頭の中が、完全に混乱していた。
 はっきり云うと、何が何だかわからない。


 好き? えーと、好き?
 好きって、誰が? 誰を?
 …………。


「!?」
 不意に、総司は両手をばたつかせた。土方の胸もとに手をつっぱね、離れようともがく。
 ばたばた暴れ出した総司に、土方は困ったように云った。
「そんな暴れるなよ」
「暴れますって!」
 総司は思わず叫んだ。
「何それっ、好きっていったい」
「正直な気持ちを云った迄だ。おまえに惚れている、悪いか」
「わ、悪いとかいいとかじゃなくて、私、そのっ、娘じゃないんですけど」
「そんなもの見りゃわかる。けど」
 土方はきれいな笑顔になった。悪戯っぽい瞳で覗き込み、頬をそっと撫でる。
「そこらの小町娘より、ずっと可愛いぜ」
「……」
 かぁぁぁっと首筋まで、真っ赤になってしまった。
 それは彼に甘い笑顔をむけられたからなのか、可愛いと云われたからなのか、頬を撫でられたからなのか。わからなかったけれど、いや、全部なのかもしれないが。
 とにかく、総司は真っ赤になってしまい、もごもご口ごもりながら、男の腕の中で俯いた。
 それに、土方はにやりと口角をあげた。
 柔らかな耳朶まで真っ赤になっている様が、今すぐ抱きしめて口づけたいぐらい可愛い。
 だが、そんな事をすれば、たちまち逃げ出してしまうだろう仔猫に、土方は少しだけ我慢する事にした。
 初めに思ったとおり、長期戦覚悟なのだ。急いては事をし損じる。
「帰ろうか」
 そっと肩を抱いてやりながら、優しい声で云った。
 それに、総司は一瞬だけ彼を見上げてから、こくりと小さく頷いた。
 いつのまにやら、元の世界へ戻る戻らないの問題は、総司の頭から消え去ってしまっていた。今はもう、彼からの告白以外、何も考えられない。
 屯所へと帰る道すがら、土方に手をひかれて歩く総司の頬から、淡い火照りが消えることはなかった。












 正直な話、信じられない思いだった。
 何しろ、相手はあの土方なのだ。男で、しかも、犬猿の仲であるはずの相手。なのに、その男からいきなり「好きだ」と告白され、あっさり信じられるだろうか。
「信じられる訳ないじゃない」
 総司は、はぁっとため息をつき、自室の畳の上に寝転がった。ころころと転がりながら、昨日のやり取りを思い出す。
 だが、とたん、自分を抱きしめた男の腕の力強さや、ぬくもり、耳もとで囁いた低い声の心地よさなどを、まざまざと思い出し、ぽっと頬が火照ってしまった。
 恥ずかしいというか、嬉しいというか、何というか。
 とにかく、よくわからない心境なのである。
 総司は起き上がると、縁側に出た。
 青空の下、中庭の新緑がとても美しい。だが、そこに佇む一人の男に気づいたとたん、息を呑んだ。
「……土方さん」
 声は届かなかっただろう。
 土方は中庭の新緑の中に、佇んでいた。傍には、監察方の山崎がおり、何事かを話している。
 それを聞きながら、土方は茂みの緑を、何気なく手でふれていた。黒い袖が新緑に映え、艶やかだ。


 綺麗、だった。


 艶やかな黒髪に、濡れたような黒い瞳。
 引き締まった頬から顎にかけての線、時折微かな笑みをうかべる唇まで、冷たいほど整った顔だちに、息を呑んでしまう。
 だが、その美に弱々しさはなかった。むしろ、力強く精悍だ。例えるなら、獰猛な美しい獣か。
 すらりとした長身は無駄一つなく鍛えられ、鋭いまなざしや、敏捷な身ごなし、何もかもが、しなやかで美しい獣を連想させた。
 そのくせ、仕草一つにも、大人の男特有の色香が匂いたつようだ。今も、片手で煩わしげに髪をかきあげた処で、その袂からのぞく逞しい腕に、どきりとなる。


