本当は、彼の傍にいたかった。
 ずっとずっと、この人の傍にいられたら、どんなに幸せだろう。
 だが、自ら手を離さなければならないのだ。彼のことを本当に想うならば、そうするべきだった。
 これ以上、自分の我儘につきあわせる訳にはいかないのだから。


「お願いです」
 絞りだすような声で、くり返した。
「私と別れて下さい……」
「断る」
 低い声が答えた。それに、はっと息を呑めば、土方は冷たい瞳でこちらを見据えていた。
 ゆっくりと土方は部屋を横切った。そうして手を伸ばすと、先ほどのように総司の手首を掴んでくる。
 乱暴に引き寄せられ、思わず「いや」と抗った。
「やめて、土方さん」
「俺に手込めにでもされると思っているのか」
 自嘲するような声音だった。
 驚いて見上げれば、土方は形のよい唇に薄い笑みをうかべている。
「嫉妬と怒りで逆上し、おまえを犯すと?」
「……っ」
「あぁ、本当に犯してやりてぇよ。それで、おまえが俺のものに戻ってくれるならな」
「土方…さん……っ」
 総司は怯えたように目を見開いた。それに、くっくっと喉を鳴らす。
「けど、そうじゃねぇだろう? おまえは何があっても、俺から逃げようとしている。伊庭の元へ行こうとしている」
「ちが……っ」
「もともと、おまえは淋しいからと云って、恋人になったんだ。俺なんざ、一度だって好いた事もない。挙句、躰まで求められれば、嫌になって当然か」
 吐き捨てるような男の言葉に、胸奥が鋭く痛んだ。


 土方は矜持の高い男だった。
 その彼の矜持を、自分は傷つけたのだ。
 せっかく手をさしのべてくれたのに、恋人になってくれたのに、挙句、手のひらを返したように別れを云いだす総司に、怒りを覚えて当然のことだった。


「ごめん…なさい……っ」
 思わず、総司は謝った。
 だが、それは、男の怒りに油を注いだだけだった。
「……っ」
 土方は怒りのあまり、総司を突き飛ばしそうになった。寸での処で堪えたが、激しい怒りが腹の底からこみあげる。
 謝るということは彼の言葉を肯定したも同然なのだ。やはり、土方のことなど一度も好いた事もないし、嫌になったのだと、この愛らしい若者は平気で告げるのだ。
 どこまで男を莫迦にすれば気がすむのか。


(何をしても駄目なのか? 俺はこんなにも愛しているのに、おまえを失えば、気が狂ってしまいそうなほど……っ)


 憎しみと愛しさに、目眩みさえ覚えた。奥歯を食いしばり、必死に己の中にある狂暴な衝動を堪える。
 だが、土方の顔色が変わったことに、総司も気づいた。
 何が間違ったのかは、わからない。だが、それでも、彼を傷つけた事だけは確かだった。
 怯えながら見上げると、土方が、ちっと鋭く舌打ちした。顎を掴み、覗き込んでくる。
「……俺が怖いか」
 低い声で問いかけられ、必死に首をふった。


 怖くはない。
 ただ、辛いのだ。
 彼を傷つけたことが、彼に侮蔑されることが。


「怖く……ありません」
「へぇ、これから、俺に何をされるか、わかっているのか?」
「私を抱く……のでしょう?」
「違うな。犯すんだよ」
 冷ややかな声音だった。ぞっとするほど冷たく、感情のない声だ。
 土方は総司の腕を掴むと、そのまま隣室への襖を開いた。
 最近は料理屋と茶屋の区別も曖昧になってきている。そのため、そこには艶めかしい褥が敷かれてあった。
 その褥の上へ突き飛ばされ、総司は慌てて身をおこそうとした。だが、すぐさま土方がのしかかってくる。
 手荒く着物を脱がされ、総司は思わず両手で男の肩を突っぱねた。必死に男の躰の下から、逃れようとする。
「やめて! 土方さん……っ」
「……」
「こんなの嫌だ。いやぁ……お願い、許して……」
 怖さと不安と切なさで、泣きじゃくっていた。ぽろぽろと大粒の涙が、こぼれ落ちてゆく。
 躰中が震えた。


 だい好きなのに、愛しているのに。
 この世でただ一人、あなただけを愛している。
 あなたを愛しているから、誰よりも大切にしたいのに。傷つけたくないのに。
 なのに、どうして、この想いが届かないの……?


