「信じられない」
総司は思わず云った。
怒りのあまり、手にしていた盆を男にむかって投げつけ、それが楽々避けられてしまった事に、尚更腹をたてた。
「どうして避けるのです!」
「そりゃ、避けるだろう」
土方は男前の顔で、小さく苦笑いしながら答えた。
片手で前髪をかきあげる仕草まで男前で、だから、女が寄ってくるのだと思うと、腹がたって仕方がない。
「おまえの好きな顔に傷をつけたら、おまえに怒られるだろう?」
「誰が、好きだなんて」
「云っていたじゃねぇか。歳三さんの顔が好き、きれいで好きだと」
「あれは、ずっと昔の話です。そんな子どもの頃のこと、持ち出さないで下さい」
「へぇ」
形のよい唇が、悪戯っぽく笑った。ずいと身をのりだすと、総司の顔を下から覗き込む。
濡れたような黒い瞳に見つめられ、どきりとした。
本当に、見惚れるぐらい綺麗な顔だ。
艶やかな黒髪に、切れの長い目。すっと通った鼻筋、形のよい唇。
頬から顎にかけての鋭い線。
一見すれば冷たいほど整った顔だちだが、少し笑うだけで……ほら、こんなにも甘くなる。
私にとっては、甘ったるくて仕方がないぐらい。
黙り込んでしまった総司に、土方が囁くような声で訊ねた。
「じゃあ、今は好きじゃねぇのか?」
「……」
「ほら、やっぱり好きだろう? なら、おまえが好きな顔、大事にしねぇとな。俺もおまえに嫌われたくねぇし」
「嫌われたくないなら、顔だけじゃなくて、品行も大事にして下さい」
云いきった総司に、土方は不思議そうに首をかしげた。
「品行?」
「そうです。あなたはもう新選組副長でしょう? だったら、それに相応しい品行というものがあるんじゃないんですか」
「おまえに説教されるとはな」
「真面目に云っているんです」
「あぁ、俺も真面目に聞いているさ。だが」
土方は胡坐をかき、膝に頬杖をついた。
「俺の品行のどこが悪いんだ?」
「え?」
「仕事も頑張ってるし、隊内では鬼の副長で通っている。江戸の頃にくらべれば、余程ましだと思うぜ」
「私が云っているのは、女遊びの方です」
「女遊び……あぁ、この間の祇園の」
「違います、先斗町です」
「先斗町か……誰がいたかな。小梅か? それとも、里代か?」
「もっと違う名前ですよ」
「覚えていねぇ」
「覚えていないぐらい、遊んだんですか」
「あぁ」
何の悪げもなく、土方はあっさり頷いた。
いったい何が悪いのか? と不思議そうな顔で、総司を眺めている。
そんな男を相手にしていると、総司は力が抜けてしまいそうな気がした。
「……もういいです」
小さく呟くように云った総司に、土方はくすっと笑った。
「なら、遊びも総司公認だな」
「公認?」
「そうだろう? おまえ、今、云ったじゃねぇか。もういいですって」
「い、云いましたけど、でも、そんなつもりじゃ」
「いいから、いいから」
「全然よくありませんってば」
思わず小さな拳を握りしめる総司に構わず、土方は立ち上がった。
かるく伸びをする仕草がまた、男らしさを感じさせ、どぎまぎしてしまう。すらりとした、だが、肩幅もしっかりある逞しい長身に黒い着物を着流した男は、誰をも惹きつける色香があるのだ。
ぼうっと見惚れているうちに、土方は「じゃあな」と手をふり、さっさと部屋を出ていってしまった。
気のせいか、その足取りは軽い。
やはり、総司に女遊びを公認されたと思っているせいだろう。
隊内に見せている冷徹な鬼の副長とは裏腹に、本当の彼は女遊びが好きだし、どこまでも俺様だ。
だが、そんな彼でも、総司にとっては大切な男だった。
恋人なのだ。まだ契りも何も結んだ事はないけれど、隊内でも公認の、否、江戸の試衛館にいた頃から公認の仲なのである。
なのに、土方はその一方で、女遊びが激しかった。あそこまでいくと、浮気の域を超えている。
土方にすれば、もしかすると、浮気じゃない、ただの遊びだと断言する可能性もあるが、とにかく、総司にとって面白い話のはずがない。
だからこそ、直談判に及んだのだが……
「あっさり逃げられちゃうんだもの」
総司は、はぁっとため息をついた。
何度くり返したかわからない会話であることも確かだった。
いい加減、疲れも出てくる。
あの女好きは、生涯治らないのだろうか。
それとも、ずっと手綱をつけて後ろから見張っていないと、駄目なのだろうか。
「そんなの、やってられないよ」
彼のことをずっと付け回すなど、出来るはずもなかった。
総司だって、一番隊組長であり、剣術師範代筆頭でもあるのだ。非番がちょっとしかないぐらい、本当に忙しい。
