「別の世界?」
案の定、土方は不思議そうに聞き返した。
実際、総司が何を云っているのか、さっぱり意味がわからないのだろう。
それを理解しつつも、懸命に話をした。
この人には、わかって欲しい。
土方さんなら、信じてくれるかもしれない。
そんな思いが、心のどこかにあったのだ。
自分でも理解できない心の動きだったのだが───
「……つまり、何か」
黙ったまま話を聞いていた土方は、しばらく何事か考え込んでいるようだった。
やがて、ゆっくりとした口調で問いかけた。
「今のおまえは、俺が知っている総司とは違うのか。別の場所から来たという事なのか」
「そうです」
「ふうん、成程」
「え……?」
あっさり頷いた土方に、総司は目を瞬いた。
拍子抜けしてしまったのだ。信じて欲しいとは思ったが、ここまであっさり受け流されると、複雑な気持ちになる。
「えーと、土方さん」
「何だ」
「あのっ、今の話、聞いてましたよね」
「あぁ」
「じゃあ、信じたという事なのですか? 私の話、全部信じたの?」
そう訊ねた総司に、土方は形のよい眉を顰めた。不愉快そうな表情で、総司を眺めやる。
「嘘なのか」
「まさか! 違いますけど、でも」
「でも、何だ」
「あんまり簡単に信じてくれたから」
「信じちゃいねぇよ」
さらりと云われた言葉に、総司は目を瞬かせた。は?と聞き返したくなる。
それに、土方は酒を杯に注ぎながら、ぶっきらぼうな口調で云った。
「俺には、そんなのどっちでもいいからな」
「ど、どっちでもいいって……」
「結局の処、おまえはおまえだろ?」
不意に、土方の表情があらたまった。深く澄んだ黒い瞳が、総司をまっすぐ見つめる。
低い声が、静かに告げた。
「今、おまえはここにいる。俺と一緒にいて話をしているのは、総司……おまえだ。なのに、そうして存在しているおまえを、この俺に否定させるのか」
「……」
思わず息を呑んだ。
土方は総司をじっと見つめていた。男のまなざしの激しさに、切なさに、息がとまりそうになる。
濡れたような黒い瞳に見つめられ、胸の鼓動が早くなった。まるで、恋する娘のようだ。
とたん、隊士たちから耳にした噂を思い出した。
以前のおとなしかった総司を、土方はとても大切にしていたらしいのだ。誰よりも大切に扱い、総司も彼のことを心から慕っているようだった。
男前である土方と玲瓏とした総司が寄りそう様は、似合いの恋人同士のようだとさえ、噂されていたのだ。
もっとも、今、犬猿の仲である二人の様子に、そんな噂は完全消滅していたが。
(でも)
総司は、じっと土方を見つめ返した。
この人は、「総司」をとても大切にしていたのだ。誰よりも大切に思っていた。
だからこそ、今の総司が自分の大切な総司ではないという事実など、絶対に受け入れられないのだろう。
(仕方ないよね……)
総司は小さく目を伏せた。きゅっと唇を噛んでから、つづける。
「否定するつもりなんて、ありませんけど」
「なら、おまえはおまえだ。それで一件落着だろう」
「はぁ……」
つい気のない返事をしてしまった。
総司にすれば、全然一件落着ではないのだ。自分は、この世界の沖田総司ではないのだから、仕方がない。
そこで、ふと思い当たった。
自分がここにいるとして、では、この世界の沖田総司はいったいどこにいるのだろう?
