総司は思わず後ずさってしまった。
厳しい表情に、昨日、あの場から立ち去った事を、土方が怒っているのかと思ったのだ。
身を竦ませ、どこか逃げる処はないかと探してしまう。
そんな総司に気づいた土方は、一度目を伏せた。しばらく黙っていたが、やがて、ぽつりと云った。
「……昨日はすまなかった」
「え?」
逃げかけていた総司が、目を見開く。それに、土方は言葉をつづけた。
「俺の云い方が悪かったなら、謝る。だから、その……怖がらないでくれねぇか」
「こ、怖がってなんかいません!」
「どう見ても、怖がっているだろ」
「あなたの思い違いです」
「おまえな」
いつもどおりの売り言葉に買い言葉となりかけた処で、土方は、自分が何をしに来たのか思い出したようだった。
ふうっと息をつくと、落ち着いた声音で云った。
「とにかく、話を聞いてくれ。云っておきたいことがあるんだ……いや、昨日も、それを云いたかった」
「何、ですか」
「総司、おまえは……おまえだ」
「──」
男の言葉に、息を呑んだ。
立ちつくしている総司を、深く澄んだ黒い瞳がまっすぐ見つめた。
真剣な表情だった。土方の言葉に嘘偽りがないと知れる。
「俺が大切に思っているのは、今ここにいるおまえ自身だ。可愛いと思うのも、一緒にいたいと思うのも、総司……おまえ自身なんだ」
「だって……」
「記憶のないおまえが戸惑っているのは、よくわかる。だが、今ここにいるおまえを否定しないでくれ」
「でも」
躊躇い、口ごもった。だが、結局は云ってしまう。
「私は……違うのです」
「何が」
「だから、何度も云ったように、私は別の世界から来た者なのです」
「また、その話か」
土方は形のよい眉を顰めた。それに怯みつつも、言葉をつづける。
「私は、あなたが知ってる総司じゃないし、あなたの事も知らない。いずれは、元の世界に戻るつもりです」
「そんなもの」
土方は片頬を微かに歪めた。
「本気で戻れると思っているのか。実際、その手だてはあるのか」
「それは、まだ見つかってませんけど」
「なら、諦めろ。ここにいるのが、一番正しい形だ」
いつもの俺様な口調で、きっぱり断言した土方に、総司はかぁっと頭に血がのぼるのを感じた。
「何その云い方!? 全然納得できないんですけど」
思わず噛み付いた総司に、土方は云った。
「納得しようが何だろうが、おまえはここにいるのが正しいんだ。くだらねぇ事は、二度と考えるな」
「くだらないだなんて! だいたい、何であなたの命令聞かなきゃいけないの? 絶対絶対戻ります!」
「許さない」
きっぱり云いきった土方は、総司の腕を掴んで引き寄せた。端正な顔に苛立ちの色をうかべている。
それに、総司は大きな瞳で思いっきり睨みつけた。ついでに、えいっと膝蹴りをくらわしてやる。
だが、それを軽々とかわした土方は、総司の腕を掴みつつ、形のよい唇を歪めた。
「……まるで野良猫だな」
低い声で呟くのに、総司が云い返した。
「野良猫で悪かったですね! あなたのお気にいりのおとなしい猫とは全然違いますから!」
「それが可愛いと云っただろ。おとなしいのが好みだなんざ、云った事ねぇよ」
「へぇ、じゃあ、この世界の沖田総司は嫌いだったんですか。大切に思ってなかったんですか」
「大切に決っているだろうが」
「なら、今の私が全然違うのもわかるでしょう? 私は、あなたの大切な総司なんかじゃありません!」
「……」
話が堂々巡りしていると思ったが、今日の土方に、時はなかった。
昼までに黒谷屋敷へ行かなければならないし、その前には監察方との打ち合わせも入っているのだ。そろそろ、山崎あたりが彼を捜しに来るだろう。
土方はため息をつきつつ、総司の腕を離した。
