いつもの場所で、明日の夜8時に。





 そんなメールが届いたのは、今朝の事だった。
 総司は朝ご飯をつくる手をとめ、携帯の画面を見つめた。
 だい好きな恋人である土方からのメールだ。デートの誘いだ。久しぶりに逢えることへの嬉しさの反面、どこか切なさがある事も確かだった。


(まるで愛人との密会みたい……)


 いつもの場所というのは、とあるホテルの一室だった。
 コーナースイートである部屋は、総司が泊まった時に気にいったと云った事から、土方がリザーブするようになった。贅沢だと思ったが、彼はたいして気にしていないらしい。
 だが、その部屋を利用するのは、決まって夜だった。多忙な土方とは長い間逢えない事も多々ある。そのため、焦れるほど逢えなくなると、決まってこういう誘いがあった。
 いつもの場所で、一夜を過す。
 抱きあう事もあったが、何もしない夜もあった。ただ抱きしめあい、口づけ、様々な事を語りあう夜もあるのだ。
 だが、それでも、翌朝には別れてしまう。その刹那的な感じが、総司に切なさを覚えさせた。
 別れ際はいつも辛いが、一日共に過した後と、一夜だけで別れるのは、意味が違う。まるで愛人との密会のようだと、つい思ってしまうのだ。
 もっとも、密会であることはある意味真実であり、そうあるよう望んだのは、むしろ総司の方だった。
 土方自身はまったく無頓着なのだが、どうしても気にしてしまうのだ。
 愛する彼の立場を考えると、ひどく臆病になってしまう。もしもこの恋が世間にばれたらと思うと、その時、彼に浴びせられるだろう非難を想像するだけで、ぞっと背中が寒くなってしまうのだ。
 だが、土方自身はまったく心配していないようだった。
 外でも堂々と総司にふれてくるし、逢うことも躊躇わない。いつでも公表してやるとまで云われたのだ。
 そんな彼の強さが、自信にあふれた様が、総司には眩しく──切なかった。
 愛されているという想いとは、裏腹に。


「ぼくって、我儘なのかな」
 総司はため息をつき、パタンと携帯電話を閉じた。
 むろん、承諾のメールは送ってある。だが、気持ちは複雑だった。
 愛人扱いされたくない。なのに、秘密にはしておきたい。そんな総司の気持ちを全部理解し、出来るだけ心にそうようにしてくれる土方が、誰よりも愛しかった。
「分不相応の恋人だよね」
 確かに、自分は大天使だが、この世界ではただの少年だ。一方、土方は地位も名誉も財力もあり、その上、あの容姿、頭の切れ、清廉で誠実な性格だ。何も、総司など選ぶ必要もなかった。否、総司を選ぶことは、リスクの方がより多いのだ。
 大天使だった。
 悪魔たちにとっては、宿敵だ。それは総司たち大天使にとっても同じくであり、この恋は、決して褒められた事ではなかった。むしろ、ばれれば糾弾される。
 唯一総司の恋を知っている伊東は、弱い悪魔ならばと見逃し他言無用としてくれているようだが。彼はどうなのだろう。
 この恋が、もし、魔王に知られたら……?
「……っ」
 総司は思わず、ぞくりとして両手で自分の肩を抱きしめた。どうしようもない程の恐怖がこみあげてくる。
 血の気を失った唇で呟いた。
「あの人はきっと殺される……」
 魔王の怒りにふれ、殺されるに違いない。それほど危うい恋だった。常に危険に隣あった場所で、自分たちは愛しあっているのだ。
 総司は窓際に寄り、朝の空を見上げた。白い鳥が飛んでゆくのが見える。
 何のしがらみも枷もなく、自由に空を舞える鳥が羨ましかった。同じように翼をもちながら、愛する人を危険に晒さざるを得ない自分が切なかった。
「土方さん……」
 小さく呼んだ声は、白っぽい朝の光にとけ消えた。












