昼下がりだった。
 土方は文机に頬杖をつき、ぼんやりと庭先を眺めていた。決済待ちの書類は山積みになっているが、今、彼の頭の中を占めているのは、まったく別のことだ。
 ここ最近、あの頃の事ばかりを思いだしてしまう。それは、今の総司のためである事は、明らかだったが。
「一目惚れって云うんだろうな……あれは」
 微かに苦笑しつつ、呟いた。





 まだ十二才だった宗次郎に、当時二十一才の歳三は、一目惚れしてしまったのだ。
 大きな瞳、桜んぼのような唇。
 ぱっと花が咲いたような、愛らしい笑顔。
 さんさん遊び倒した百戦錬磨の色男が、出逢った瞬間、恋に堕ちても仕方ないほどの可憐さ、愛くるしさだった。
 抱きしめると、しがみついてくる少年がいとけなく可愛くてたまらず、その笑顔を見たさに、何度日野から通ったかわからない。
 だが、しかし。
 そんな可愛い少年も次第に大人になっていった。いや、その愛らしさは変わらないが、口数が減りおとなしく従順になり、大人びた表情さえ見せるようになった宗次郎に、彼は戸惑うばかりだった。


 いったい、どうしたのだろう。
 これが大人になるという事なのか。


 だが、それにしては、あまりに極端すぎる気がした。
 他の同年代の藤堂や永倉たちを見ても、さして変わる様子もない。相変わらず馬鹿騒ぎをしているし、大声で笑ったりはしゃいだりしている。
 なのに、今まで一緒に騒いでいた宗次郎は、静かにそれを眺めているだけなのだ。
 心配した彼は、何度も外へ連れ出したり、遊びに連れていったりして、気持ちを切り換えさせようとした。だが、宗次郎が変わる事はなかった。
 面とむかって聞いた事もあるが、その時も、「別に何もありませんよ」と、小さく笑ってみせただけだった。
 年月が流れ、京へのぼり新撰組を結成しても、、それは変わる事がなかった。
 そのため、今や、総司は物静かでおとなしい若者という事になっている。
 だからこそ、生意気で元気いっぱい、土方にむかって反抗しまくる総司に、皆はびっくり仰天しているのだ。


「ま、あの方が可愛いけどな」
 土方は文机に寄りかかり、くすっと笑った。


 昔は、そうだったのだ。
 生意気でわがままで元気すぎて、何度も手を焼かされた。だが、そこがまた可愛いなぁとつい目を細めてしまう彼に、友人の近藤などは「おまえ、意外と忍耐強いな」と呆れていたのだ。
 何しろ、べた惚れだった。
 可愛くて可愛くて仕方なくて、宗次郎が手に入るなら、他の女も何も全部手を切っても全く構わなかった。
 宗次郎の頃のまま変わらなければ、とっくの昔に告白して、自分のものにしていただろう。だが、宗次郎は、大人になった。それは今から思えば、恋をしたからだったに違いない。
 あの頃、宗次郎は初恋ゆえの激しい恋をし、そして、失恋したのだ。だから、あんなにも変わってしまったのだと、土方は勝手に結論づけていた。というより、それしか考えようがなかった。
 だが、それはそれで困った事だった。
 大人になったのは有り難いのだが、一方で、そんな失恋をしてしまった総司を、どう口説いていいのかわからなかったのだ。傷つける事になってはとか、弱みにつけこんではとか、つい考えてしまい、手を出すどころか声一つかけられなかった。
 そんな日々の中、突然姿を消した総司が、昔通りになって戻ってきたのには驚いたが。
「あの方がいいとも云えるよな」
 ちょっと人の悪い笑みをうかべつつ、土方はあれこれ考え込んだ。
 最初の出会いが最悪だっため、総司はやたら彼を警戒しているようだった。
 だが、あぁして毛を逆立てた仔猫を手懐けてゆくのもなかなか面白い。達成感があるというものだ。 
 むろん、それも総司限定ゆえの話だった。他の女があんな態度をとったら、いっぺんに興が冷めてしまうだろう。おとなしくても生意気でも、何をしても、総司だからこそ可愛いのだ。
 それに、明るく元気な総司の方が良かった。物静かでおとなしい総司も、たおやかで憂いがあり美しかったが、どこか違和感があったのだ。無理しているような気がして、痛ましくて堪らなかったのだ。
 打ち合わせの場でも、きゃんきゃん噛みついてくる総司に、思わず笑みがこぼれた。抱きしめたいとさえ、思った。
 もっとも、彼の気持ちを察したらしい近藤が半目で眺めていたため、とりあえず自分を抑えたが。
 だが、つい目で追ってしまう。


