「……あっ」
ガシャンッと手元で鋭い音が鳴った。
慌てて掴みなおそうとした時には、落ちて割れてしまっている。
それに、総司は目を見開いた。思わず手をのばし拾い上げようとしたが、その瞬間、声が飛んだ。
「総司ッ!」
彼にしては珍しく鋭い声音に、びくりと身体が震えた。
だが、一瞬、遅かった。既にもう、総司の指さきは傷つき、血をこぼしている。
「……っ」
痛みに唇を噛んだ総司の手首を、土方が乱暴に掴みあげた。血をこぼす指さきに一瞬だけ眉を顰めたが、躊躇いなくそれを唇に含んでくる。
「ひ、土方さん……っ」
思わず頬が熱くなった。
慌ててふり離そうとするが、土方は一向に離そうとしない。それに困惑した。
そこが彼のマンションや総司のアパートであるのなら、ここまで困惑しなかった。だが、そこは戸外であり、カフェだった。
いくら土方がサングラスをしていても、端正な顔だちは隠せず、正体までわからなくとも先ほどから女性客の視線が痛いぐらいだった。
なのに、こんな事をすれば、より目立つ。
「……お願い、離して」
懇願するように言えば、土方はようやく離してくれた。だが、すぐに取り出したハンカチで指を包み込み、そのまま立ち上がる。
え? と見上げたとたん、言われた。
「手当しよう」
「そんな、たいした怪我じゃ……」
「俺が気になる」
そっけない口調だったが、土方が本当に心配しているのがわかった。それに、やはり戸惑ってしまう。
土方はいつも優しく、どんな事でも穏やかに受け止めてくれる恋人だった。感情を表立たせる事は少なく、ましてや苛立つなど、余程な事に限られる。
だが、総司が傷を負う事に関しては別だった。驚くほど不機嫌になってしまうのだ。
カフェを出て歩き出す土方を追いながら、総司は言った。
「でも、あの、せっかく逢えたのに……」
久しぶりのデートだったのだ。
いつも多忙な土方と逢うことはおろか、電話もメールもない日々が続いていた。それに落ち込んでいたところへ、突然、逢おうと言われて舞い上がったのだ。
この後は、前から総司が行きたいと言っていた歌劇を見に行く予定だった。プレミアムチケットを土方が予約しておいてくれたと知った時は、嬉しくてたまらなかった。
それなのに、自分の不注意でデートが駄目になってしまうなど、辛くてたまらなかった。
俯いてしまった総司に、土方が足をとめた。雑踏の中にいるにもかかわらず、頬を手のひらで包みこんでくる。
思わず見上げたが、サングラスに隠され、その黒い瞳は見えなかった。
「……土方、さん?」
「心配するな」
「え」
「この後の予定を不意にしたりしない。斉藤のところにでも行けば、手当てぐらいは出来るだろう?」
「あ……」
そう言えば、ここは斉藤の店のすぐ近くだった。
ほっとしたように頷いた総司の手をひき、土方は再び歩き出した。初めはぼうっとしていた総司も手を繋がれている事に気づき、慌てて振り放そうとした。
だが、土方はぐっと手に力をこめ、離そうとしない。
見上げた端正な横顔は無表情で、総司は少し怖くなった。怒っているのかと思ったのだ。
自分の不注意で怪我したことを、彼は怒っているのだろうか。
無意識のうちに俯いてしまっていたのだろう。
突然、土方が総司の手を強く引いた。あっと思った時には路地裏に引きずり込まれてしまっている。
驚いた総司の身体が柔らかく抱きすくめられた。男の逞しい両腕の中にすっぽりと包みこまれる。
「……土方さん……」
小さな声で呼んだ総司の前で、土方はサングラスを外した。きれいに澄んだ黒い瞳が総司を見つめる。そのまま顔を近づけ、柔らかくキスを落とした。
何度か啄むようなキスをあたえてくれる彼に、総司はおずおずと身を寄せた。
「怒って……いない?」
「怒る? 何を」
「ぼくが……あんな不注意な事をしたこと」
「あれは不測の事態だろう」
「でも、土方さんがとめてくれたのに、ぼく……」