 呼び鈴を押すと、ドアが開かれた。
 滑りこむように入った総司の後ろで、ドアが閉まる。思わず彼の名を呼ぼうとした総司に、土方は悪戯っぽく笑いながらキスをした。
「名前より、先にキスが欲しいからね」
「土方さん……」
「久しぶりだ。ほら、総司からもキスをくれないか」
 彼の言葉に頷き、総司は爪先だちになった。土方の肩に手をかけ、そっと唇を重ねる。
 恥ずかしがり屋の総司らしいバードキッスだったが、その甘い稚さがかえって男を煽ったようだった。
「可愛い、総司」
 目を細め、小柄な躯を腕の中に抱きしめた。細い顎を掴んで仰向かせ、深く唇を重ねてくる。吐息まで奪うような、濃厚なキスだ。
「ぁ…んっ……んぅ……」
 そのまま扉横の壁に背を押しつけられた。セーターをめくりあげ、白い肌のあちこちに口づけを落としてゆく。
「や……」
 総司は驚き、思わず抗った。このまま抱かれるのかと、彼の性急さに怯えたのだ。
 それでも、土方は手を緩めなかった。総司を宥めるように優しく愛撫し、愛してゆく。
 総司のジーンズを下着ごと下ろさせると、やがて、土方は床に跪いた。白い腿の間に顔をうずめ、総司のものを舌で愛撫してゆく。
「ッ! ぁ、や…ぁ、だめぇッ」
 総司は顔を真っ赤にし、抗った。思わず男の髪を掴んでしまう。だが、引き離したいのか、もっととねだりたいのか、どんどんわからなくなった。
 土方は総司のものをねっとりと舐めあげた。もっとも感じる先っぽに舌先を捩じこまれ、総司は身を仰け反らせた。
「やあ……ッ!」
 ぶるっと小柄な躯が震えた瞬間、総司のものが弾けた。甘い快感の絶頂。啜り泣く総司を宥めるように、土方は柔らかく蜜を指に絡めた。奥にある蕾をほぐしてゆく。
 総司の躯が柔らかくなると、土方は立ち上がり、左膝を抱え上げた。己の前を開き、猛りをあてがう。
「……っ」
 熱い感触に目を見開いたが、総司はもう抗わなかった。壁に背を凭せかけ、けなげに躯を開こうとする。
 それを感じとったのか、土方が微笑んだ。
「いい子だ……」
 低い声が耳もとにふれる。それに、目を閉じた瞬間、ぐっと膝裏を押しあげられ、男の猛りが蕾に突きたてられた。くちゅっと音をたて、入ってくる。
「ひ───」
 目を見開いた。苦痛に、思わず上へずり上がろうとするが、身動き一つ出来ない。土方は総司の膝裏を痛いほど押え込んだまま、一気に最奥まで貫いた。
「ぃ…ぁああッ!」
 鋭い悲鳴をあげ、総司が仰け反った。ぽろぽろと涙がこぼれる。
 思わず壁に爪をたて、泣きじゃくった。
「ッ…ぃ、たい…ぃたぁ……っ」
「総司……息を吐いて」
「や……ゃ…ぁ、ぁ…こわ…ぃ……っ」
 立ったままの交わりのためか、いつもより深い処まで男の猛りに穿たれていた。どうしようもなく怖くなってしまう。
 泣きながら首をふる総司を、土方は柔らかく抱きしめた。頬や首筋にキスを落し、総司のものも揉みこんでやる。
「っ…は、ぁ……ぁ……」
 桜色の唇から、吐息がもれた。なめらかな頬にも、赤みがさし始める。
 その頬に唇でふれ、そっと優しく囁いた。
「愛してる、総司……」
「ぁ、ぁ……」
「俺を……愛して」
「……っ」
 長い睫毛が瞬き、涙に濡れた瞳が彼を見つめた。小さな唇がそっと彼の名を呼ぶ。
「土方さん……」
「あぁ」
 頷いた土方に、総司は両手をのばした。男の首をかき抱き、躯をより密着させる。深く繋がった下肢はそのままに、土方は少年の華奢な躯を抱きしめた。
「……愛してます」
 小さな吐息のような声に、微笑んだ。
 それだけでいいと思う。
 ただ、それだけで。
 ゆっくりと動き始めた男に、総司は微かに息を呑んだ。だが、すぐに甘やかな快楽に誘いこまれてゆく。
「ぁッ、ぁあっ…ぁ、んっ」
 掠れた声をあげ始めた総司に、土方は激しく腰を打ちつけた。そのたびに、弾けるような快感が突き抜ける。
「やッ、ぁあっ…土方…さ……っ」
「……総…司……っ」
 戸を隔てたすぐ向こうは、人の行き来のある廊下だ。そんな危うい場所で、激しく互いを求めあった。一度達した後は、大理石の床上に押したおし、獣のように交わる。
 世界に、二人しかなかった。
 しがらみも枷も何もかも忘れ、互いの存在だけを感じて求めあう。
 甘い蜂蜜のような夜に、二人はどこまでも溺れていったのだった。