行方知れずだというのだから、何かあったとしか思いようがないではないか。
「あのですね」
総司は膝を進めると、土方の前に座り直した。しっかりその目を見つめて、言葉をつづける。
「土方さんは今の話を信じないみたいですけど、でも」
「でも、何だ」
「私の話が本当だとしたら、この世界の総司の事が心配にならないのですか? つまりは、今も行方不明という事なんですよ。何かあったのではと、心配しないのですか?」
「……別に」
短い沈黙の後、土方は低い声で答えた。
ぐいっと酒の杯を干してから、切れの長い目で総司を眺めやる。
「心配なんかしてねぇよ。そもそも、おまえの話を信じてないのだから、当然だろ」
「それはそうですけど」
「なら、この話は終わりだ」
不機嫌そうに眉を顰めた土方に、切り上げ時を悟り、総司は黙り込んだ。席へ戻り、先程運ばれた茶菓子を食べ始める。
一つ食べてしまうと、土方は黙ったまま自分の前に置かれた皿を、総司の方へ押しやった。
「え?」
「甘いものは苦手だ」
それだけ云うと、土方は立ち上がり、窓際の方へ行ってしまった。窓枠に腰かけ、自堕落に片膝を抱え込む。その姿が奔放で自由気儘な青年のように見えて、総司は思わず目を瞬いた。
考えてみれば、土方は若い男なのだ。
なのに、今、彼の肩にかかっている重責は凄まじいものだった。新撰組副長としての土方は、諸刃の上を渡るような日々をおくっている。命がけの危険と背中合わせの日々だった。
そんな土方にとって、総司は安らぎだったのかもしれない。辛く厳しい日々の中、ひっそりと傍に寄りそってくれる総司を愛したとしても、何の不思議があるだろう。もしかすると、本当に恋人同士だったかもしれないのだ。
なのに、記憶を失った挙げ句、ここまで違ってしまった恋人を見ても、動揺しないなんて。
(! もしかして……!)
総司は、はっと息を呑んだ。
思わず顔をあげ、こちらに横顔を見せている土方をまじまじと見つめてしまう。その視線に気づいたのか、土方が訝しげに総司を見下ろした。
「何だ」
「いえ、何も」
「……」
切れの長い目で総司を一瞥してから、土方はまた窓の外へ視線を戻した。その端正な横顔には、何の表情もうかんでいない。
だが、総司は確信していた。
(この人は、沖田総司の行方を知っている)
それどころか、行方をくらます手助けをしたのは、土方自身かもしれないのだ。
何の理由があったか知らないが、この世界の総司は新撰組から出たいと願っていた。
それを知った土方が総司を隊から出してやったのだとしたら? それこそ、今もどこかに匿っているのだとしたら?
そうであるのなら、平然としている土方の態度も、理解できた。
それに、この推測が本当であれば、土方は総司を決して帰さないだろう。この世界から去らせないに違いない。別人だとわかっていても、否、わかっているからこそ手許に引き留め、利用しつづける。
真実、愛している総司のために。
「……」
とたん、胸の奥がつきりと痛んだ。土方になど、どう思われても構わないはずなのに、妙に傷ついた気がしたのだ。
それを不思議に思いつつ、総司は先程彼がくれた菓子を口にはこんだ。ゆっくりと噛みしめる。
甘いはずの菓子が、妙にほろ苦く感じた……。
「総司に悩み?」
不思議そうに、斉藤は首をかしげた。
稽古の後だった。
井戸端で汗を拭っていた斉藤に、総司が手拭いをさし出してあげながら、問いかけたのだ。
「悩みはなかったの?」
と。
それに、斉藤は呆気にとられたような顔で、総司を眺めた。
「オレに聞いてどうするんだ。自分のことだろう?」
「だって、私じゃないし」
「は?」
「あ、そのっ、だから、記憶がないんですよ。わかるはずないでしょ」
「うーん、成程」
斉藤はあっさり納得すると、着物の襟を引き上げた。縁側へと歩き出しながら、呟く。
「悩みか、沢山あっただろうと思うよ」
「え?」
「病の事は、知っているだろ」
「……あ、はい」
総司は小さく頷いた。
労咳の事は聞いていたし、実際、自分もそうなのだから、別に驚きではなかった。名前や容姿が同じだけでなく、やはり、少しずつこの世界と総司がいた世界は繋がっているのだろう。
