山の奥深い地にある里だった。
 いつもここでは、冬になると雪が降っている。
 その日も朝から雪だ。まるで花びらのような粉雪が、ひらひらと天空から舞い降りてくる。
 そんな白い雪が降り舞う中、一人の若い男が、鬱蒼と茂る杉林に囲まれた長い石段をのぼっていた。
 艶やかな黒髪に、濡れたような黒い瞳の男だ。その切れの長い目は鋭く、引き締まった口許からも、意志の強さを伺わせた。
 水も滴るような男だった。すらりと引き締まった躯に、上質の黒縮緬の着物を纏っている。女なら誰でもふり返ってしまうほどの、端正な顔つきに、均整のとれた長身。その上、纏った着物や腰にある刀、身についた所作からもわかるように、育ちがよい。名字帯刀を許された名主の家の総領息子だ。生涯、女には困らないだろうと誰もが頷く男だった。
 だが、そんな男の瞳は、ただ一人だけに向けられていた。
 その逞しい腕に抱かれた少女に。
 はっと息を呑むほど、美しい少女だった。まだ十四程か。だが、美しい娘に成長することは疑うべくもないだろう。
 まるで絹糸のような艶やかな髪に、綺麗に澄んだ大きな瞳。ふっらした唇は桜色で可愛らしく、その肌は透きとおるような白さだった。白い絹の着物を身につけ、おとなしく男の腕に抱かれている。
 男はその華奢な少女の躯を片腕だけで抱きながら、ゆっくりと石段をのぼっていた。
 神社の石段だ。
 この先にある、里の守り神である雪の神社の参道だった。
「……歳三さん」
 甘く澄んだ声が山奥の地に響いた。ひらひらと降り舞う雪が二人の髪や肩に落ちては、とけてゆく。
 少女が男の首に細い両腕をまわしたまま、そっと呼びかけたのだ。
 それに、歳三と呼ばれたその若い男は僅かに小首をかしげた。
「どうした? 疲れたのか?」
「ううん……違うけど、お社まで後どれくらいですか?」
「もうすぐさ」
 歳三は優しく微笑み、かるく少女の体を抱き直した。
「あと少しでおまえのお社だ」
「私のではありません。私の父さまのものです」
「そうだな。おまえの一族のものだ。それに、おまえは将来、俺の妻になるのだから、巫女になって社を守ることはできない……」
 どこか皮肉げに笑った男に、少女はそっと俯いた。
 歳三はふと黒い瞳を翳らせた。
「……総司」
「……」
「やはり……おまえはこの婚姻を望まないのか。巫女となり、神に純潔を捧げる生涯を望むのか」
 男の苦々しい口調に、総司は驚いて顔をあげた。慌ててふるふると首をふった。
「そんな……私は、歳三さんの方がいやなのではないかと思って……」
「いやなはずがないだろう」
「でも、私たちの婚姻は代々取り決められたものです。この里の名主さまである土方家と、雪神さまを祀る沖田家の婚姻。だから、あなたは嫌でも私を妻に娶らないといけない。それが申し訳なくて……」
 そこまで云った時、石段の上までようやく辿りついた。
 だが、歳三は少女の体を下ろさなかった。腕に抱いたまま、その荘厳な社へと歩み寄ってゆく。
 古き昔よりこの地にある社は美しく、だが、どこか妖しい雰囲気を漂わせていた。あってはならない事だが、清涼さよりもどこか禍々しさを感じさせる。
 事実、この社にある雪の神は決して心優しい神ではなく、雪のごとく厳しく冷たい神だと云われていた。だが、そうであっても里の大切な守り神なのだ。この神のおかげで里の繁栄はあるのだと信じられている。
 歳三は社を見上げながら、静かな声で云った。
「総司」
「……はい」
「いいか、よく聞け。俺たちは許婚だから婚姻をかわすのではない。俺がおまえを選んだからこそ、二人は一緒になるんだ」
「歳三さん……」
 少女の大きな瞳が見開かれた。
 それに、歳三は言葉をつづけた。 
「俺はおまえを愛してる。間違えるな。誰に定められたからでもない、この俺がおまえをえらび──愛したから、妻に迎えるんだ。それに……」