 どきどきしながら見つめていると、突然、土方がこちらに気がついた。一瞬、目を瞠ってから、名を呼ぶ。
「総司」
 甘い笑顔をむけられ、ますます頬が火照った。
 どうしようと躊躇っているうちに、土方は山崎に何かを云い、そのまま中庭を足早に横切ってきた。縁側の上に突っ立ったままの総司を見上げ、優しい声で話しかけてくる。
「どうした、こんな処で」
「え、いえ……別に」
「そうだ、ちょうどいい処で逢った」
 土方は縁側に腰かけると、総司をかるく手招きした。つられ、思わず傍らに坐り込んでしまう。
「何ですか?」
「ほら」
 懐から取り出したものを渡され、総司は目を瞬いた。包みをあけてみると、可愛らしい菓子が幾つも出てくる。どれも綺麗でおいしそうだ。
「おまえ、食いたいって云っていただろ」
 驚いてそれを眺める総司を見つめながら、土方は云った。
「どれが好きかよくわからねぇから、とりあえず、全部一つずつ買ってきた」
「え、ここの高いのに」
「高くねぇよ。菓子ぐらい」
 くすっと笑った土方は、菓子の一つをとりあげた。桜色の可愛らしい菓子だ。
「ほら、これなんて、おまえみたいだ」
「私みたいって」
「可愛くて、口の中にいれたらとけてしまいそうな感じが、よく似ているよ」
「……っ」
 かぁぁっと耳朶まで真っ赤になるのを感じた。


 この人は、斉藤さんの云うとおり、たらしだ!
 でなきゃ、こんな濡れたような瞳で見つめながら、こんないい声で甘い言葉を云えるはずがない。


「土方さんって、もてるでしょう?」
 思わずそう云ってしまった総司に、土方は小首をかしげた。目を細めながら、答える。
「どうして、そう思う」
「だって、そんな事、平気で云っちゃうし」
「おまえにしか云わねぇよ」
「嘘ばっかり」
 小さく呟いてから、総司は大きな瞳で彼を見上げた。桜色の唇を尖らせ、問いかける。
「彼にも云っていたのでしょう?」
「彼?」
「この世界の……私に」
 そう云ってから、総司は慌てたようにつけ加えた。
「別にっ、私にとっては、どうでもいいですけど」
「どうでもよくねぇだろうが。それに……俺は云った事がない。そんな関係でもなかったしな」
 土方は縁側に手をつき、かるく背をそらした。そうして青空を見上げながら、言葉をつづけた。
「友人か、弟か、右腕か。とにかく……そんな関係だった」
「なら、どうして、今の私には違う言葉をかけるのです」
「だから、云っただろ。今のおまえが好きだと」
「す、好きって……」
 たちまち真っ赤になってしまった総司を、たまらなく可愛いと思いつつ、土方は笑いかけた。少年っぽい、とても魅力的な笑顔だ。
「俺は、本当におまえが好きで好きでたまらねぇよ」
「土方さんって、とことんたらしですね」
「それも、斉藤に云われたか」
「全部お見通しなら、わざわざ聞く必要もないと思いますけど」
 総司は拗ねたように云ってから、つんと顔をそむけた。その可愛い小さな横顔を見つめながら、土方は低い声で呟くように云った。
「……全部なんざ、見通せるはずがねぇよ。もしそうなら、こんなに悩んだりしない」
「……」
 真剣な声音に驚き、総司は思わず土方の方をふり返った。とたん、深く澄んだ黒い瞳で見つめられ、どきりと心の臓が跳ね上がる。
 それに自分でも慌てて、誤魔化すように訊ねた。
「悩んだりって、何を悩むんですか」
「決ってるだろ」
 くすっと笑い、土方は手をあげた。指さきで、とんっと総司の胸をかるく突きながら、掠れた声で囁いてみせる。
「おまえの気持ちだ」
「土方…さん」
 総司の目が大きく見開かれた。
 それに、土方は僅かに目を伏せた。形のよい唇に、微かな苦笑がうかべられる。
「おまえの気持ちが、全然わからねぇ」
「……そん…なの」
 総司はぎゅっと両手を握りしめた。息をつめ、それから思いきり叫ぶように云った。
「私だって、わからないもの……!」
「……総司?」
「全然わからない。土方さんの気持ちだってわからないけど、どうして好きだなんて云ったのか、信じていいのか全部わからないけど、それで、嬉しいとか恥ずかしいとか、不安になったり切なくなったりしてしまう私が、一番全然わからない……っ」
 そう云いざま、膝に突っ伏してしまった総司に、土方は呆気にとられた。だが、総司が云った言葉を思い返すと、片手で口許をおおった。


(……成程)


