「総司は、どうしている」
 近藤は低い声で問いかけ、土方を見据えた。
 それに、土方は地図を畳みながら、切れの長い目で見返した。
 局長室だった。先程まで、近々行われる手入れについて話しあっていたのだ。それも終わり、一息ついた処だった。
 土方はしばらく黙ってから、聞き返した。
「……どう、とは」
「はぐらかすな。おまえは総司を囲いこむように閉じこめている。おれさえ言葉を交わす事も出来ん有様だ」
「……」
「あんな事をして何になると云うのだ」
「逃がさねぇためさ」
 あっさり土方が答えると、近藤は目を見開いた。
「逃がさない、だと」
「あぁ、今度こそ絶対に逃がさねぇ。総司は、俺のものだ」
「総司は、ものではないぞ」
「そう、あれはものではない」
 土方は形のよい唇で、ふっと笑った。
「俺の大切な総司だ」
「大切だと思うなら、何故もっと優しくしてやらん。何故、おまえの傍にいると云う総司の言葉を、信じてやれんのだ」
「俺の傍にいる?」
 嘲るように、土方は聞き返した。呆れたように近藤を眺めていたが、やがて、くっくっと喉奥で笑い声をたてた。
「そんな事、一度だって総司は云ってねぇよ」
「……」
「総司はな、この俺から逃げたくて仕方ねぇのさ。屯所へ連れ戻すにも、どれだけ手間取ったと思うんだ。気を失うまで抱いて、駕籠へ押し込み連れ戻したんだからな」
「歳……」
「あいつは今も俺を拒み、逃げ出す機会をうかがっている。そんな総司を閉じこめ、束縛して逃がさぬようにするのは当然のことだろうが」
「おまえは……」
 しばらく黙っていたが、やがて、近藤は顔をあげた。真剣な表情で、友を見据える。
「歳、聞いてくれ」
「……」
「おまえに黙っていた事は、悪かったと思っている。総司に別れるよう勧めたのも、おれだ。責めるならおれを責めろ。総司に罪はない」
「罪はない?」
 土方は冷めた目で、近藤を眺めやった。
「確かにな、罪はねぇだろうよ。たかが、男一人を騙しただけだからな」
「騙した、などと」
「総司は俺を騙したのさ。別れを告げる時も、再会してからも、今さえも、あいつは本心を俺に決して明かさない。偽りばかりだ」
「なら、聞けばいい。総司の気持ちを聞けば、いいだろう」
「今更」
 苦々しい笑みが口許にうかんだ。
「聞けるか。聞いても、その言葉を信じられるか」
 それきり黙り込んでしまった土方に、近藤はもう何も云うことができなかった。
 縺れあってしまった糸を解すのは、当の恋人たちにしか出来ぬ事なのだ。
 局長室を出て部屋に戻りながら、土方はきつく唇を噛みしめた。


 近藤の云うことはわかっているのだ。
 自分も、総司を信じたい。
 だが、できなかった。
 再会してから、総司は彼の前でずっと偽りつづけていたのだ。初対面のふりをし、他人行儀に振る舞っていた。
 あの事を思うと、何が真実なのかわからなくなってしまう。


「……雪、か」
 視線を庭先にやれば、粉雪が舞っていた。灰色の空から降り舞う雪が、とても美しい。
 土方は冷えた廊下を歩み、障子を引き開けた。中はあたたかい。襖の向こうに総司の気配はなかった。巡察中なのだ。
「……」
 文机の前に坐り、書類を広げた。だが、気が進まず、筆を置いてしまう。
 土方は頬杖をつき、ぼんやりと窓外の雪を眺めた。


 新撰組に連れ戻してから、総司は、笑顔を全く見せていなかった。
 あたり前だとは思う。
 別れを告げた男に執拗につきまとわれ、挙げ句、半ば監禁状態にされているのだ。心穏やかでいられるはずがなかった。
 だが、それでも、土方は束縛を緩めようとは思わなかった。二度と逃がしたくなかったのだ。
 土方にとって胸を抉る事実は、総司が彼との別れを望んだという事だった。
 それは、そこに愛がないという証だ。否、もしも僅かにあったとしても、さすがに自分を殺めようとした男を愛せるはずもないだろう。だから、逃げたのであり、再会しても他人のふりを続けたのだ。
 愛されていないと、それどころか嫌っているかもしれない相手に執着し、求めつづける己は惨めだった。恋に狂った愚かな男がする事だ。
 だが、それでもよかった。誰に侮蔑されても、嘲られても構わないのだ。
 総司さえ傍にいてくれれば、他にはもう望まない。