とたん、ぱっと飛びすさる敵意丸出しの総司が、本当に毛を逆立てた仔猫のようで、めちゃくちゃ可愛い一方、そこまで嫌う事もないだろうともの悲しくなる。
土方は踵を返し、障子に手をかけた。だが、部屋を出る前に、念押しだけはしておく。
「いいな? 戻るなんざ、絶対に許さねぇからな」
そう云ってぴしゃりと閉めた障子の向こうで、総司が「そんな命令絶対聞かないからー!」と叫ぶのが聞こえ、土方はもう一度深々とため息をついた。
「おまえ、総司に余計な事を吹き込んだだろ」
そう云った土方に、斉藤は空っとぼけた表情で「何の事でしょう」と返した。
黒谷屋敷からの帰り道であり、今日の護衛は斉藤だった。と云うより、話があるからと土方が指名した。
そのため、斉藤も薄々勘づいていたのか、土方がいきなり切り出した時も、動じる様子は全くなかった。
「島原や祇園の事だ。俺が通っているとか何とか、総司に云ったんじゃねぇのか」
「事実を話しただけですよ」
斉藤は肩をすくめ、ちょっと笑ってみせた。
「土方さんが色街でさんざん遊んでいるというのは、本当の事でしょう」
「最近は遊んでねぇよ」
「そうですか、成程」
「斉藤」
土方は足をとめ、斉藤をまっすぐ見据えた。
本気で怒っている証拠に、切れの長い眦がつりあがっている。声が凄味をおびた。
「総司に手を出すつもりか」
「そんなつもりはありませんよ」
「嘘つけ。おまえ、総司に惚れているだろうが」
「えぇ。惚れているのは事実です。でも、それはお互い様でしょう」
「……」
土方は黙ったまま目を細めた。それに、斉藤は肩をすくめた。
「オレは我慢がならないんですよ。あれだけ総司を放っておいて、そのくせ、記憶がなくなったとたん、構い出す。そんなのおかしいじゃないですか」
「放っておいた訳じゃない。俺は俺なりに、あいつを大事にしていたさ」
「それはわかっていますよ。けど、総司が望んだ形じゃなかった。総司はあなたを好いていた、あなたに恋していた。でも、望みのない恋に絶望して……それ故、行方をくらましたのではないですか」
「そんなもの、俺にわかると思うか」
吐き捨てるように呟いた土方は、煩わしげに前髪を片手でかき上げた。道を行き交う人々を眺めながら、ふっとため息をつく。
「総司が何を考えていたか、今となっては何もわからねぇよ。俺は、総司から好いたの何のと云われた事もないし、ここ一年程、仕事以外でまともに会話もかわしていなかった。なのに、あいつの気持ちがわかると思うか」
「……」
「だいたい、どうして、おまえは、総司が俺を好いていたと云いきれるんだ。それこそ、総司はおまえを好いていたかもしれねぇだろうが」
「まさか」
斉藤は力なく笑った。
「だったら、すぐ自分のものにしていますよ」
そう云った斉藤に、土方は薄く嗤った。
「そうなれば、俺はおまえを斬っただろうな」
「じゃあ、今でも斬りますか。オレがあの総司を手に入れたなら」
「……」
土方は切れの長い目で、斉藤をじっと見据えた。
そして、
「……斬る」
一言だけ云い捨てると、踵を返した。後はふり向きもせず、歩き出してゆく。
「──」
その広い背を見送り、斉藤は微かに苦笑した。
土方は本気だった。紛れもない、凄まじい程の殺気を感じたのだ。
彼が総司を愛していることは、確かだった。
だからこそ、何度拒まれても嫌われても、それでも総司に手出しをしているのだろう。だが、ならば、どうしてあの頃は手を出さなかったのか、それが不思議だった。
潔癖でおとなしい総司に拒絶されるのを、恐れたのか。
だが、総司が土方を拒絶するはずはなかった。実際、傍らで見ていて、総司の恋は切なくなるほど一途で、激しかったのだ。
