総司はそっと手をさしのべた。
冷たい清流が心地よい。久しぶりにふれる山の水は澄みわたり、心が洗われるようだった。
土方とのやりとりの後、総司は屋敷を出て山へ入ったのだ。
むろん、彼の傍を離れるつもりはない。残された短い日々、少しでも長く愛する彼の傍で過ごしたいと願っていた。
だが、あの屋敷では一人考えを纏める事もできなかった。逃げ場にするつもりはないが、やはり、住み慣れたこの山にいれば心が落ち着くのだ。
「……この山を降りるべきじゃなかったのかな」
小さく呟き、総司はまた水面を見つめた。
そこに映るのは、可愛らしい少年の顔だ。決して人ではなく、娘でもない。
三百年前、あの人に望まれた時とは、大きく違ってしまっているのだ。
そんな自分が、いつまでもあの人に愛されると信じていたなんて……。
「……」
総司は長い睫毛を伏せ、ため息をついた。
その時だった。
背後で足音が鳴り、総司はゆっくりとふり返った。
もしかすると──という微かな期待があったのだ。屋敷内に姿のない総司に気づき、彼が探しに来てくれるのではないかと。
そんなふうに期待してしまう自分が惨めで、情けなくて、とても嫌だったが。
「……」
ふり返った総司は、大きく目を見開いた。
そこにいたのは、土方ではなかった。むしろ、いることが意外な人物だったのだ。
「……斉藤さん」
「総司」
ゆっくりと斉藤は歩み寄ってきた。
細身の躯にカットソーとジーンズ、黒の皮ジャンを纏っている。かなり探してくれたのか、僅かに息を切らしていた。
「こんな処にいたのか、随分探したぞ」
「斉藤さん、どうして……歳三さんの云いつけですか」
「いや、あの人はおまえが出た事も気づいてない。帰宅してからずっと部屋に閉じこもって仕事に没頭しているから」
「そう……」
総司は僅かに目を伏せた。
土方が自分の不在に気づいてない事に、安堵するべきなのか、悲しむべきなのか。自分でもよくわからなかった。
「総司、帰ろう」
そう云って、斉藤は片手をさしのべてきた。
それに、総司はゆるく首をふった。
「今は……帰りません。もう少しだけここにいたいのです」
「じゃあ、時がたてば帰るつもりなのか」
「えぇ」
頷き、小さな笑みをうかべた。
「私が帰る場所は、歳三さんのもとしかありませんから。少しでも長く……あの人の傍にいたいから」
「……もしも……」
斉藤がゆっくりと訊ねた。
「土方さんの気持ちが、おまえにもうなかったとしても……?」
「!」
弾かれたように、総司は顔をあげた。愕然とした表情で、斉藤を見つめている。
それに、斉藤は苦笑した。
「おれはあの人の傍にいるんだ。あの人の行動ぐらいわかってるさ。年賀の挨拶の時に琴さんを呼んだことも、ここ最近、何度か琴さんと逢っている事もな」
「……私はさっき、あの人自身から聞かされました」
総司はきゅっと唇を噛みしめた。
「琴さんと東京で逢っていると。それを責めないのかと」
「で、おまえは土方さんを責めたのか」
「いいえ……」
「どうして」
「だって、そんな資格など私にはありませんから」
総司は立ち上がると、傍の樹木に歩み寄った。そっと手のひらでふれながら、言葉をつづけた。
「私は……雪の精霊です。人でも娘でもない。そんな私が形だけでもあの人の妻として、この二年間扱って来て貰った。それだけで、私は幸せだと思わなければ……感謝しなければいけないのです。今、歳三さんが琴さんを妻に迎えたとしても、それを責める資格など私にはない。それに……」
もうすぐ、この命は終わるのだから。
あと数日ですべてが……。
そう心の中で呟いた総司を、斉藤は鳶色の瞳でじっと見つめた。
しばらくの間、何も云わずに見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。総司の傍に歩み寄ると、右肩から担いでいたリュックを下ろす。
中を探ってから、何か細長いものを取り出した。白い布に包まれている。
それを無言のまま、総司にさし出した。
