ニューヨークに着いたのは、朝の9時頃だった。
摩天楼の中を、車でマンハッタンに向かいながら、総司は少し身をすくめていた。
何しろ、あれからほとんど説明もなしで飛行機に乗せられ、12時間のフライトの末、ケネディ空港に降り立ったのだ。
もっとも、体の疲れはなかった。土方のアドバイスで飛行機の中で眠ったため、睡眠はよくとれている。何よりも、土方が傍らにいてくれることが、総司にとって一番の安らぎだった。
だが、今は緊張している。
どうしても、体が強張ってしまうのだ。
「……大丈夫か?」
土方がハンドルに手をかけながら、訊ねた。
それに、総司は小さくこくりと頷いた。
予備知識がないという事もあるが、何しろ、ここは人種のるつぼだ。
様々な思惑や邪悪な感情が渦巻き、大天使である総司には刺激の強すぎる街だった。
この街には、神も存在しない気がする。
いや、むしろ、必要とさえされていないだろう……。
あらかじめ云ってあったのか、空港には車が用意されてあった。
総司はよく知らないが、ラインの滑らかなスポーツカーだ。雪のような白いボディが輝くようで、真っ赤なシートとあいまって、とても美しい車だった。それに、土方はよく似合うと思う。
ごく当然のように乗り込んだ土方は、総司に助手席へ坐るよう促したのだ。
そして、今、二人はマンハッタンへと向かっている。
左ハンドルの車を楽々と運転しながら、土方は形のよい眉を顰めた。
「総司には、あわない街だったかな。強引に連れてきてしまって、すまない」
「そんな謝らないで下さい」
慌てて総司は首をふった。
「あなたと一緒にいられるなら、どこでもいいのです。ただ、ちょっと緊張しているだけで」
「俺も総司と一緒なら、どこでもいいよ」
優しく微笑いかけてくれる土方に、総司は頬を染めた。あらためて、傍らの本革シートに身をしずめ、ゆったりと運転している土方を見つめる。
艶やかな黒髪を柔らかくながしている彼は、いつものスーツ姿ではなかった。
淡いグリーンのヘンリーシャツに、ダークグリーンのVネックセーター、細身の革ジーンズという姿は若々しく精悍で、しなやかな美しい獣のようだ。
「それで、あの……」
総司は躊躇いつつ、訊ねた。
「どこかのホテルに泊まるのですか?」
「いや」
あっさりと否定された。え?と驚く総司に、土方は悪戯っぽく笑いながら答える。
「俺の隠れ家だよ」
「隠れ家?」
「そう、秘密のね。総司にだけ教えてあげる、隠れ家だ。他の誰も入れたことはない」
「……土方、さん」
「5日程休みがとれたから、しばらくのんびりするのもいいと思ってね。ここ暫く忙しすぎて、休みをとる暇もなかった」
「……」
総司は思わず小首をかしげてしまった。
のんびりするのに、ニューヨークが到底ふさわしいとは思えなかったのだ。バリの方が余程ふさわしい気がする。
だが、そんな事を口に出すのは差し出がましい気がして、総司はこくりと頷いた。
それに、土方が言葉をつづけた。
「でも、まずは車をとめたらランチに行こう。お腹もすいただろう」
「えぇ」
「近くに、いい店がある。そこへ連れていくよ」
土方の言葉に、ふと、先日、同じように斉藤に誘われたことを思い出した。
とたん、この旅行は、あんなふうに云っていたことを、斉藤が土方に伝えたからなのかと思う。
慌てて見上げた総司に、土方は首をかしげた。
「どうかしたか」
「あの……土方さん、もしかして」
「何だ」
「斉藤さんから、何か聞いたの? だから、この旅行……」
「……斉藤?」
形のよい眉が顰められた。
その声色の低さに、どきりとする。余計な事を口にしてしまった気がした。
思わず唇をおさえてしまった総司を、土方は切れの長い目で一瞥した。
「斉藤とは、どういう事だ? また斉藤と逢っていたのか」
「はい。でも……」
「店に行くぐらいはいいが、あまり頻繁だと嬉しくないね。いや、それよりも、ただ店に行っただけか?」
「えっと、あの、お昼ごはんを一緒に……」
口ごもってしまった総司に、土方は口元を引き締めた。しばらく無言のまま車の運転に集中している。
車内に落ちた沈黙に耐えきれなくなったのは、総司の方だった。
「ご、ごめんなさいっ。ぼく、悪い事だなんて思わなくて。ただ、斉藤さんに相談すると、気持ちが軽くなるから……あ」
云ったとたん、思い出した。
前に、土方から云われたのだ。
恋人の俺のことを、他の男に相談しないで欲しいと。
確かに、それはあまり気持ちの良いことではないだろう。
少なくとも、愉快ではあるまい。
