ある昼下がりだった。
公園傍にあるレストランで、土方と総司は短いデートをしていた。
仕事の合間、昼食を共にするだけの逢瀬。
クリーム色とオレンジ色の看板が可愛らしい、フレンチレストランだった。いかにも総司が気にいりそうな店だ。
公園に面した窓からは、緑がよく見え、冬の日射しがきらきらと輝いていた。
ぱりっとプレスされたまっ白のテーブルクロス、行き届いたサービス。綺麗に飾られた小花。
女性にも人気の店らしく、なかなか賑わっている。
「とってもおいしいです」
総司はラストのデザートを嬉しそうに食べながら、云った。
それに、土方が微笑む。
「それは良かった。初めての店だから、どうかなと思ったんだが」
「連れてきてくれて、ありがとうございました」
そう云ってから、総司は、腕時計に視線をやった彼の仕草に気が付いた。慌ててデザートを呑み込み、訊ねる。
「あの、もう時間でしょう? 先に行ってくれて構いませんから」
「まだ大丈夫だ。車を飛ばせば、十分間にあうよ」
くすっと笑った土方は、椅子の背に凭れかかった。
仕事の合間のため、彼は一分の隙もないスーツ姿だった。質の良い濃紺のスーツが、すらりとした長身によく似合っている。
白いワイシャツにタイトに締められたネクタイが禁欲的で、それがかえって大人の男の色気を感じさせた。
「でも、山崎さんが困るでしょう」
「やれやれ、総司は冷たいね」
土方はテーブルに肩肘をつくと、悪戯っぽい笑顔で総司を覗き込んだ。
「ほんの少しでも一緒にいたいと、思ってくれないのか?」
「お、思ってます!」
思わず叫んだ。
「一緒にいたいと、そう思ってるから、だから、こうして…逢いに来たのです」
なめらかな頬が紅潮した。恥ずかしそうに長い睫毛を瞬かせ、俯いてしまう。
「逢いたくて、逢いたくて仕方なかったから……電話だけじゃ我慢できなかったから、だから……」
「……」
可愛らしい事を云ってくれる恋人の姿に、土方は僅かに目を細めた。形のよい唇に、愉悦にみちた笑みがうかべられる。
だが、すぐそれを押し隠すと、そっと手をのばして紅潮した頬にふれた。
「俺もだ、総司」
「……土方…さん」
「ずっと逢いたかった。ほんの少しでも一緒にいたかった」
「うん……」
こくりと頷いた総司が、たまらなく可愛かった。
それに微笑みかけ、土方はゆっくりと立ち上がった。傍らに置いていた黒いハーフコートを取り上げ、ふわりと羽織る。
そんな仕草一つまで様になり、総司は思わず見惚れてしまった。
奥まった席なので、誰も彼らに気づいてないようだった。それでも、店を出るために通り抜けてゆくと、皆がふり返る。
見栄えのする二人である事も確かだったが、それ以上に、土方自身が人気のある代議士である事も大きな要因だった。だが、彼自身は周囲からの視線などごく当然のように受け流している。
声をかけられ握手を求められても、柔らかな笑顔で応える余裕が常にあった。
「先に出て、待っててくれないか」
会計を済ましてくるからと云われ、総司は「はい」と頷いた。レストランを出ると、右手に公園があり、左手に小さな店が幾つも並んでいる。
総司は彼を待つ間、その辺りをゆっくりと歩いた。
「……?」
ふと足をとめたのは、細い路地裏の入り口だった。
小さな店が目を惹いたのだ。
角に、昼間から赤いランプを灯した店。
小さな看板が掲げられ、「Richesse-dire」と記されてある。
美しいステンドガラスを嵌め込んだ扉が印象的だった。
総司は目を瞬いた。
どうしてだか、ひどく惹かれてしまったのだ。その金色のドアノブに手をかけ、押し開いてみたいと思ってしまう。
そこで、総司はその通りにした。
「……」
ギィ…ッと僅かな軋む音とともに、ドアは開かれた。
中に入ると、それ程大きな店ではない。幾つかソファが置かれ、真ん中に大きなテーブルがあった。
ぐるりと見回している総司に、突然、声がかけられた。
「……いらっしゃい」
はっとしてふり返ると、先程まではいなかったはずなのに、テーブルの後ろに一人の女が坐っていた。
驚いて、小さく息を呑む。
「あ……」
総司の予想に反し、若い女だった。と云っても、総司や土方よりは年上だが、それでもまだ若々しく美しい。
黒髪をきちんと後ろで纏めあげ、黒い服をまとった躯に白いショールをまきつけていた。総司が彼女を見ると、女も濡れたような黒い瞳で見返してきた。
とたん、くらりと酩酊するような感覚を覚える。
「……っ」
思わず後ずさった総司に、女は微笑んだ。
「占いを望んでいるの?」
