夜、眠る時になって布団を敷くと、総司がおずおずと訊ねてきた。
「今日も……帰ってしまうのですか?」
「昨日は泊まった」
「でも……っ」
総司は俯いた。膝上に置いた手をぎゅっと握りしめ、口ごもる。
「朝、起きた時に……いなかったから」
「……」
「だから、その……淋しくて……っ」
驚いて見れば、耳朶まで真っ赤だった。恥ずかしそうに、俯いてしまっている。
その姿が可愛くてたまらなく、思わず、ぎゅっと腕の中に抱きしめてやりたくなった。
むろん、今の状況に不安を覚えているからだと、彼自身に向けられた言葉ではないと、全部わかっていても、嬉しかった。可愛かった。
土方は総司の手をとった。
はっとしたように顔をあげた総司に、綴ってやる。
「今日は、朝までいる」
「本当に?」
ぱっと総司の顔が輝いた。
それを眩しいものを見るように思いながら、綴った。
「約束する」
「ありがとう、とても嬉しいです」
素直に云ってくる総司に、思わず笑みがこぼれた。
その気配がわかったのか、総司が訊ねた。
「今、微笑った? どうして?」
「嬉しいから」
土方は、ゆっくりと掌に綴ってやった。
「一緒にいたいと願ってくれたことが、嬉しい」
「ただの我侭だもの」
「違う」
「でも……」
総司は俯いた。桜色の唇がきゅっと噛みしめられる。
「隼人さん……あなたにすれば迷惑でしょう? きっと忙しいと思うのに」
淋しげな表情に、思わず掌に綴った。
「おまえが一番大切だ」
はっとしたように、総司が息を呑んだ。しばらく黙ってから、おずおずと訊ねてくる。
「本当……に?」
「本当」
「私を一番大切に思ってくれるの? こんな私を?」
「一番大切」
そうくり返した土方に、総司はなめらかな頬を紅潮させた。だが、不意に顔を伏せると、きゅっと桜色の唇を噛みしめてしまう。
「……」
土方は余計な事を云ってしまったかと思った。見知らぬ男にこんな事を云われて、警戒しないはずがないだろう。
「そろそろ休もう」
話を変えるように、土方は総司を床へと促した。
総司はおとなしく横になったが、しばらくの間、何度も寝返りを打っていた。やはり、昨日のように寝付けぬのだろう。
そんな事を考えていた土方の前で、総司が不意にぱたりと身を起した。
眺めていると、おずおずと手探りで彼の存在を探してくる。
「……」
その手を握りしめてやると、総司がほっとしたように息を吐いた。
「ごめんなさい……急に不安になって。あなたがいなくなったら、どうしようと思ったの」
「ここにいる」
「隼人さん、我侭ばかりで……ごめんなさい」
そう云ってから、総司はおずおずと彼にふれた。しばらく肩や腕にふれていたが、やがて、その細い指さきは彼の顔の輪郭を辿りはじめる。
「……」
思わず眉を顰めた。
まさかとは思うが、ふと不安になったのだ。
だが、それは杞憂のようだった。
総司は子どものように彼にふれる事に夢中になっている。細い指さきが、引き締まった頬や顎にふれ、男にしては長い睫毛、瞼、こめかみにふれた。
やがて、指さきが形のよい唇にふれ、幾度か撫でた。
まるで──愛撫するように。
(……総司……)
どくんと腹の底から熱が突き上げた。
幼い仕草に、彼の中にある雄の本能が刺激されたのだ。
たまらず手を掴んだ。それに総司が驚き、身をひこうとしたが、もう遅い。
土方は、総司の背に手をまわし、そのまま反転した。褥に、総司の艶やかな黒髪がばさっと広がった。
「隼人さん?」
驚いて問いかける総司に、のしかかった。
一瞬躊躇ったが、もう我慢できなかった。
「!」
深く唇を重ねた。
とたん、びくりと華奢な躯が震えた。
こんな事をしてはいけないと思った。
これでは、総司を怯えさせてしまう。
二度とここへは来られなくなる。