「……斉藤…さん……?」
小首をかしげた総司から視線をそらさぬまま、斉藤は静かな声で云った。
「……あの刀だ」
「え?」
「土方家に伝わる、呪われた刀。この脇差しを盗ったのは……おれなんだ」
「!」
総司の目が大きく見開かれた。
突然の事に、驚きのあまり何も云えない。
ただ、斉藤の顔と、刀を見比べるばかりだった。
斉藤は強引に総司の手をとると、その刀を無理やり押しつけた。
そして、低い声で囁いた。
「……この刀で、あの人を殺せ」
「──」
それに、総司は鋭く息を呑んだ。
驚愕の表情で、斉藤を深い瞳で見つめ返した。
「……斉藤…さん……?」
「あの人を殺せば、この刀で命を絶ってしまえば……おまえは助かるのだろう。人に戻れるし、弾かれた輪廻にも戻れるはずだ。だから……」
「ど…う、して……っ?」
総司は思わず後ずさった。その手から、かたんと音をたてて刀が滑り落ちる。
ゆるゆると首をふった。
「どう…して、あなたが知っているの……? その事を…どうして、斉藤さんが……っ!?」
「わからないのか」
斉藤はどこか淋しげな笑みをうかべた。
何もかも達観したような、だが、透き通るような笑みだった。
「三百年前、おれはおまえを追いつめた。己の恋に目が眩み、酷い仕打ちをした。だから、その償いをしたくて……ずっと、おまえの傍にいたんだ。今度こそ、おまえが幸せになって欲しいと願いながら……」
「まさ…か……!」
総司は両手で口をおおった。
信じられないものを見たような表情で、斉藤を見つめた。
姿形など、全く違ってしまっている。
だが、彼の言葉から察したのだ。
斉藤の正体を。
ずっと傍にいてくれた彼が、誰の生まれ変わりだったのかを……。
呆然とする総司の前で、斉藤は静かな声で話した。
「おれはあの時、おまえを愛するあまり自分の恋しか考えられず、己の腹に刃を突き立てようとした。それをおまえは止めようとしてくれたのに……逆に、おまえの手を汚してしまった。本当にすまないと思っているんだ」
「斉藤さん……斉藤さんは、初めから自分の事を……!?」
「いや、おまえと逢ってしばらくしてから……一年前ぐらいだ。突然、覚醒するみたいに記憶が蘇ったんだ。それと同時に、なぜかおまえの定めも知っていた」
「……」
「だからこそ、この刀を盗ったんだ。三百年前から定められた日が、もうすぐ訪れると知っていたから……」
斉藤はしばらく黙ってから身をかがめ、刀を拾いあげた。
白い布を払うと、袋に包まれた刀が現れた。それをあらためて総司の手に握らせながら、斉藤は静かな声で云った。
「もし、おれの命を奪う事でおまえが救われるなら……喜んでこの命をさし出してやるよ。だが、おれじゃ駄目なのだろう? おまえは今も、愛してるのはただ一人……土方さんだけなのだから」
「……」
「総司、これはおまえのためなんだ。あの時、おまえはおれのせいで、こんな定めを背負わされてしまった。だからこそ、今、何としてもおまえを輪廻の中に戻してやりたい。おまえには生きて欲しいんだ……!」
そう云うなり、斉藤は不意に両手をのばした。総司の細い躯を引き寄せ、力いっぱい抱きしめる。
その腕の中、総司は小さく喘いだ。
三百年前もこうして抱きしめられた。
三百年前も、総司の心にいつも寄りそってくれた。
どうして、わからなかったのだろう──?
いつも、彼は総司だけを見守ってくれていたのに。あの三百年前と同じように。
嫌った訳ではなかった。むしろ、好きだった。愛してはいなかったが、それでも、一人の男として好意をもっていたのだ。
だからこそ、自分のために死んでほしくなかったし、あんな風な結末を迎えた事が辛く悲しかった。だが、彼を恨もうとも思わなかった。
あれは誰が悪い訳でもなかったのだ。
少しずつ感情がかけ違い、歯車がどこかで狂っていってしまったのだから……。
総司はそっと目を閉じ、斉藤の背に手をまわした。
そのぬくもりを感じながら、思った。
なんて、私は愚かなのだろう。
なんて、私は傲慢なのだろう。