なのに、土方はその滅多に重ならない非番の時でさえ、総司など放っておいて、女遊びに明け暮れているのだから、いい加減、怒りたくなるというものだ。
「もう、私のことなんか飽きちゃったのかなぁ」
考えてみれば、江戸の頃の方がずっと大事にしてもらっていた気がした。
よく遊びにも来てくれたし、遊びにも連れていってくれた。抱き上げたり、頬に口づけたりは、もはや日常茶飯事だった気がする。
だが、総司が元服を終えた頃から、そんな接触はめっきり減った。
二人で出かけたりすることはあったが、手も繋がず、ましてや、あの逞しい腕に抱きしめられたことなど、遠い記憶の彼方だ。
「最近は全然なんだもの……」
総司は両膝を抱え込み、桜色の唇を尖らせた。
わかっているのだ。
彼が総司より女をとって、当然だという事も皆。
だが、それならそれで、はっきりして欲しいのである。
もう飽きたと告げられたら、自分だって……
「自分だって……何なんだろう」
考えこんでしまった時、友人である斉藤が部屋に入ってきた。
手に、総司が好きなお菓子を持っている。
「あ、泉屋の」
と声をあげた総司に、斉藤は苦笑した。
「オレより、菓子に先に気がつくあたり、総司だよな」
「ご、ごめんなさい」
食い意地がはった行為に思え、総司は恥ずかしくなり、慌てて謝った。なめらかな頬が紅潮している。
それに、斉藤も慌てて手をふった。
「別に責めた訳じゃないよ。可愛いなぁと思っただけさ」
「可愛いですか? 私」
「何を今更聞いているんだ。自分だってわかっているだろう?」
「そうかなぁ」
総司は小首をかしげ、柱に背を凭せかけた。相変わらず両膝を抱え込んでいる様子が、本当に愛らしい。
それに、斉藤は目を細めた。
殺伐とした新選組の中で、総司は花のように愛らしかった。
大きな瞳に桜色の唇、なめらかな頬、華奢な躰つき。
そのどれもが可愛いが、顔だちはもちろん、気立てのよさが雰囲気に出ている。
少し気は強いが、優しくて素直で可愛くて。
ほんわりした柔らかな感じが、総司の周りにはいつも漂っていた。小さな花のようなのだ。
だからこそ、あの冷たくて俺様な土方が、恋人としているのだろう。
むろん、斉藤はずっと総司に片思いしてきたが、永遠に自分のものにはならないと、わかりきっている。
何しろ、逢った時、既に総司は土方のものだったのだ。
(おいしい処は、しっかり持っていくものなぁ)
総司は可憐で愛らしくて、本当に男の庇護欲をかきたてる。
そんな仔猫のように可愛い総司を、あんな俺様な男が好きにしていると思うと、むらむら腹がたつものがあった。あんなことやこんなことをされているのかと思えば、尚更のことだ。
「一緒に食べよう」
気をとりなおし、斉藤は菓子をさし出した。それに、総司が嬉しそうに頷く。新選組一番隊という精鋭を率いる身であっても、相変わらず可愛らしく素直だ。
そんな総司を眺めながら、斉藤は報われない想いにため息をついたのだった。
「あ……綺麗」
総司は思わず声をあげた。
寺で開かれていた市の店先だった。色とりどりのとんぼ玉が並べられている。
透き通るような色彩が美しく、まるで花畑のようだった。
一つ買おうかなと手をのばしかけた時、傍らから声がかけられた。
「それ、欲しいのかい?」
「……え?」
突然の声に驚き、ふり返った。
そこに立っていたのは、いなせな感じの若い男だった。武家姿でありながら、どこか粋な斜めにかまえた印象を受ける。
手にした扇子で肩を叩きながら笑いかける彼を認めたとたん、総司の顔がぱっと輝いた。
「伊庭さん……!」
江戸の頃から試衛館にも出入りをしていた伊庭道場の一人息子だった。
直参旗本であり、京にのぼってきていると噂に聞いてはいたが、この京で逢うのは初めてだ。
「久しぶりですね」
「あぁ」
伊庭は目を細め、総司を見下ろした。
「元気にしていたかい?」
「はい。伊庭さんも?」
「まぁね」
かるく肩をすくめてから、伊庭は店先に視線を落とした。先ほど、総司が手にとろうとしていたとんぼ玉を取り上げると、無造作に金を払う。
呆気にとられている総司に手渡しながら、笑いかけた。
「再会の祝いだよ」
「え? そんな……」
「受け取ってくれ。でなきゃ、おれの方が困っちまうぜ」
確かに、伊庭の言葉どおりだろう。
こんな綺麗な可愛らしいとんぼ玉、伊庭が持っていても仕方がないに違いない。ならば、ここは素直に受け取る方が得策だった。
