あなたの手のひらの中
    とけゆく雪のように
    いつか私も
    儚く消えてしまうのでしょうか……?











「……総司」
 静かな声で呼ばれ、その若者はふり返った。
 白い粉雪がちらちらと降る中、淡い真珠色の着物がよく映える。細い肩から背に波打つ艶やかな黒髪が、何とも美しかった。
 むろん、髪だけではない。
 その澄んだ瞳も、桜色の唇も、細い指さき一つまで。
 浮世離れした美しさだった。だが、それも無理のない事だ。
 その若者は、人ではなかった。
 三百年前、愛する男の命と引き換えに、雪の精として蘇った者だった。
 そして──
 現在。
 再び時はめぐり、三百年目の日が訪れようとしていた。
 輪廻にも人にも戻れず、この柔らかな雪のように、とけ消えゆく定めの日が。それを救えるのは、ただ一つのことだけだった……。
「……歳三さん」
 総司は小さく答えると、微笑んだ。
 腕に抱いていた白い花を、歩み寄ってくる男に、そっとさし出した。
「ほら……綺麗でしょう? 部屋に生けようと思ったのですが」
「そうだな。とても綺麗だ」
 土方は微笑み、そっと両手をのばした。柔らかく抱き寄せてくれる。
 それに、総司は黙って男の胸もとへ寄りそった。だが、ふと何かに気づいたように顔をあげ、空を見上げた。
「……雪」
「え?」
「雪が降って……」
「……」
 見上げると、確かに灰色の空からちらちらと粉雪が舞い落ちていた。年を越す準備をすすめる花雪の里に、柔らかく静かに雪が降り舞う。 
 それに総司は白い花を抱えたまま、空をじっと見つめている。
 何かを想うように。
 その様子に、土方が気づかぬはずもなかった。
「どうした?」
 不審そうに訊ねられ、総司は我に返った。見上げていた空から視線を戻し、慌てて首をふってみせる。
「何でもありません」
「それが何でもないって顔か」
 顎を指さきで掴まれ、くいっと仰向かされた。それに、総司は潤んだ瞳で見上げる。僅かに男が息を呑んだのを感じた。
「……外でそんな顔をするな」
 少し掠れた声で囁かれ、総司は目を見開いた。
 よくわからない。
 小首をかしげる総司に、土方は苦笑した。
「たまらなくなって……今すぐ抱いてしまいたくなる」
「歳三さんったら……」
 なめらかな頬を紅潮させ、総司は恥ずかしそうに長い睫毛を瞬かせた。
 二人寄りそうと、ゆっくりと母屋の方へ戻り始めた。いつも静かな屋敷は賑わい、大勢の人が忙しく動き回っている。
 今日は大晦日なのだ。何しろ、名のある旧家土方家での正月だ。色々と厳格な仕来りもあり、その準備は大変なものだった。
「……歳三さん」
 総司は小さな声で云った。
「今年もお正月……あの刀を出すのですか」
「あぁ」
 土方は僅かに眉を顰め、総司を見下ろした。
 彼は総司があの刀に関してかなり神経を尖らせている事を、よく知っている。むろん、無理もない事だったが。
「おまえは嫌なら、あの部屋に入らなければいい」
「嫌という訳ではありませんけど、何だか……怖くて……」
 そう呟くと、総司は僅かに俯いてしまった。
 怖いというより、不安なのだ。
 心を決めなければいけないと、責められている気がして。
 もう時はあまりなかった。
 あと一ヶ月もすれば、三百年めの日はやってくるのだ。そうなれば、自分は粉雪となって散ってしまう。それを避けるには、彼をこの手で──あの呪われた刀で殺すしかなかったが……。

(……そんな事、私に出来るの?)