「……もしも」
 不意に、土方がその言葉を吐いたのは、夜も11時になろうという頃だった。
 じゃれあうようにしてシャワーをあび、ルームサービスで頼んだ食事を、ソファに二人並んでとった。
 食後、土方は総司のために甘いスイーツも用意してくれていたので、総司はアイスクリームをすくいながら、土方は珈琲を飲みながら、様々な事を話していた。
「……」
 総司は、傍らに坐る土方をそっと眺めやった。バスローブを纏い、ゆったりとソファに坐っている土方は、男の色香が匂いたつようだった。
 まだ僅かに濡れた黒髪を指さきでかきあげる仕草一つにも、思わず見惚れてしまう。華があるというのだろうか。
 ストイックで清廉な印象がある彼だが、情事の時や、くつろぐ時などは、はっとする程の艶を漂わせた。
「何だ」
 じっと見つめる総司に、土方は気がついた。不思議そうに見返し、訊ねてくる。 頬を染め、何でもありませんと首をふる総司に、小さく笑った。何だか見透かされているような気がして、ますます赤くなってしまう。
 そんな総司を、土方はしばらくの間、逆にじっと見つめていた。そして、一瞬唇を噛むと、低い声で云ったのだ。
「……もしも」
「何……?」
 可愛らしく、総司は小首をかしげた。
「もしも……何ですか……?」
「いや……」
 土方はゆるく首をふると、微かに笑ってみせた。それきり言葉を途切らせた、黙り込んでしまう。
 端正な顔にうかぶ憂いの表情に、総司は不安を覚えた。
 昨日の朝、様々に思った不安や恐れが蘇ってくる。この恋故の危険も。


 もしかして、別れを告げるつもりなの?
 もう潮時だと、そう……?


「土方さん……」
 総司は居住まいを正した。
「何か……お話があるなら、云って下さい。ぼくは驚かないから」
「驚かないって?」
「だから、その……あなたが別れようと云っても」
「え?」
 土方は驚いたように目を見開いた。傍らの総司を覗き込んでくる。
 それを、微かに震えながら見あげた。大きな瞳が不安に揺れている。
 短い沈黙の後、土方は低い声で訊ねた。
「……別れたいのか?」
「ちが…います」
「おまえは俺と別れたい。そういう事なのか?」
「そんなの……」
 ふるふると総司は首をふった。男の背に両手をまわし、ぎゅっと抱きついた。
「別れたくなんかない……! だけど、でも……っ」
「天使が悪魔と愛しあっているんだ。罰せられるのだろう」
「わかりません。今までそんな話聞いた事もないから」
「……確かに」
 土方は総司の髪を撫でながら、薄く笑った。形のよい唇の端がつりあがり、冷ややかな嘲笑をうかべる。
 だが、総司がそれを見る事はなかった。
「そんな話、聞いた事もないか。ありえる話ではないからね……だが、暴かれれば罰せられるだろう」
「罰せられるのは……あなたの方ではありませんか?」
 総司は土方の胸に顔をうずめたまま、小さな声で云った。
「天使と愛しあったのです。あなたのような力の弱い悪魔では、裏切り者として簡単に罰せられてしまう……」
「俺を? 誰が?」
「もちろん……魔王です」
 総司がその言葉を口にした時、声音には畏怖と不安が満ちていた。


 伊東や、その他の大天使たちからの話もあるが、何よりも、以前のハロウィーンパーティでの恐怖が今なお、強く残っていたのだ。
 晴れ渡っていた青空に、突然、黒い闇雲が一気にたちこめてゆくようだった。
 戦う事などもちろん、抗いさえできない──巨大な力。
 それを、まざまざと感じ、総司は身震いしたのだ。


