「あれはない! あれは!」
打ち合わせが終わった後、斎藤は思わず詰め寄ってしまった。
結局の処、総司の爆弾発言は、近藤の「……善処しよう」という何処かの政治家のような言葉で流された。
しかし、その後の打ち合わせの刺々しい雰囲気といったらなかった。
土方はずっと眉間に皺を刻んでいるし、伊東は面白そうに彼らを眺めているし、総司は怖いもの知らずでどんどん発言しているしで、斎藤は寿命が十年ぐらい縮む思いをしたのだ。
その原因であるはずの総司はきょとんとしている。
「何がないのです」
「だから、総司の発言だよ」
場所は変わって、ここは斎藤の自室である。またまた某副長の精神をガリガリ削る発言をされては大変と、この部屋へ引っ張ってきたのだ。
「土方さんの前で、土方さんの隣がいやってまずいだろ」
「そうそう、よく切れなかったよなぁ」
原田が横合いから言った。もれなく原田も永倉もついてきたのだ。ただ、いつもの元気はない。さすがに打ち合わせのギスギスがこたえているのだろう。
「いやなんて、言っていませんけど」
総司は素直に答えた。
「私が言ったのは、いやじゃなくて、おかしいです」
「どっちも同じだよ」
「いえ、違いますから。いやとおかしいは違うでしょ」
「言葉じゃなくて、意味合いだよ。それ言われた土方さんの心境考えたことある?」
「ありませんよ」
可愛らしく小首をかしげた。
「だいたい、土方さんも、気にしないでしょ。私のことなんて気にとめていないし、誰が隣でもいいんじゃないですか」
「なら、どうしてあんなに機嫌悪かったんだよ! ものすっごい怖い顔していたじゃないか」
「え、そうですか? 別に普通だったと思いますよ」
あっけんからんと答えた総司は、きっと、鋼のような神経の持ち主なのであろう。
眉間に皺を刻んで腕組みし、不機嫌オーラ撒き散らしていた男が普通などと言えるとは!
うーと唸ってしまった斎藤の隣で、ずっと聞いていた永倉が言った。
「けど、おれ、総司と席替わるの嫌だから」
「あらら、新八ちゃんは伊東参謀の隣がご希望かー」
からかうように言った原田に、永倉は肩をすくめた。
「そうじゃなくて、土方さんが嫌がるだろ。おれなんかが隣になったら、色々八つ当たりされそうで嫌だ」
「私が八つ当たりされるのはいいのですか」
「八つ当たりされた事あんの?」
不思議そうに原田が訊ねると、総司は「んー」と小首をかしげた。
「別にありませんけど、それよりも喧嘩になることの方が多くて」
「だよなぁ。土方さんが総司に八つ当たりなんかする訳ねーよなぁ」
「どうしてです。あれだけ喧嘩していて嫌われているんですよ」
「ほうほう、総司は嫌いじゃないって訳だ」
「き……っ」
嫌いですよと、言おうとした。軽くいつものように笑おうとしたのだ。
が、なぜか出来なかった。
彼が嫌いと言おうとした瞬間、局長室で見た微笑みを思い出したのだ。目を伏せるようにして、くすっと笑った彼の。
嫌いだなんて、とても言えなかった。
す、少なくとも、顔だけは。うん、顔だけは好きだ。
「顔以外は嫌い、かな」
かろうじて答えを出した総司に、原田は苦笑した。
「拗れているなぁ」
「何がです。それ、伊東先生にも言われたんですけど」
「おお、さすが参謀。よく事情に通じていらっしゃる」
何がさすがなのかもわからない。
それに、総司はちょっとイライラした。戻ってきてから、こういう事が増えている気がする。
何か自分だけ仲間はずれにされているような、そんな気がしてしまうのだ。
むろん、きっと気のせいなのだろう。もともと、総司は遊びなどしないためか、彼らの会話に?となることが多かったのだから。
そう結論づけた総司は「じゃ、私、部屋に帰りますね」と言って、立ち上がった。
……数日後、その「顔だけ好き」の男と一夜を過ごすことになるとはつゆ知らず。
「え、それって私である必要性あります?」
思わず言ってしまった。
またまた局長室だ。数日後のことだった。
突然、近藤に呼ばれたため、(もしかして席順のことかな)と思いつつ行ってみれば、とんでもない事を頼まれたのだ。
「土方さんと一緒に、見張りって……」
「うむ、歳はもう先に行っている」
「あのう、そもそもとして、私だけじゃなく土方さん自身もおかしくありません? 何で、副長自らが見張りなんてやっているのです」
つけつけした口調になってしまった。
かりにも、この大所帯である新選組を率いる副長なのだ。昔のバラガキとは違うのだ。なのに、喧嘩の下準備じゃあるまいし、いったい何をやっているのか。監察方にまかせればいいことだろう。
「もともと歳自身が見つけたものでな。監察も動いているが、歳がさっさと行ってしまったのだ」
「なら、私が行く必要性はありませんよね。だって……」
「総司にしか頼めんのだ、これは」
おっかぶせるようにして、近藤が言った。懇願するように顔を覗き込んでくる。
「あの歳と一緒に見張りなど、他の誰も嫌がるだろう」
私も嫌ですけどね!
