屯所に帰りついたのは、とっぷり日も暮れてからだった。
とても土方と顔をあわす気になれず、お久実の家で着替えてからも、あちこち歩き回っていたのだが、いつまでも帰らない訳にはいかない。
(仕事もあるし……)
しぶしぶ帰ってきた総司は、玄関をあがったとたん、息を呑んだ。
目の前に、今、一番逢いたくない男が立っていたのだ。それも不機嫌そうな表情で。
形のよい眉は顰められ、口元も固く引き結ばれている。
それを見たとたん、総司はその場から逃げ出したくなった。二重の意味で、血の気がひいてしまったのだ。
(も、もしかして、私だという事もばれたの……!?)
そうだとしか思えなかった。
こんな処で土方が自分を待ち伏せしているなど、そうとしか思えないのだ。
総司が声も出せず固まっていると、土方は鋭い瞳で見据えてから、ふっと息を吐いた。それから、低い声で訊ねる。
「どこをほっつき歩いていた」
「え……」
「組長同士の打ち合わせだ。既に始まっているぞ」
「あ」
総司は目を見開いた。
すっかり忘れていたが、今夜は組長たちで打ち合わせの予定が入っていたのだ。
「い、今すぐ行きます」
慌てて框を駆けあがり、総司は走り出した。大急ぎで打ち合わせの広間に入ると、斉藤がほっとしたように視線をむけてくる。
「申し訳ありません、遅れました」
「大丈夫だ、今始まった処だし」
斉藤が傍らから云ってくれたが、それでも、総司は皆にむかって頭をさげた。原田がにやにや笑いながら、問いかけてくる。
「総司にしては珍しいんじゃないの。どこかで遊んでいた?」
「そういう訳じゃないですけど」
「まぁ、総司も若いからね。いいんじゃない」
にこにこ笑う原田に、曖昧に笑い返しながら、総司は先ほどの土方の様子を思い出していた。
明らかに、彼は怒っていた。だが、あれは隊務を疎かにする総司への叱責だったのだ。
総司がはるの正体だとわかったから、怒っていたのではなかった。それは安堵すべき事柄だったが、かと云って、状況がかわる訳ではない。
土方を傷つけたことは、総司の胸に棘を残していた。
どんなふうに思っただろう。
嫌悪を感じたか、侮蔑されたか。
どちらにせよ、土方がはるに騙されたと思っただろうという事は、確実だった。
(もう二度と……逢えない)
心の中で呟いたとたん、胸奥が苦しくなった。
確かに、屯所の中でも逢うことは出来る。だが、それは新選組副長と一番隊組長としてなのだ。冷たい仕事上でのつきあいでしかない。
もう二度と、あんな彼の笑顔を見ることが出来ないのだと思うと、泣き出したくなった。彼を騙してしまったことは、とても悪いと思う。だが、一方で、あの日々は、総司にとって砂糖菓子のように甘かったのだ。
奪われたなら、息さえできなくなるほどに。
「……」
総司はきつく唇を噛みしめた。
お久実から文が来たのは、数日後のことだった。
店まで来て欲しいと呼び出され、行ってみると、お久実が店から慌てて出てくる。
「あの人が来はったんよ」
「え?」
「だから、総司さんが好きな人……土方さん? その人が家に来はったん」
「え……えぇっ!?」
思わず叫んでしまった。
どうして、何故、いつのまにか、お久実の店まで突き止められているのか。やはり、総司がはるの正体だと、あの時、ばれてしまっていたのか。
衝撃に、頭がくらくらした。
「ど、どうして」
「尾けてはったんと違う? けど、うちの店から総司さんが出ていくのは見られてへんやろし、大丈夫やよ」
「とてもそうとは思えない……」
「とにかく、土方さんが今日、逢いたいって」
「……い、いや!」
思わず後ずさった。
必死になって首をふり、拒絶をあらわす。
「絶対にいや! あの人、怒っているはずだもの。そんな……」
「怒ってるふうには見えへんかったけど?」
「男だってばれたんだよ。怒ってないはずないじゃない」
「そやろか。とにかく、早く着替えへんと、あの人、来はるで」
「で、でも」
「そのままの格好で逢いたかったら、そうしてもえぇけど?」
「……」
そんな事、出来るはずがなかった。はるの正体が総司だなどと、ばれたら、土方をますます怒らせるのは目に見えている。
総司はしぶしぶ小紋を身につけた。水色の小紋を身につけたためか、中性的な雰囲気になる。いつものように髪は後ろで束ねた。
店先で待っていると、土方が歩いてくるのが見えた。とたん、逃げ出したくなったが、もう彼はこちらに気づいている。さっさと歩みよってくると、いつものように総司の手を握りしめた。
「行こう」
そう一言だけ云って歩き出す土方に、総司は呆気にとられた。
逢ってすぐ、罵られると思っていたのだ。
非難するために呼び出されたのだと思っていたのに、どうして?