ハンカチに包まれた指に視線を落とせば、血が少し滲んでいた。
それに土方は一瞬眉を顰めたが、すぐに言った。
「おまえが悪い訳じゃない。むろん、怪我をされる事は嬉しくはないが、仕方のないことだ」
「土方さんは……」
「ん?」
「……何でもありません」
言いかけた言葉は、呑み込んだ。
本当は聞きたかったのだ。
どうして、そんなに気にするのかと。
総司が血を流すことに、ここまで過敏になる彼が不思議だった。どんな小さな怪我であっても、総司の血を、土方は酷く忌み嫌っている。
だが、そんなことを聞けるはずがなかった。恐らく訊ねても、土方のことだ、軽く受け流されてしまうだろう。
俯いてしまった総司のなめらかな頬にキスをもう一度だけ落とし、土方は総司を路地裏から連れ出した。サングラスをかけ直しながら、歩き出していく。
淡いパープルのシャツに黒のカジュアルなスーツを纏ったその姿は、モデルばりの端麗さだった。さらりと流した艶やかな黒髪、サングラスに隠されているが、それでもわかる端正な顔だち。
すらりと均整のとれた長身から醸し出される華やかな雰囲気に、すれ違う人々が皆ふり返ってゆく。
「……っ」
そんな視線を感じるたびに、総司は身を竦めた。
こんなにも格好いい彼、それも、人気代議士である土方が連れているのが、少年である自分だということがいたたまれなかった。恋人として愛されていること自体、信じられないぐらいだが、こうして一緒に町を歩くと、ますます切なくなる。
総司は自分を、土方が言ってくれるように可愛いとも、綺麗だとも思っていなかった。大天使として振る舞っている時はともかく、人間としてはせいぜい人並みだと思っている。
むろん、それはまったくの誤解だった。今も、土方だけでなく、傍にいる可憐で愛らしい総司に視線をむける男が多いのだが、まったくわかっていない。
「総司」
声をかけられ、はっと我にかえった。
慌てて顔をあげると、土方が斉藤の店のドアに手をかける処だった。僅かにだが、眉を顰めているのがわかる。
「傷が痛むのか」
「いえ、大丈夫です」
慌てて首をふった総司に視線をやってから、土方は店のドアを開いた。奥から出てきた斉藤に声をかけている。
それを見ながら、きゅっと唇を噛みしめた。
「この間のことなんですけど……」
言いかけて口ごもってしまった総司に、斉藤は首をかしげた。
突然、訪ねてきた総司を訝しく思っていたのだが、何か話がある様子なので、口火が切られるのを待っていた。
斉藤は魔王である土方の右腕であり、彼を除けば最強の上級悪魔だ。最も彼に対して意見を言える立場にあると言っていい。当初、土方が総司を恋人とする事に懸念を抱いていたが、総司自身に魅せられ、今は時折、相談相手を務めるようになっている。
斉藤としては、現状が維持されるのであれば一向に構わないのだ。
これ以上、土方が大天使である総司に溺れるのは望まぬが、一方で、総司が傷つけられると可哀想だなとつい思ってしまう。そんな己に、かなり絆されていると、自嘲していた。
「この間?」
斉藤は総司にミルクティーが入ったマグカップを手渡しながら、聞き返した。それに「ありがとうございます」と受け取りながら、総司がこくりと頷く。
「このお店に土方さんとお邪魔した時のことです」
「あぁ」
「あの時は、本当にありがとうございました」
「何だ、そんなこと」
斉藤はくすっと笑った。
「たいした事をしていないよ。礼を言われるような事じゃない。それに」
肩をすくめた。
「珍しいものが見れたしね」
「珍しいもの?」
「まぁ、土方さんは総司を大切にしているから、珍しくもないかもしれないけれど」
「……」
斉藤の言葉の意味がすぐにわかった。
怪我の手当のことを言っているのだ。斉藤の店で手当をする時も、土方は不快そうな表情を隠さなかった。眉を顰めている彼に、居たたまれなくなってしまった程だ。
むろん、斉藤に手当をさせた訳ではなかった。当然のように、土方が自ら、総司の怪我の手当をしたのだ。