「え」
「ここは、占いの家よ。あなたは何か知りたい事があって、来たのではなくて?」
そう訊ねられ、総司は目を瞬いた。
「知りたい事……」
「そう、知りたい事よ。とても大切な何かを、あなたは切望している」
「ぼく…は……」
総司はのろのろと首をふった。掌が汗ばむのを、ふと感じた。
──知りたい事。
そんなの、ただ一つだけだった。
どんなに躯を重ねても、甘い睦言やキスをくり返しても。
その心の奥まで掴めない、あたえられる愛さえ儚く思ってしまう恋人。
世界中でただ一人。
総司の心を掴んで離さない、彼の───
「……秘密を」
無意識のうちに、呟いていた。
自分自身のものではないような、掠れた震える声で。
「彼の秘密が、知りたい……」
そう呟いた総司に、女はゆっくりと微笑んだ。白い指さきが宙をすべる。
「……そう」
女の黒い瞳が、総司を見つめた。
「あなたはそんなに知りたいの。彼の秘密が……?」
「はい……」
総司はこくりと頷いた。
「なら、そこへ坐りなさい。望むのなら、そこへ」
「……」
まるで女の言葉に操られるかのごとくだった。総司は従順に古びた椅子の背へ手をかけた。腰をおろそうとする。
女はテーブルの上に重ねられたカードに手をのばした。
その時、だった。
ギィッと音が鳴り、再び扉が開いた。だが、すぐ後に鋭い声が飛ぶ。
「総司……!」
「ッ!」
びくりと心臓が跳ね上がった。
驚いてふり返ると、扉を押し開いたそこに、土方が立っていた。
しかも、先程のレストランでの穏やかで優しい彼ではない。彼にしては珍しい程、怒りを露にしていた。
切れの長い眦がつりあがり、黒い瞳が剣呑な色をうかべている。
総司は目を見開いた。
「え……」
いったい何が男の逆鱗にふれたのか、全くわからなかった。
この店へ入っていた事がいけなかったの?
戸惑う総司に、土方は歩み寄ってきた。大股に店を横切り、少年の細い腕を掴む。
「……」
無言のまま連れ去ろうとする土方に、思わずたたらを踏んだ。慌ててふり返れば、女は薄い笑みをうかべている。
「あ、あの……っ」
「……またいつか」
そう云った女に言葉を返す暇もなく、総司はその店から強引に連れ出された。
店を出ると、土方は足早に歩き出した。まるで、その店から一刻も早く遠ざかりたいかのようだった。
「あのっ、土方さん」
必死になって、総司は彼に話しかけようとした。だが、全く無視されてしまう。
見上げた端正な横顔は一切の表情がなく、冷たい程だった。それに、彼の奥にある冷徹さにふれた気がして、たまらなく怖くなる。
さっきまで、あんなに幸せだったのに。
どうして、ぼくは土方さんを怒らせてしまったの……?
後悔に唇を噛みしめる総司を、土方は一瞥もしなかった。無言のまま足早に歩んでゆく。
車の前まで来ると、ようやく手の力を緩めた。すっと手を離される。
まるで逃れるように彼から離れる総司に、土方は一瞬、眉を顰めた。だが、その事自体には言及せず、低い声で云った。
「……占いなど信じているのか」
「え」
「大天使であるおまえが、占いなど信じるのか」
「そう…じゃありませんけど」
総司は口ごもり、俯いた。
何だか自分でもわからない衝動だったのだ。
まるで、おいでと手招きされたように、あの店に入ってみたくてたまらなくなって。
そして──……
「とにかく、二度と行っては駄目だ」
きっぱりと断言した土方に、総司は驚いて顔をあげた。
冷たいほど厳しい口調と表情に、目を瞠る。
「土方…さん?」
「あの店には二度と行かないでくれ」
「どうして? 占いだから?」
「それも理由だ。何にしろ、わざわざ行く所でもないだろう」
そう云うと、土方はすっと踵を返した。黒いコートの裾がふわりとひるがえる。
運転席から降りてきた山崎が、後部座席のドアを開いた。その中へ躯をすべりこませる動作が、目を瞠るほどしなやかだ。
「送っていこうか」
ぼんやり見つめていると、土方は視線を流し訊ねてきた。それに、慌てて首をふった。
「い、いいです。駅、すぐ近くだから」
「そうか。じゃあ、また連絡する」
「はい」
こくりと頷いた総司に微笑みかけ、土方は背をシートに戻した。ドアが閉じられ、丁寧に一礼した山崎が運転席へまわった。エンジンの音が鳴り、車は車道へ滑り出した。
そのまま、ゆっくりと遠ざかってゆく。
(……土方さん……)
遠ざかる車を見送り、総司はきつく唇を噛みしめた。
正直な処、わからなかった。
どうして、こんなにも思い出してしまうのか。だが、ふとした瞬間に思い出してしまうのだ。