 総司は、自分の気持ちに戸惑っているのだ。
 土方に好きだと云われ、それに嬉しくなったり切なくなったりする自分に、戸惑っている。つまりは、少しは彼に気持ちがあるという事だった。
 でなければ、そんなふうに気持ちが揺れるはずもないだろう。何しろ、男相手なのだ。ふつうは拒絶がたつはずだ。
 抱え込んだ膝上に突っ伏してしまった総司が、たまらなく可愛かった。手をのばし、そっと髪を撫でてやる。
 とたん、総司はびくりと震え、目を丸くして土方を見上げた。大きな瞳がちょっと潤み、本当に愛らしい仔猫のようだ。
「当然だ」
 いきなりそう云った土方に、総司は「え?」と目を瞬かせた。それに、くすっと笑い、言葉をつづけてやる。
「わからなくて当然だ。俺もおまえも、こんな気持ち、初めてだから戸惑いもするさ」
「初めてって……」
「所謂、初めての恋って奴か?」
 それに、総司はちょっと黙ってから、拗ねたような表情になった。両手でもっと強く膝を抱え込み、顔をそむける。
「土方さんは、初めてじゃないでしょ。たくさんの女の人と遊んできただろうし」
「遊びと本気の恋は違うさ。俺がこんなに誰かを愛しいと思ったのは、おまえが初めてだ」
「……」
 突然の熱烈な告白に、総司は息を呑んだ。かぁぁっと頬が熱くなり、もう土方の顔を見ることさえ出来ない。
 だが、一方で、その場から去ろうとは思わなくて。


 肩ごしに感じる彼のぬくもりを、ずっと感じていたい。
 いつまでも、この人の声を聞いていたい。


 そんなささやかな願いを知ってくれたのか、土方は、忙しい身にもかかわらず、その日はかなり長い間、総司の傍にいてくれた。青空の下、二人一緒にいられることの幸せを、甘い喜びとともに感じる。
 総司はそっと土方の方に身を寄せながら、小さく微笑んだ。













 噂が走るのは早い。
 数日のうちには、「沖田先生は、副長の念者になった」という話になっていた。
 二人仲良く寄りそっている様を、他の隊士たちに見られたに違いない。というか、あんな屯所のど真ん中でいちゃついていて、見られないはずがないのだが。
 そのあたり、噂のことも、見られたことも、総司は全く気づいていなかった。
 むろん、土方は知っていたが、全く気にもとめていなかった。
 土方が総司をよく連れだすようになったのも、噂の信憑性を高めた。それに、総司が土方に対して素直になり、あまり口論しなくなった事も、理由の一つだ。
 土方は、多忙な仕事の合間をぬうようにして、総司との逢瀬を重ねた。外へ呼び出したり、連れ出したり。そのたびに、おいしいものを食べさせ、ふたり一緒に綺麗なものを見たり、欲しがるものを買いあたえたり。
 どこまでも甘やかしてくる土方に、総司は戸惑いを感じた。慣れない事だけに、くすぐったいような気恥ずかしさと遠慮がある。
 だが、もともと総司は甘えたな仔猫のような処がある。甘やかされるのが心地よくてたまらなかった。そのため、いいのかなと思いつつ、ついつい流されてしまった。
 何しろ、土方は、信じられないぐらい優しいのだ。この男は、懐に入ってきたものには、とことん甘くなるのか。
 二人の仲が蜜のように甘くなってゆくのに、日はかからなかった。












