土方から連絡が入ったのは、3月も終わり頃だった。
最近、彼の多忙のため、まったく逢えていなかったのだ。
最後に逢ったのは、突然、総司のアパートを訪ねてきた夜だった。
少し強引に抱かれてしまったが、総司は突然訪れた彼との逢瀬が嬉しくて、逆に甘えるように彼を求めた。それが土方を歓ばせ、朝まで熱く濃厚な蜜事を過ごしてしまったのだ。
だが、その時つけられた痕も、もう消えている。
テレビなどで見る土方の様子を見つめ、総司が唇を噛んでいた頃だった。
突然、電話がかかってきたのだ。
「約束を果たすよ」
「え?」
いきなりの言葉に、総司は目を瞬いた。
「約束、ですか」
「忘れてしまったのか? 2月に約束しただろう、花を見に行こうと」
「あ……」
総司の頭に、あの時の約束が蘇った。あの時に食べたブラン・マンジェも。
「明日の夕方、迎えに行くから泊りの用意をして待っていてくれ」
「夕方、ですか」
「そう」
「泊まりって……どこか遠くへ行くの?」
少し不安げに訊ねた総司に、土方は優しく答えてくれた。
「いや、それ程遠くはないよ」
「そう……」
「一泊だけで十分だから、用意して待っていてくれ」
「はい」
素直に返事をした総司に、電話の向こうで土方が微笑んだようだった。そんな気配がする。
電話をきった後、総司は小さくため息をついた。
本当に、約束が果たされるなんて、思っていなかった。
彼を信じていなかった訳ではないが、それでも、多忙な彼だ。正直な話、無理だろうと思っていたのだ。
それなのに、土方は約束を守ってくれた。
総司との時間を大切にしてくれたのだ。
自分自身、気持ちがわからなかった。
もちろん、約束を守ってくれた事は嬉しい、彼に逢えることも歓びだ。
だが、その一方で、どこまでも彼に負担をかけてしまう自分が、切なかった。大天使であるはずの自分が、悪魔の彼に癒されるなど、途方もないほどの罪深さのように、思えてしまうのだ。
「土方さん……」
最愛の男の名を呼んだ総司は、そっと静かに目を閉じた。
次の日の夕刻、土方はアパートまで迎えに来てくれた。
彼自身が車を運転していることに、少し驚いてしまう。代議士として行動することの多い土方は、いつも山崎が運転する車に乗っていることが多いためだ。
綺麗な琥珀色の車だった。ラインが美しい高級車だ。
総司がおずおずと歩み寄ると、土方が身を乗り出し、助手席のドアを開けてくれた。
「少し遅れてしまったかな」
待ち合わせ時間のことを訊ねる土方に、総司は慌てて首をふった。約束時間よりもずっと早く、外で待っていたのは自分の方だったから。
助手席に乗り込んだ総司に、土方は優しい瞳をむけた。
「久しぶりだ。一泊だけだが、時間がとれて本当に良かった」
「ぼくも……嬉しいです」
素直に気持ちを告げると、土方は微笑んでくれた。そっと指さきで頬を撫でてから、シートベルトを締めるように促してくる。
土方の車の運転は、とても穏やかだった。静かに滑らかに、車は疾走してゆく。
それを心地よく感じながら、総司は小首をかしげた。
「どこに行くのですか?」
「少しだけ遠出だ。東京の郊外にあるホテルで泊まる事にしてある」
「郊外のホテルって……薔薇ホテル?」
「いや、そうではない」
土方は否定してから、気づいたように総司の方へ視線をやった。
「もしかして、薔薇ホテルの方が良かったか」
「そうじゃないのです。ただ、ふと思っただけだったから」
「あの時の総司は、とても可愛いかった。可憐で大天使そのものだったよ」
突然、甘い声で囁かれ、総司はどきりとした。頬が熱くなる。
「そんな……」
「また、あんな姿を見せてもらいたいね。柔らかな印象の服が、本当によく似合う」