 こみあげるような叫びが、胸奥でうずまいた。
 声に出せないだけに、苦しい。切ない。
 その想いが総司を泣かせた。まるで、見捨てられようとしている子供のように、泣きじゃくる。
「……っ」
 躰に男の逞しい腕がまわされた。それを感じ、ぼんやりと目を開いた。
 気が付けば、土方の両腕に抱きすくめられていた。
 それも、先ほどのような乱暴な抱擁ではない。
 すくいあげるような、柔らかで優しい抱きしめ方だった。子どもをあやすように、何度も背中を大きな手のひらが撫でてくれる。
 はぁっと、大きくため息をつくのが聞こえた。
 涙でいっぱいの瞳で見上げた総司を、土方が困ったような表情で見下ろした。
「……そんなに泣くな」
「土方…さん……っ」
「おまえが泣くと、辛い。俺はたまらなくなっちまうんだ」
 しなやかな指さきが、そっと涙をぬぐってくれた。そのまま、唇が頬にふれる。
 男の手のひらに背を撫でられ、少しずつ気持ちが落ち着いていった。だが、まだ頬も火照っているし、息も荒く、目も潤んでいる。
 啜り泣きながら縋りついてくる総司を、土方は愛しくてたまらぬと云いたげに、抱きしめた。髪に、頬に、口づける。
「総司……俺の総司……っ」
「土方……さん」
 掠れた声で彼の名を呼び、総司は両手をのばした。そっと彼の頬に触れ、自ら口づけてゆく。
 それに、土方の目が見開かれた。
 初めての口づけだったのだ。総司からの初めての口づけに、驚き、だが、すぐに歓喜がこみあげる。
「総司……!」
 強く、息もとまるほど抱きしめた。だが、総司はもう抗わなかった。次第に激しくなる口づけにも、素直に応じる。
 二人はまるで引き離されようとしている恋人たちのように、熱く激しく口づけあった。深く唇を重ね、互いを貪りあう。
 口づけの合間に、着物が脱ぎ捨てられていった。しどけなく横たわった総司を、土方が熱っぽい瞳で見下ろす。先ほどまでとはまるで違う、優しい愛撫に、総司の躰も柔らかく開いた。
「ぁ、ん…っ、あ……っ」
 躰を起こされ、男の膝上に抱きあげられた。背中から抱かれ、首筋に唇をはわされる。ぞくりとするような甘い疼きが走った。
 土方は白く細い肩や、首筋、背中にも、唇を押しあてた。その合間に、「綺麗だな……」と呟くのが聞こえた。
 それに、総司はぼんやりと目を開いた。
「な…に……?」
「綺麗だと、云ったんだ」
「私が……?」
「あぁ、何もかも綺麗だ。白い花のようだ」
「なら……その花を散らして」
 総司は向き直ると、しどけなく白い腕をのばし、男の首をかき抱いた。口づけながら、囁く。
「あなたの手で、花を散らしてしまって……」
「総司……」
「土方さん、あなたになら構わない。ううん……あなたしか、欲しくない」
「……」
 いつもあどけなく清らかな印象のある総司だが、今はまるで違った。男の腕の中、艶めかしい遊女のような表情を見せる。
 長い睫毛が瞬き、潤んだ瞳が甘えるように男を見つめた。遊び慣れた土方でも、思わず息を呑むほどの色香だった。
 二人は深く唇を重ねあい、互いだけを求めあった。優しく、だが、男の情欲を表すような性急な愛撫に、総司は甘い声をあげた。
 下肢を開かせ、蕾も丹念にほぐした。むろん、ふのりの助けはいったが、それでも、初めての時よりは余程楽だった。
「総司……おまえを散らしていいか」
 掠れた声で訊ねる土方を、総司は見上げた。彼の言葉の意味を知り、一瞬、息を呑む。
 初めての時の痛みを思いだし、身が竦んだ。
 だが、それ以上に、彼が欲しかった。もう二度と離れないよう、とけあってしまいたいのだ。
「……っ」
 震えながら、こくりと頷いた。そうして、彼の胸もとに顔をうずめる。
 そんな総司に、土方は、痛いぐらいの愛しさがこみあげるのを感じた。その細い躰を褥の上に横たえると、膝裏を掴んで押しあげた。
 恥ずかしい体位に、総司の頬に朱が散る。だが、抵抗はしなかった。顔をそむけ、ぎゅっと目を閉じている。
「総司……愛してる」
 そう囁いてから、己の猛りを濡れそぼった蕾にあてがった。そして、一気に貫いた。
「……っ、ぁ、ぁああーッ」