(俺は、総司を愛しているのか……憎んでいるのか)


 彷徨いこんだ己の心の行方に、土方はきつく唇を噛みしめた。












 夕食を終えると、土方は総司を「話がある」と云って引き留めた。
 それに細い眉を顰めつつ、総司は坐り直す。
 食事はいつも共にとっていたが、巡察がない限り、総司は床につくのが早かった。今も部屋へ戻ろうとしていたのだが、それを土方が引き留めたのだ。
「俺が留守をしている間の事だ」
 そう云うと、総司は大きな瞳を見開いた。何か思い当たったような表情をしている。
 土方はその愛らしい顔をじっと見つめつつ、言葉をつづけた。
「外へ出たのか」
「……」
 総司はさっと頬を強ばらせた。それから、俯くと、小さな声で答えた。
「はい……」
 これでは妻の不貞を咎める夫だと思いつつ、土方は言葉を重ねた。
「一人でか」
「……」
「どこへ行っていた」
「……土方さん」
 小さな声で、総司が彼の名を呼んだ。
 何だと聞き返せば、澄んだ瞳が彼をまっすぐ見つめる。
「あなたが私の逃亡を疑っているのは、知っています。だからこそ、こうして束縛しようとする……」
「わかっているなら」
 苦々しげに、土方は云った。
「勝手に外出するな」
「……」
 総司は頬をさっと紅潮させた。膝上に置いた手を握りしめ、きっと顔をあげた。
「……私の心は縛られない」
 きつい声音に、土方は眉を顰めた。
 総司は、大きな瞳で彼をまっすぐ見つめていた。
「躯を鎖に繋いでも、心までは束縛できません」
「……」
 重い沈黙が落ちた。二人とも黙り込んだまま、じっと互いを見つめあっている。
 やがて、目をそらせたのは、土方の方だった。僅かに目を伏せ、低い声で呟いた。
「……そうだな」
「……」
「躯は束縛できても、おまえの心は……」
 ふと言葉を途切れさせ、唇を噛んだ。
 たまらない空虚さを感じたのだ。


 総司の云うとおりだった。
 心は、縛れないのだ。躯だけは彼の傍にあり、いつでも素直に抱かれても、心は別の誰かを想っている。
 それにどれほど嫉妬しても、無理やり止めさせる事はできなかった。
 総司の心は、総司のものなのだ。
 どんなに愛しても憎んでも、求めても、彼の心に答えてくれる事はない。
 昔、無邪気に笑いかけてくれた総司は……もういないのだ。


 黙り込んでしまった土方を、総司は見つめた。
 外出を咎められ、きつい言葉を返してしまったと思う。だが、悔いてはいなかった。
 心は縛られないのだ。縛ることができないのだ。
 否、今更その必要があるのだろうか。とうの昔に、この心は彼に囚われているのに。
 総司は目を伏せ、思った。


(私は今も、土方さんが好き。この人にだけ囚われている……)


 堪えなければ、叫び出してしまいそうだ。
 いっそ、愛してると泣きながら、彼の膝に縋りついてしまいたいかった。だが、そんな事をしても、土方の心は開かれない。決して許してくれない。
 侮蔑のまなざしを向けられる事を思うと、しんと胸奥が冷えた。愛する男からの仕打ちは、総司を深く傷つけるのだ。
「……土方さん」
 総司は小さな声で呼びかけた。そっと手をのばし、彼の腕にふれようとする。
 だが、次の瞬間、土方はすっと身を引いた。立ち上がり、背を向けてしまう。
「!」
 総司の目が大きく見開かれた。
 ふれる事さえ拒まれ、その衝撃に泣き出しそうになる。だが、それを必死に堪えて見上げた総司に、土方はふり返らぬまま云った。
「ここは片付けさせる。おまえも早く休め」
「……はい」
 立ち去る他なかった。
 総司はのろのろと立ち上がり、部屋を横切った。障子に手をかけ、もう一度だけとふり返る。
 だが、土方はこちらを見てもくれなかった。背を向け、何事を思うのか佇んでいる。


 何の躊躇いもなく、あの広い背に抱きつく事ができたのは、どれほど昔のことなのだろう──?