総司は素直に「ありがとうございます」と頷き、受け取った。
水色に花が描かれたとんぼ玉はとても優しく、可愛らしい。
大事そうに懐に入れる総司の背に、伊庭は手をあてた。そっと促しながら、問いかける。
「躰の方はどうだい? 池田屋でのことは聞いちゃいるが」
「……今は発作も少ないです」
「なら、よかった。近藤さんから聞いて、心配していたんだ」
「近藤先生と逢っていたのですか? じゃあ、どうして……」
思わず言葉を途切れさせた。
本当は、こう問いかけたかったのだ。
どうして、私を訪ねてきてくれなかったのですか? と。
だが、そんな事、聞けるはずもなかった。
以前、伊庭とはある出来事をきっかけに気まずくなり、そのまま離れてしまったのだ。
むしろ、手を離したのは総司の方だった。
伊庭を責めるような事を口に出来るはずもない。
黙り込んでしまった総司を、伊庭は静かな瞳で見やった。
しばらく黙ったまま歩いていたが、やがて、ぽつりと云った。
「本当は、逢いたかったよ」
「伊庭さん……」
「おまえがどうしているか、気になって気になって仕方がなかった。けど、おまえが困った顔をすると思ったら、逢いに行けなくてさ」
「困った顔なんて……」
そう口ごもった総司に、伊庭はくすっと笑った。手をのばし、ぽんっと軽く総司の頭に手をのせる。
「してるんじゃねぇの? まぁ……当り前さ。誰だって、自分がふった男に逢ったら困りもするよな」
伊庭の言葉どおりだった。
江戸にいた頃、総司は伊庭に告白され、それを断ったのだ。
総司にとって伊庭は気のおけない、楽しい話ができる兄貴分だった。
確かに好意はもっていた。
だが、それでも、土方への恋心とはまったく違っていたのだ。
「ごめんなさい」
小さな声で謝った総司に、伊庭は苦笑した。
「そこで謝るあたりが、総司だよな。相変わらず素直で可愛いよ」
「……」
「まぁ、ふられた理由もわかっているから、仕方ねぇけど」
「伊庭さん、あの」
「土方さんとはうまくいっているのかい?」
「――」
ぎゅっと両手を握りしめてしまった。
うまくいっているとか、いってないとか。それ以前の問題なのだ。
土方は相変わらず女遊びが激しいし、総司に指一本ふれようともしない。
むろん、冷たい訳ではなかった。優しく話しかけてくれたり、笑いかけたりしてくれる。
他の隊士たちとは全く違う、特別扱いされている事もわかっている。
だが、それでも、総司にとって、土方はまるで片思いのような男だった。
遠くに思えて仕方がないのだ。
そっけなさすぎる彼の態度に、不安でたまらなくなる。
「……うまくは……いっていません」
俯いた総司を、伊庭は眺めやった。眉を顰める。
「うまくいってないって、どういう事だい」
「だから、その……何もなくて」
「あぁ、つまり、最近、あっちの方がご無沙汰ってことかい?」
「え?」
きょとんとした顔で、総司は伊庭を見上げた。意味がわからないという表情に、伊庭の方が気づき、目を見開く。
短い沈黙の後、おそるおそる問いかけた。
「まさか……おまえ、生娘同然?」
「き、生娘って……」
「契りかわした事ねぇとか、まさか、そういうんじゃ」
「……」
沈黙してしまった総司に、伊庭は「えぇっ!?」とのけ反った。思わず大声で叫んでしまう。
「何年、つきあっているんだよ! それで、契りもかわしてねぇって、土方さんの忍耐どうなっている訳だい」
「い、伊庭さんっ」
総司は慌てて伊庭を制した。
いくら市の外れとはいえ、寺の境内なのだ。こんな会話に相応しい場所とは到底思えない。
伊庭は声を低めながらも、傍の樹木に凭れかかり、「信じられねぇ」と呟いた。
「江戸の頃から数えたら、もう五、六年だろう? それで何もしねぇなんざ」
「その、そういう事はもちろん……接吻もした事ありませんし」
「はぁ? おまえ、それでつきあっていると云えるのかい? そりゃ、衆道は精神的な繋がりを重んじるが、それでもなぁ」
「私が娘じゃないから、綺麗じゃないから……駄目なのだと思います」
「おまえは別嬪だよ。おれから見れば、誰よりも可愛いし、綺麗さ」
即座に云ってくれた伊庭に、総司は頬を赤らめた。
だが、その言葉は、あの男から聞きたかったものだ。
あの恋しくて仕方がない男から。
はぁっとため息をついた総司を、伊庭は静かな瞳で見つめた。
そして、不意に手をとると、云った。
「……おれとつきあわねぇ?」
「え」
「接吻も契りも、おれが全部教えてやるぜ」
「!?」
総司の目が大きく見開かれた。