などと、この人のいい朴訥な師匠には言えない。
総司は渋々頷いた。
「わかりました。行きます、……今すぐですか?」
「うむ」
「了解です。なるべく早めに切り上げてきますので、交代よこしてくださいね」
「わかった」
重々しく頷いた近藤に疑いの目を向けつつ、総司は立ち上がった。身支度を整えてから屯所を出れば、もう日は沈みかけている。
途中でお腹が空いてきたことに気づき、折り詰めを買った。一応、二つだ。お腹を空かせているだろう土方の前で、一人分の食事をするほど鬼ではない。心優しい一番隊組長なのだ。
が、しかし。
「後で請求はしておこう」
ちゃっかりしていると言うなかれ、親しき仲にも礼儀ありというではないか。ましてや、親しきどころか犬猿の仲の間柄なのだ。全額請求は当然だった。
土方が見張りをしているのは、とある小物問屋の二階だった。と言っても、つい最近空き家になったらしく店も空いていないし、人の姿もない。
総司は裏口から顔をのぞかせた。とたん、ちょうど階段を降りてきた処だった土方と目があった。かるく彼の目が見開かれる。
「……総司」
「差し入れです」
どうして、そんな事を言ったのかわからなかった。
正直な話、顔を見たら文句を言ってやろうと思っていたのだ。副長なのに何でこんな事しているんだ、こっちに迷惑かけないでと。
が、総司がやったのは、折り詰めを持ち上げた事と「差し入れです」の台詞だった。
それに対して、土方は普通に答えた。
「悪いな。面倒かけた」
「……」
まさか、そんな台詞が返ってくるとは思っていなかったので、ちょっとたじろいでしまう。だが、土方が訝しげに「何だ」と見たので、慌てて首をふった。
中へ入ると、当然ながら薄暗い。見張りだから明かりをつけるわけにもいかないのだ。
結局、二人は月明かりが射し込んでいる二階へ上がった。思ったとおり二階の部屋には月明かりが入っていて、意外と明るい。
今夜が晴れでよかったと、総司は思った。きょろきょろしていると、土方は先程まで座っていただろう場所に腰をおろした。
畳敷きになっていて、空き家になってからさほど時が経過していないため、意外ときれいだ。もしかすると、新選組がこうして見張りをするため、監察方が手をいれたのかもしれなかった。
「おまえも座れよ」
「はい」
総司は土方の前に座ると、折り詰めと茶の入った竹筒を置いた。それを、土方が受け取ってから、ふと気づいたように顔をあげた。
「これ、結構高かったんじゃねぇか」
「もちろん、副長の奢りで」
「ちゃっかりしてやがる」
苦笑したが、その口調は柔らかだった。見上げれば、月明かりの中、楽しそうに肩を揺らしている。
それにちょっとドキドキしたが、すぐに視線を折り詰めに戻した。きれいに盛り付けられた料理がとても美味しそうだった。
二人は時々ぽつりぽつりと言葉をかわしながら、食事を始めた。月明かりだけを頼りに食べる食事はおいしく、とても不思議な感じだった。
何だか秘密めいた感じで、気持ちが浮き立ったのだ。
「あ、これ……美味しい」
「どれだ」
「この葉物のです。お味噌の味付けが好きかな」
「こういうの好みか」
「土方さんは?」
「俺もまぁ好きだな。こっちも美味いぞ」
と言って、土方は総司の折り詰めに入っていなかったものを、入れてくれた。それに「ありがとうございます」と言ってから、もぐもぐと食べた。ぱっと顔を輝かせる。
「本当ですね、美味しい」
「だろ?」
二人して折り詰めを食べ合うのって、楽しいなぁと総司は思った。
前までは想像もしていなかった行為だ。
しかし、見張りと言いながら先程から全然見張っていないが、いや、彼は外が見える位置に座っているから、いいのか。
近藤に頼まれた時はあんなに嫌だったのに、こうして一緒に折り詰めを食べて喋ったり笑いあったりしていると、やっぱりここに来て良かったと思った。引き受けて良かったと思ったのだ。