 総司は悲鳴をあげ、のけ反った。
 無意識のうちに上へ逃れようとしてしまう。だが、すぐさま男の手が強引に引き戻した。
 上から挿しこむようにして、ずんっと最奥まで突き入れてくる。物凄い重量感に、総司は泣き声をあげた。
「ぃ…や、あ…ァッ……」
 あの日ほどの痛みはなかった。だが、苦しい事には変わらない。
 ぽろぽろと涙をこぼす総司に、土方は自分が痛みを覚えたように眉を顰めた。身をかがめ、頬に口づける。
「……痛いか?」
「だい…じょうぶ……」
「無理はするな。おまえが俺に馴染むまで待つよ」
「……」
 総司は肩で息をしながら、男の言葉の意味がわからず目を瞬いた。
 だが、不意に理解できた。総司の躰が土方のものに馴染むまで、待つと云っているのだ。とたん、ぱっと頬が紅潮した。
 恥ずかしくて恥ずかしくて、たまらなくなる。
「いや……!」
 思わず両手で顔をおおった総司に、土方は苦笑した。こんなふうに初心な処が、また可愛い。
 何度も、頬や首筋に口づけてしまう。否、躰中に口づけたいぐらいだった。
 まっ白な肌のあちこちに、花びらのような痕をつけてやりたい。これは、己のものなのだと証を残したい。
「総司……すげぇ可愛い」
 思わずそう囁いた土方に、総司はそっと吐息をもらした。
 しばらくたつと、総司の躰も柔らかくほぐれた。やはり、二度目だからか、馴染むのも早い。
「いいか? 動くぞ」
 男の言葉に、一瞬、不安そうな表情を見せたが、結局は頷いた。それを確かめ、ゆっくりと躰を動かしていく。
 総司は男の肩にしがみつき、目を閉じた。
「っ、ぁあ…っ、ひぃ…ぁ」
 声が甘く掠れる。とろけるように包み込む熱に、土方は目を細めた。
「すげぇ熱いな……」
「ん、ぁ、ぁあっ、ぃ…ぁあっ」
 次第に早くなってゆく男の動きに、総司も声をあげた。男の太い楔が、総司の蕾の奥に何度も力強く打ち込まれる。
 そのたびに突き抜ける快感に、泣き叫んだ。
「ぁっ、ぁあっ、や…ぁっ、ぁあっ」
 総司はたまらないと云いたげに、首をふった。腰奥が甘く痺れてゆく。それが少し怖いぐらいだった。
 なめらかな頬が紅潮し、瞳も潤む。その凄艶なさまに、土方も思わず喉を鳴らした。たまらず、激しく腰を打ちつけてしまう。
 とたん、白い両腕が男の首にからんだ。抱きあい、二人して頂へとのぼりつめてゆく。
「ぃ…ぃいいっ、気持ち…ぃっ、ぁ…ぁあッ」
「……総…司……っ」
「ひぃっ、ああっ、あ、ああーッ……!」
 一際甲高い悲鳴をあげた瞬間、総司は絶頂に達していた。白い蜜が飛び散ってゆく。それと同時に、男の熱が蕾の奥に叩きつけられるのを感じた。
 思わず腰を引こうとしたが、土方は逃がそうとはしなかった。しっかりと抱きすくめ、激しく腰を打ちつける。
 何度も注がれる熱に、総司は泣きじゃくった。
「やッ…あっ、あふれ…ちゃうっ、ぃ…ぁ……ッ」
 その甘く掠れた声と、男の下で悶える白い裸身に、煽られぬ男はいないだろう。
 土方はたまらず、総司の躰を抱きおこした。膝上に抱きあげ、無理やり腰を下ろさせる。
「だ、だめ……っ」
 総司が気づいた時にはもう遅かった。ずぶずぶと男の剛直に真下から貫かれる。
「い…やあーッ!」
 悲鳴をあげ、のけ反った。一気に突き抜けた快感に、気を失いそうになる。
 だが、それを土方は許さなかった。総司の細い両膝をすくいあげるように掴むと、何度も腰を上下させ始める。
 無理やり躰を上下させられ、強制的に与えられる快感に、総司は泣き声をあげた。掠れた悲鳴をあげ、艶めかしく身悶える。
「ぁあっ、ぁっ、ぁあ……っ」
「総司……最高だ……」
「や、ぁあっ、ぁ…ぁあっ、ひぃ…ァアッ」
 再び、土方は総司の躰を褥に押し倒した。その細い躰を二つ折りにすると、激しく腰を打ちつけ始める。
 狂ったように求めてくる男の情欲に、総司は蹂躙された。泣き声をあげ、男の背にしがみつく。
「ひっ、ぁ…ぁあ……っ」
「……総司……俺の総司……」
「ぁ、ぁあ……土方…さ…ん…っ」
 果てのみえない濃密な情事を、部屋の行燈が柔らかく浮かびあがらせていた。