 くすっと笑った。
 不意に表情をかえると、悪戯っぽい瞳で総司を覗き込んだ。
「この俺が親の命におとなしく従うような男だと思うか? 嫌なら嫌だと、はっきり断ってるさ」
「歳三さん……」
「愛してる。俺はおまえしか望まない」
「私も……」
 総司の大きな瞳に涙があふれた。
 じっと見つめる歳三の前、嗚咽をあげながら小さな小さな声で答えた。
「……私も……愛してます。あなただけを……」
「総司……」
 嬉しそうに、歳三は笑った。両腕にぎゅっと総司の細い躯を抱きすくめた。
「やっと云ってくれたな」
「歳三さん」
「これから、何度も云ってくれ。俺はおまえのものだし、おまえは俺のものだから。ずっとずっといつまでも、俺だちは二人愛しあってゆくのだから……」
 こくりと総司は頷いた。
 そして。
 里の守り神である雪の社の前。
 まるで花びらのような白い粉雪が、ひらひらと舞い散る中。
 ふたりは何度も口づけあったのだった。
 永遠を誓うように。
 そこにある想いを。
 ぬくもりを信じて。
 寄りそう比翼の鳥のように、深く互いを愛しあいながら───……








あなたの手のひらの中
とけゆく雪のように
いつか私も
儚く消えてしまうのでしょうか……?



















 夏の陽射しが眩しかった。
 生い茂った樹木の上から、蝉の声がやかましい程だ。
 車から降りた男は僅かに顔をしかめ、手をかざした。
「……相変わらず、どでかい屋敷だな」
 見事に手入れされた松の木の向こう、緑の日本庭園が広がっている。それを右手に、左手には荘厳な造りの日本家屋が広がっていた。どこか重苦しい程のイメージさえある屋敷だが、現代、昔ながらの名主、旧家とはこういったものなのだろう。
 これでも戦後、かなり所有地や財産を減らされているのだ。だが、尚、この土方家は財界で知らぬ者はないほどの財力のある名家だった。
 男はゆるく首をふると、歩き出した。
 知らせを受けたのか、大きな玄関口には既にこの家の執事である山崎が控えていた。
「お久しぶりでございます、近藤様」
「あぁ。歳は元気にしているか?」
「はい。先ほどから、奥の間でお待ちになっておられます」
「そうか。いや、東京から出る際に渋滞にまきこまれてな、待たせてしまって悪かった」
 黒びかりする框を上がりながら、近藤は人のいい笑顔を見せた。
 それに山崎は一礼すると、客人を案内するため歩き出した。幾つかの廊下と角を曲がってようやく、目的の部屋に辿りついた。この屋敷は驚くほど広いのだが、隅々まで手入れされた様は心地よかった。
「……失礼致します。近藤様がいらっしゃいました」
 そう声をかけた山崎に、中から応えがあった。
 見事な簾障子を開くと、明るく広い部屋が目に入る。
 珪藻土の壁、繊細な細工の欄間。古美術の傑作としか云いようのない襖絵。美しい琉球畳が敷きつめられた奥は、広い縁側になっており、その向こうは緑豊かな中庭が広がっていた。
 陽の光が反射する大きな池では、どうやら一匹数千万とかいう錦鯉がたくさん泳いでいる。以前、何の関心もなさそうな土方に聞くと、欲しいならやるぜと云われた覚えがあった。
 その広い部屋の真ん中、土方が白い麻のシャツに黒のジーンズ姿で坐っていた。
 27才という若さながら、この土方家の当主だ。
 黒髪に黒い瞳の、端正な容姿をもつ男だった。立ち居振る舞いの優雅さからも、何ともいえぬ艶をそのしなやかな躯に纏わりつかせていた。大学時代からの親友である朴訥な近藤からすれば、いつも少し眩しいような存在だ。
 傍には、母方の従兄弟である斉藤という若者がおり、どうやら一緒に碁を打っていたらしい。香炉から芳しく涼やかな薫がたち、風流なことだと近藤は思った。
「ご当主さまがえらく暇そうだな」
 そう皮肉った近藤に、土方は唇の端をかるくあげてみせた。