「それも悩んでいたみたいだし、それに関係して色々」
「色々?」
「土方さんとの事だよ」
「え」
突然、話が核心にきた気がした。思わずせきこむように訊ねてしまう。
「土方さんって、どうして、土方さんの事で悩むんですか」
「だから、病もちの自分が傍にいていいのかとか、隊にいても構わないのかとか、それに……」
云いかけ、斉藤はふと口を閉ざした。それから、ちょっと困ったように笑ってみせる。
「まぁ、色々さ」
「……」
正直、まだまだ隠している事は沢山ある気がした。だが、斉藤はかなり口が固い。駄目だと思ったことは、絶対に話してくれないのだ。
総司はそのうち自分で探り出そうと思いつつ、踵を返しかけた。そこへ、斉藤が声をかける。
「この間、土方さんと食事に行ったんだって?」
「え、はい」
総司はふり向き、素直に頷いた。
「巡察の後、急に誘われて、びっくりしたんですけど……」
「気をつけろよ」
「え?」
「あの人、すげぇたらしだから」
「は?」
目を丸くした総司に、斉藤はにやりと笑ってみせた。
「江戸でも勿論、この京の島原でも祇園でも相当遊んでいるって話。それも、あの容姿だから、女が放っておくはずないし」
「…………」
「総司も気をつけた方がいいよ」
とんでもない言葉で総司を混乱させた斉藤は、自分を呼ぶ声に、「おう」と手をあげた。そして、呆然としている総司をその場に残し、さっさと立ち去ってゆく。
総司は、その斉藤を見送りつつ、呟いた。
「……何それ」
妙に腹がたった。
土方がこの世界の総司を大切にしていて、そのために自分も利用していることはわかっていたが、それはそれ。
意外な男の純粋さ、全身で守ろうとする愛情深さに、感動したりもしていたのだ。
なのに!
「祇園、島原って何? たらしって……どういう事!?」
そういう場所で美しい女たちといる土方を想像しただけで、かぁぁっと頭に血がのぼった。むかむかした。
それが何故かわからないまま、総司は怒りに頬を紅潮させた。
考えてみれば、おかしな話だった。
総司にとって、土方は苦手な男だ。犬猿の仲だ。だから、彼が誰と仲良くしようが何をしようが、どうでもいいはずだった。
なのに、たまらなく嫌だった。土方が女といる様を思っただけで、胸がぎゅっと苦しくなり、怒りたいような泣きたいような気持ちになってしまうのだ。
「……っ」
総司はぎゅっと胸もとを掴んだまま、俯いた。きつく唇を噛みしめる。
その時だった。
「おい」
不意に後ろから足音が迫ったかと思うと、乱暴に肩を掴まれた。そのまま、強引にふり向かされる。
目を見開いた総司を、土方が見下ろしていた。形のよい眉が顰められ、頬が強ばっている。
「気分でも悪いのか」
「え……」
「胸もとを掴んでいたのだろう。発作でも起こったのか」
心配そうに訊ねてくる土方に、総司は目を瞬いた。一瞬、優しくしてくれる嬉しさに、頬が熱くなる。
だが、次の瞬間、はっと我に返った。
「な、何でもありません!」
総司は強い口調で答え、男の手から逃れた。つんと唇を尖らし、いつもの生意気そうな表情で土方を見上げる。
「大丈夫です。それに、あなたに心配される理由もないし」
「心配ぐらいするだろう」
「それは副長として? なら、ありがとうございます。でも、大丈夫ですから」
つっけんどんな云い方に、さすがの土方も腹をたてたようだった。不愉快そうに眉を顰め、きつく口元を引き締める。
「何だ、その云い草は」
「別に。お礼を云っただけです」
「おまえ、何かあったのか」
「何もありません。だいたい、私なんかに構う暇もない程、土方さんは忙しいはずでしょう」
「それは確かに忙しいが……」
土方は切れの長い目で、探るように総司を見た。
実際、訳がわからないのだろう。
先日の食事以来、土方と総司の間は程ほどの状態を保っていた。仲が良いという事もないが、喧嘩もなくなっていたのだ。
なのに、この豹変ぶりは何なのか。
だが、総司は土方の言葉に、ますます拗ねてしまったようだった。