「鳶に油揚げをさらわれたなぁ」
 稽古の後、いきなりそう云った斉藤に、総司はきょとんとした。
 周囲に隊士たちの姿はない。稽古後、着替えた斉藤に、総司が部屋でお茶でもと誘ったのだ。それに、喜んでやってきた斉藤が、湯飲みを傾けながら云ったのだ。
「鳶に油揚げ……ですか?」
 不思議そうに目を瞬く総司に、斉藤は苦笑した。
「おまえを最初に見つけたの、オレだったのに、結局、あの土方さんのものになっちゃった訳だ」
「土方さんのものにって……そんなの、なってませんけど」
「え? だって、おとされちゃったんだろ?」
 そう訊ねる斉藤に、総司は目を見開いた。それから、言葉の意味を理解すると、ばばばっと顔を真っ赤にする。
「おとされって……そんなはずないでしょ!」
「周りは皆、そう思っているよ。総司は、土方さんと念者の契り……」
「わーっ、そういう恥ずかしい事云わないで! っていうか、全然違うんですから」
「本当に?」
「本当の本当です。土方さんと私が、念者だなんて、そんな……」
 耳朶まで真っ赤になり、もごもご口ごもってしまった総司を、斉藤はまじまじと眺めた。それから、急にぱっと表情を明るくすると、「何だ。そうか、そうだったのか」と一人納得して頷きはじめる。
「斉藤さん?」
「いや、うん! よかったよかった」
「?」
 意味がわからず、呆気にとられている総司の前で、斉藤はやたら嬉しそうだ。
 思わず唇を尖らせた。
「一人で喜んで、全然意味わからないんですけど」
「わからなくていいんだよ。けど、本当に良かった」
「……」
 ぷうっとふくれていると、斉藤がにこにこしながら云った。
「じゃあ、さっそく。明日でも、オレと昼飯どう?」
「話の繋がりが見えません」
「まぁいいじゃないか。とにかく、昼飯。おいしい処を見つけたんだ、一緒にどう?」
「えーと……」
 総司は、頭の中で予定を繰ってみた。明日は、土方からの誘いはなかったはずだ。大丈夫。
「はい」
 こくりと頷いた総司に、斉藤は内心やった!と思いつつ、念のため聞いてみた。
「明日になって駄目という事はないよな? 土方さんからの誘い、優先させるなんて事は」
「予定にありませんし、大丈夫ですよ。それに、先に約束したのは、斉藤さんとの方でしょう。順番、逆じゃないですか」
 くすっと肩をすくめるように笑う総司は、花のように愛らしい。
 それに、ちょっと見惚れながら、斉藤は(本当かな)と思った。
 約束の事ではない。総司と土方の関係のことなのだ。


 二人が念者の契りを結んだと聞いた時は、正直めちゃくちゃ悔しかったが、ちょっと安堵した事も確かだったのだ。
 記憶を失ってからの総司は、元気で明るく勝ち気で、前とは大違いだったが、それでも片恋している斉藤にとっては、総司は総司だった。
 優しさや素直さ、真っ直ぐで強い心、きれいに澄んだ瞳は、何も変わらないのだ。
 だからこそ、今も好きだと思っているだけに、不安だった。
 目を離したら最後、総司がふっと消えてしまいそうな不安を、ずっと感じているのだ。


(そのあたり、土方さんも同じみたいだけどな)


 だからこそ、総司が土方の恋人となったなら、ある程度は安心できるかとも思ったのだ。
 あれだけ執着心と独占欲の強い男のことだ。総司を恋人として愛したなら、しっかり抱きしめて離さないだろう。
 また突然、いなくなるような事はないに違いない。
 むろん、総司が土方のものになること自体は、とんでもなく面白くない事だったが。


「じゃあ、明日な」
 そう云って立ち上がろうとした斉藤は、ふと動きをとめた。ちょっと視線を走らせてから、ゆっくりとふり返る。
 不思議そうに見上げている総司に、手をさし出した。
「? 何ですか」
「約束」
 小指をさし出す斉藤に、総司は目を丸くした。それから、「斉藤さんって意外な処ありますね」と笑いながら、小指を絡ませてくる。
 背中に感じる鋭い視線を感じつつ、斉藤は、総司に優しく微笑みかけた。












 斉藤とは、外で待ち合わせだった。
 昼飯を食べる店の近くにある、八坂神社前でという約束だったのだ。
 総司は稽古が長引いてしまったので、大急ぎで井戸端で汗を拭い、着替えた。
 ばたばた慌ただしくしていると、永倉や原田が「お、土方さんと道行きかい?」などと聞いてきたので、素直な総司はあっさり「違います、斉藤さんとですよ」と答えた。
 すると、原田は目を丸くして、一瞬黙ってから、云った。
「土方さんがよく許したねぇ」
「?」
 総司はきょとんと小首をかしげた。
「え、許すも何も、関係ないと思いますけど」
「……総司、それ本気で云ってる?」
「はい」
 当然のような顔をしている総司に、原田は、土方さんも大変だなぁと思いはしたが、そこは何も云わなかった。黙ったまま、「いってらっしゃい」と手をふってやる。
 隣で永倉が「絶対、やばいだろ」と呟いていたが、総司はそれにも気づかず、ばたばたと走った。
 西本願寺の大きな玄関に駆け込み、下駄を履いた。
 そして、さぁ走りだそうとした時だった。
「……待て」
 突然、後ろから低い声がかけられたかと思うと、ぐいと腕を掴まれた。


















総司を引きとめたのは、もちろん……?


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