小道を歩いてゆくと、総司の家が見えてきた。
ちょうど寺子屋が終った処なのか、子どもたちが元気よく駆け出してくる。それとすれ違うようにしながら、土方は小道を辿った。
庭のくぐり戸をそっと押し開いた処、ちょうど縁側に出てきた総司が声をかけてくれた。
「土方さん」
ぱっと花開くような愛らしい笑顔だ。
それを見るたび、土方は気持ちがふわりと浮きたつのを覚えた。心から癒される気がするのだ。
笑顔がたまらなく愛しかった。
胸が痛くなるほど、切なくなるほど、いとおしい。
土方は思わず笑みをうかべ、総司に歩み寄った。手にしていた菓子を渡す。
「少しだが」
「え? あ、水菓子、とてもおいしそうですね」
総司は嬉しそうに、無邪気な笑顔をみせた。いつものように縁側に座布団を敷き、土方に茶をすすめる。
「一緒に頂いてもいいですか?」
「いや、俺は甘いものが苦手だ」
「だけど、これって、あっさりしていて食べやすいのですよ」
総司は綺麗に水菓子を切り分けると、一方を土方にさし出してきた。ね? と、ねだるように大きな瞳で見つめられれば、否とは断れない。
土方は仕方なく口に運んだが、意外と食べやすかった。
喉越しがよく、あっさりしている。甘さも控えめだ。
「ね、おいしいでしょう?」
「あぁ」
頷いた土方に、総司は嬉しそうに微笑んだ。それからは、またいつものような時を過す。
土方は隊であった事や、最近行った店の事などを、面白可笑しく話した。それに、総司もまた、ころころと鈴のような笑い声をたててくれる。
だが、そんな事をするのも、総司相手だけだった。
島原や祇園の接客、女相手でもこんな軽口を叩いた事はない。
総司の笑顔がもっと見たかった。
その甘く澄んだ声を聞かせて欲しいと思った。
この若者がいつも自分の傍にいてくれたなら、どんなにか幸せだろう。
そう思った土方は、それを叶える手段に気がついた。
寺子屋などをやっているが、総司は、ずば抜けた剣の腕前なのだ。新撰組に入っても十分隊士として戦ってゆけるだろう。
総司を新撰組に入れてしまえば、ずっと彼の傍にいてくれる。
だが、土方はそれを叶えようと思わなかった。
穏やかで幸せな日々をおくっている若者を、己の身勝手故に、修羅の道へ入れたくなかったのだ。
野に咲く花は、野におくべきだ。
……そう。
総司は、小さな可憐な花だ。
「花だな……」
小さく呟いた土方に、総司は「え?」と小首をかしげた。
それに、微かに笑い、言葉をつづける。
「総司……おまえの笑顔は、花のようだ」
「……」
驚いたように目を見開いた総司の頬が、みるみるうちに上気した。長い睫毛を瞬かせ、羞じらうように俯いてしまう。
そんな仕草が、また新鮮だった。
手練手管で彼に云い寄ってくる花街の女たちばかり見慣れている土方には、総司の素直さ、清楚さが、何よりもいとおしい。
同性であるのに、とは思わなかった。この時代、別に珍しい事ではないのだ。
総司が隊士であるのならともかく、隊の外で逢うのなら構う事もない。
「……総司」
土方は手をのばし、縁側に置かれた総司の白い手に重ねた。包みこめば、大人の男である彼の手の中に、おさまってしまう。
総司がびくりと躯を震わせた。どこか怯えたような目で、彼を見上げてくる。
それに、怖がらせないよう微笑みかけ、もちあげた総司の手に、そっと口づけた。
大切だという想いをこめて。
「……っ」
総司が小さく息を呑んだのが、わかった。
それに、土方は苦笑した。
「すまん」
どうして、謝意の言葉が出たのか、自分でもわからなかった。ただ、怯えたような総司に悪い事をしてしまった気がしたのだ。
総司は俯き、手を袖の中にかくしてしまった。だが、嫌ではなかった証に、耳朶が薄赤い。
「……謝られる事じゃ、ありませんけれど」
「なら、もっとしても構わないか」
「どうして」
総司は顔をあげ、問いかけてきた。その大きな瞳が不安に揺れていることに気づき、たまらなくなる。
強い庇護欲が胸奥にわきたった。抱きしめてやりたいと思う。
「どうして、私なんかに? 私は……娘じゃありませんよ」
「そうだな」
土方は小首をかしげた。
「おまえは娘じゃねぇな。けど、大切だという気持ちを伝えたかったんだ」
「大切……私が?」
「あぁ。俺にとって、おまえは大切な存在だ」
「……」
総司は長い睫毛を伏せ、黙り込んでしまった。