しゅんとなって俯いてしまった総司に、土方はしばらくの間、何も云わなかった。だが、やがて、小さく微かに笑う。
「……土方、さん?」
おずおずと見上げた総司の前で、土方はくすっと笑った。
「お互いさまか。嫉妬してしまう俺も悪いが、すぐに他の男を頼る総司もいけないね。そういう時は、なるべく俺自身に云ってくれないか」
「は、はい」
慌てて頷いた総司に、土方は苦笑した。
信じられるものではなかった。
実際、この総司が斉藤に寄せる信頼の深さは、見ていて妬けるほどだ。
むろん、総司が斉藤に靡くなどありえないが、斉藤自身は総司を憎からず思っている。だからこそ、今回も、斉藤は土方に何も云わなかったのだろう。
土方は総司の友人関係に口を出すつもりはなかった。
だが、斉藤は別だ。
上級悪魔である斉藤は彼の右腕であり、ある意味、最強のライバルでもあった。
気をぬけない関係なのだ。
見やれば、先ほどの会話で沈んでしまったのか、総司はなめらかな頬に長い睫毛を伏せ、俯いてしまっていた。
それに舌打ちしたい気持ちを抑えつつ、土方は手をのばした。そっと手を撫でてやると、はっとして顔をあげる総司が可愛い。
「すまない、きつい云い方をしてしまった」
「そ、そんな! ぼくこそ……ごめんなさい」
「お互いさまってことで、この事はもう忘れよう。せっかくの旅行だ、俺はおまえと楽しみたい」
優しく笑いかけてやると、総司は安堵したようだった。愛らしい笑顔で彼を見上げてくる。
やがて、車は一軒のアパートメントの駐車場に滑り込んだ。
それ程大きくないが、綺麗な中庭がついた、とても風格のある高級アパートメントだ。
玄関ロビーは以前パーティのあった薔薇ホテルのロビーに、少し似ている気がした。玄関で、荷物を部屋に運ぶよう頼んだ彼は、笑顔で総司の手をとった。
「さぁ、行こうか」
「はい」
ランチに誘われていたことを思い出し、総司はこくりと頷いた。ニューヨークの方が東京より寒いからと、コートを着せられる。
土方と手を繋いだまま、アパートメントの外に出た。
とたん、はっと我に返り、いつものくせで慌てて放しかける。
だが、よく考えてみれば、ここはニューヨークだった。
誰に咎められるはずもないのだ。
(今は……こうしていても、いいよね)
思わず縋るように見上げた総司に、土方は柔らかく微笑んでくれた。
「わぁ、綺麗」
思わず歓声をあげた。
マンハッタンに広がる都会のオアシス。セントラルパークだった。
秋の紅葉シーズンのため、色とりどりの樹木が絵のように鮮やかで美しい。ひらひらと舞い降りる木の葉に見とれながら、総司は土方の腕に手をからめた。
「とっても綺麗ですね」
「あぁ」
土方は、子供のようにはしゃぐ総司に目を細めた。
戸外で、こうして二人で堂々と手を繋いだり、腕をくんだりして歩くことなど、滅多にありえない。
それだけに、総司も常より気持ちが浮き立っているに違いなかった。こういう無邪気なところも、たまらなく可愛い。
「でも、どうして?」
しばらく歩いてから、総司は不思議そうに問いかけた。
先ほどから、ずっと疑問に思っていたのだ。
この旅行自体もそうだが、ランチを店でとらず、こうしてランチボックス片手に公園まで来たことも不思議だった。
それに、土方はかるく肩をすくめた。
「ここでランチをとった方が、気持ちいいだろう? ほら、総司の好きな場所を選んでごらん」
「ぼくの好きな場所?」
小首をかしげてから、総司は、周囲を見回した。
やがて、少し奥まった森のようになった樹木の下を、指さす。
歩みよってみると、柔らかな芝生が心地よく、あたたかな陽だまりも出来ていた。
「ここがいいです、綺麗な樹木だし」
「あぁ、ここにしよう」
土方は頷き、クロスを芝生の上に広げた。そこにランチボックスを置く。
二人はクロスの上に座ると、さっそく食事を始めた。とても可愛いパッケージにつめられたサンドイッチはおいしそうで、総司は楽しそうに手にとる。
「あ、おいしい」
一口食べてから、総司が嬉しそうに声をあげた。
「トマトと卵のバランスがよくて、とってもおいしいです」
「それは良かった」
「あのお店は、土方さんの行きつけのお店?」
「行きつけという程、行ってはいないけどね。そもそも、ここに来るのも年に数回だし」
「隠れ家だから? 外遊とかの時はあの部屋は使わないのですか?」
無邪気に訊ねる総司に、土方は苦笑した。
「ホテルが用意されるし、秘書や側近が山ほどついてくるよ。自由な時間など全くないしね」