(……すげぇ可愛い)


 勝ち気そうな大きな瞳。
 ちょっと紅潮したなめらかな頬。
 ぽんぽんと、言葉を返してくる桜色の唇。
 話に夢中になるあまり、ふり回す手一つまで、なんて可愛いのか。
 いつも目を伏せてばかりだった総司から考えれば、実際、別人のようだと皆、思っているようだった。記憶がないとこんなに変わるのかと斉藤などは驚いていたが、そんなもの構やしねぇよというのが、土方の本心だった。
 記憶があってもなくても、総司は総司なのだ。
 活発で元気に駆け回っている総司を見るのは、正直、楽しい。
 そして、土方は、その機会をもっともっと増やしたいと思っていた。ならば、そろそろ行動に移すべきか。
「明日はどこを回る予定だったかな」
 そう呟きながら書類をめくり出した土方は、今にも歌い出しそうなほど上機嫌だった。














 つきなみと云えば、とことんつきなみだが。
「食事でもどうだろう」
 というのは、一番の誘い文句かもしれなかった。
 総司の場合は、とくに。


「……え?」


 場所は、京の八坂神社前だった。
 巡察を終えてここで解散という処へ、突然、現われた副長に、総司も隊士たちも皆わたわたと慌てた。というより、冷や汗をかいた。
 何しろ、この後、やったー! これで解散だー! とばかりに遊びに行こうと思っていた彼らは、土方に駄目だしされるのかと思ったのだ。
 だが、それは杞憂だった。
 土方はゆっくりと総司の前に歩み寄ると、総司だけしか見ずに云ったのだ。
「食事でもどうだろう。この近くにいい店がある」
 と。





 総司は長い睫毛でばしばし瞬きしてから、このとんでもなく男前の、だが、かなり俺様な副長を見上げた。
「……それは、土方さんと一緒にという事ですか」
 わかりきった事を訊ねた総司に、土方はかるく肩をすくめた。
「俺以外に約束でもしているのか」
「あなたとも、約束していませんけど」
「だから、今、誘っているんだろうが」
 いつもどおりの売り言葉に買い言葉となりかけた時、総司が「うん」と大きく頷いた。ちょっとお腹を撫でてから、答える。
「いいですよ。あなたの奢りなら、ご一緒します」
「……奢りって処を強調しているが、おまえ、金ないのか」
 給金はきちんと支払われているはずだった。総司も一番隊組長だ。副長の土方まではいかないが、そこそこ貰っているはずだろう。
 だが、総司は小さく首をかしげた。
「うーん、ちょっと使っちゃって」
「何に」
「着物ですよ」
 あっさり答えた総司に、土方は眉を顰めた。
 そういえば、総司は隊服以外の時、見覚えのない着物を纏っていた。新調したのかと、思っていたのだが。
「なんかね、部屋の葛籠に入っていた着物、とっても地味な感じのばかりで……」
「……」
「私に、濃紺とか灰色って、ちょっとあわないでしょう? だから、買ったのです」
「なるほど」
 確かに、そうだった。
 以前の総司はいつも、地味でおとなしい色合いの着物ばかりを身につけていた。濃紺や灰色など目立たない色合いばかりで、それは総司にあまり似合っていなかった。
 本当は、もっと柔らかで優しい色が似合うはずだと、土方も思っていたのだ。
「だから、買っちゃいました。綺麗なんですよ」
「そうか」
「でも、そのせいでお菓子も買えなくて、つまらないんですけどね」
 そう云ってから、総司は突然、はっと気がついた。
 何だか成り行きで友人と話すような会話をしてしまったが、考えてみれば、この男は上司で、しかも、総司とは犬猿の仲なのだ。顔をあわせれば、云い争いになるほどの関係。
 こんな事を話せば、失笑されるに決まっているのに。
「あ、あのっ、今のは……」
 慌てて否定しかけた総司だったが、土方にさえぎられた。
「菓子か」
 懐手しながら、低く笑う。
「それぐらい、幾らでも買ってやる」
「え?」
「菓子ぐらい、買ってやると云っているんだ」
「──」
 もう一度くり返した土方を、総司はびっくりして見上げた。きょとんとした顔になっている。
 それに、思わず苦笑した。
「鳩が豆鉄砲を食ったような顔するなよ。そんな驚くことか」
「だ、だって、お菓子を買ってくれるなんて」
「欲しいんだろ?」
「そうです、けど」
「なら、買ってやる。それだけの事だ」
「でも、理由がありません」
「理由?」
「土方さんに買ってもらう理由です」
 そう云ってから、総司はもしかしてと上目遣いになった。
「食事も、お菓子も、懐柔策の一つという処ですか」
「何だ、その懐柔策ってのは」
「だから、副長であるあなたにとって、いつまでも一番隊組長である私が反抗的なのは、困るでしょう? それで、何とか懐柔しようと」
「懐柔ねぇ」
 土方は形のよい唇に笑みをうかべつつ、腕を組んだ。切れの長い目が、どこか探るように総司を見やる。
 それから、僅かに身をかがめると、総司の顔を覗き込んだ。
「当たらずとも遠からずという処だな。けど、菓子や食事ぐらいで懐柔されるとは、おまえも安上がりな話だ」
「まだ懐柔されていませんし!」
「ふうん? なら、菓子も食事もいらねぇのか」
「……」
 意地悪な男の言葉に、総司はぷうっと頬をふくらませた。子どものように拗ねた表情で、足下の小石を蹴っている。
 それに、土方は思わず口元を緩めてしまった。