こうして今、刀がこの手に戻ってきたこと。斉藤さんが背を押してくれること。
それに──安堵してしまうなんて。
歳三さんを殺すことで、幸せになんかなれるはずもない。
でも、私はそんなに強くないから、愚かで傲慢だから。
愛されているなら──と、思っていたのに。
私だけをあの人が愛してくれているなら、喜んで死んでゆけると。
儚い粉雪となり、幸せに逝けると。
そう、心から信じていた。
でも───
「……歳三さんの心はもう……私にはないのかもしれません」
そう小さく呟いた総司に、斉藤は何も云わなかった。ただ黙ったまま、総司のひんやり冷たい髪を撫でてくれる。
それを感じながら、言葉をつづけた。
「愛されているなら幸せに逝けると、そう思っていました。あの人のために、あの人の幸せだけを望みながら。でも……っ」
「……」
「でも、愛されてないなんて……そんなの辛すぎる。私が死んで、あの人の心に何も残らないなんて、そんなの……」
総司は涙で潤んだ瞳で斉藤を見上げ、小さく笑ってみせた。
「本当に、私はなんて傲慢で身勝手なのでしょうね。三百年前、あの人を死に追いやり、挙げ句、今、あの人に多くのものを望んで……私にはそんな資格なんてないのに。わかってるんです、あの人に愛される事を望むのさえ、おこがましいのだと。でも、どうしても願ってしまう。あの人にずっと愛されていたかったと。この世から消えても尚、あの人の心に残りたかったのだと……」
そっと斉藤の胸に手をつき、総司は身を起こした。長い睫毛に涙がたまり、こぼれ落ちてゆく。
粉雪が降る中、その横顔は息を呑むほど綺麗だった。桜色の唇がきつく噛みしめられた。
「……斉藤さん」
総司は静かに刀を胸もとに引き寄せ、抱きしめた。そっと目を閉じる。
「ありがとう……」
それに、斉藤はもう何も云わなかった。ただ黙ったまま総司の躯をもう一度だけ、その両腕に抱きしめただけだった。
抱きあう二人の上に、雪が静かに舞い落ちてきた……。
数日後の夜の事だった。
もう真夜中の3時過ぎだ。屋敷内はすべての者が寝静まっていた。
その中で、ゆっくりと総司は身を起こした。
しばらくじっと薄闇を見つめていたが、やがて、視線を隣の褥にやった。そこでは土方が眠っていた。
あれから、ほとんど言葉もかわしていない。ましてや、褥を共にすることさえなかった。
土方は心の扉をぴしゃりと閉じてしまい、総司のすべてを冷たく拒絶したのだ。無視したりする訳ではないが、どこか他人行儀な態度だった。
むろん、抱擁もキスも囁きもない。
こうして褥をならべ眠っていても、心は悲しいほど遠く離れてしまっているのだ。総司には、それが土方の自分への愛が消え失せた証に思えた。
(もう、この人の心の中には、私への愛など欠片もない……)
そう思うと涙がこみあげたが、総司は懸命に押し隠していた。
今更、縋ろうとも思わない。どんな事をしても、いったん離れてしまった愛も心も取り戻せないのだ。ならば、惨めな事だけはしたくなかった。
総司は褥から抜け出すと、部屋の片隅に置いてある小さな棚の扉を開いた。その奥に隠してあったものを取り出す。
微かな衣擦れの音が鳴った後、総司の細い手にはあの刀が握られていた。右手に柄をもった状態で、ゆっくりと鞘を払った。
薄闇の中、銀色の刃が鈍く光った。
「……」
総司はそれを握りしめたまま、土方の方をふり返った。静かに歩み寄ると、褥の傍らに両膝をつき、彼の寝顔を覗き込んだ。
(……歳三さん……)
土方は何も知らず、静かに眠っていた。
あの鋭い瞳がかくれているからか、まるで少年のような寝顔だった。男にしては長い睫毛が頬に翳りを落とし、微かに開かれた唇からは寝息がもれている。
そっと指さきで頬にふれると、僅かに眉を顰めたが、すぐまた深い眠りへ落ちていった。最近、仕事が多忙を極めているため、余程疲れているのだろう。少しの事では起きそうにもなかった。
総司は土方を見つめ、ゆっくりと刀を振り上げた。
一瞬、迷う。
首を狙うべきか、それとも心臓を?