そう思ったが、もうどうしようもなかった。心底惚れている相手にあそこまでされて、我慢できるはずがないのだ。
「……っ、んぅ……っ」
何度も角度をかえ、深く唇を重ねた。ねっとりと咥内を舌でなめ回し、愛撫してやる。
そのたびに、総司の躯が小さく震えた。なめらかな頬が紅潮してゆく。
だが、不意に、土方は目を見開いた。
「!」
おずおずと躊躇いがちにだったが、総司の手が彼の背にまわされたのだ。ぎゅっと縋るようにしがみつき、抱きついてくる。
思わず見下ろせば、総司は抵抗一つしていなかった。
うっとりと夢見るような表情で、彼の愛撫と口づけを受けている。
それに堪らなくなった。
総司が許しているのは、「隼人」という男だとわかっていても尚、可愛くて可愛くてたまらなかった。
この腕の中から、二度と離したくないとさえ思った。
「かわいい」
掌につづると、総司が恥ずかしそうに首をふった。細い両腕で男の首をかき抱き、彼の肩口へ顔をうずめてくる。
それを仰向かせ、また口づけた。
額に、頬に、唇に。
何度も何度も、花びらを降らすような口づけをあたえる。
総司も素直に応えた。
「っ…ぁ、ん……っ」
甘く喘ぎ、躯を擦りよせてくる様は、艶めかしくも愛らしい。
土方は、総司との初めての口づけに夢中になった。
柔らかな唇や、なめらかな白い肌、さらさらとした髪が心地よい。
この躯にふれたいと、何度願った事か。
幾度、夢の中で抱きしめたか。
それが今、偽りの形であれ許されているのだ。
(……総司、愛してる)
口には出せぬ想いのまま、土方は総司の細い躯を抱きしめた……。
翌朝だった。
総司が目を覚ますと、男はもう身支度を終えていた。
甘い口づけを残してから、帰っていった。
それを送り出した総司は、しばらくの間、ぼんやりと布団の上に坐り込んでいた。
男の気配はもう何処にもない。
だが、総司の記憶は鮮明だった。
「……」
のろのろと手をあげ、指さきで唇にふれた。
とたん、今朝もされた口づけが蘇る。
甘く激しい口づけ。
「!」
かぁぁっと頬が火照った。
嬉しくて恥ずかしくて、いたたまれなくて、どうすればいいのかわからなくなる。
わぁわぁ叫びながら、布団の上で転げ回りたいぐらいだった。
本当にしたのだ。
自分はあの人と口づけた。
抱きしめられ、甘く優しく口づけられたのだ。
ずっと夢見てきた、あの人と───
「……で、でも」
総司は我に返り、ぱっと頬に手をあてた。何だか不安になり、思わず自分に訊ねてしまう。
「あれって、本当に、土方さん……だよね?」
小さく云ったつもりの声が、思いの外、静まりかえった家によく響いた。
慌てて周囲を見回した。
むろん、何も見えなかったが、彼に聞かれたら大変だと思ったのだ。
彼は、総司が気づいていないと思っている。だが、それは全くの誤解だった。
初めから、総司は、彼が土方だとわかっていたのだ。
東山に土方の休息所がある事は、聞いていた。
土方の事なら、どんな事でも知っていた。辛くなるとわかっていても、彼の女遊びの噂も全部、聞いていたのだ。
その噂で、土方が妾を囲うと聞いた時、文字通り目の前がまっ暗になった。
くらくらして、気が変になってしまいそうだった。あの売れっ子芸妓紅杏からの文を受け取っている彼を見た時、以上だった。
総司は土方を嫌っている、という事になっている。
だが、それは事実ではなかった。もともと最初に離れていったのは彼の方であり、総司は何度もそれを追いかけた。
当時まだ宗次郎だった少年は、歳三がいると聞いた岡場所まで行った事もあったのだ。だが、そこで、女達に囲まれ自堕落に酒を飲んでいる歳三を見たとたん、胸の奥がずきりと痛くなった。
どうして、と泣きたくなった。
私より、そんな女たちと遊ぶ方がいいの?
好きだと云ってくれたのに、ずっと傍にいるよと云ってくれたのに。
あれは、嘘だったの?
