その知らせが入ったのは、夕方の事だった。
 土方は議員会館を出て、車に乗り込もうとしていた。山崎が車のドアを開き、待っている。
 これから、料亭での会合が予定されていた。さして美味くもない食事に、上辺だけの笑みをうかべた女たち、淀んだ空気を思うだけで気分が悪くなり、思わず舌打ちをする。
 何か不興を買ったかと顔をあげる山崎に、かるく首をふった時、胸ポケットで発信音が鳴った。出てみると、斉藤だ。
「どうした」
 土方は車の後部座席にしなやかな動作で身をすべりこませながら、問いかけた。ドアを閉めた山崎が素早く運転席にまわり、車を発進させる。
「こんな時間に珍しいな」
 そう言った土方に、斉藤は彼らしくもなく口ごもった。
「それが……報告があるのです」
「何だ」
「総司が囚われました」
「……」
 土方の眉が顰められた。
「囚えられた? 誰にだ」
「悪魔にです。先日来、例の国で戦いが続いていたことは知っていますよね? あの戦いで天使たちが劣勢になり、部下を庇った総司が囚われの身になってしまったのです」
「なるほど」
 男の声に動揺はなかった。むしろ、斉藤の方が動揺している。
 口早に問いかけた。
「どうします? 今すぐ解放するように命じますか」
「それが出来る連中か」
「いえ、それが……」
 言葉を濁す斉藤に、土方は喉奥で低く嗤った。
 絶大な力をもって悪魔たちを支配する魔王だが、それでも、反しようとする一派はいるのだ。ほんの僅かな勢力であり、目立った行動をしないため、放置していた。また、そこまでいかなくとも、土方が大天使を傍においていることを、心よく思っていない悪魔もいる。
 今回も、そのような連中が動いたのだろう。表立って罰するわけにはいかないため、始末におけない。
 もっとも、総司が傷つけられたのであれば、話はまた違ってくるのだが。
「傷は負わされていねぇだろうな」
 念押しするように訊ねた土方に、斉藤が答えた。
「確かに傷は負わされていませんが……迷路に入れられました」
「迷路……?」
 どういう意味だと聞き返そうとした瞬間、理解した。


 迷路とは、文字通りの意味なのだが、悪魔がつくりあげた出口のない暗黒世界だった。
 そこに入れられた者は恐怖と絶望におそわれ、人間ならば発狂すると言われているのだ。


 総司が今そこにいるという事実に、土方は思わず眉を顰めていた。
 むろん、総司は人間ではない。大天使である以上、人間にくらべれば余程精神力も強いし、ある程度の力もあるので対抗することも出来るだろう。もしかすると、迷路を突破することも出来るかもしれない。
 だが、それでも、総司がそんな暗黒世界に置かれているという事実は、土方に不快感をあたえた。
「……っ」
 きつく唇を噛みしめる。
 その気配を感じとったのだろう。斉藤が言った。
「オレが飛びましょうか。すぐに助けだすことが出来るかはわかりませんが」
「連中には、あの迷路に閉じ込める事は出来ても、出す力はねぇからな。ったく、ふざけた話だ」
 おそらく永遠に閉じ込めておくつもりなのだろう。
 それとも、土方か斉藤が救い出しにくることを見越しているのか。
 土方はゆっくりと足を組み直すと、目を細めた。
「……あいつらを少々甘やかしすぎたか」
「かもしれません」
「どうせ、消しても構わねぇ連中だ。もともと役立たずばかりだったからな」
「……」
「始末しろ」
 容赦なく言い切った土方に、斉藤も反対しなかった。
「わかりました」
「おまえがやるべき事は、それだけでいい。むろん、おまえ自身が手を汚すことでもねぇだろうがな」
「下の者を使います。力量を少々はかってみたい者がいますので」
「へぇ」
 土方は面白そうに嗤った。
「珍しいな、新しいのを手にいれたのか」
「えぇ。近いうちに、見てやって下さい」
「わかった。楽しみにしている」
「それで……総司の方は」
「おまえはそれ以上動くな。俺が始末する」
「土方さん自らですか」
 斉藤の声音に、非難の色がこもった。だが、それに、土方はゆるく小首をかしげた。
「何が悪い。あれは俺の恋人だ」
「わかっています。ですが、あなたは」
「俺が何者であっても、愛する者を救いにいくのは恋人以外にねぇだろう」
「そんな事をすれば、あなたが魔王だということがわかってしまいますよ。迷路を突破するなんて、普通の悪魔では到底できません」
「適当にごまかすさ」
 楽しげに嗤う土方に、これ以上言っても仕方がないと思ったのだろう。斉藤はため息をつくことで、了承の意思を示した。
 通話を切ると、土方は一瞬だけ瞼を閉じた。だが、すぐに目を開き、山崎に命じた。
「今日の会合をキャンセルしろ。急用が出来た」
「わかりました」
 むろん、山崎が反駁することはない。それに、言葉をつづけた。
「今夜の成田発の便をおさえることが出来るか」
「やってみます」
 山崎は車を路肩に停めると、複数の箇所へ電話を始めた。しばらくして、おさえることが出来たと言う山崎に頷く。
 成田へと向かう車の中、土方は黙ったまま目を閉じた……。