「あんたが来るって云うから、早めに仕事を片付けてきたんだ。なのに、いつまでたっても来やしねぇ。電話ぐらい寄越せよな」
「それはすまん。斉藤、元気だったか」
「はい」
 斉藤は頷き、ぺこりと頭を下げると、すぐさま視線を碁盤に戻した。もともと無口な若者なので、近藤も気にはとめない。
 どっかりと腰を下ろすと、碁盤を覗き込んだ。
「これは……歳の勝ちだな」
「まだわからねぇさ。だが、斉藤、ここで中断だ。俺は近藤さんと話がある」
「わかりました」
 斉藤は従兄であり一族の当主である彼には逆らわない。頷き、部屋を出るために立ち上がりかけたが、それを近藤がとめた。
「いや、斉藤もここにいてくれないか。一緒に話を聞いてもらいたい」
「よろしいのですか」
「あぁ、むしろ、その方がいい」
「……」
 斉藤は訊ねるように視線を土方にやった。それに肩をすくめ、土方は僅かに頷いてみせた。
 近藤はスーツの内ポケットから一枚の写真を取り出した。
「まずは、これを見てもらいたい」
「?」
 土方はその写真を受け取り、一瞬、鋭く息を呑んだ。
 その切れの長い目を僅かに細め、じっと写真を見つめている。やがて、ゆっくりと低く呟いた。
「……綺麗な娘だな……」
 どこか掠れた声に不審を覚え、傍らの斉藤が目をあげた。訝しげに土方の端正な横顔を見つめている。
 その視線を感じながらも、土方は言葉をつづけた。
「いや……これは、もしかして少年か?」
「そうだ」
 重々しく、近藤は頷いた。
「少年だ。古風な感じだが、なかなか可愛らしい少年だろう」
「娘でもこれだけの美人はいないんじゃねぇのか。へぇ、可愛らしいな」
 もう普段の口調に戻っていた。だが、どこかわざとらしい。
 それに気づかぬまま、近藤は苦笑した。
「だからといって、歳、手を出すなよ」
「出すも何も、どこの誰ともわからないのに出せねぇよ」
「どこの誰とも……か」
 近藤はため息をついた。
「名前は、総司というらしい」
「……総司」
「どうした。知ってる名なのか」
「いや、違うが……」
「まぁ珍しい名だがな。で、この少年なんだが、今、あの芹沢鴨の屋敷に囚われている」
 芹沢鴨とは、芹沢不動産の社長であり、目的のためなら手段も選ばぬ人間として有名だった。近藤は財界へのパイプが強いので、一応知り合いではある。土方とは何の面識もなかったが、所謂成り上がり者である芹沢の噂は聞いてはいた。
 土方は呆気にとられ、近藤を見た。
「ちょっと待てよ。囚われているって……あのおっさん、誘拐でもしやがったのか? それじゃ犯罪だろうが」
「おいおい。ご当主さまがそんな言葉使いじゃ、山崎君が嘆くぞ」
「うるせぇな。けど、それ本当の話なのかよ」
「先日、見せられて、おれも仰天した」
「あんたに見せたのか?」
「自慢げにな」
「で、どうしたんだ」
「黙って帰ってきた」
「……何で」
 土方は呆れ返ったといわんばかりの表情になった。
 その黒い瞳に、非難と怒りの色がうかんだ。
「あんた、腐っても検事だろうが。その検事さんが犯罪見逃してどうするんだよ」
「事はそう簡単じゃないんだ」
「芹沢の会社に捜査を入れてる最中だからか? 粉飾決算を暴くのにあんたたちが暗躍しまくってるって話は、俺も聞いてるぜ」
「──」
 今度は逆に近藤の方が絶句してしまった。
「ど、どこから情報が……っ」
「心配するな、俺の情報網は特別だ。知ってるだろ? 他の誰も掴んでねぇさ」
「ならいいが……」
「けど、本当にそれだけの理由だけで? 逮捕のために一人の少年を見殺しにした訳か。見損なったな」
「だから、おまえに頼みに来たのだ」
 近藤は不意に手をつくと、頭を下げた。
「頼む! あの少年を救い出してくれないか」
「……」
「歳、頼めるのはおまえしかいないんだ」
