狂った夏の夜
俺は……総司を殺した














 土方は紫がかった薄青い空を眺め、ふと目を細めた。
 夕暮れ時の風が、さらりと黒髪をかき乱してゆく。
 それを受ける男の横顔は、息を呑むほど美しかった。黒い紬の小袖を着流し、かるく片膝を抱えた自堕落な姿は、まさに江戸の頃の彼そのものだが、一方、全く違う雰囲気を漂わせている。
 あの頃の悪戯好きの少年のような無邪気さはなかった。あるのは、研ぎ澄まされた刃のような冷たい美しさだ。
 京へのぼり、新撰組副長となって二年。今や新撰組は京でも恐れられ、土方自身も冷徹な副長として、敵ばかりか味方である隊士たちからも恐れられている。彼が今や心を許し、くつろぐ姿を見せるのは、盟友である近藤の前ぐらいだった。
 今日はその近藤の休息所で酒をくみかわしている。
 だが、先程から、土方は心ここにあらずだった。窓枠に寄りかかり、ぼんやりと外を眺めている。
 酒を満たした杯を手にはしているが、一向に口へ運ぼうとしなかった。
 しばらく黙ったまま、その友の姿を眺めていた近藤が声をかけた。
「歳」
「……」
「こっちへ来て、一緒に飲んだらどうだ」
「……」
 近藤の言葉に我に返ったのか、土方はふり返った。切れの長い目が、近藤と傍にいる斉藤に向けられる。
 形のよい唇が、微かな笑みをうかべた。
「いや、今日はもう帰る」
「何故だ」
「屯所へ早く戻らねぇとまずいしな」
「しかし」
「あんたは今夜ここに泊まるのだろう? なら、尚のことだ」
 土方は杯を置くと、立ち上がった。すらりとした長身に黒い紬の着物がよく似合う。
 腰に両刀を差し込みながら、立ち上がりかけた斉藤を目で制した。
「おまえは局長の相手をしていてくれ」
「土方さん、一人歩きは危ないですよ」
「慣れた事さ」
 くすっと笑い、土方は背をむけた。着流した小袖の裾をひるがえし、さっさと出ていってしまう。玄関口の方で、彼を見送る深雪の声がした。
 それを聞きながら、近藤は脇息に寄りかかった。
「……慣れた事か」
 小さく呟いた近藤に、斉藤が目をあげた。
 どこか探るような鳶色の瞳に、僅かに苦笑する。
「いや、先程の歳の言葉だ。慣れんのは、おれたちの方かもしれんな」
「そう…ですね」
 斉藤は静かに目を伏せた。
「以前なら、土方さんが一人歩きする事などあり得なかった」
「……」
「あの人の傍には、いつも、あいつがいましたから……」
「……総司、がな」
 どこか懐かしむように呟いた近藤に、斉藤はもう何も云わなかった。
 二人とも黙り込んだまま、数ヶ月前の出来事に思いを馳せる。
 思いも掛けぬ出来事に。
 あの夏の嵐の夜、破局は突然訪れた……。












 当時、土方には縁談があった。
 滅多にない良縁であり、日野の彦五郎やお信たちも喜んでいるという話だった。だが、それを土方は断ろうとしていた。
 理由は、総司だった。
 新撰組一番隊組長であり、類稀な剣術の腕前をもった若者。
 聡明で明るく、優しい素直な心をもった若者は、また、誰もがふり返るほど美しかった。その玲瓏とした美しさ、愛らしさは、花のようだとさえ噂された。
 誰からも愛されるのが当然だった。
 むろん、新撰組副長であり、兄代りだった土方も総司を愛した。子どもの頃から慈しみ、見守ってきたのだ。
 だが、その愛は、総司が成長するに従って、違うものへと変化していった。
 あたえるだけだった静かな兄弟愛は、やがて、恋いこがれ、求め欲する狂おしくも激しい愛に変わった。
 土方は、総司を深く愛した。それは、もう溺愛と云ってもよい愛し方だった。
 端麗な容姿故、常に美しい女に云い寄られ、それでも平然としている男が、ただ一人の愛らしい若者に夢中だった。
 むろん、誇り高い彼はそれを表にあらわさなかったが、熱っぽく見つめる瞳に、さしのべられた手に、総司が気づかぬはずもなかった。
 そして、総司は土方の愛を受け入れた。
 幼い頃から憧れ、恋しつづけてきた男だった。その彼がふり返り、自分だけを愛してくれているのだ。拒めるはずがなかった。
 総司は土方の恋人となり、深く激しく愛された。総司も彼を愛した。己のすべてを捧げ、土方だけを見つめつづけたのだ。
 夢のように幸せだった。
 土方のあたたかな腕の中で、総司は、愛し愛される喜びを知った。降りしきる花びらにうずもれるような、そんな幸せな日々だった。
 だが、その甘い蜜月も、長くは続かなかった。
 土方に縁談が舞い込んだのだ。