 総司は嗚咽を堪えるため、きつく唇を噛みしめた。
 そして、ゆっくり視線をそらすと、障子を閉ざしたのだった。













 貪り尽くすような土方との激しい情事は、総司に負担を強いた。
 確かに快楽はあったが、それと翌日の躯の気怠さはまた別の話だ。それに、獰猛な獣のように貪りながら、時折、刺すようなまなざしを向ける彼の姿に、胸奥が痛んだ。
 だが、その翌朝は好きだった。
 土方の部屋で抱かれた夜、総司はそのまま褥で眠ることを許された。綺麗に後始末をしてから、土方は力強い腕で総司を抱き寄せてくれる。その腕の中、彼の鼓動を聞きながら眠りに落ちる事はとても幸せだったが、翌朝はもっと好きだった。
 その理由を、総司はよく知っている。何故なら───
「……」
 総司をすっぽりと抱きすくめていた土方の躯が、僅かに身じろいだ。その気配を察し、そっと寝返りを打つ。
 薄闇の中、男にしては長い睫毛が震えた。ゆっくりと開かれる黒い瞳。
 総司をみとめると、小さく微笑った。
「……総司……」
 寝起きの掠れた声で囁き、そっと手をのばしてくる。頬を指さきで包みこまれ、撫でられた。
 素直にされるがままにしていると、土方は額や頬、首筋に口づけを落としてくれた。
「すげぇ……可愛い」
 まだ掠れた甘い声で囁かれ、うっとりと微笑んだ。
 土方は別に寝ぼけている訳ではない。その証に、黒い瞳は凜とした光を宿しているし、声音もはっきりしている。
 だが、抱かれた日の翌朝、土方は何故かとても優しかった。もしかすると、それは激しい情事を悔いている故かもしれないが、それでも良かった。
 総司はこの甘い一時がだい好きだったのだ。
 その時だけは、総司も素直になれる気がした。まるで昔に戻ったように、彼の優しさに甘えられる。
「土方さん……」
 総司は甘えるように彼を見上げ、寝着の袷からのぞく褐色の肌にふれた。逞しい胸もとを指さきでなぞれば、土方が耳もとでくすっと笑う。
「何だ、まだ足りねぇのか?」
「そうじゃないけど……」
「けど、何だ」
「あなたにふれたくて」
 そう云った総司に、土方は優しく微笑んだ。そっと総司の手をとり、己の胸に押しあてさせる。とくとくと伝わる彼の鼓動に、総司も嬉しそうに頬を綻ばせた。
「聞こえます、あなたが生きている証」
「あぁ」
 頷く土方の胸もとへ、子どものように頬を擦りよせた。彼の背中に手をまわし、ぎゅっと抱きつけば、すっぽりと包みこむように抱きしめられる。
 髪を、頬を、撫でてくれる男の大きな掌が心地よい。
「躯……辛くねぇか」
「うん、大丈夫」
「ならいいが……少し無理をさせたな」
「大丈夫だから」
 総司はゆるく首をふり、土方の腕の中により深くもぐり込んだ。
 あと少し、ほんの少しだけ、この甘くて優しい夢を味わっていたい。
 冷たく辛い世界の中で堪えつづける自分に、今だけあたえられたご褒美のように思えるから。


(お願い、もう少しだけこのままで……)


