとも予想より早く記憶が戻っちまったのは誤算だったが」
「総司の心が手に入ったらって、人の心なんて思い通りになるものじゃないでしょう」
「だからこそじゃねぇか」
嘲るように唇の端をあげた。
「思い通りにならんから、手に入れようとするのだろう。どんな手段を使ってもな」
「想う相手を閉じ込めて外界との接触を断ち切って、ですか。挙げ句、自分も同じ記憶喪失だと偽って……酷すぎる話でしょう」
「そうか?」
土方は僅かに首をかしげた。
「総司を大切に想うからこその行為だぜ?」
「とてもそうは思えませんが」
「なら、おまえは、今ばらしちまった方がいいと思っている訳だ、昔のことも全部。そんなもの混乱させるだけだろうが」
「十分混乱していますよ。オレは、いっそ話した方がいいと思います」
「信じる可能性は低い」
「でしょうね。でも、このままでいれば、総司が思い出した時、まずいことになりますよ。あなたから離れようとしてもいいのですか」
「総司が俺から離れる?」
驚いたように聞き返してから、土方はくすっと笑った。喉奥で低く笑い声をたてる。
「そんな事許すはずがねぇだろう。この俺が二度も同じ間違いを犯すと思うのか」
「……」
「今度こそ、逃さねぇよ」
獲物に狙いをつけた肉食獣の目だった。舌なめずりするように呟かれた言葉に、暗い翳りを帯びた熱に、身震いする。