 総司はそっと傍らを歩く土方を見上げた。
 それに気づいた彼がこちらに視線をむけ、優しく微笑みかけてくれる。
 雪の精霊であり、また少年である総司を、何の躊躇いもなく愛し、妻にまで迎えてくれた人。まるで世にも稀な宝物のように大切にし、愛し慈しみ、守ってきてくれた人。
 この二年のうちに、総司の彼への愛はより深まるばかりだった。
 そして、土方からの愛もまた……。

(だけど……私は……)

 彼への愛が深まれば深まるほど。彼に愛されれば愛されるほど。
 苦しくて切なくて、たまらなかったのだ。
 この人と離れたくない。
 できる事なら、ずっとずっと愛されていたい。
 だが、それが叶えられぬ願いなら、せめて輪廻転生の中に戻り、再び人として彼とめぐり逢いたい。生まれ変わって逢える保証など何処にもないが、それでも万に一つであったとしても、その奇跡に縋りたかった。
 だが、そのためには。

(この人を……土方さんを、この手で殺さなければいけないなんて)

 呪われた運命に、総司はここ最近、一人泣く夜がふえていた。土方には気づかれていないはずなのだが……。
「……」
 その時、母屋の方から山崎がこちらへ歩んでくるのが見えた。
 おおかた、仕事を放り出し総司のもとへ行った彼を、呼び戻しに来たのだろう。
 土方は僅かに眉を顰め、肩をすくめた。
「ったく、気を抜く暇もねぇな」
「明日までの我慢ですよ」
「そうか? 年が明ければ明けたで、挨拶だ何だと忙殺されるぜ」
 嘆息すると、土方は総司の髪を優しく撫でてから、少し足を早めた。山崎と何か言葉を交わすと、一瞬だけ総司をふり返ってから先に屋敷へと入ってゆく。
 それを見送った総司は白い花を抱きしめ、そっと目を伏せた……。








 明けた翌朝は新年だった。
 総司は用意されてあった真新しい着物に身を包むと、土方と年賀の挨拶をかわした。
「……あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します」
 朝の光が柔らかく射し込む部屋の中。 
 きちんと妻らしく畳に三つ指をついて挨拶する総司に、土方は微笑んだ。
「あぁ、おめでとう。今年もよろしくな」
 優しい声で答えると、手をのばし、総司の躯を引き寄せた。膝上へ抱きあげようとする彼に、総司はかるく抗った。
「だめです……皆が待ってるのに……」
「少しだけさ。キスぐらい、構わねぇだろう?」
 くすくす笑いながら、唇を重ねてくる。
 それでも抗ったが、ちょっと苛立った男に強引に口づけられ、舌を甘く柔らかく吸われると、もう駄目だった。
 「あぁ……」と声をあげ、男の広い胸もとに崩れ折れてしまう。
 土方は目を伏せると、濃厚な口づけをあたえた。深く唇を重ね、その甘い唇も舌も蹂躙する。腕の中、次第に力を失い、うっとりと身をまかせてくる総司が可愛かった。
 愛しくて愛しくてたまらない。
「総司……愛してるよ」
 口づけの後、その頬に首筋に唇を押しあてながら囁いた土方の腕の中、総司はこくりと小さく頷いた。甘えるようにその胸もとに頭を凭せかける。
「私も愛してます……あなただけを」
 そう答えた総司に、土方は満足げに微笑んだ。
 優しく抱きおこすと、少し乱れてしまった髪や襟元を直してくれる。自分もネクタイを締め直し、そっと総司の手をひいて立ち上がらせた。
「行こうか。皆が待っている」
「はい」