口数も少なく、控えめでおとなしい総司が抱く想いの激しさは、息を呑むほどだった。それこそ、命がけの恋をしていたのだ。
ただ一人の男──土方だけを見つめて。
あれでわからぬ方が不思議だと、斉藤は思っていた。
あれ程の恋慕を寄せられ、何故、土方は気づかぬのか。だから、関心がないのかと思っていたのだ。総司を弟としてのみ見ているため、恋心がそこにあるなど考えてもみないのかと、思っていた。
それ故、驚いた。
総司が行方不明になった時の、土方の取り乱しように、心底驚いたのだ。おそらく、隊の誰もが驚いた事だろう。それ程、土方は我を忘れ、総司を捜しつづけた。仕事も放り出し、ほとんど寝食も忘れて、総司を捜すことだけに力を注いだのだ。
弟や友人に対する行動ではなかった。総司が行方不明だった間、まるで物狂いにでも取り憑かれたような土方の様子に、斉藤は確信した。
土方は、総司を愛していたのだと。
それこそ──気が狂いそうなほど。
「皆、素直じゃないからなぁ」
やれやれとため息をつき、斉藤は空を見上げた。
春の青空はおだやかで、とても優しい色合いだ。
こんなふうに、誰もが素直に気持ちの色を出せたら、すれ違いなど起こらないだろうに。
「ま、オレも人のことが云えた義理じゃないか」
斉藤は小さく苦笑した。
その同じ青空の下、総司は歩いていた。
例の神社を探していたのだ。
あぁまで戻る戻ると云った手前、探さない訳にはいかなかった。いや、実際、早く戻りたいのは事実なのだが、土方との売り言葉に買い言葉で、背中を押されてしまったことも確かなのだ。
総司はきょろきょろと周囲を見回した。
新撰組一番隊組長として、何度も巡察や手入れを経験したため、かなり京の街の地図も頭に入っている。
だが、それでも、わからないものはわからないのだ。どうしても、例の神社の場所がわからなかった。
あの花が落ちていた道とよく似た場所はあったが、そこに例の神社はなかった。大きな樹木があるだけだったのだ。
「うーん……」
総司は考え込んだ。
何度も何度もその道をたどり、記憶の中も探しつくしてみたが、どうしても例の神社には辿りつけない。
まるで、拒まれているようだった。
やはり、あぁした不思議な事象は、何か理由がなければ起こらないのだろうか。
「それじゃ、いつまでたっても帰れない」
はぁっとため息をついた、その時だった。
「帰れないって、屯所にか」
後ろからかけられた低い声に、思わず飛び上がってしまった。
慌ててふり向けば、不機嫌そうな表情の土方が立っていた。懐手をし、形のよい眉を顰めている。
総司は後ずさった。
「な、な……っ」
「化け物でも見たような驚き方をするな」
そう云ってから、土方は切れの長い目で総司を上から下まで眺め回した。それから、不意に、何を思ったのか、くすっと笑った。
何? と唇を尖らせれば、問いかけられる。
「もしかして、迷子になったのか」
「迷子って! 私、子どもじゃありませんし」
「子どもだろうが」
土方は面白そうに、喉奥で笑った。それに、むかむかしていると、悪戯っぽい表情で覗き込まれる。
「で? 本当に迷子になったのか?」
「違います。屯所への道ぐらい、ちゃんとわかっています」
「なら、さっきの言葉は何だ」
問いかける土方から、総司はつんと顔をそむけた。桜色の唇が尖っている。
「そんなの、あなたに聞かれる筋合いじゃありませんし」
「屯所じゃねぇなら……まさか」
不意に、土方の声音が怒気をおびた。驚いてふり返ろうとしたとたん、乱暴に腕を掴まれた。
「まだ、おまえ探しているのか!」
「離して!」
「あれ程云っただろうが。総司、おまえもいい加減にしろよ!」
「それ、こっちの台詞です!」
総司は思わず叫び、大きな瞳で彼を睨みつけた。