「……土方さん?」
 誰かに呼ばれた気がして、ふり返った。
 それも、愛する彼に呼ばれたような気がしたのだ。
 だが、そこには誰もいなかった。当然なら、目に映るのは闇だけだ。
「……」
 総司は壁に凭れかかると、ため息をもらした。
 かなりショックを受けているらしい。空耳で彼の声を聞いてしまうなんて、弱っているのだと自分を叱咤したくなった。


 囚われた瞬間、当然だが、抗いはした。
 だが、抗う暇もなく、この闇の中へ突き落とされたのだ。煉獄へ落とされるか、命を奪われるかだと思っていた。なのに、闇の中へ落とされ、初めは戸惑ったが、すぐさま彼らの意図を悟った。


(ここは、あの悪名高い迷路……)


 天使のみならず、人間、それどころか、裏切った悪魔などの処刑に使われる暗黒世界だと、聞いたことがあった。
 恐怖と絶望だけに満たされた闇の中で、少しずつ囚われた者たちは狂っていくのだ。出口がない迷路であるため、いつまでも真の闇の中をさまよい続けることになってしまう。
 むろん、総司はそれらについて知っていたが故に、無駄に動こうとは思わなかった。恐怖も絶望感もない。ただ、焦りはあった。
 先ほども、この迷路を突破しようとしてみたのだが、あと少しの処で抑えこまれてしまったのだ。底なし沼に手を入れたような感覚だった。ずぶずぶと力も躰もうずもれていくような感覚に、ぞっとする。
 そのまま闇に取り込まれてしまいそうだった。
 だが、これが悪魔がつくったものであるのなら、大天使である自分が突破出来なくてどうするのかと、きつく唇を噛みしめた。
「弱気になっちゃ駄目だよね」
 そう呟いた。
 だが、奇妙なぐらい篭った声になり、総司はゆるく首をふった。
 ここでは、時も音も光もすべてが吸い込まれてしまうと聞いたことがあった。まさに、悪魔がつくりあげた闇の檻なのだ。
 総司にすれば、殺した方が早いではないかと思いはしたが、ここに入れられた以上、逃げ出す術を考えなければいけなかった。少なくとも生きているのだ。煉獄に落とされた訳でもない。なら、そのチャンスを生かさなければいけなかった。
 一つ息を吸った時、ふと思った。


(土方さんは、この事を知っているの……?)


 彼は悪魔と言っても、下級悪魔にも及ばない力しかない。そうである以上、悪魔として活動もしていないし、戦いにも一切参加していなかった。
 その彼に、大天使である総司が囚われた事など、知らされるはずがないとも思った。
 一方で、総司が長く音信不通になれば、心配して探してくれるだろうことは確かだった。当然ながら、人間としての社会で見つからなければ、大天使としての立場を考えて探すことになるだろう。いずれ、この迷路に行き着くことも考えられた。
 だが、それは避けなければいけない事だった。
 彼をこの戦いに巻き込みたくないのだ。土方が望んでいなくとも、彼の中にある魔の力は着実に増してきている。そんな彼をこれ以上、悪魔に近づけたくなかった。
 悪魔に傷を負わされた時、その疵を癒してくれた最愛の男。だが、あの行為でより魔の力は増したのだ。それが総司には酷く負い目になっていた。魔の力を高めないでと言っておきながら、あんな事をさせてしまった自分の弱さに涙がこぼれそうになった。
 だから、もう彼を巻き込みたくないのだ。