なるべく苦痛は与えず、一瞬で終わらせたかった。なら……心臓だろう。
総司は息をつめ、身構えた。
きつく目を閉じる。
そして。
一気に刀を振り下ろした。
「──!」
その瞬間、ざくっと音が鳴った。
だが、総司は手応えの弱さに、震えながら目を開いた。
そして、思わず安堵の息をもらした。
無意識のうちに避けてしまったのだ。刃は、彼の黒髪を僅かに切っただけで、褥に突き刺さっていた。
「……あぁ……っ」
総司は小さく喘ぎ、唇を震わせた。とたん、視界がぼやけた。
涙が目にあふれ、ぽろぽろと零れ落ちてゆく。
できるはずがなかった。
彼を殺すなど、自分にはできるはずもないのだ。
たとえ、愛されてなかったとしても。
見捨てられる運命であったとしても。
それでも、自分はこの世の誰よりも彼を愛し、彼を大切に想っているのだから──……
声を殺し、総司は泣いた。両手で唇をおおい必死に堪えようとするが、嗚咽があがり、涙があとからあとからあふれてくる。
突然、掠れた声が響いた。
「……総司……?」
びくっと総司の躯が震えた。
慌てて見やると、土方が半ば目を覚ましていた。片腕で目元をおおい、ため息をもらす。
まだ瞼は閉ざされていた。
「……こんな夜中に…どうしたんだ……」
「……」
「総司……?」
黙ったままの総司を不審に思ったのか、土方は薄く目を開いた。僅かに眉を顰める。
「おまえ……泣いているのか……?」
「……っ…ごめ、んなさい……っ」
「? 何を謝って……」
云いながら、土方はゆっくりと半身を起こした。だが、その瞬間、自分のすぐ傍に突き立てられた刀に気づいた。
その黒い瞳が大きく見開かれた。
「これは……あの刀じゃねぇか!」
「……ごめんなさい……歳三さん、私……っ」
「おまえがこれを盗んだのか? これを盗ったのは、おまえだったのか!?」
口早に訊ねた土方に、総司は首をふった。
「違います……」
「なら、どうして謝ってるんだ」
「だって、もっと酷い事を私は……あなたに……」
「酷い事?」
そう訊ねてから、土方は不意に押し黙った。
じっと総司を見つめていたが、やがて、僅かに目を伏せた。手をのばすと、一気に刀を引き抜く。
刃は褥を貫き通し、畳にまで深々と刺さっていたのだ。
銀色に鈍く光る刃を、土方は冷たく澄んだ黒い瞳で見つめた。
そして。
ゆっくりと問いかけたのだった。
「……おまえは、俺を殺そうとしたのか」
と。
薄闇に、重い沈黙が落ちた。
総司は答えなかった。答えられなかったのだ。
ただ黙ったまま俯いてしまった総司に、土方は鋭い視線をむけた。その黒い瞳が抑えきれぬ憤怒に燃えあがっている。
不意に手をのばし、細い肩を掴んだ。荒々しく掴まれ、揺さぶられる。
「答えろ! おまえは俺を殺そうとしたのか!?」
「……っ」
総司はきつく目を閉じ、顔をそむけた。だが、この場合、無言である事が答えだった。
土方は信じられないという表情で、総司を凝視した。
「……なぜ……」
掠れた声で問いかけた。
「どうして……そんな事を……!」
総司はしばらくの間、黙り込んでいた。だが、やがて目をあげると、土方を潤んだ瞳で見つめた。
ぽろぽろと涙がこぼれ落ちてゆく。その桜色の唇が震えた。
「……どうしようもないの……っ」
「総司……?」
「あなたを他の人に奪われるのが、いやで……怖くてたまらなくて……っ」
「いったい、何を云ってるんだ」
土方は総司の肩を掴んだまま、その顔を覗き込んだ。
「総司、意味がわからねぇよ」
「だって、あなたは、琴さんと……!」
総司の言葉に、土方は訝しげに眉を顰めた。
「……琴?」
「あなたは琴さんを娶るのでしょう? そのために、私を置いて東京へ何度も逢いに行った……」
「総司、おまえ……!」
驚愕に、土方は目を見開いた。ぐっと総司の肩を掴む手に力がこめられた。
それを総司はまっすぐ見上げた。
「別宅で見たんです! あなたが琴さんを抱いているところを……だから、私はもう……っ」
「……見ていたのか。俺が琴といる処を……だが、あれは……」
土方は云いかけ、僅かに唇を噛みしめた。ちょっと黙ってから、目を伏せた。
「俺が迂闊だった。……許してくれ」
とたん、総司はびくんっと躯を震わせた。激しく喘ぐと、彼の手から逃れようとする。
だが、それを男が許すはずもなかった。強引に引き戻し、土方はその綺麗な顔を覗き込んだ。
「誤解するなよ、俺は琴とは何でもねぇんだ」
「……や……もう何も聞きたくな…っ」
「いいから聞けっ!」
一喝され、総司の躯が竦み上がった。
その瞳を見つめ、土方は口早に言葉をつづけた。