「歳に縁談があるのだ」
 ある日、近藤に呼び出され、そう告げられた時、総司は目を伏せた。


 己の想いを見透かされた気がした。身勝手さを云われた気がした。
 縁談があると風の噂に聞いてから、何度も思ったのだ。
 別れないで。
 私を選んで──と。
 だが、自分たちを取り巻く様々なしがらみ、土方の立場を考えると、そんな事許されるはずがなかった。
 心の底から愛しているからこそ、恋人の生涯を自らの行為で穢すなど、到底できるはずがなかった。


「云いにくい話だが……」
 近藤は困惑した表情で、総司を見つめた。
「おれはおまえ達の関係に薄々気づいていた。だが、縁談とそれは別物だ。歳はおまえに夢中だ。おまえだけを見ている。だからこそ、縁談も断ろうとしているのだろう」
「そんな……」
「むろん、許されるはずがない。歳も昔のあいつではないのだ。これから先の事を考えれば、この縁談は願ってもない話だ」
「それは……わかっています」
 総司は長い睫毛を伏せた。膝上に置かれた手がぎゅっと握りしめられる。
 それに、近藤は云いにくそうに言葉をつづけた。
「こんな事を云うのはおれも辛いが、総司……おまえから歳を拒んでくれないか。どんな形でもよい、あいつに引導を渡してやって欲しいのだ」
 ますます俯いてしまった総司に、近藤は嘆息した。
「おまえが……歳を深く想っている事は知っている。だが、もう、歳は昔のあいつではないのだ。江戸の頃のようにはいかんのだよ。残酷な事を云っているのは百も承知だ。だが、総司」
 近藤は深々と頭を下げた。
「頼む、あいつのためだ。歳のために、堪えてくれ」
「! 近藤先生、頭をあげて下さい」
 慌てて、総司は近藤の傍に膝で寄った。その厚い肩に手をふれ、大きな瞳で覗きこむ。
「お願いですから、そんな頭を下げたりしないで下さい。近藤先生に頼まれるまでもないのです。私が……私が、土方さんと別れれば、すべて事が丸く収まる。そんな事、わかっていたのです。わかっていたのに、出来なかった……」
 総司の声が震えた。
 はっとして近藤が顔をあげると、総司は瞳を潤ませていた。桜色の唇が震える。
「ごめん…なさい。近藤先生に辛い事を云わせてしまいました。本当に……申し訳ありません」
「総司……」
「明日、土方さんに話をします。別れを告げますから」
「すまん。総司……すまない」
「謝らないで、先生。これは私と土方さんの事だから、近藤先生が謝る事じゃないから」
 そう云って、総司は微笑んだ。
 まるで、儚くも美しい花のように。
 だが、それが本当の事なのだと知ったのは、その翌日の夜の事だった。
 胸騒ぎを覚え、訪ねてみた土方の部屋で、近藤は信じられないものを見たのだ。
「歳! これは……っ」
 そこにいたのは、土方と総司だった。
 だが、それは異様な光景だった。
 土方は、横たわる総司を前に、呆然と坐り込んでいた。
 総司の白い手は力なく投げ出され、その瞼は固く閉ざされていた。青ざめた顔に生気はなく、白い首にはどす黒い痣がある。
 男に何をされたかは、一目瞭然だった。
 総司は、土方に縊り殺されたのだ。
「……!」
 慌てて近藤は部屋の中に入り、障子を閉めた。総司の傍に駆け寄り、その唇に手をかざす。息をしてない事に気づいた近藤は、信じられぬという表情で土方を見た。
「歳、おまえ……っ」
「……他に男が出来たと、云った」
 不意に、土方が空ろな瞳をしたまま、呟いた。近藤に話しかけているのではない、己に確かめるような口調だった。
「俺と別れる、他の男を愛している。その男と契りを結んだから……別れてくれと、総司が云ったんだ」
「歳……」
「……俺は……」
 土方は、不意に唇を歪めた。ぎらりと獣のように瞳を光らせ、叫んだ。
「俺は、総司を愛してきたんだ。ずっと長い間、こいつが子どもの頃から見つめてきた。やっと手にいれ、愛することができたんだ。なのに、今更……他の男だと? そんな事許せるか、奪われるぐらいならいっそ殺してやる! 殺して、俺は……っ」
 そう激した瞬間、土方の中で何かが切れてしまったようだった。
 突然、畳の上に横たわる総司の躯を、乱暴に抱きあげた。激しく胸にかき抱き、その白い首筋に顔をうずめる。
「俺が殺した、殺した、殺した……!」
「歳……っ」
「殺してしまったんだ、俺は、総司を殺した……ッ」
 そう叫びざま、頭を仰け反らせ激しく哄笑した男の姿に、近藤は愕然となった。
 気が狂ったと思った。
 土方は総司を手にかけた事で、己の正気をも殺してしまったのだ。それ程までに愛していたという事なのか。
 奪われるぐらいなら、殺してしまう程に。
 その愛こそが、まさに狂気だった。色恋沙汰では到底片付けられぬ、黒い炎のような情念を感じた。
 己が殺してしまった恋人をかき抱く彼の姿は、痛々しく憐れだった。
 近藤が初めて見た、友の姿だった。