「いい加減にして欲しいのは、私の方だもの。私が戻ろうが何をしようが、あなたには関係ないでしょう?」
「そんな云い草があるか! 俺がどれだけ……っ」
「離して! 痛いッ……」
きつく掴まれる腕に、総司が悲鳴をあげたとたん、土方は我に返ったようだった。慌てて手の力を緩め、気遣うような表情になる。
「……すまん」
腕を擦っている総司を見つめ、土方は謝した。
その声音の優しさに、総司も怒ることが出来なくなってしまった。それでも、拗ねたように見上げれば、土方が形のよい眉を顰め、そっと問いかける。
「痛むか? 捻ってしまったか」
「大丈夫です」
「本当にすまなかった。かっとなって、酷い事をしてしまった」
まるで、娘に対する言葉のようだった。それに妙な気恥ずかしさを覚え、総司は頬をあからめた。
「そんな謝らないで下さい。私も……言葉が過ぎたし」
「総司……」
しばらくの間、二人は押し黙っていた。大きな樹木が風に揺れ、葉擦れの音だけがさらさらと鳴る。
やがて、土方がぽつりと問いかけた。
「おまえ……そんなに嫌か」
「え?」
「ここにいるのが、そんなに嫌なのか……?」
「……」
総司は黙ったまま、土方を見つめた。
嫌です、とは、即座に答えることが出来なかった。
戻りたいという気持ちはあったが、当初より、それは薄らいできている。
ここにいるのが嫌だなんて事は、全くなかった。
それよりも、むしろ……
「……嫌、なんかじゃありません」
小さな声で答えた総司に、土方は、ほっとしたような表情になった。
だが、すぐに顔を引き締めると、低い声で問いかける。
「なら、何故、戻ろうとする。ここが嫌でないのなら、戻る必要がないだろう」
「でも……」
総司は口ごもった。
「ここにいるべきなのは、私ではありません」
「総司」
「本当にここにいるべきなのは、あなたに優しくされているのは、この世界の沖田総司であるはずだから。私は……偽物だから」
「そんな事あるものか!」
思わずとも云うように、土方は声を荒げた。総司の細い肩を掴み、その瞳を覗きこもうとする。
それに顔をそむけつつ、総司は小さな声でつづけた。
「あなたに優しくされる資格も、あなたの傍にいる資格も、私にはないのです。この世界の沖田総司から、私はすべてを奪っている。そんなの……狡いでしょう」
「俺は云っただろう! おまえはおまえだって」
「でも!」
総司は思わず叫んでしまった。
「土方さんは、この世界の沖田総司を大切にしていたはず! その彼が戻ってこられないのは、私のせいだったら? 偽物の私がここにいるせいで、この世界の沖田総司が戻ってこられないのだとしたら? それでも、あなたは私にここにいろと云うことが出来るの?」
「──」
虚を突かれたように、土方は無言になってしまった。総司の肩を掴んだまま、じっと見下ろしている。
それを見つめ返し、震える声で云った。
「ほら、ね。そんなの許せないでしょう? 大切な彼を、あなただって取り戻したいはず」
「……」
「だったら、戻るしかないもの。私が元の世界に戻れば、全部うまく……」
「おまえが好きだ」
不意に、土方が断言した。
総司は目を見開いた。
一瞬、何を云われたのか、わからなかったのだ。
そんな総司の細い肩を掴んだまま、土方は口早に告げた。
「俺は、今ここにいるおまえが好きだ。惚れている」
「……」
「偽物だとか何だとか、そんなの関係ねぇ」
「土方……さん」
「今、ここにいるおまえが好きだ」
掠れた低い声でそう告げると、土方は総司の躯を強く引き寄せた。そのまま腕の中に引き込み、きつく抱きしめる。
息もとまるほどの抱擁に、総司は大きく目を見開いた。
やっと告白です。っていうか、甘甘しながら告白もしてなかった土方さん。さて、総司は?