(わかっている。ぼくが大天使で、あの人が悪魔である限り、完全に遠ざけることなんて無理だってこと。でも……)

 恐ろしいのだ。
 彼の中にある悪が高まっていくことが。
 二人が出会った時よりも、確実に魔の力を高めている彼。
 むろん、もしも彼が大きな力を手にしたとしても、そのことで気持ちが変わるはずもなかった。愛しているのだ、もう彼がいないと生きてゆけないぐらいに。
 自分にとって、彼は、すべてだった。本当の意味で、自分のすべてなのだ。
 その彼を失えるはずがない。
 だが、一方で、悪を高めて欲しくないことも確かだった。悪が高まれば、必然的に大天使たちの目にとまる可能性が高くなる。処刑されてしまうかもしれないのだ。
 討たれるのであれば、共にと思っているが、それでも、そんな事は起こってほしくない。
 いつまでも、彼を愛し愛されて、二人寄りそっていきたいのだ。


 総司はその場に坐り込むと、膝を抱え込んだ。
 あれこれ考えているうちに、たまらなく彼に逢いたくなってしまった。こんなに弱いはずではなかったのに。なのに、彼を守るためなら幾らでも強くなれると思うのに、自分のことになると、からきし駄目なのだ。


(……土方さん)


 心の中で、小さく呼んだ。
 届くはずがないとわかっていても、愛する彼の名を。














 異国の空港に降り立った土方を待ち受けていたのは、斉藤だった。
 その姿に、呆れたような声を投げかける。
「おまえの手を汚す必要はないと、言ったはずだが?」
「始末は例の者に任せましたよ。俺はあなたにつきそうためだけに、ここにいます」
「不要だ」
 低く言い捨て、歩き出そうとした土方の隣に、斉藤は素早く並んだ。
「総司が心配だから、では駄目ですか」
「……おまえ」
 土方の切れの長い目が斉藤を見据えた。
「総司の事より、俺が暴走しちまわねぇか、見張りに来たんだろう」
「まぁ、適当に解釈しておいて下さい」
「俺も大概、信用ねぇな。準備もなく、いきなり迷路に飛び込んだりしねぇよ」
「で、やっぱり、自ら飛び込むつもりでしたか」
「気にいらねぇようだな」
「まったく気にいりませんね」
 ため息まじりに言い返した斉藤に、土方は肩をすくめた。黒いコートの裾をひるがえし、歩き出してゆく。
 仕事から直行したため、スーツ姿だった。政治家である彼がこの国にいる事を知られれば、後で色々と問題も起こるだろうが、今の土方には知ったことではないのだろう。彼にとって、優先すべき事は明らかなのだ。
 異国であっても相変わらず、人目を惹いていた。すらりと均整のとれた長身に、上質のスーツとコートを纏っている。片手で煩わしげにかき上げる艷やかな黒髪に、端正な顔だち、黒曜石のような瞳、形のよい唇まで、男でも見惚れるほどの華があった。
 そんな事を思いながら眺めていると、土方が不意に斉藤を一瞥した。鋭い瞳に思わずたじろぐ。
「? 何ですか」
「おまえも、迷路に入るつもりじゃねぇだろうな」
「いや、それは遠慮しますよ」
 斉藤は軽く肩をすくめた。
 いくら悪魔がつくったものとはいえ、心地よい場所ではないのだ。総司を助け出したい事は当然だが、外側から斉藤はアプローチをかけて、総司自ら脱出させようと考えていた。
 その方が土方や斉藤が手をかしたことを、明らかにしなくて済むのだ。正体を秘めたままにしたい斉藤にすれば、ぜひともその方法を選びたい。
「確かに、その方法もあるがな」
 日本を出国する前に山崎が手配しておいたホテルに到着し、部屋に入ったとたん、土方は煩わしげにコートを脱ぎ捨てた。成田で購入したらしい黒いシャツとブラックジーンズというカジュアルな姿になると、一人がけのソファに身を沈める。
 ソファの肘掛けに凭れかかり、高く膝を組んで紫煙をくゆらす土方に、これは決して総司には見せない姿だろうなと思った。そんな斉藤に、土方は言葉をつづけた。
「それでは時間がかかりすぎる。俺は、あれをあんな場所に長く置きたくない」
「総司が汚されるようで、不愉快ですか」
「……」
「まぁ、わかりますよ。しかし……」
「俺が迷路へ入る。これはもう決定事項だ」
 言いかけた斉藤の言葉を遮り、土方はきっぱりと言い切った。それに息を呑む。