 その後、秘かに呼んだ斉藤と共に、近藤は事の後始末をした。
 二人の姿に、斉藤も驚きを隠せなかった。だが、本当に驚いたのは、その後だった。
 総司を殺した衝撃の為か、一度気を失った土方が目を覚ました時、彼の記憶から総司の事は一切失われてしまっていたのだ。
 総司という名にも聞き覚えがないようで、訝しげに眉を顰めるばかりだった。
 初めは、彼らも、偽っているのかと疑った。だが、真実、土方は全く覚えておらず、総司の存在ごと消し去ってしまっていたのだ。
 どうしてあんな事をしたのかと問いただしたくとも、不思議そうに見返す土方に、何も云えるはずがなかった。
 その後、土方は副長の激務をこなしつつ、適当に女とも遊んでいるようだった。
 縁談の話に他人事のような顔をしながらも、年貢の納め時かと笑っている土方に、殺すほど愛した総司への激情は微塵も感じられなかった。
 そして、総司の存在が土方から消え、季節は夏から秋、冬の初めへと移っていった。
 その間、近藤は息を殺すようにして、土方の様子を伺いつづけていたが、全く変化は訪れなかった。
 副長として忙しく働き、来年の春には妻を娶る事になった男は、充実した日々をおくっているようだった。
 あんなにも愛した若者を、忘れて。












「……でも、オレ、わかりますよ」
 斉藤は徳利を傾け、杯に酒を注いだ。
「土方さんの気持ち……わかる気もするのです」
「惚れた相手を殺す事が、か?」
 驚いたように見る近藤の前で、斉藤は微かに笑った。杯に注いだ酒を干してから、小さく頷いた。
「そうです。愛しているからこそ……自分だけのものにしたい。奪われるぐらいなら、この手で殺してしまいたい。そのくせ、愛しい存在が消えた事実に耐えられぬ弱さも何もかも……わかる気がします」
 そう云った斉藤は、かるく肩をすくめた。
「むろん、実際にそう行動するかどうかなど断言できませんが、でも」
「でも?」
「土方さんは総司を愛しているからこそ、殺した。一方で、総司のためなら命も捨てられるのです。命を奪う事も、命を投げ出す事も……それぐらい、土方さんは総司を深く何にも代え難いほど愛していたという事なのでしょうね」
「おれにはわからん」
 憮然とした表情で、近藤は唸った。それに、斉藤が喉を鳴らす。
「そりゃ、近藤さんは真っ直ぐな人だから。それに、人の愛し方はそれぞれで、土方さんとオレも、また違った形で総司を見つめてきたのです」
「斉藤……」
「もう終った事ですけどね」
 吹っ切るようにそう云った斉藤は、微かに苦笑してみせた。それに、近藤も黙り込む。
 その時だった。
 不意に、玄関口の方が騒がしくなり、二人はふり返った。そこへ雇われている小女が駆け込んでくる。
「土方はんが……!」
「! 歳に何かあったのかっ」
 近藤は思わず立ち上がり、駆け出していた。斉藤も慌てて後につづく。
 もう夜の闇は降りていた。こんな中、土方を一人で帰すのではなかったという悔恨が胸を灼く。
 新撰組副長である彼を憎悪し、その命を狙っている存在は数えきれぬのだ。
 慌てて玄関口へ飛び出してみると、三和土に土方が立っていた。見た処怪我はないようだが、返り血を少し浴びており、斬り合いがあった事は一目瞭然だった。
「歳!」
 そう叫んだ近藤に、土方が苦笑した。
「そう騒ぐなって、ちょっと斬り合いになっただけだ」
「怪我はないのか」
「あぁ。俺はな」
 そう云った土方を不審に思った時、彼の背に誰かが隠れているのが見えた。細い肩さきが覗く。
 怪訝そうな近藤と斉藤を前に、土方はふり返り、その者を前へ押し出した。
「通りかかって、俺を助けてくれた人だ。少し傷を負ってしまい、その手当てのためにここへ連れてきた」
「……!」
 彼らは思わず息を呑んだ。
 土方の影から現われた若者。
 艶やかな黒髪に、綺麗に澄んだ瞳。
 なめらかな白い頬と、ふっくらした桜色の唇。
 愛らしい顔を蒼ざめさせ、華奢な躯を竦めるようにしているのは──


(……総司……!)


 近藤の傍で、斉藤が声にならぬ呻きをもらした。


















新連載スタートです。おつきあいの程、よろしくお願い申し上げますね。