「琴の父親の会社が危ないんだ、倒産寸前なんだ。それで俺に相談してきて……琴自身が後を継ぎ、何とか会社をたて直したいから手助けして欲しいと云われたんだ。それで何度も東京へ行った。ただそれだけの事なんだ」
「──」
総司は大きく目を見開き、土方を見つめた。
それに、彼は真摯な口調で言葉をつづけた。
「だいたい、あっちにはちゃんと恋人がいるし、俺にもおまえという妻がいるんだぞ。そんな事ありえるはずねぇだろうが」
「……ぁ…っ」
不意に、総司は激しく身を捩った。
彼の躯を突き飛ばすようにしてその腕から抜け出ると、部屋の片隅まで行き、そのまま崩れるようにうずくまった。細い肩を震わせ、泣いている。
それに土方はため息をつき、歩み寄った。跪き、そっと肩を抱いてやる。
掠れた声が彼の名を呼んだ。
「……歳三さん……」
呼びかけながら言葉はつづかず、しばらくの間、じっと押し黙っていた。が、やがて細い指を畳に鋭くたてると、深く俯いた。
その姿勢のまま云った。
「この二年間、私がいったい何を考えていたかわかる……?」
「総司……?」
「あなたに愛されて、まるで宝物のように優しく大切にされ、妻として扱われて。そんな幸せな日々の中で、私は……」
ゆっくりと、総司は顔をあげた。
涙に濡れた瞳で、まっすぐ土方を見つめた。
そして、云った。
「いつか、あなたを殺す事を……考えていたのです」
「!」
土方の目が大きく見開かれた。
信じられない──そう云いたげな表情で、総司を見つめている。
その前で、総司は言葉をつづけた。
「あなたの腕の中で、ずっと考えていた。いつ殺そうか、いつ殺せるか。そればかりを……」
「……どうして……」
掠れた声で、土方は呟いた。突然知らされた事実に、まだ呆然としている。
ゆるく首をふり、片手で顔の半面をおおった。
「いったい……なぜだ。おまえは、やっぱり三百年前の事から俺を恨んでいたのか。憎んでいた! だからなのか……?」
「違います……!」
総司は激しく叫んだ。
「私があなたを愛してるから……! 愛するあなたをこの手にかけないと……私が消えてしまうから……っ」
「おまえが消える?」
土方は眉を顰めた。
「それは、いったいどういう意味なんだ」
「言葉のままです。あなたの命を奪わないと……私は雪になる」
そう答えると、総司は視線を窓の外へむけた。
まだ暗闇だ。
だが、やがて訪れるだろう夜明けは、もうすぐそこまで来ていた。
「今日が…三百年めの時だから。あなたが自害して、私が雪の精霊になった時から……」
「……」
「夜明けがくれば……私は雪として消えゆく定めなのです。あなたを殺さなければ……」
「!」
土方の目が大きく見開かれた。愕然とした表情で、総司を見つめている。
そんな彼に、総司はふり返った。
涙に濡れた瞳で見つめ、小さく笑ってみせた。
「これで……わかったでしょう? 私がどんなに醜く、傲慢で身勝手なのか」
「総司……」
「私は、あなたが琴さんを娶ると聞いた時、苦しくて悲しいのと同時に……心のどこかで安堵したんです。これで、あなたの命を絶つ立派な理由が出来たと、心のどこかで喜んでいた。あなたを殺し、私が生きれるのだと……」
「総司、俺は……」
「私が消えた後、あなたに幸せになどなって欲しくなかった。ずっとずっと私だけを愛して、想って、悲しみ苦しみ続けて欲しかった……っ」
息を呑んだまま見つめる土方に、突然、総司は手をのばした。彼の腕を掴み、抱きついてゆく。
愛しい男の胸もとに縋りつくと、激しく──まるで一つにとけあう事を望むかのように、その身をすり寄せた。
柔らかな髪が彼の頬にふれ、甘い花の香りがした。だが、その言葉はまるで切り裂くようだった。
「……私を憎んで……っ!」
総司は押し殺した声で叫んだ。
「私を嫌って、憎み、蔑んで。こんなにも残酷で身勝手で、傲慢な私を……許さないで」
「総司……」
「あなたの中で、私を切り捨ててしまって。そして、もう二度と、私なんか愛したりしないで……!」
そう告げるなり、不意に総司は躯をひるがえした。
それは、あっという間の出来事だった。
慌ててとらえようとするが、もう遅い。
総司はするりと立ち上がり部屋を横切ると、追おうとした土方の目の前で固く障子を閉め切った。そのまま息を吹きかけ、凍らせてしまう。
そうして彼を足止めすると、身をひるがえした。
「……総司……ッ!」
男の叫びが響いたが、総司は決してふり返らなかった。
一瞬だけ目を閉じ、駆け出していった。
粉雪が降り舞う、闇の中を───……