それに、他の誰かが彼とこうして同じ事をしていると考えると……ちょっとだけ嫌だった。
「月がきれいだな」
食べ終わった後、二人は窓の近くに並んで座った。細く開けた障子の間から外が見える。
斜め向かいにある家に、浪士たちがいるだろうに、不思議と町は静かだった。時折、風の音が鳴るぐらいだ。
「月ですか……?」
見上げてみれば、彼の言葉どおりだった。
紺色の夜空に、綺麗な満月がぽっかりと浮かんでいた。少し霞んでいる感じがなおのこと、美しい。
しばらくの間、二人は黙ったまま月を眺めていた。
静まり返った世界がいとおしい。
いつも喧騒の中に身を置いているためか、こうして静かな時がとても大切に思えた。この一時が好きだと心から思う。
今この瞬間、自分と一緒にいるのが彼でよかったと、思った。
「土方さん」
彼の名を、そっと呼んだ。なんだか、現ではなく夢幻のような気がしたのだ。
それに、土方は僅かに小首をかしげた。切れの長い目で見下ろしてくる。
「何だ」
「……ごめんなさい」
俯いた。
「少し……呼んでみただけ、なのです」
「そうか」
意味のわからぬ事を言っているのに、土方は何も追求しなかった。淡々と当然のように頷き、また視線を月に戻した。
さらりと風が彼の黒髪を撫でてゆく。
それを見ながら、思った。
そう言えば、里から戻って以来、彼は自分に対してきつい言葉を投げないな、と。
態度がとても柔らかなのだ。それはやはり、里でのことがあるからなのか。
なら、あれは二人にとって良かったのだ。
総司にしても、無闇やたら彼と争いたい訳ではない。うまくやっていけるのならその方がいいに決まっているのだ。
だが、戸惑うこともある。二人の距離が掴みにくいのだ。
ずっと喧嘩ばかりして、いっそ顔をあわさぬ方がよいと逢う事さえ少なかったのに、なのにあんな事があって。突然、縮まったこの人との距離に揺れている。
心がさざ波のように揺れてしまうのだ。
「総司」
その時、不意に彼が呼んだ。
総司は答えた。
「はい」
素直な返事に、土方がくすっと笑った。きょとんとしていると、黒い瞳がこちらを見下ろす。
なめらかな低い声が言った。
「呼んでみただけだ」
「あ……はい」
ちょっと目をぱちぱちさせてしまった。すると、土方が肩を揺らして声もなく笑う。
それはとても心許した感じの笑い方で、今夜、この人の笑顔を何度見たのだろうと思った。
いつも冷徹な副長として振る舞っている土方の表情は固く、冷たい。
だが、本来の彼はとてものびやかで真摯な若い男なのだ。その一端を見せてもらえる幸せを、じんわり噛みしめた。
幸せだと思う意味も、考えぬままに。
「土方さん」
「あぁ」
「月がきれいですね」
「そうだな」
何という事もない会話を積み重ねて。
もしかすると、こんなふうに二人の距離は縮まっていくのかもしれない。少しずつ少しずつ。
そんな事を思いながら、総司はそっと目を閉じた。
新選組の朝は早い。
早朝から雨戸が仕舞われ、挨拶の声や慌ただしい足音が行き交う。
その喧騒の中、総司はふわぁと欠伸をした。
斎藤が傍らから不思議そうに訊ねた。
「昨日、遅かったのか?」
「えぇ……まぁ」
曖昧に笑ってごまかした。
結局、土方とは次の見張りがくるまで、あの家で過ごした。時折、ぽつりぽつりと会話を交わしながら。
交代が来たのは子の刻になる少し前だった。その後、二人で屯所への道を辿ったのだ。
不思議と心地のよい時だった。行く前はあんなに嫌だと思っていたはずなのに、屯所である西本願寺の門が見えてきた時、総司の心にあったのは、ちょっと気落ちするような思いだった。
(もう少しこの人と一緒にいたかったな)
そんな事まで思ってしまった。
ふと視線を感じて見上げれば、土方は切れ長の目でこちらを見下ろしていた。黒曜石のような瞳がとても綺麗だった。
ぼんやりしていると、彼が手をのばした。一瞬だけ、頬に男の指がふれる。
「!」
びっくりして目を見開いた総司に、土方は微かに眉を顰めた。