それに少し悔いた。土方は両刀をとると、立ち上がった。はっとしたように総司が顔をあげる。
「土方さん」
「悪い、今日の俺はどうかしているな。帰らせてもらった方がいいようだ」
「あ……っ」
慌てて総司が手をのばした。細い指が彼の手をつかみ、ふり返らせる。
驚いて見下ろすと、総司が頬を紅潮させていた。長い睫毛が瞬き、桜色の唇が震える。
「ごめんなさい……私こそ、どうかしていました」
「おまえが謝る事じゃない」
「でも、土方さんに嫌な思いをさせたでしょう? 謝りますから……お願い、帰らないで」
「……」
総司の言葉に、土方は目を見開いた。
初めてだった。
総司はいつも土方を快く迎えてくれたが、また来て欲しいとか、帰らないで欲しいなど、云われた事がなかったのだ。
それ故、土方は一抹の不安を覚えていた。
この好意は自分だけの一方的なものではないのかと。総司は新撰組が怖くて、副長である土方が恐ろしく、仕方なく逢瀬を重ねているのではないかと。
だからこそ、今の言葉は純粋に嬉しかった。思わず喜色をうかべてしまう。
それに、総司は恥ずかしげに目を伏せた。小さな声がつづける。
「もちろん……あの、土方さんが良ければの話ですけど……」
「良いに決まっているだろう。俺はおまえと過したくて、ここを訪れているんだ」
そう答えてやると、総司も目元を赤らめたまま、こくりと頷いた。
再び腰を下ろした土方に、ほっとしたように安堵の息をもらし、「お茶を入れ替えてきますね」と奥へ入ってゆく。
その細い背を見送り、土方は胸の内があたたかくなるのを感じた。
総司は店の外へ出ると、小さく息を吸い込んだ。
見上げれば、青空が広がっている。
冬には珍しい、まっ青な空だった。
そのためか、今日はあたたかく、風も吹いていない。
「……」
それを見ているうちに、総司は先日の逢瀬の事を思いだした。
花のようだと囁き、手に口づけてきた彼。
あれ以上の事はされなかったが、まるで恋人同士に戻ったような行為だった。
彼が自分に特別な想いを抱いてくれているのは、明らかだ。多忙な合間をぬって、あんなにも逢いに来てくれるのだから、わからぬ方が不思議だった。
総司とて、土方に一度は愛された身なのだ。男の熱っぽい瞳や、甘やかな囁き、その意味がわからぬ程、子どもではなかった。
だが、それを受け入れるかどうかは、また別の話だった。
(受けいれるなんて、そんなの……)
総司は買った蝋燭の包みを手に、ゆっくりと歩き出した。
長い睫毛は伏せられ、桜色の唇は小さく噛まれた。きれいな顔に、憂いの色が落ちる。
あれ程までに傷つけ、己も苦しみ抜いた末に、ようやく別れた彼なのだ。
今更、受け入れるなど出来るはずもなかった。
それに、土方は来春には婚礼の予定なのだ。その腕に抱かれるべきなのは、自分ではない。
その事を思うと辛かったが、抑えきれぬ嫉妬が胸を焦がし、身も世もなく泣き出してしまいそうだったが、それが現実なのだ。
逃れようもない、残酷な現実。
不意に、はっとして総司は顔をあげた。
慌てて角に身をひそめる。
すぐ前の大きな通りを、新撰組の隊士たちが通りすぎていった。皆、黒い羽織、小袖、袴の隊服姿だった。巡察だ。
その先頭に、土方がいた。隊士たちを引き連れ、すぐ隣には原田が並び闊歩している。
厳しく引き締まった端正な横顔に、思わず目を奪われた。最近、よく見せてくれる優しい笑顔とはまた違う、精悍な彼の表情に胸が高鳴る。
「……」
通り過ぎてゆく彼らを、ぼうっとしたまま見送った。包みが手から落ちかけて、初めて我に返る。
総司は目を伏せ、ゆるく首をふった。
何を思ったのかさえ、自分でもわからなかった。だが、帰りたいと思った事は確かだった。
あの人を愛して、愛されて。
彼を支えることが誇りだった、あの幸せな日々。
何の不安もなく、ただ彼を愛し、見つめていれば良かった日々が、泣きたくなるほど遠かった。
どうして、こんなにも変わってしまったのだろう。
いくら彼のためとはいえ、記憶を奪うほど傷つけるなんて。
彼の手で、己を殺させてしまうなんて。
何故、あんなにも愛されている事に、もっと早く気づかなかったのか。
総司は目を伏せたまま、ゆっくりと歩き出そうとした。
その時だった。
不意に、その手がそっと掴まれた。驚いてふり返ったとたん、目を見開く。