「……っ」
 怯えたように目を閉じた総司を、土方は一瞬、見下ろした。
 だが、すぐ堪えきれぬとばかりに、笑い出した。くっくっと喉を鳴らし、笑う。
 おかしくておかしくて、堪らぬようだった。
 そんな男に、総司は驚いて目を見開いた。
「……土方…さん……?」
 総司を腕に抱いたまま笑いつづける男に、戸惑った。 
「いったい、何がおかしいの? 土方さん……?」
「……いや……すまない」
 土方はようやく笑いをおさめると、総司の躯をきつく抱きしめた。どこか愉悦を含んだ瞳で見下ろしながら、囁きかける。
「大丈夫だ。何も心配することはないよ」
「え、だって……」
「魔王は、そんな些細なこと気にしないさ。恋愛は各々の自由だと割り切っている」
「それはわかるけれど……」
 総司は長い睫毛を伏せ、そっと彼の胸もとに寄りそった。
「でも、ぼくは大天使です。ふつうとは違うでしょう?」
「確かに、ふつうじゃないね」
「だから……不安なのです。もし、あなたが罰せられたら、煉獄へでも堕とされたら……そう思うと……」
「煉獄、か」
 低く呟き、土方は総司の細い肩を抱き寄せた。切れの長い目を僅かに細めた。
「おまえは、知っているのか? その煉獄とは、どういう場所なのか」
「えぇ、話にだけは聞いています。見たことはありませんけれど」
「当然だろうね。おまえは、清らかで美しい天使だ。それも、神に選ばれ祝福された大天使。煉獄など、無関係の話に違いない……」
「それは、あなたもでしょう?」
 総司は思わず訊ねた。
 大きな瞳が、まっすぐ男を見あげた。
「あなたにも無関係のはず。そうではないのですか?」
「だが、俺は悪魔だ」
「力の弱い、です。あなたの中にある悪は、人がもつものと変わらない。むしろ、もっと邪悪な人だっている。だから、あなたが煉獄に堕ちることなど……」
「……」
 それに、土方は黙ったまま身を起こした。
 しなやかな動作でソファから立ち上がると、部屋を横切った。
 窓際に歩み寄り、その窓ガラスの向こう──一面に広がる都会の夜景を眺める。レッドに輝く東京タワーも見えた。


 今夜も、あそこで天使たちは集っているのだろうか。
 清冽であるべき大天使が、事もあろうに、邪悪な魔王に抱かれているとも知らず……。


 唇の端がつりあがり、冷笑をうかべた。
 だが、その笑みをかき消すと、土方は総司の方へ向き直った。柔らかく小首をかしげ、問いかけてみせる。
「本当に、堕ちないかな?」
「え」
「たとえば、この恋が、裏切り……反逆だと」
 ゆっくりと目を細めた。
「そう裁かれ、罰せられたなら? おまえとの愛が、許されないものだったのなら……?」
「それは……」
 総司は息を呑んだ。戸惑った表情で彼を見つめる。
 しばらく黙ってから、小さな声で答えた。
「それは……わかりません。ぼくは、魔王の判断など……」
「わかるはずもないか。当然だ」
 くすっと笑い、土方はゆっくりと手をあげた。僅かに乱れた黒髪を、片手でわずらわしげにかきあげる。
 そうしながら背をむけ、再び、宝石のように輝く夜景へ視線をやった。
 沈黙が落ちた。
「……」
 総司は、男の広く逞しい背を見つめた。


 いつも──こうして、時々、彼はどこか遠くへ行ってしまうのだ。
 深い孤独を感じるのか、悲しみを感じるのか。
 それはわからない。
 だが、総司は、こんな彼の背を見るたび、たまらなく切なくなった。何か、彼が抱えている真実に──闇に、ふれたいとさえ願った。
 彼の奥に息づく、昏い闇に。


(……そうなんだ)


 総司はそっと長い睫毛を伏せた。


(こんな時、思い知らされる。ぼくがどんなに、この人を愛してしまっているか。虜にされているのか)
(天使であるぼくが、悪魔であるこの人の闇にふれたいなんて。そんなこと……許されるはずもないのに)


 両手をぎゅっと握りしめた。
 そんな天使に、静かな声がかけられた。
「……総司」
 ゆるゆると顔をあげると、土方はこちらを見つめていた。
 夜景をバックにして、その表情は読めない。
 だが、薄闇の中で、濡れたような黒い瞳がきらりと光った。それが、獰猛な獣じみていて、総司は思わず身をすくめた。
「……何…ですか」
 怯えたような声だったのだろう。
 それに、土方が目を細めた。
「何を怖がっている……おまえは俺が怖いのか?」
「そうじゃないけど、でも……」
「怖がられているのなら、こんな事を聞いたら、Noと云われるかな」
 そう呟いた彼の声がどこか淋しげで、総司は目を見開いた。
 ゆっくりと歩み寄ってきた土方を見れば、その目は僅かに伏せられ、唇は固く引き結ばれている。
 まるで、少年のような──親に捨てられた子供のような表情だった。


(……土方…さん……!)


 総司はたまらなくなった。
 先程の怖さが嘘のように消え、かわりに、彼への激しく深い愛情がその胸を熱くする。
 そんな総司を、土方は黒い瞳で見つめた。
「俺は……聞いてみたかったんだ」
「何を、ですか?」
「もしも、俺が罰せられ、煉獄へ堕とされたら……」
 一瞬、目を伏せた。唇を噛みしめ、視線を落とす。だが、すぐに顔をあげると、総司をまっすぐ見つめた。
 そして、掠れた声で訊ねた。


「総司、おまえは俺について来てくれるのか……?」