あの店を。あの場所を。
書店の中で、総司は本を整理する手をとめた。俯き、ため息をついた。
あそこで、自分は何を求めたのか。何を求めようとしたのか。
それがすべての答えだとわかっていた。
自分は彼の秘密が知りたいのだ。彼のすべてを知ってしまいたいのだ。彼とは、むろん、土方の事だった。総司の愛する唯一人の恋人だ。
だが、きっと彼自身に訊ねても、はぐらかされてしまう事だろう。
「秘密などないよ」
そう答える彼の微笑みが目に見えるようだった。だが、そうではないのだ。
彼には、秘密があるのだ。それも、一つではない。
その事を、総司は感じとっていた。大天使だからわかるのではない。これは、彼を心から愛するがゆえだった。
ずっと感じてきた不安。愛されているのに、いつも彼を遠く感じてしまう。
その不安を消すためにも、彼の何もかもを知りたかった、彼のすべてが欲しかった。
「……総司?」
不意に声をかけられ、びくりとした。
驚いて顔をあげれば、カウンターごしに斉藤が気遣わしげに見つめていた。
「さ、斉藤さん……」
「どうしたんだ、気分でも悪いのか」
じっと俯いていた事で、誤解されたのだろう。
「いえ、違います。大丈夫です」
そう云って笑ってみせた総司に、斉藤は眉を顰めたが、有り難い事にそれ以上追究しなかった。
「例の本。受け取りに来たんだ」
「あ、宝石の」
「あぁ」
「云ってくれれば、店まで届けましたのに」
総司は背後にある取り置き専用の本棚から、一冊のぶ厚い本を取り出した。宝石に関する古い書物だ。斉藤から前に依頼され、つい先日ようやく入手できたものだった。
「割合、状態も良かったので、ほっとしました」
「期待以上だよ。ありがとう」
斉藤は嬉しそうに本を受け取り、代金を払うと、その場でぱらぱらめくった。それを見つめながら、総司は思った。
逢った初めは知らない事だったが、斉藤は土方の古くからの友人だった。長いつきあいのようで、総司が知らない彼の顔も知っている気がする。
いわば、彼の秘密に最もふれている人物だった。
だが、斉藤から彼の事を聞き出すのは、不可能に近い。
斉藤はとても誠実で、口の固い男だった。
だからこそ、あの政界に身を置く土方も信頼を置いているのだろう。
「? 何……?」
ふと、斉藤が顔をあげた。鳶色の瞳で見つめられ、問いかけられる。
総司は我に返り、慌てて首をふった。
何だか、とんでもなく自分が罪深く思えてしまう。総司にとって、斉藤は大切な友人だった。
だからこそ、斉藤にいやな思いはさせたくないし、巻き込みたくもない。
「何でもないです……」
そう云って笑ってみせた総司を、斉藤は静かに見つめた。しばらく黙ってから、手をのばし、そっと総司の頬にふれる。
「あまり無理はしないように」
「……え?」
「総司はすぐ、自分の気持ちをセーブして無理しようとするから。たまには、自分の思ったように、心から望む事をした方がいいと思うよ」
「斉藤さん……」
「素直な気持ちのままさ」
斉藤は微かに笑ってみせると、手をひいた。本を抱え直し、踵を返す。
「本、ありがとう。またうちの店にも来てくれ」
「あ……はい。ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げた総司に手をふり、斉藤は店を出ていった。
それを見送り、小さく口の中で先程かけられた言葉をくり返す。
(心から望む事を……)
そんなもの決まっていた。
彼のすべてを望みたいのだ。欲しいのだ。
秘密も何もかも知って、彼のすべてを与えられたい。
(土方さんのすべてが欲しい……!)
思わず自分の肩を抱きしめた。
自分でも身震いするほど貪欲なこの衝動は、いったいどこから起こってくるだろう。
この恋は、抜き差しならない処まで来てしまっているのだ。
もう後戻りは出来ない。
このまま、彼との愛に恋に身を投じるのみだった。そして、溺れるのならば、いっそ身も心もすべて虜にされてしまいたい。
だが、彼にもそうであって欲しいと願う事は、我侭なのだろうか。
自分はもう、こんなにも溺れてしまっている。何もかもすべて、彼に捧げてしまっているのに……。
総司は立ち上がると、手早く周囲の物を片付け始めた。
やはり、あの店へ行ってみようと思ったのだ。たとえ土方に怒られても構わない。
今日の夕方、彼と逢う約束をしているが、こんな気持ちのままでは拗れてしまうばかりだと思った。
自分なりに区切りをつけてしまいたいのだ。
総司は大きな瞳に決意の色をうかべた。