「その事……なのです」
総司は吐息をもらした。
「不思議でたまらなくて……」
「不思議?」
「土方さんは、どうしてあんなに、ぼくが怪我することを嫌がるのかなと。恋人が怪我する事を嫌がるのはわかりますけど、でも、とくに……ぼくが血を流すと、土方さんはものすごく不機嫌になるのです」
「あぁ、確かに」
実際の話、斉藤も少し驚いたのだ。
確かに血は出ていたが、そこまで騒ぐほどの怪我ではなかった。なのに、土方は、わざわざデートを中断し、斉藤の店に総司を連れてきたのだ。手当のためだけに。
多忙な身である土方にとって、総司との逢瀬は一分一秒も惜しいはずだった。ましてや、愛しい大天使との時間を、斉藤に分け与えることなどあり得ない。
なのに、デート中に斉藤の店に寄るなど、余程の事としか思えなかった。
訝しく思ってはいたのだ。
「オレも不思議に思ったよ」
「やっぱり、斉藤さんから見ても、不思議ですよね」
ため息をつき、総司はマグカップに口をつけた。ミルクティーを飲んでから、大きな瞳で斉藤を見る。
「土方さん、他の人にも同じなのですか? 他の人の怪我とかも」
「いや、それはないね」
斉藤は苦笑した。
「他の誰が怪我をしても、まったく気にとめないよ。むしろ、無頓着なほどだ。自分自身が怪我をしても、平気でいるぐらいだからね」
「あ、ぼくも見たことがあるのです。土方さんが怪我をした時、本当に平気で放っているから、逆にびっくりしちゃって……」
彼は、己自身を労るということを一切しない人だ。
それを思い知らされたのは、土方の部屋へ遊びに行った時のことだった。
食事の後、かかってきた電話に、土方は総司に「すまない」と断ってから通話を繋げた。仕事の話らしく書斎へ入ってゆく土方を見送り、総司はソファに坐ってテレビを見ていたのだが、しばらくして戻ってきた彼の手に驚いた。
「土方さん!」
思わず声をあげて駆け寄った総司を、土方は訝しげに眺めた。だが、その手は紙で切ってしまったのか、血を滴らせている。
慌てて手当しようとした総司に、土方は肩をすくめた。
「こんなものすぐに治る」
「でも、血が出ています。手当した方が」
「大丈夫だ」
そう言った土方はかるく手をふり、そこにあったタオルでくるりと包み込んだ。それきり何事もなかったように、ソファへ腰を下ろす。
総司は呆気にとられていたが、すぐさま救急箱を探そうと踵を返した。
「どうした」
「あの、救急箱を探そうと思って」
「そんなものはない」
「え?」
思わず聞き返してしまった。
「ないって……」
「だから、ない。必要ないからね」
「……」
確かに、総司は大天使であり、土方は悪魔だ。
だが、それでも、躰は人間であるため、怪我をすれば痛むし血も流す。風邪をひくこともあるし、疲れで倒れてしまうこともある。大天使だから、悪魔だから、怪我をしないということはないのだ。
なのに、怪我の手当さえしない土方の態度に、驚く他なかった。その後も結局、土方は怪我の手当をすることもなく、平然としていたのだ。
「なるほど」
話を聞いた斉藤は苦笑した。
「土方さんらしいな」
「ぼくの時は、あんなに心配してくれるのに、どうして? と思います」
「まぁ、それだけ総司を大切にしているってことだよ」
「それとも……少し違う気がするのです」
総司は唇を噛みしめた。
血を流す総司を見た時の、彼の黒い瞳が忘れられなかった。そこには、焦燥と怒りが確かにあったのだ。
土方にしては珍しいことだった。常に彼は冷静であり、滅多に己の感情を剥き出しにすることはない。
なのに。
「何か理由があるのかなと思って……斉藤さんは知りませんか?」
「理由?」
「例えば……」
総司は少し躊躇った。
「昔の……恋人が大きな怪我を負った、とか……」
「昔の恋人?」
聞き返し、斉藤は首をかしげた。それに、総司がなめらかな頬を染めた。