「そうですよね」
俯き、口早に云った。
「だいたい忙しくなかったら、私なんかの相手より、島原や祇園通いしてますよね。その方が楽しいですし」
「総司……?」
土方は訝しげに眉を顰めた。それから、総司の肩を掴むと、無理やり自分の方を向かせる。
いや……と俯いてしまう総司の瞳を、覗き込んだ。とたん、はっと息を呑む。
大きな瞳が心もち潤んでいたのだ。拗ねたような表情をうかべ、土方をちょっと見つめてから、すぐさま長い睫毛を伏せてしまう。
その仕草一つにも堪えきられぬ愛しさを感じながら、土方は出来るだけ優しい声で云った。
「そんな事あるはずねぇだろう?」
「……」
「おまえより、島原や祇園の方がいいなんて、そんな事あるはずねぇだろうが」
「……」
聞いた事もないほど甘やかな声音に、総司はびっくりして顔をあげた。とたん、大粒の涙がぽろりとこぼれ、慌てて手の甲でそれを拭う。
それを見た土方は、何故か、嬉しそうな笑顔になった。そっと総司の小柄な躯を引き寄せ、腕の中にすっぽりと抱きこんでしまう。
「俺は、おまえの方がいいよ」
耳元で、男の声が優しく囁いた。
「おまえの傍にいるのが、一番好きだ。一番楽しいし、やすらぐ」
「……そんなの嘘」
まだ拗ねた声音で、総司は小さく云った。
どうして、こんな事になったのか、何でこの男の腕の中におとなしくおさまっているのか、よくわからないまま、それでも言葉を紡いでしまう。
「嘘ばっかり。私なんかの傍にいて、楽しいはずないのに」
「どうして」
「だって、私、生意気だし、反抗的だし」
「それが可愛いのさ」
男の言葉に、総司はびっくりして顔をあげた。
まさか、可愛いなどと云われるとは、思ってもみなかったのだ。それも、土方から。
だが、そんな言葉、信じられるはずがなかった。
「そんなの嘘!」
思わず叫んだ。男の逞しい胸に両手を突っぱね、大きな瞳で睨みつける。
「私が可愛いなんて、嘘です」
「嘘じゃねぇよ」
「嘘だもの! 生意気で反抗的で、男の私が可愛いなんて……嘘ばっかり云わないで。私の事なんか、もう放っておいて」
「放っておけるか」
苦笑する土方に、総司はかっと躯中が熱くなるのを感じた。
「土方さんが大切なのは、この世界の沖田総司でしょう?」
「総司」
「私は違う、あなたの知ってる沖田総司じゃない!」
そう叫びざま、総司は大きく身を捩った。土方の腕から逃れ、駆け出してゆく。
後ろで土方がその名を呼んでいたが、ふり返る気になれなかった。ふり返るのが怖かった。
先程の言葉を肯定されたら?
そうだよ、可愛いのは俺の総司だよ。
おまえは違うんだと、云われたら?
それこそ大声で泣き出してしまいそうで、怖くてたまらなくて……。
(もう、全部わからない)
どこか遠くへ逃げ出してしまいたい気持ちに、総司はきつく唇を噛みしめた。
その翌日の事だった。
朝飯の時に、総司は土方と顔をあわせた。
だが、土方は平然としていた。声一つかけるでもなく、淡々と挨拶をかわし、皆と一緒に食事をしている。
それを眺めながら、この人にとって、昨日自分と喧嘩したことなど瑣末事にすぎないんだと、思った。
あの後、部屋へ駆け込んだ総司は、一人泣いた。
どうしてか、ぼろぼろ涙がこぼれて仕方がなかった。
なのに、彼は平然としているのだ。昨日の事など、全く念頭にないように見える。
冷たい態度に、たまらなく切なくなった。
(土方さんは、何とも思ってないのに)
(私だけが、泣いたり怒ったりして……莫迦みたい)
そう思い、唇を噛んだ。
想い沈んでいたためか、食事もあまり進まず、傍にいた斉藤がやたら心配していた。
朝飯の後、総司は自分の部屋へ戻った。障子を開き、俯きがちに部屋へ入る。
「!」
とたん、背後で、障子の開く気配がした。
ふり返った総司の目に、中へ踏み込んでくる男の姿が映った。驚きに目を見開く。
土方は無言のまま、障子を後ろ手でぴしゃりと閉めた。切れの長い目が、こちらを鋭く一瞥する。
「……」
彼の冷ややかなまなざしに、総司は思わず後ずさった。
総司を追いかけてきた土方さんの思惑は?