「そう云えば、土方さんが買ってくれる服は、そんな感じのものが多いですね」
「いやか? 大天使だという事もあるが、おまえにはそれらのものが似合うと思う。とくに、白だな。やはり、翼のイメージかな」
「ぼくたちの翼は確かに白ですが、白だけとは限らないんです」
どうして、そんな事を口にしたのか。
気が付けば、総司は小さな声で話をしていた。
「ぼくたち以外に、ただ一人、翼をもっている者がいる。その人の翼は黒だそうです」
「……」
「でも、とても綺麗な黒い翼で……ぼくたちの中では、伊東さん以外、見たことはないんですけど」
闇色に濡れた翼をもつ、唯一の存在。
邪悪で美しい魔王――――
ふと口をつぐんでしまった総司に、土方も、しばらくの間、何も云わなかった。車内に沈黙が落ちる。
だが、やがて、低い声で問いかけた。
「おまえは……黒が嫌いか?」
「え」
「黒は、闇の色だ。天使が白であるのなら、悪魔は黒。そうである以上、おまえが黒を嫌うのは当然だが……」
土方の声音は、どこか自嘲の色を帯びていた。
彼自身も、悪魔なのだ。
黒を嫌うということは、つまり……
「ち、違います!」
総司は慌てて身をのりだした。
「ぼくは、そんな……嫌ったりしません。黒が悪魔の色だなんて思ってないし、それに、ぼくは、あなたが悪魔であっても、それでも……」
好きだから。
愛しているから。
そう告げようとした総司に、土方が手をのばした。信号待ちの間に、そっと手を握りしめてくれる。
濡れたような黒い瞳が、優しく見つめた。
「……わかっているよ」
「土方、さん」
「わかっている、大丈夫だ。今のは少し……俺も大人げなかった。勝手に考えすぎてしまったな」
「本当に違うのです。ぼくは」
「わかった、総司……俺も愛しているから」
云いつのろうとした総司を、土方は片腕でかるく胸もとに抱き寄せてくれた。髪に口づけが落とされる。
「大丈夫だ、愛してる。おまえだけを愛してる」
(……土方さん……)
優しい彼の声を聞きながら、総司は目を閉じた。
美しいホテルだった。
郊外に建つホテルは広大な敷地の中にあり、樹木が多く植えられているため、門からの道はまるで森の中のようだった。
本館からいくつも渡り廊下が広がり、その先に、それぞれ離れの部屋があった。一日に5客しか泊まれぬ宿なのだと、後から土方に聞かされた。
彼らが通されたのは東の離れで、離れというより、平屋建てのコテージのようだった。建物の真ん中にある中庭を囲むようにして、寝室やリビングが配置されてある。
中へ入った総司は、思わず目を瞠った。
「……綺麗……」
部屋を横切り、その大きな窓に歩みよってしまう。
一面の大きな窓ガラスごしに、この離れだけの中庭が見えた。
そこで、見事な枝垂れ桜が満開の時を迎えていた。
とろりとした春の闇を背景に、美しい桜樹木が夢幻のように浮かびあがる。時折、はらはらと花びらが舞い散る様は、幽玄そのものだ。
しばらくの間、総司は息をつめたまま、その桜の光景を見つめていた。
やがて、肩にそっと手をおかれ、はっと我に返った。
「あ、ごめんなさい」
慌ててふり返った総司に、土方は軽く喉奥で笑った。
「何を謝るんだ」
「だって、つい見惚れてしまって……」
「そんなに気にいった?」
「はい」
そう答えながらも、つい桜樹木の方を見てしまう。
そんな総司の細い躰を後ろから抱きしめながら、土方が柔らかな声音で云った。
「気にいってくれたなら、良かった。花を見ようと云った時、ここしか思いつかなかったんだ」
「十分です。いえ、十分以上……本当に、なんて綺麗」