 可愛くて可愛くてたまらないのだ。
 こんなふうに怒ったり拗ねたり喜んだり、ころころと表情を鮮やかにかえる総司が、たまらなく可愛い。
 今すぐ、ぎゅうぅっと抱きしめたいぐらいだったが、そこは我慢だ。


「そんな顔するな」
 代りに、土方は手をのばし、総司の髪をくしゃりとかき上げた。びっくりして見上げる総司の機嫌をとるように、言葉をつづける。
「ちゃんと食事も菓子も用意してやるよ。だから、そんな拗ねるな」
 自分でも苦笑するぐらい、甘い声音だった。女にもこんな声で話しかけた事はない。
 それに、総司はますます驚いたようだった。大きな瞳がちょっと見開かれている。
「ほら、行くぞ」
 土方は照れ隠しのためか、一転してぶっきらぼうな調子で云った。後も見ず、さっさと歩き出す。
 だが、総司がついて来ているか確かめることは忘れなかった。しばらくすると、後からついてくる軽やかな足音に、ほっとする。


(俺もほだされまくってるよな)


 そんな男の胸の内を知る由もない総司はまだ少し躊躇っていたが、ぱたぱたと土方の隣に並んだ。
 それでも、小さく唇を尖らし、生意気そうな口調で問いかける。
「どこに連れていくつもりなんですか?」
「そうだな。何が食いたい?」
「え? 決まってないんですか。土方さん、さっきいい店があるって……」
「ある。けど、おまえが食いたいものが別にあるなら、そこにするぜ」
「どこでもいいって事ですか」
「もちろん」
「えらく気前がいいんですね」
 警戒するように云った総司に、土方はくすっと笑った。
「そうだな。本気で懐柔するつもりだからな」
「私を懐柔しても、いい事ありませんよ」
「何故」
「だって、私は……」
 云いかけ、総司は黙り込んでしまった。


 だって、私はいつか戻るつもりだから。


 この世界は、自分がいた世界ではないのだ。自分は沖田総司であっても、この世界の沖田総司ではない。
 なら、早く戻るべきだった。否、戻りたかった。
 確かに、土方を除けば、新撰組の者たちとの関係は良好だった。殺伐とした隊務に追われてはいるが、それでも、毎日が充実していた。
 だが、それでも、総司は戻りたいと願っていた。別の世界にいるのだから、当然の事だろう。
 だからこそ、何度も戻る方法を探した。あの神社を、あの鏡を、探し求めて、非番の時などに京の町をさまよい歩いたのだ。
 だが、どこにもなかった。総司自身が斉藤と会った場所にも行ってみたが、何の手がかりも見つけられなかったのだ。
 どうすれば帰れるのか、皆目見当もつかない。
 だが、それでも、帰らなければならなかった。