 年賀の挨拶は小一時間程かかった。
 いつもならもっと長時間になるのだが、総司の躯を気遣った土方が、屋敷の者や里の者たちからだけの挨拶にとどめ、対外的なものは翌日すべて彼だけで受ける事にしたのだ。
 そのため、総司も気楽だった。もう顔見知りになった里の者たちと軽口などを叩きながら、笑顔で挨拶を受けてゆく。
 ゆったりと腰を下ろした土方の傍。彼に寄りそうその可憐で美しい姿はもう、里の者たちなら見慣れたものだ。
 それでも尚、一枚の美しい絵画のような恋人たちの姿に、誰もが思わず見惚れた。
 それ程、似合いの一組だったのだ。
 黒髪に黒い瞳、端正な顔だちの土方に、まるで綺麗な人形のような総司が寄りそっている。
 時折、土方は総司を愛しくてたまらぬという表情で見つめ、それに気づいた総司が小さく微笑んでみせた。
 二人が深く愛しあっている事は、一目で見てとれた。
 微笑ましい光景に、傍らにいる山崎も満足げに二人を見守っている。
 ようやく年賀の挨拶が終わると、すぐ食事となった。二人ともまだ朝食さえとっていなかったのだ。
 今年は島田に手伝ってもらい、総司がつくったお節料理だった。美しく盛られたそれを重箱からとりわけ、土方へとさし出す。
 綺麗な箸づかいで自分がつくった料理を口へはこぶ土方を、総司は不安げに見つめた。
「……どうですか」
 おそるおそる訊ねた総司に、土方は顔をあげた。優しく微笑んでくれる。
「あぁ、おいしいよ」
「本当に……?」
 総司は声を弾ませ、膝をすすめた。
 それに、土方はくすっと笑った。
「世辞を云ってどうするんだ。おまえも料理が上手くなった……何度も練習したんだろ? 本当によく頑張ったな」
 男からの褒め言葉に、総司は嬉しそうに頬を紅潮させた。
 白く細い指を組みあわせ、俯いた。
「島田さんに教えてもらったし……あなたも何度も励ましてくれたから。まずくても食べてくれたし……」
「けど、これは本当にうまいぜ。ほら、おまえも食ってみろよ」
「はい」
 こくりと頷き、総司は箸を手にとった。二人一緒に、食事を始める。
 その時だった。
 不意に慌ただしい足音が廊下に響き、すぐさま山崎の声がした。
「……お食事中、失礼致します。宜しいでしょうか」
 襖の向こうで躊躇う気配を感じ取り、土方は視線をあげた。張り詰めた声音に、何か事があったのだと察したのだ。
「入れ」
 そう短く答えた土方に、山崎はそれでも丁寧に襖を開いた。中に入るとまた襖を閉じ、土方の方へ向き直る。
「申し訳ございません……!」
 いきなり、山崎がその場に平伏した。畳に手をつき、頭を深々と垂れている。
 それに、土方は僅かに眉を顰めた。
「何だ。いったい何があった」
「あの刀の事です」
 とたん、土方の傍にいた総司がびくんっと肩を震わせた。それにちらりと視線をやってから、土方は先を促した。
「刀とは、うちに伝わる脇差しの事か」
「はい。あの管理は私にお任さ頂いておりましたのに、なのに……っ」
「山崎、まさか……」
 ようやく事を悟った土方の前で、山崎はまた頭を畳に擦りつけた。
「申し訳ありません……! 私の不手際で、あの刀を紛失してしまいました」
「あれは本物の刀だぞ! あんな危ないものが……」
「わかっております。ですから、厳重に鍵つきのケースの中におさめておいたのです。何しろ、今日は里の者どころか、部外者も多くこの屋敷に出入りするはずですから。なのに、先ほど、あの刀が置いてある部屋に参りましたら、どこにも……!」
「……」
 土方は無言で立ち上がると、大股に部屋を横切った。
 刀が置いてあったはずの部屋へ行くのだろう。襖に手をかけたところでふり返り、まだ項垂れている山崎に視線をやった。
「過ぎた事を云っても仕方ねぇだろう。それよりも、盗んだ奴を見つけるのが先だ。早く、警察に連絡しろ。それと、念のため近藤さんにもな」
「は、はい……!」
 慌てて山崎は立ち上がり、部屋を出る土方につづいた。
 それを、総司はしばらくの間、呆然と見送っていた。
 突然、起こった出来事がよく理解できない。だが、そのうち、ゆっくりとその意味が呑み込めてきた。
 あの刀が消えたのだ。
 誰の手によってかはわからないが、それでも、総司の前から──この屋敷から消えた。
 それは、総司にとってある事を意味していた。

(……じゃあ、私は……)

 一つの選択肢が失われたのだ。
 もう彼を殺し、輪廻転生の中に戻ることは出来ない。
 近いうちに、この冬のうちに。
 粉雪となって、とけ消える運命なのだ……。



 総司は目を伏せると、手元の椀をことりと置き直した。その白い指さきが微かに震える。
 もう悩む事もない。迷う事もない。 
 だが、突然訪れたこの結末を、悲しむべきなのか喜ぶべきなのか、総司自身にもわからなかった……。