 とたん、土方の端正な顔が、息を呑むほど冷ややかになった。すうっと目を細め、鋭い視線を近藤にむけた。
 しばらく黙ってから、唇の端を僅かにつりあげた。
「この家の……俺の当主としての力を使えと云うのか、あんたは」
「……」
「前に云ったよな。俺たちは友人関係だけにしておこう、そこに土方家も検事も何も関わらせないでおこうと。なのに今、そんな少年一人のことで、あんたは全部ぶち壊しにするのかよ」
「だが、おまえもあの少年を見殺しにするのかと……」
「だから、それはあんたの所業だろうが。あんたが仕事を選んだという事だ。俺には関係ねぇ話だな」
 そう云い捨て、土方は立ち上がった。
 写真を突き返し、さっさと背を向けようとする。
 それに、近藤が不意に叫んだ。
「この少年は人間じゃないんだ……!」
「……」
「まるで雪女のようで……雪の力をもっている。だから、土方家の言い伝えのものではないかと……」
「──」
 その言葉に、出ていこうとしていた土方の足がとまった。
 ふり返り、その切れの長い目で、まっすぐ近藤を見つめる。
 それに、近藤はくり返した。
「雪の力をもっているんだ……それを、おれもこの目で見たんだ」
 しばらくの間、土方は黙っていた。
 傍らの斉藤が気遣わしげに二人を眺めた。
 やがて、土方は嘆息すると、静かな声で云ったのだった。
「……詳しく話を聞こう」







 話が進むうちに日が落ち、あちこちに明かりが灯された。
 燈篭にうかぶ庭が、息を呑むほど美しい。
 話が一段落したところで、山崎が他の使用人たちとともに夕食を運んできた。黒塗りの膳上に様々な豪華で美しい食事が並べられてある。
 それに目をやりながら、近藤はため息をついた。
「相変わらず、贅沢三昧をしているようだな」
「別に贅沢じゃねぇよ。これが普通なんだ」
 あっさり答え、土方は綺麗な箸使いで食事を始めた。色鮮やかな茄子の素揚げを切り分け、口にはこぶ。
「普通とは云わないだろう。世間一般では……」
「じゃなくて、俺の家や俺の生活ではの話だ。それに、何もキャビアやフォグラを食ってる訳じゃねぇ。皆、この花雪の里でとれたものばかりだ」
「しかし……見事な料理だな。実にうまい」
「料理人の腕がいいのさ」
 そう答えると、傍で給仕をしていた山崎が笑った。
「そのお言葉を聞けば、島田も喜ぶことでございましょう」
 食事が半ばまですすむと、山崎たちは席を外した。近藤、土方、斉藤だけがそこに残される。
 川魚を箸でほぐしながら、斉藤が云った。
「近藤さん……先ほどの話ですが」
「あぁ」
「あれは本当の事なのですか」
「むろんだ。おれはこの目で見た」
 近藤はきっぱりした口調で云いきった。
「あの少年が目前の花に息をふきかけたとたん、白い雪に包まれ花が凍ってしまったんだ。まさに雪女だな」
「なら、人にも同じ事じゃないのですか。芹沢を凍らせば逃げられる」
「だから、芹沢はあの少年を頑丈な格子のある部屋に閉じ込め、決して近づかないのさ。ただ遠くから眺めて、にやにや笑っている」
「いやらしいおっさんだ」
 吐き捨てるような口調で、土方が呟いた。
 この男はかなり女遊びをくり返し、家を継ぐまでは一族の非難の的だったのだが、先代の死とともに当主となってからは、ぴたりと遊びをやめてしまっていた。
 端麗なまでの容姿とは裏腹に、意外と生真面目で潔癖症なのだ。そのため、金にあかして放蕩三昧をくり返している芹沢などは、酷く嫌悪していた。
「だが、それなら……尚の事、この花雪の里の言い伝えに一致するな」
 そう云った土方に、近藤は膝をすすめた。
「おれもあの少年を見た時、真っ先にそれが浮かんだんだ。もしそうなら、満更無関係とも云えんだろうが」
「……」
 土方は何か深く考え込みながら、僅かに目を伏せた。







 花雪の里につたわる言い伝えとは、この里の守り神である雪神にも纏わる話だ。