「私は……記憶がありませんし」
 ぽつりと云った総司に、土方は切れの長い目をむけた。
 何か云いかけ、だが、結局は黙ったまま、一つの店の暖簾をくぐってゆく。
 総司はそれをぼんやり見送っていたが、苛立ったように「総司」と呼ばれ、慌てて後を追った。
 小料理屋だった。
 二階にあがった総司は、きらきらと輝く川と新緑、青空に、思わず歓声をあげた。
 霞むような光の中、春らしい優しげな光景が広がっている。
「きれい……!」
 明るい声でそう云う総司に、土方は目を細めた。並んで眺めながら、微かに笑う。
「そうだな。春らしい眺めだな」
 優しい声で云われた言葉に、総司はちょっと驚いた。
 何だか、らしくない気がしてしまったのだ。だが、一方で、この人らしいとも思う。彼の中にある本質からすれば、こういう言葉は相応しいのだ。
 そう思ってしまった自分に尚のこと驚きつつ、総司は卓の前に端座した。襖が開かれ、仲居が次々と料理を運んでくる。
 料理はとてもおいしかった。綺麗に盛りつけられた数々に、総司は感嘆の声をあげながら、箸をすすめる。
 子どものように喜び、おいしいと笑顔になる総司に、土方も楽しげだった。手酌で酒を飲みながら、柔らかな表情で見つめている。
 食事が終ると、総司はまた窓際へ行き、今度はそこに腰かけて外を眺めた。柔らかな春の光景を、いつまでも飽かずに見つめている。
 その小柄な姿は、まるで絵のようだった。
 華奢な躯に黒い隊服を纏い、その細い肩に、結わえた黒髪が柔らかく流れている。ぬけるような白い肌に、黒眸がちな瞳。ふっくらした桜色の唇。なめらかな頬に朱がさした様は、愛らしい少女のようだ。
 土方は、思わず見惚れた。
 春の光景の中、そうして横座りした総司の姿は、抱きしめたい程の庇護欲をかきたてる。
 だが、総司は今、すべてを拒んでいるのだ。
 記憶がない事を理由に、総司はいつも柔らかく、すべてを拒みつづけている。明るい笑顔で無邪気に振る舞いながら、その実、総司の思いが別にあるのを、土方は敏感に感じとっていた。


 総司は、今を、仮初めにしか思っていない──。


「記憶がないのは、そんなにいけない事なのか」
 思わずそう問いかけた土方に、総司が小さく肩を震わせた。
 物思いにふけっていたのだろう。聞こえなかったのか、え? という表情になっている。
「何、ですか」
「だから」
 土方は低い声でくり返した。
「記憶がないのは、そんなにいけないのか」
「……いけない、と思いますけど」
 総司は戸惑ったような表情のまま、答えた。
「何故」
「だって、皆、困ってるみたいですし」
「最初はな。だが、今はもうおまえも慣れた。たいして問題もあるまい」
「私自身は、問題があります」
「どうして」
「だって、私は……」
 先程の言葉の云いかけだった。


 私は、この世界の沖田総司じゃない。
 だが、そんな事を、この人に話してもいいのだろうか。
 友人だという斉藤に話しても、全く信じて貰えていない。
 なのに、こんな犬猿の仲である土方などに話して、莫迦にされるだけではないだろうか。


 総司は大きな瞳で、じっと土方を見つめた。それに、訝しげな視線を返してくる。
「何だ」
「あの……」
「何だ。云いたい事があるなら、云え」
 いつもどおりの傲慢な云い方に、むっとした。だが、それが躊躇っていた総司の後押しをする。
「じゃあ、云います」
 総司は畳の上に端座すると、すうっと息を吸った。
 そして、云った。


「私は、別の世界から来たのです」
















 

云っちゃった総司。さて、土方さんの反応は?

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