小さな宗次郎は、それでも歳三を待ち続けた。何度も門前に出ては、彼の訪れを待った。
だが、彼はまるで人が変わったようになり、試衛館にもほとんど寄りつかなくなった。次第に、二人の間は離れていってしまったのだ。
京にのぼってからも、その関係は変わる事はなかった。
土方は新撰組副長となり、仕事に多忙な身となったが、相変わらず女に囲まれている事は、総司もよく知っていた。それも、さすが京で美しい女ばかりだ。
紅杏から文を貰っていた時も頭に血がのぼったが、島原で女と部屋へ引き取る彼を見る方がもっと辛かった。隊士たちの目とか外聞とか全部関係なく、その場で地団駄踏んで、わぁわぁ泣き叫んでやりたいぐらいだったのだ。
だが、そんな事できるはずがないし、しても何の意味もない。
土方はきっと呆れたような目で眺めた後、さっさと女と行ってしまうのだろう。それも、自分なんかよりもずっとお似合いの女と。
彼がもてる事は、よくわかっていた。
江戸にいた頃から、彼の傍には女がおり、それもまた当然の、水も滴るようないい男ぶりだった。頭も切れ胆力もあり、人好きのする気質に、その端正な容姿とくれば、もてない方が不思議だ。
本当に一縷の望みもない恋に、総司は泣いた。
せめて、昔のように弟として接したいと思ったが、今更どうやって仲直りすればいいのかわからなかった。総司も、かなり不器用だったのだ。
だから、あの日。
部屋に入ってきたのが土方だとわかった瞬間、かっと頬が火照った。何をどう返事したのかさえ、覚えていない。
わからないはずがなかった。あれ程、恋いこがれた男なのだ。
あの冷涼とした気配も、刻むような足音も。みんなみんな、総司の中で一番大切な場所におさめられていたのだから。
それからは、夢のようだった。
優しくしてくれる彼が嬉しくて幸せで、屯所から連れ出された時も、肩を抱かれた時も、ふわふわと雲を踏むような心地だった。
絶対にもう離れてほしくなくて、思わず彼の腕を掴んでしまった程だ。
だが、一方で、不安もあった。
間違いだという事もありえるのだ。期待しては駄目だと思った。もし彼が土方でなければどんなに落胆するか。
揺れる駕籠の中で、何度も己に云い聞かせた。
そして、それが確信に変わったのは、土方が名乗った時だった。
───隼人。
それは、土方家の当主がよく使う名だった。
「でも、土方さん、絶対隠し続けるつもりだろうしなぁ」
総司は柱に凭れかかり、ため息をついた。
もちろん、自分から云いだす勇気はない。云えば最後、もう二度と彼はここを訪れてくれない気がした。
だい好きな彼といられるためなら、幾らでも嘘をつけるのだ。気づかぬふりをすれば、傍にいてくれる。優しく甘やかせてくれるのだから。
しかも───
「口づけてくれる、なんて……」
そう呟いたとたん、総司の頬が真っ赤になった。慌ててぶんぶんと頭をふるが、やはり思い出してしまう。
何度も何度も。
抱きしめて、髪を撫で、頬にふれて。
身も心もとろけるような口づけを、あたえてくれた。唇がはれぼったくなるまで吸われ、舌を絡めって。
躯の芯が痺れてとろけて、どうにかなってしまいそうだった。
明け方、別れ際に玄関口でまた口づけられた総司は、思わずその事を告げてしまった。
すると、土方は苦笑し、綴ったのだ。
「どうにかして欲しい?」
言葉の意味がわからず小首をかしげると、もう一度、優しく口づけられた。
「今日はいつ頃来てくれるのかな」
総司は立ち上がり、窓の外を覗いた。何も見えはしないが、気配は感じとれる。
外は小雨だった。
きっと、しめやかな雨が京の町を濡らしている。秋の雨は柔らかく優しく、紅葉に降りしきるだろう。
それを彼と二人で見ることはできないけれど、感じることはできると思った。
優しく、幸せな一時。
まるで恋人同士のような───
「今だけだもの」
総司は窓枠に凭れかかり、そっと呟いた。