「べ、別に昔のことを詮索するつもりはないのです。土方さんほどの人です、ぼくなんかより、ずっと素敵な人とつきあって当然だし……」
「さぁ、心あたりがないけど」
くすっと笑った。ショーケースの上に肘をつき、かるく身を乗り出す。
「それとも、気になる? 土方さんの過去」
「い、いいえ」
慌てて首をふる総司が可愛らしかった。斉藤は小さく笑いながら、自分のために入れたカフェオレのカップに口をつけた。
土方に、過去の恋人などいなかった。それは確かだ。
むろん、魔王として復活する以前のことは知らない。
だが、今の躰を得てから、恋人をもたなかった事は確かだった。適度に遊んではいた。気にいったものを選び、欲を発散させていることは知っている。だが、どれも一夜限りの関係だった。
だからこそ、驚いたのだ。
土方が総司を選び愛した時は、危機感さえ抱いた。魔王が大天使を愛するなど、危険極まりない行為だった。
それでも、二人は愛しあい、深く繋がっている。今や、誰にも切り離すことは出来ぬ絆の強さだった。
絆の強さゆえに、土方は総司の傷を厭うのかと思った斉藤は、すぐにそれを否定した。
土方が総司を愛している事は確かだが、傷を厭う必要などなかった。魔王である彼の力は絶大であり、総司が負った傷など、容易に癒やすことが出来る。
なのに、土方は総司が傷を負うと不機嫌になる。怒りを覚えていることは確かだった。それが訝しい。
(一度、探りを入れてみるかな)
斉藤はそんな事を思いながら、総司にミルクティーのお代わりを入れてやるため、マグカップを取り上げた。
数日後のことだった。
斉藤はジュエリーのデザインの参考とするため、ある画廊を訪れていた。
画廊と言っても小さなものではない。かなり広い店内は人の数も多く、そこそこ賑わっていたが、さすがに画廊だけあり静寂が大半を占めていた。
だが、不意に、小さなざわめきが走る。
「……?」
ふり返った斉藤の目に、秘書が開いたドアから入ってくる一人の若い男の姿が映った。
土方だ。
先日と違い、すらりとした長身に上質のスーツを纏っている。落ち着きと風格のある物腰は、只者ではない事を周囲に知らしめた。もっとも、今日はサングラスをしていないので、誰もが代議士土方歳三だとわかる。
そう言えば、この絵は、土方が支援している画家が描いたものだったと、斉藤は思った。むろん、悪魔の一人であり、先ほども、上級悪魔である斉藤に挨拶にきていたのだが、気にもとめていなかったのだ。
土方も斉藤の存在に気づいたようだが、声をかける気はないようだった。知らぬ顔で、他の客達と歓談している。
しばらく話をしてから、土方は画廊を出ていった。仕事の合間に寄ったのだろう、画廊の前に停められてある車に歩みよってゆく。
それを見て、斉藤は後を追った。
「土方さん」
車の後部座席に身を滑りこませようとしている土方に、声をかけた。それに、彼は答えない。
傍らから、山崎が斉藤にむかって恭しく一礼した。
「どうぞ、お乗り下さい」
「いいのか」
「主の許しは頂いております」
それに頷き、斉藤は車の後部座席に乗り込んだ。山崎が外からドアを閉め、運転席にまわる。
緩やかに動き出していく車の中で、斉藤はいきなり口火を切った。それ程時間は多く与えられていない。
「ちょっと聞きたいことがあるのです」
「報告じゃねぇのか」
土方はゆっくりと膝を組みながら、薄く嗤った。
「報告?」
「この間、総司がおまえの店へ行っただろう。何度言っても、あれはおまえを頼る」
「オレを頼っている訳じゃありませんよ。だいたい、オレに話すことなんて、土方さんのことばかりですし」
「……」
「それで、聞きたいことがあるのです」
一つ息を吸ってから、斉藤は鳶色の瞳で、こちらに端正な横顔を見せている土方を真っ直ぐ見た。
「あなたは何故総司が傷を負うと、苛立つのですか」
「……」
しばらくの間、土方は何も答えなかった。無言のまま、車窓に流れる光景を眺めている。