 警察がかなり捜査したようだが、結局、刀は見つからなかった。
 忽然と姿を消してしまったのだ。それこそ、煙のように。
「鍵はかけられていたよ」
 現場検証の後、近藤が奥の部屋で、土方、総司、斉藤を前に説明した。
 彼は警察の者ではないが、事を心配しわざわざ来てくれたのだ。
「ガラスケースも全く割られていなかった。その上、鍵もかけられている。だが、まるで手品みたいに刀は消えているのだ」
「手品みたいにか……」
「おそらく、鍵を使わずこじ開けたのだろう。少しその痕跡があったそうだ」
「だが、その目的は」
 土方は苛立った声音で問いかけた。傍らの総司が不安そうに彼の端正な横顔を見つめる。
「いったい何なんだ。この里の者なら皆知っている。あれがどれほど呪われた刀であるかを」
「なら、外部の人間だろう。あれだけ厳重に仕舞われているのを見て、余程の名刀か何かだと思ったのではないか」
「馬鹿な事を……!」
 苦々しい口調で吐き捨て、土方は近藤をまっすぐ見据えた。
「あんたの云うとおり、もし外部の人間の仕業なら、盗まれた刀は確実にその手の世界のセリにでも出されるだろう。すぐに手配してくれ」
「あぁ」
 頷くと、近藤は警察の者たちと話をするため、部屋を出ていった。
 それを見送り、土方は深く嘆息した。くしゃっと前髪を片手でかきあげ、苦々しげに呟く。
「ったく、正月だってのにこの騒ぎか……」
「土方さん」
 傍らから斉藤が問いかけた。
「明日の年賀の挨拶、どうします? この屋敷で受けるか、それとも中止に……」
「中止できるものならしてしまいたいが、それもまずいだろう」
 少し考えてから、土方は結局、東京の別宅で行うと答えた。
 それに、総司は驚いた。
 そんなものがあるとは知らなかったのだ。
 様々な準備のためか部屋を出て行った土方にかわり、斉藤が説明してくれた。
「昔からある別宅なんだが、土方さんはあまり利用していないんだ」
「どうしてですか? そんな別宅があるなら、いつもホテルに泊らなくても……」
「あの別宅は……」
 気まずそうに、斉藤は視線をそらせた。
「あれは代々の当主が、別の目的のために使ってきたのさ」
「別の目的?」
「つまり……愛人を置くための家だ」
「──」
 総司は大きく目を見開いた。
 それに、斉藤はできるだけ淡々とした口調でつづけた。
「土方さんの代になってからは、それを嫌ってかほとんど使用していない。むろん、愛人など置いた事もないし……」
「……でも、その可能性はあるんですよね」
 小さく呟いた。
 何しろ、自分は少年の躯であり、しかも雪の精霊なのだ。
 跡継ぎもつくれぬ身の上であり、妻となりながらも籍は入っていなかった。
 実質的には妻でなく、愛人のような立場なのだ。

(じゃあ、むしろ……その別宅にいるべきなのは、私……?)

 そんな事まで思ってしまい、総司はきつく唇を噛みしめた。
 気持ちが沈み、瞳が深く翳ってしまう。
 それに、傍らの斉藤が気がついた。優しくその手をとってくれる。
「総司……大丈夫だ」
「……斉藤さん」
「土方さんに限って、そんな可能性など万に一つもないよ。愛人を置く事などありえない」
「……」
 総司はゆるゆると首をふった。
 そうではない。愛人を置く事など案じてないのだ。
 それよりも、むしろ怖くなったのだ。正妻でもないのに、この本宅にいる自分が。むしろ、日陰者として別宅にいるべきなのは自分だとさえ、思ってしまったのだ。
 人でもないのに……。

(……歳三さん……)

 愛しい男の名を呟くと、総司はそっと瞼を閉ざした。
 その儚げな美しい横顔を、傍らの斉藤が静かに見つめていた……。














 

[あとがき]
 花雪綺譚、完結編スタートです。今回は序章って感じですね。
 全5話の予定ですので、ラストまでおつきあい下さいね♪


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