「ほんのちょっとだけ……夢を見てもいいよね」
土方が訪れて来たのは、やはり夕方頃だった。
ただ、昨日と違ったのは、出迎えたとたん、抱きしめられた事だ。後ろ手に戸を閉めながら総司を抱きしめ、甘く激しく口づけてくる。
ひんやりした雨の匂いに戸惑ったのは一瞬で、総司も夢中になって応えた。土方の背に手をまわして抱きつき、もっと接吻を求める。
何度も接吻をかわしてから、二人はもつれあうように框をあがった。
危うく畳に倒れ込みそうになった総司を、土方が素早く抱きとめてくれた。それにほっと安堵しつつ、力強い腕に身をまかせる。
「今夜も……朝までいてくれますか?」
そう訊ねた総司に、土方は掌に綴った。
「ずっと傍にいたい」
「本当に? なら……ずっといてくれたらいいのに」
総司は、土方の広い胸もとへ甘えるように頬を擦りつけた。
さらりとした着物の感触。袴はつけず、着流している。
それがこの訪問が公事でなく、私事だと表わしているようで、総司は少し嬉しかった。
ここにいる彼は、新撰組副長ではなく、昔どおりの歳三さんなのだ。
昨夜のように食事をとり、片付けを済ませてから、土方は総司の手を柔らかく引いた。え?と思った時には、彼の膝上に抱きあげられてしまっている。
「あ」
思わず身を捩ると、掌に綴られた。
「いやか」
「嫌じゃありませんけど」
「けど、何だ」
「恥ずかしいです。それに、何だか……子ども扱いされているみたいで」
「子どもじゃない」
即座に断じてきた土方に、総司は微かに唇を尖らせた。
ずっと子ども扱いしてきたくせに。
だから、私の事なんて見向きもしなかったくせに。
思わず諍いの言葉を口にしかけた総司に、土方はつづけた。
「もう大人だ」
「本気で、そう思っているの?」
「でなければ、こんな事をしない」
また口づけられた。ちゅっと音をたてて、頬や首筋にも唇を押しあてられる。
彼の膝上に抱かれたままの行為なので、何だかとても恥ずしかった。だが、そのくせ膝から下ろされたくない。このまま居心地のいい彼の腕の中にいたい。
「なら、この先もできるのですか?」
いきなりとんでもない事を云いだした総司に、土方は息を呑んだようだった。少し呆気にとられているようだ。
そんな彼の気配に、総司はいたたまれなくなった。
今朝の言葉が脳裏にあったから云ってしまったのだが、間違いだったのかもしれない。
彼はそういう意味で云ったのではなく、こうして自分の傍にいてくれるのも、この接吻も抱擁も、やっぱり気まぐれで……
そんな事を考えて泣き出しそうになった総司の躯が、不意にきつく抱きしめられた。背中が撓るほど抱きしめられ、躯中を男の大きな掌が撫でさする。
「抱きたい」
直接的な言葉に、びくんと躯が竦んだ。
「この先の事をおまえにしたい」
「……っ、でも」
「怖いか」
訊ねられ、反射的に首をふった。何故なら、そこで頷けば、たちまち土方は手をひきそうだった。いつでもそうなのだ。
仕事の上では冷徹で容赦ない男なのに、総司の事になると、本当は周囲が呆れるほど甘かった。冷たい態度をとりながら、その一方、他の隊士たちとは別格の扱いをあたえていた。
子どもの頃と同じように甘やかし、優しくしてきてくれたのだ。
なのに……どうして?
どうして、私は、素直になれなかったのだろう。
あなたの優しさに気づいていたくせに、知らない顔して。
我侭を云って、いっぱい困らせて。
「ごめんなさい」
不意にそう云った総司を、土方は訝しく思ったようだった。かるく身を起してから、掌に綴られる。
「怖いから、いやか」
「そうじゃなくて……違うのです」
総司はゆるく首をふり、土方の胸もとに頭を押しつけた。彼を受け入れることをあらわすように、両手で男の背をかき抱く。
愛して欲しいから。
愛されたいから。
「私を……抱いて下さい」
外の雨音が激しくなった……。