 目が覚めた総司は、思わず息を呑んだ。
 また、褥に一人残されていたのだ。傍らに土方の姿はなかった。
 障子の向こうは真っ暗で、もう夜のようだった。なのに、彼は傍になく、それどころか―――


(……まさか……)


 総司はよろめくように立ち上がると、必死に襖を押し開いた。
 その瞬間、目を見開いた。
「……っ」
 もう声さえ出なかった。あの時とは違うのだ。
 隣室にも、土方の姿はなかった。祈るような総司の気持ちと裏腹に、土方は去ってしまったのだ。
「……っ…ぁ……っ」
 くずれるように、総司はその場へ坐りこんだ。


 彼は帰ってしまったのだ。あの日のように。
 ここに総司を置き去りにして、再び、一人去っていった。まるで、遊女を抱いて楽しんだように。
 それを思うと胸がつまったが、ある意味、仕方がない事とも云えた。情事の前、総司は土方に別れたいと告げたのだ。
 そして、これが彼なりの答えなのだろう。
 土方は総司と別れることを、承知したのだ。
「……っ」
 総司はうずくまり、胸もとをぎゅっと掴んだ。


 これでいいと思わなければならなかった。
 すべて――自分が望んだ結果なのだ。
 土方を自分から解放してあげることが出来たのだから。 


「これでよかった……全部、正しかったんだよね」
 己に云いきかせるよう、くり返した。
 だが、胸奥の引き裂かれるような痛みは、激しくなるばかりだった。
 視界が歪んだ。そして、涙があふれ、ぽろぽろと頬をこぼれ落ちてゆく。
 それを総司は拭おうともしなかった。そんなこと、思いつきもしなかった。ただ震えながら、泣いた。
 あの朝のように。
 そして。
「……」
 そんな総司の躰を、男の両腕が後ろから抱きすくめた……。