 珍しく、彼が激昂していることを感じたのだ。


 表面上は落ち着いているが、男の奥底には押し殺された怒りがあった。
 苛立っていると言った方が正しいのだろうか。
 土方は総司に対して、かなり強い独占欲を持っている。
 そのため、総司の感情を乱す者が己以外にいることが許せないのだ。ましてや、迷路に閉じ込められているなど、到底許せることではなかったのだろう。


 これ以上、言えば、土方の怒りがこちらに向かうことを感じ取り、斉藤は諦めることにした。
 どのように言っても、土方が聞き入れるとは思えない。
 仕事であるのならともかく、難にあっているのは総司なのだ。
 むろん、魔王自ら迷路に入るなど、色々とリスクが高いことは確かだ。そのため、脱出する頃合いを見計らい、外部から斉藤がアプローチをかけることにした。むろん、内側からも総司を励まし、力を出させることが条件だ。何にしろ、あの迷路は内側からしか破ることが出来ないのだから。
 あとは、いかに上手く土方が総司の力を発揮させるかだった。


 それに、土方は肩をすくめた。皮肉な笑みを形のよい唇にうかべる。
「大概……面倒くせねぇな」
「土方さん」
「いっそ俺の力で押し切ってやろうか」
「そりゃ、あなたがやれば、一発で突破できますがね、それでいいのですか? 総司にあなたの正体を知らせることになりますよ」
「だから?」
 土方は薄く嗤った。
「それで何か問題があるのかよ」
「……」
 男の言葉に、斉藤は思わず息を呑んだ。
 まさか、本気で総司に正体をばらすつもりだとは思えない。
 これはいつもの彼一流の戯言なのだろう。だが、一方で、もしも本気ならと考え、斉藤は固く両手を握りしめた。
 その様子を、土方は紫煙をくゆらせながら、面白そうに眺めている。
 ソファの肘掛けに凭れかかり紫煙をくゆらせる姿は、いつもストイックで端正な彼からは想像もつかないほど、自堕落的なのだが、たまらない魅力があった。危険で邪悪な、甘い艶をふくんだ魅力だ。
 蠱惑的なと言った方がいいだろう。
「……斉藤」
 長い沈黙の後、土方が口を開いた。斉藤の方を見やらぬまま、言葉をつづける。
「おまえは、総司が俺の救いを求めていると思うか。俺に助けられることを望んでいると思うか」
「いえ、望んではいないでしょう」
 斉藤はゆるく首をふった。
「総司はいつもあなたの事だけを考えている。あなたに頼ろうとせず、甘えようともしない。それはあなたを愛しているがゆえです。今回のことも自分のミスが原因である以上、あなたに助けを求めることは絶対にない」
「あぁ、そうだな」
 土方はくすっと笑った。
「あれは俺に甘えない。今回も力の無い悪魔である俺を巻き添えにする訳にはいかないと、そう思っているはずだ。だが……」
「だが?」
 問いかけた斉藤に、土方は何も答えなかった。無言のまま、紫煙をくゆらせている。やがて、その煙草の火を消すと、ソファから立ち上がった。見惚れるぐらい、しなやかで優美な動作だ。
 ソファの背に掛けてあったコートに腕を通す男の姿に、斉藤も立ち上がった。行動開始だとわかったのだ。
 場所は既に把握している。状況もよくわかっていた。
 先に偵察させている手下の者が知らせを寄越してきていたのだ。
 それによると、迷路がつくられているのは、郊外の森の中のようだった。人気の少ない場所を選んだのだろう。もっとも、人間の目には見えないし、存在も森の光景を変えない。
 ただ、そこに別の世界があるというだけのことだ、暗黒の迷路が。


(……総司……)


 降下していくエレベーターの中で、土方は恋人の名を呼んだ。
 総司がただの天使ではなく、神に祝福された大天使であることも、それがゆえにかなり強靭な精神をもっていることも、よくわかっている。土方を愛するがゆえに、巻き込みたくないと願っていることも。
 だが、それでも、感じとることが出来るのだ。
 それは日本を発つ前から、感じとれていた事だった。