うっとりと呟いた総司に、土方は微笑んだ。そっと手をとり、外へ連れ出していく。
中庭は、夕闇に包みこまれていた。仄かな明かりが灯され、見上げると桜樹木が柔らかく揺れている。
樹木の下に設えられたテーブルに、総司は目を見開いた。
「え、ここで食事できるのですか」
「あぁ。たまには、いいだろう」
「素敵ですね! こんな贅沢な花見、夢みたいです」
嬉しそうに笑う総司を、土方は優しく席へと導いた。椅子を引いてやり、坐らせる。
テーブルの上には、既にグラスやカトラリーが用意されてあった。土方が席につくと、すぐに給仕がやってくる。
「これは?」
「桜のワインだ。正確には、桜んぼのワインか」
「ぴったりですね」
ワイングラスに注がれた桜色の酒に、総司はおずおずと口つけた。甘くてさわやかな口あたりだ。
おいしくてどんどん飲んじゃいそうと思ったとたん、土方が手をのばした。そっとワイングラスを取り上げられる。
「あ」
と声をあげた総司に、土方は悪戯っぽく笑ってみせた。
「あまり酔われたら、困るからね」
「え、だって」
「欲しかったら、後でまた運ばせよう。全部が終わった後に」
「全部が終わった後?」
食べ終わった後という事だろうか。
そう思って小首をかしげた総司に、土方は黙ったまま微笑んだ。
次々と運ばれてくる料理も、すべて、さっぱりした柔らかな味つけの料理で、とても綺麗な盛りつけだ。
真っ白な皿の上、花が咲いたような料理に、総司は子供のように喜んだ。
おいしそうに食べながら、総司は様々なことを土方に話した。デザートまで運ばれ、給仕がいなくなってからは、尚のことだ。
最近、手にいれた古書について話すと、土方も興味をもったらしく、質問を重ねてきた。それに一通り答えおわってから、総司はふと上を見上げた。
空の闇に、真っ白な桜が広がっている。
薄紅色であるはずが、夜の中で見るためか、桜は純白に輝いて見えた。
「綺麗……」
うっとり呟いた総司に、土方は微笑んだ。傍らに置いていた袋から何かを取り出すと、立ち上がった。
え? と見上げた総司の細い肩に、ふわりとオフホワイトのショールがかけられる。春らしい柔らかな素材で、でも、とてもあたたかかった。
「土方さん、これ……」
「待たせてしまった、お詫びだ」
「待たせたって……でも、お花見だもの。仕方ないし」
「なら、桜の花にあわせたと云っておこうか」
土方は身をかがめると、総司が座る椅子の背に腕をまわした。濡れたような黒い瞳に見つめられ、総司の鼓動がどきりと跳ね上がる。
思わず息をつめてしまった総司に、土方は、くすっと笑った。
「先日、立ち寄った店で見つけたんだ。思ったとおり、よく似合う」
「でも」
「頼むから、受け取ってくれないか。おまえの虜にされている男からの、プレゼントを」
「虜、だなんて」
総司は目を瞬いてしまった。
虜にされているのは、自分の方なのだ。
この人の瞳、声、しぐさすべてに、恋焦がれている。
何もかもに囚われている。
「……ありがとうございます」
小さな声でお礼を云うと、土方は嬉しそうに笑った。そのまま、ショールごと少年の細い躰を抱きすくめてくる。
男の腕の中、ほっそりした躰は儚げで、愛らしい少女のようだった。白いショールを纏っているからか、桜樹木の下、天使が男に抱かれているような光景に見える。
闇色のスーツを纏う男の腕に抱かれる、清らかな白い天使。
「……」
土方は目を細め、愉悦にみちた笑みをうかべた。腕の中の大天使を、優しく狂おしく抱きしめる。
そんな男の様子に、まったく気付かぬまま、総司は男の胸もとに頭を凭せかけた。
次、お褥シーンがありますので、苦手な方は避けてやって下さいませね。