 今から三百年前。
 名主土方家の総領息子である男と、神主の娘は、生まれながらの許婚の仲だった。
 だが、二人の婚姻が迫ったある冬のこと。
 男が旅に出ている間に、娘は他の男に心を許しなびいてしまったのだ。だが、許婚のある身で──しかも、名主の息子の妻にと望まれている身で、他の男と結ばれる事など許されない。絶望した挙句、娘はその恋仲の男と心中してしまった。
 その直後、戻ってきた許婚の男は嘆き悲しみ、雪の中、守り神である神社への階段を、まだ息のある娘を抱いてのぼった。そして、己の命と引き換えに娘が助かる事だけを願い、男は社の前で自害したのだった。
 願いは──叶えられた。
 だが、娘は人でなく雪の精霊として蘇ったのだ。
 そして、その年から、この里は大雪やなだれに一切襲われることがなくなった。冬の間、周囲の村々がどれほど豪雪に見舞われても、この里に降る雪はいつも優しい粉雪ばかりで、春になると、どこからともなく降ってくる純白の桜の花びらが一ヶ月近くも舞い散った。
 そのため、この里はいつしか花雪の里と呼ばれるようになり、現在に到るのだ。
 娘は償いと男の里を守るため、雪の精になったのだという話だった……。







「……とは云っても、今は現代だからな」
 近藤は僅かに嘆息した。
「噂でこの里を聞いた時は、まさかと思っていたが、やはり……この世には解明できぬ不思議な事もあるらしい。この辺りはかなりの豪雪地帯なのに、何故か毎年、この花雪の里だけは粉雪程度しか降らぬし、春のあの桜吹雪は見事なものだ。しかも、そんな白い桜樹木など何処にもないときてるのだからな」
「……俺はこの里で育ったからな、これが普通だと思っていた」
 土方は肩をすくめ、笑った。
「普通なものか。いや、普通でないと云うのは……あの少年だ。娘でないのが不審だが──」
「精霊に性別はないだろう。この写真を見ても、少女か少年か、一見すれば判別がきかねぇ。娘としてあんな事があったからこそ、今は少年の姿になってるだけじゃねぇのか」
「なら、おまえはあの少年がこの里の雪の精だと信じるんだな?」
 そう云われ、土方は苦笑した。
 くしゃっと片手で艶やかな黒髪をかきあげた。
「そうだな……まぁ、信じる他ねぇだろうな。実際、本人に聞いてみる他ないし、それには助け出すのが一番だ」
「歳! 引き受けてくれるのか」
 とたん、目を輝かせた近藤に、土方は片手をあげてみせた。
 にやっと笑う。
「引き受ける。が──この家の力、当主としての俺の力を使うのは御免だぜ」
「え、ではいったい……」
「この斉藤がさ」
 土方は斉藤の方へ顎をしゃくってみせた。
「最近、泥棒まがいの事をして遊んでるんだ」
「なっ……」
「あぁ、けど、盗みはしてねぇよ。ただ、あちこちの美術館や博物館に侵入して、真夜中の散歩を楽しんでいるって訳だ。な?」
 土方の言葉に、斉藤は頷いた。
 鳶色の瞳を近藤にむけ、静かな声で答えた。
「えぇ。捕まるようなヘマはしてませんので、ご心配なく。とても静かで楽しいですよ」
「楽しいって……」
「で、それを今度の事に応用してみようと思ってさ」
 黒い瞳が悪戯っぽく笑った。
 まるで冒険を思いついた少年のような表情で、土方は近藤を覗き込んだ。
「その雪の少年を、俺たちで盗み出してみようかと。まぁ、あんたもその少年を救出できたらOKなんだろ? あぁ、それに……ちょっと色々な書類なんかも失敬してくれれば、尚更ご機嫌って訳だ」
「そりゃまぁ、そうだが……」
 近藤は渋い表情になった。
「危険すぎないか? もし捕まったらどうするんだ」
「そんなヘマするかよ。ま、もし万一の時はあんたの力で出してくれ」
「おれの力なんかいるものか」
 どうせ土方家が大騒ぎして当主を釈放させ、マスコミも警察もおさえてしまうだろう。一検事である近藤の出る幕などあるはずもなかった。