(おまえは俺を呼んでいる)


 痛いぐらいの確信だった。
 総司は、彼を巻き添えにしたくないと思いながらも、彼を呼んでいるのだ。逢いたいと、求めているのだ。
 それがために、土方は自ら迷路へ入る気になった。あの、いつも自分に厳しく甘えるという事をほとんどしない総司が、彼の名を呼んでいる。応じない訳にはいかなかった。
 今すぐ迷路に入り、この手で総司を救いだしてやりたい。総司や斉藤の力ではなく、自分の力で一気に突破してしまいたいというのは、本心だった。
 一刻も早く、総司を助けたいのだ。あの愛らしい笑顔を見たいのだ。
 むろん、邪悪な魔王ゆえか、総司が涙したり、悲しんだりする姿を見ても、胸が痛んだことはない。だが、それは自分ゆえであるからだった。
 自分の行為のために総司が悲しむのはいいが、他の者のために、総司がその感情を揺さぶられることは絶対に許せないのだ。喜びや悲しみはもちろん、苦痛も絶望も恐怖も、すべて、彼自身からしか与えたくない。
 総司を囚えていいのは、己だけなのだ。
 それに、もしも囚えるのなら、迷路などに入れない。甘やかな檻に閉じ込め、昏い歓びと快楽だけを与え続けてやる。裏切りと涙と歓びと、すべてが入り混じった激しい情愛に狂い泣く総司は、どれ程愛らしく美しいだろう。
 思うだけで、身の内が震えるほどの快楽を覚えた。


(俺も大概いかれちまっているな)


 自嘲しながら、背を凭せかけていた壁から身を起こした。
 エレベーターが地上に到着したのだ。斉藤がドアを開けてくれることを当然のように受けながら、土方はゆっくりと歩み出た。











 森は静まり返っていた。
 夜に、このような処を訪れる者もいないためだ。だが、今、そこを二人の男が歩いていた。
 時折、獣がうごめく気配がするが、彼らの放つ気を知ったとたん、たちまち逃げ出していく。獣の方が人よりも魔の気配には敏感なのだ。
 土方が纏っている黒いコートの裾が風をはらみ、ふわりとひるがえった。男が本来もつ闇の翼のように見える。
 森の中心部まで来ると、土方は微かに唇の端をあげた。宙の何もない処を見据える。傍に斉藤が立ち、同じように視線をむけた。
「……あれですね」
「あぁ。あいつらにしては、なかなか見事なものだ。かなり頑丈につくったらしい」
「ある程度は力がある連中でしたから」
「それを全部始末したのだろう」
「えぇ」
 頷いた斉藤に、くすっと笑った。
 月明かりの中、見惚れるぐらい綺麗な笑顔だ。
 土方は森の中心部に佇むと、ゆるやかに両手を広げた。その背に漆黒の翼があらわれた次の瞬間、ふわりと宙へ舞い上がる。
 一瞬だけ、斉藤に視線をやってから、一気に下降した。
 闇が彼の躰を呑み込む。あっという間もなく、土方の姿はその場から消えた。
「!」
 わかってはいても、思わず息を呑んだ。
 反射的に手をのばしかけ、だが、すぐに斉藤はその手を下ろした。苦笑する。


(心配性だな、オレも)


 わかってはいるのだ、そのような事はないと。
 だが、心の奥底で警鐘が鳴っている。
 土方が正体をばらすのではないかと、恐れている訳ではない。
 それよりも、彼らを永遠に失ったのではないかという、不安だった。
 闇の迷路に入れば、土方と総司は二人だけになる。そこは、恐ろしいほど二人きりの世界だ。
 暗闇に閉ざされた迷路など、他の者ならば忌み嫌う事だろう。すぐにでも脱出したいと願うに違いない。だが、恋人を助けるために入ったのは、あの魔王だった。それも、その恋人は大天使だ。
 何が起こるかわからないし、彼らがどのように行動するのか、まったく予測がつかなかった。むろん、わかっている。ここであれこれ心配しても、どうしようもないのだ。
「……待つしかない、か」
 斉藤は諦めたように呟いた。
 だが、一方で、鳶色の瞳から不安げな色は消えることはなかった……。



















後編、★つきお褥シーンがありますので、苦手な方は避けてやって下さいね。