「……土方さん……!」
そこにいるのは、確かに、土方だった。先程見た黒い隊服姿のまま、佇んでいる。
「何故、ここに?」
驚きのあまり声をあげた総司の唇に、土方はそっと指をあてた。悪戯っぽく笑う。
急いで戻ってきたためか、僅かに黒髪がその額に乱れていた。黒い瞳が少年のように、きらきらしている。
きれいな笑顔のまま、土方は彼にしては浮立った口調で云った。
「おまえがいる事に気づいて、戻ってきた」
「えっ、でも、お仕事は……」
「大丈夫だ。この先の神社前で解散だったからな。おまえに逢える機会を逃すはずがないだろう?」
そう云った土方は、僅かに小首をかしげるようにして総司を覗き込んだ。濡れたような黒い瞳で見つめ、甘やかな声で囁きかけてくる。
「おまえは? 俺に逢えて嬉しくないのか?」
「う、嬉しいです……けど」
「けど?」
「何だか、急すぎてびっくりして」
総司は両手で胸をおさえ、小さく息をついた。
本当に、彼が夢のように現われた時は、驚いたのだ。今も、土方の傍にいるだけで、自分でも困ってしまうほど頬が火照ってくる。
「驚かせてすまなかった」
そう云って笑った土方は、総司の手をひいたまま大通りへ歩み出た。
慌てて手を離そうとするが、彼は全く平気だ。
ちらりと総司の手許に視線を流した。
「買い物だったのか?」
「あ、はい。蝋燭が切れかけていたので。もう……帰る処でしたけど」
「なら、少しつきあってくれ。一緒に散策しよう」
「散策って、どこへ?」
「さぁ、どこがいいか。総司の好きな処にするか、俺にまかせるか」
「土方さんに、お任せします」
素直に答えた総司を見下ろし、土方は微笑んだ。先程通り過ぎていった時の厳しい表情とは、まるで別人のような優しい笑顔だ。
それを嬉しく感じながら、総司は彼を見上げた。手に感じる、彼のしなやかな指さきが冷たい。
だが、それさえも心地よかった……。
散策した二人は、東山の方にある寺へ詣でた。
境内に咲き誇る今が満開の山茶花の中を、ゆっくりと歩いてゆく。
白や紅、様々な色合いの山茶花が、甘やかな香りを放っていた。
「綺麗……それに、いい匂いですね」
そう云った総司に、土方は頷いた。
他に人気もない境内を、ゆっくりと二人身を寄せあうようにして歩いてゆく。
「ここには、よく来られるのですか?」
「いや」
土方はゆるく首をふった。
「四季折々の花が美しい寺だと聞いていたが、来たのは初めてだ」
視線を周囲へやりながら、呟いた。
「今は冬だから花も少ないが、山茶花が美しいな」
「土方さんは、どの色の山茶花が綺麗だと思いますか?」
「そうだな、白……かな」
すぐさま答えた土方は、小さく笑った。まるで、何か大切なものを慈しむような笑み。
もしかして、あの許婚の事を思いだしているのだろうか。
「……お綺麗な方なのでしょうね」
思わず口に出してしまった総司に、土方は「え?」と目を見開いた。それに、慌てて言葉をつづける。
「この間、近藤先生とお逢いしたのです。その時、土方さんの事を聞きました」
「……」
「来春、奥様を娶られるとか……」
「……」
土方は何も答えなかった。無言のまま、歩みつづけている。
それに、総司は不安になった。云ってはいけない事を、口にしてしまった気がしたのだ。
もともと、あの縁談は、土方にとって不本意なものだった。
だが、それは総司という恋人がいたからこそだ。
総司がいなくなった今、良縁以外のなにものでもないはずなのに。
ちらりと見上げた端正な横顔は、冷たく拒絶しているようだった。
彼の内に立ち入る事を、拒まれたような気がしてしまう。
だが、それは当然のことなのだと思った。
彼にとって、自分は逢ったばかりの若者。新撰組副長として、諸刃の上を渡るような日々を歩みつづけている男が、そうやすやすと気を許すはずもないのだ。
「……本当に、綺麗ですね」
総司は気をとりなおし、参道沿いに植えられた山茶花の木へ歩み寄った。手をのばし、そっと花びらにふれる。
しっとりとした感じが心地よく、甘い香りが匂いたった。
それに、土方も歩み寄ってくる。
ふり返ろうとした瞬間だった。
突然、後ろから、きつく抱きすくめられた。
思わず息を呑んだ。
「!……土方、さん……」
山茶花の香りが濃く匂いたった。
土方さん、好きだと告白します。でも、総司はそれを受け入れられなくて……