 もう少し詳しく調べてからまた連絡すると、近藤は立ち上がった。
 暇をつげて出ていこうとする近藤に、土方がふと気づいて訊ねた。
「……聞くのを忘れていたが」
「あぁ」
「芹沢は、その少年をどうするつもりなんだ」
 それに、近藤は深く嘆息した。
「売り飛ばすつもりらしい。見世物にするか、どこかのモルモットにでもされるか……」
「あの悪徳野郎が考えそうなことだな」
「あまり時間はないようだからな。なるべく早く連絡する」
「あぁ」
 近藤は山崎の付き添いをうけ、部屋を出ていった。
 その遠ざかる足音を聞きながら、土方は手もとの写真に視線を落とした。
 花のように綺麗で、儚げな少年だ。
 黒目がちの瞳が美しく、じっとこちらを見つめていた。透き通るような白い肌に、桜色の唇がどこか艶かしい。
 華奢な躯に纏った白い着物がよく似合っていた。
「……総司、か」
 土方は僅かに目を伏せると、その写真をそっと懐に仕舞いこんだのだった……。







 冷たい部屋だった。
 高い所に小さな窓が一つあるだけの、殺風景な部屋だ。
 その床の上、一人の少年が壁にもたれ坐りこんでいた。細い両足を投げ出し、ぼんやりと目を伏せている。
 ふと気づき、少年は顔をあげた。
「……」
 また、あの芹沢とかいう男がこちらを見ていた。いやらしい満足そうな笑みをうかべている。
 もう少し。あと少し、こちらへ寄ってくれば、心の臓まで凍らせてやれるのに。
 三百年も生きてきて、こんな失態は初めてだった。
 あの日はとても天気がよく、総司もついつい山をかなり降りてしまっていたのだ。可愛らしい兎たちと逢い、花畑の中で遊んだ。ひらひら花びらを舞わせ、それを凍らせて雪に変えたりした。
 まさか、人が見てるなどとは思わずに。
 遊びつかれて眠ってしまった総司は、目が覚めた時、愕然となった。
 手足を縛られ、雪の吐息の防御策か唇は二重三重に布で覆われていた。まるで物のように運ばれ、この屋敷へ連れてこられたのだ。
 どうする事もできなかった。逃げ出すことなど出来るはずもなかった。
 一度、やって来た近藤という男がとても優しそうに見えたので、助けてと叫んだが、苦しげな表情で押し黙るばかりだった。傍らで芹沢は総司のことを自慢げに話し、笑っていた。
 総司はもうどうする事もできなかった。
「……」
 芹沢が去ったのを確かめてから、総司は頭をめぐらせた。
 窓から細く月の光が射し込むのを見上げるうち、ふと心が震えた。
(……歳三さん……)
 思わずその名を呼んだ。
 この世の誰よりも愛しい人の名を。
 三百年もの間、辛い時、悲しい時、ずっとそうしてきたように。
 愛しい男のことだけを想い、その愛をそっと大切に抱きしめてきたように。
 とたん、涙がほろりと零れ落ちた。
「……ふ…ぇ…っ……」
 総司は両膝を抱えこむと、子供のように泣き出した。
 いったい、これから自分はどうなるのだろう?
 怖くて怖くてたまらなかった。
 もうあの里へは戻れないのだろうか。
 三百年もの間、一人淋しく待ちつづけて、でも結局は、あの愛しい人に再びめぐり逢うことさえできなかった。
 一度だけでいいから、逢いたかったのに───
(……歳三さん、どこにいるの……?)
 総司は縋るようにその名を呼ぶと、また大粒の涙をこぼしたのだった……。













[あとがき]
 次回は王子さま土方さん、総司姫救出劇〜!(笑)。斉藤さんにも頑張ってもらわなければ。総司、しくしく泣いてるし、土方さんと早く再会させてあげたいです。つづき、また読んでやって下さいね。しかし、このお話、アン・ルイスの「あゝ無情」を聞きながら書いたと云ったら、びっくりされます〜?


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