答えは返らないかと思ったが、やがて、低い声が問い返した。
「……聞いてどうする」
「どうもしません。ただ、知りたいと思っただけです。総司がひどく気にしていましたし」
「なるほど」
土方はシートに背を凭せかけ、ふっと微かに笑った。
「おまえは総司のために、俺に問うている訳か」
「いや、まぁ、オレ自身、何でかなと不思議だったので。つまりは好奇心ですね」
「好奇心、か」
彼の黒い瞳が愉悦をうかべ、ちらりと斎藤を一瞥した。形のよい唇が冷笑をうかべる。
「詮索好きとは、おまえも意外と面倒くせぇ奴だな」
「悪魔の特性ですから」
そう答えた斉藤だが、問いを繰り返す気はなかった。土方が即答しなかったという事は、その気がないということなのだ。
だが、一方で、それは、彼なりの理由がある事も意味していた。土方は何らかの理由から、総司に対し、傷を負うこと、血を流すことを厭うている。
それがどんな理由であれ、土方が答えぬ以上、謎は謎のままにするべきだった。長年、彼の右腕をしている斎藤は、引き際も心得ている。但し。
「土方さん」
店前で降ろしてもらう直前に、斉藤は言った。
「私の問に答えないのは構いません。でも、総司には話してやった方がいいと思いますよ」
「……」
「あなたも、総司を不安にさせたくはないでしょう。過去の恋人のことまで気にしていましたし」
「過去の恋人?」
斉藤の言葉に、土方がくすっと笑った。肘掛けに頬杖をつき、切れの長い目で斉藤を見やる。男でも、どきりとするような艶っぽい瞳だ。
言葉遊びをするように、呟いた。
「面白いな。あれがそんな事を気にするとは」
「土方さん」
咎めるように呼んだ斎藤に、土方はそれきり何も言わなかった。ちょうど、車が斉藤の店前につけられる。
車を降りた斉藤の前で、静かにドアが閉じられた。
「……やれやれ」
走り去ってゆく車を見送りながら、相変わらず食えない主の態度に、斎藤は溜め息をついたのだった。
レモンパイがさくりと音をたてて切られた。
真っ白な皿にのせられたレモンパイが、総司の前に置かれる。傍に置かれたカップからは紅茶の甘い香りがたちのぼった。
それをぼんやり見ていると、正面から声がかけられた。
「食べないのか」
「……あ」
はっと我に返った。
慌てて顔をあげてみれば、土方がテーブルの肘をつき、深く澄んだ黒い瞳でこちらを見つめていた。
仕事の後に逢うことになったため、先日と違い、ダークラインのスーツ姿だ。
上質のスーツを難なく着こなしている様が、見惚れるほどの華がある。綺麗に整えられた黒髪が艷やかで、濡れたような黒い瞳で見つめられると、どきりと鼓動が跳ね上がった。
また、ぼんやり見つめてしまったのだろう。
土方が苦笑した。手がのばされ、しなやかな指さきが総司の頬にふれる。
「突然すぎたのか? 強引だったな、すまない」
「え、あっ」
総司は急いで首をふった。
「違います、そんな。突然でびっくりしたのは確かですが、でも、強引だなんて」
「なら、何か考え事か?」
「……そう、です」
小さく答えてから、総司はフォークを手にした。ようやくレモンパイを食べ始めた総司に、土方は何も言わなかった。
土方が訪ねてきたのは、今日の夕方のことだった。
これから夕食でも一緒にしないかと誘われたのだ。総司はもともと店が休みだったので、すぐに出ることができたが、あまりにも突然の誘いに戸惑ってしまった。
政治家である土方は、総司から見ればいつ眠っているのだろうと思うぐらい、忙しい。
多忙な日々を送っているため、デートできることは稀だ。下手をすると、一ヶ月ぐらい逢えないこともざらにある。
なのに、今日は翌日まで時間があいているという。とても珍しいことだ。
だが、一方で考えてしまった。
(もしかして、この間、斉藤さんの店へ一人で行ったことがバレたの……?)
こちらを見つめる彼の笑みが、少しだけ怖かった。