 だが、その想いは長くは続かなかった。それどころか、常より早く、夢は終わりを告げたのだ。
「……」
 ふと、土方が顔をあげた。
 廊下を足音が近づいてきていた。小走りになっている訳ではないが、酷く急いている。それはすぐさま部屋の前でとまり、声がかけられた。
「──副長、起きておられますか」
 山崎の声だった。切迫している様子に、土方は形のよい眉を顰めた。腕の中で、総司がびくんと震える。
 一瞬、総司を見下ろしてから、土方は低い声で答えた。
「……起きている」
「中へ入っても宜しいでしょうか」
「いや、起床したばかりだ。何かあったのなら、そこで報告をしたまえ」
「山南総長が脱走されました」
 一気に事実を告げた山崎に、土方は目を見開いた。総司も息をつめている。
「お部屋の障子が開け放たれてあり、異変を感じて中を覗きました処、書き置きが残されてありました。近藤先生宛となっております。むろん、山南総長のお姿は見えません」
「局長は確か……」
「休息所にお泊まりです」
「わかった。俺が知らせに行く。この事は他言無用に」
「承知致しました」
 山南が立ち去った後、土方はゆっくりと身を起した。褥の上に胡座をかいたまま、寝乱れた髪を何度もかきあげている。眉間に皺を刻み、この先の手だてを考えているようだった。
 しばらくの間、総司はそれを見つめていたが、やがて、静かに身を起した。黙り込んだままの土方に、躊躇いがちに問いかける。
「どうされる、おつもりですか……?」
 固い声音で訊ねた総司に、土方は静かな瞳をむけた。
「どうする、とは」
「見逃されるのか、追われるのか。どうされるのかと思ったのです」
「それを決めるのは俺ではない。局中法度だ」
 土方の言葉に、総司は山南の運命を知った。むろん、山南の覚悟の上の脱走だったのだろうが、この先にある仲間の死を告げられ、平静でいられるはずもない。それ程仲がよい訳ではなかったが、それでも、試衛館以来の仲間なのだ。
 押し黙ってしまった総司を、土方は見つめた。低い声で問いかける。
「……今すぐ追えるか」
「え」
 総司は目を見開いた。驚いた顔で、土方を見つめてしまう。
 それに、土方はくり返した。
「山南を追うことができるか。馬で行けば、何とか追いつけるだろう」
「でも」
「いやか」
「そうでは……ないのです」
 総司は戸惑っていた。


 他の誰が追っ手になるより、自分がなれば、事は穏やかに収まるに違いない。だが、土方は本当にそれでいいのだろうか。
 疑わないのか。
 自分がそのまま逃げてしまわないかと、思わないのだろうか。
 あんなにも束縛していたのに──?


「私がそのまま逃げるかもしれない。そうは考えないのですか」
 静かな声で問いかけた総司に、土方は目を細めた。
 黙ったまま、深く澄んだ黒い瞳で総司を見つめている。やがて、僅かに目を伏せると、小さく笑った。
「逃げる……か。ありえるかもしれねぇな」
「……」
「だが……」
 薄い笑みが口許にうかんだ。
 ゆっくりと顔をあげた土方に、息を呑む。酷薄な表情だった。冷たく、そのくせ、昏い炎を宿したまっ黒な瞳が、総司だけを見つめていた。
 飢えた獣だ──そう思った。
 獲物を前にして舌なめずりする獣。
 土方は、怯えたように目を見開く総司の前で、くすっと笑った。
「そうだな。おまえが逃げたら、この俺が追ってやるよ」
「……」
「地の果てまで追いかけて……殺してやる」
「──」
 ぞっと背筋が寒くなった。冷や水でも浴びせられたようだった。
 この人は本気なのだ。
 逃げれば、必ず殺すつもりでいるのだ。奪われるぐらいなら、失うぐらいなら、殺してしまいたい。
 それは愛でも憎しみでもなく、ただ執着だけだろうが、狂気じみたものである事は確かだった。
 男の中にある凶暴な情欲に、目を見開いてしまう。
 土方は片膝を褥につき、身を乗り出した。手をのばし、総司の細い顎を乱暴に掴む。
 切れの長い目が、総司を見据えた。
「逃げたいのなら……逃げればいい。だが、俺は追う」
「……土方、さ……っ」
「おまえを必ずつかまえ、殺す」
 そう囁き、土方はゆっくりと微笑んだ。
 優しいと云ってもよい微笑みが、恐ろしい。
 怯えたように目を見開く総司を見据え、すっと手を離した。立ち上がりざま、命じる。
「行け」
「……」
 総司はのろのろと立ち上がった。身支度を整えるため、隣室へ向う。
 中に入り、着替えを手にとる総司の後ろで、静かに襖が閉じられた。



















次回の後半、ちょっと甘甘です。お褥シーンがありますので、苦手な方は避けてやって下さいませね。