「そう、ですよね。土方さん、いつも忙しいから……」
云ったとたん、日本での彼のことを思い出した。
いつも多忙で、逢うことさえままならない彼。
なのに、今回、五日も総司につきあってくれるのだ。
総司もよくわかっていた。このお休みが、総司のために用意されたものであることを。
土方が総司の淋しさを見抜いて、一緒にいられるよう手配してくれたのだ。
その優しさが嬉しい半面、愛されることに不安を覚えてしまう自分は、我儘なのだろうか。
こんな彼に愛されるだけの自信がないのだ。
愛されれば優しくされれば、もっともっとと求めてしまいそうで怖くなってしまう。
「ごめんなさい」
総司は紅茶のカップを置いてから、小さな声で云った。
「この旅行、ぼくのために計画してくれたのでしょう? スケジュールやりくりしてくれたのでしょう? 本当に……ごめんなさい」
「謝ることではないだろう」
土方は切れの長い目で、総司を見つめた。
「俺がおまえと過ごしたいと思った。ただ、それだけの事だ。他の誰といるよりも、おまえといるのが俺にとって何よりの癒しになる」
まるで、清涼な水を口にするように。
清らかで美しい大天使の純粋さが心地よかった。
だが、むろん、それは愛しているがゆえのことだ。彼だけのものである故なのだ。
「癒しになるの?」
あどけない声音で総司は訊ねた。その細い肩を柔らかく抱きよせ、小さくキスを落としてやる。
「あぁ、そうだ。電話でも云っただろう。おまえと一緒にいたいと」
「それは……ぼくも同じです。でも、五日もなんて……無理をさせてしまったのではないですか?」
「おまえの心配する事ではないよ」
優しく微笑みかけてくれる土方に、総司は気持ちが少し軽くなった。そして、軽くなったついでに、ずっと気になっていた事を訊ねてみる。
「あのね、土方さん」
「何だ」
「ここには……どうして来たの? 休むならバリのホテルの方が土方さんも寛げるのに、どうして……」
「おまえが望んでいたから、かな」
「え」
総司は目を見開いた。
彼の言葉の意味がわからない。ニューヨークに来たいと云った事があったかと一生懸命思い出そうとするが、覚えがなかった。
「ぼく、ニューヨークに行きたいって……」
「ニューヨークではないよ。このセントラルパークだ」
「ここ……?」
「あぁ。この間、おまえ、映画を見ていただろう。その映画の撮影がここで行われたんだよ、ちょうどこの季節にね」
「……」
思わず息を呑んだ。
あの時の言葉を、土方は聞いていたのだ。
そして、総司の思いも願いも何もかも全部わかったうえで、こんなふうにセッティングしてくれたのだ。
信じられなかった、あんな小さな呟きだけで総司の願いを察し、叶えようとしてくれるなんて。
(こんなにも愛されている……)
総司は胸の奥が熱くなるのを感じた。ふわりと躰中が熱くなり、頬が上気する。
嬉しさのあまり、涙があふれてしまった。慌てて両手で唇をおさえ、俯く。
それに、土方が心配そうに覗き込んでくるのがわかった。
「総司? どうした、もしかして……嫌だったのか。俺が間違っていたのか」
「ちがうの……違います」
総司は慌てて首をふった。涙を手の甲でぬぐいながら、彼に笑いかける。
「あんまり嬉しくて、泣いてしまったの。ぼくは何も出来なくて、子供で、あなたに迷惑をかけてばかりで。なのに、あなたはこんなぼくを愛してくれる。それが幸せで夢みたいで……」
「総司……」
土方は総司の華奢な躰を胸もとに引きこんだ。柔らかく腕をまわし、抱きすくめる。
髪に、頬に、キスを落としながら囁いた。
「俺はおまえを愛しているよ。この世の誰よりも……愛している」
「土方さん……」
「おまえは、こんなと云うが、それは俺の方こそだ。おまえは清らかで聖なる大天使で、俺は悪魔なのに、おまえは愛してくれた。それこそ、何にも代えがたい僥倖だと思っているよ」
「悪魔だとか大天使だとか、もう関係ないの。ぼくは、あなた自身が好きだから。ずっとずっと愛しているから」
懸命に愛の言葉を告げてくる総司を、土方は黙ったまま抱きしめた。その艶やかな黒髪に、肩に、ひらひらと朱い葉が舞い落ちる。
それは見事な眺めだった。
美しくも鮮やかな光景の中、抱きあう恋人たちの姿は、まるで映画のワンシーンのようだ。
「愛しているよ、総司」
耳もとに囁きかけた土方は、僅かに目を伏せた。形のよい唇が微かな笑みをうかべる。
その事に気づかぬまま、総司は男の腕の中で幸せに満たされた吐息をもらした。
つづき、お褥シーンがありますので、ご注意下さいね。