道を歩きながら、総司は小さな声で云った。
「どこへ行くのですか」
「この間の料理屋だ。話がある」
「……っ」
喉がつまった。
話とは、先日の事に決まっていた。躰中が竦んでしまう。
だが、怯えた表情の総司に気づいているのかいないのか、土方は総司を連れて小料理屋の暖簾をくぐった。前もって話はつけてあったらしく、すぐさま二階の部屋へ案内される。
あの日のように窓の障子を開け放ち、土方は総司を座布団の上に坐らせた。料理があらかた運ばれると、仲居に「後はこちらでするから、呼ぶまで来るな」と云いつけている。
それをぼんやり見つめていると、不意に、土方は総司に視線をむけた。目があう。
「……」
黙ったまま俯いてしまった総司に、土方は低い声でぽつりと云った。
「……すまなかった」
「え?」
聞き間違えかと思った。
謝るのは、騙した自分の方であるはずなのだ。なのに、土方が沈んだ様子で謝ってくるのに、戸惑ってしまう。
きょとんとしている総司の前で、土方は言葉をつづけた。
「あんな事をいきなりして、悪かった。おまえが可愛くて……調子にのってしまったんだ。挙句、着物まで脱がせてしまって、恥をかかせて、逃げられて当然だと思っている」
「……」
「本当にすまなかった」
深々と頭をさげる土方を、総司は呆然と見つめた。
初めは何を云われているのか、まるでわからなかった。だが、やがて、男の言葉の意味が呑みこめてくる。
つまり、彼は自分に乱暴をしてしまったと、謝っているのだ。
それで怒って逃げたと誤解している。
だが、今、土方は確かに云ったのだ、着物を脱がせてしまったと。
なら、彼は自分が男であることに気づいたはず……
「……土方さん」
総司はぎゅっと両手を握りしめた。
顔をあげた土方を見つめ、掠れた声で問いかけた。
「私の……躰、見ましたよね」
「え? あぁ……」
「じゃあ、私が娘じゃないってこと、わかったでしょう? 騙されたって、怒らなかったの? 気持ちが悪いって……」
「気持ちが悪い?」
土方は訝しげに眉を顰めた。
「それ、まさかと思うが、おまえのことか?」
「そうです!」
総司は思わず叫んだ。声が震え、躰中が熱くなってくる。
「決まっているでしょう? 私はあなたを騙していたんですよ。娘のふりをして! なのに、本当は男で……っ」
「そんなもの、初めからわかっていたさ」
「……え」
男の言葉に、総司はぽかんと口をあけた。それに、土方が面白そうに笑い出す。
「鳩が豆鉄砲くらった顔ってのは、まさにこの事だな。けど、それでもすげぇ可愛い」
「な、何を云って……」
「だから、俺はおまえが男だと知っていたって事だよ。というか、そもそも、そのつもりで声をかけたし、誘ってもきた。しかし……まさか、おまえが娘のふりをしているつもりなんざ、考えてもみなかったな」
呆れたように呟く土方に、総司はかぁぁっと耳朶まで赤くなった。
「だ、だって、私、娘の恰好をしていたし」
「役者とかでも、そういう着物を着るのがいっぱいいるだろう? まぁ、確かに、おまえは一見すれば可愛い娘っ子に見えるが、俺は娘としてつきあってきたつもりはねぇぜ」
「土方さんって……女の人より、そっちの方が好きなの?」
「まさか」
土方は肩をすくめた。
「俺は女を抱くのが好きさ。けど、おまえは特別だ。おまえだけは、男でも女でも、どっちでも構やしねぇのさ」
「土方さん……」
小さく呟いた総司に、土方は悪戯っぽく笑いかけた。手をのばし、総司の肩を抱き寄せてくる。
耳元に、男の声がふれた。
「もう怒ってねぇか? 俺は許されたと思っていいのか?」
「許すも何も……初めから怒っていません」
「よかった。安心したぜ」
くっくっと喉を鳴らして笑い、土方は総司の小柄な躰を膝上に抱きあげた。びっくりして顔を赤らめる総司の頬や首筋に、ちゅっと音とたてて口づけてくる。
「やっ、もう……だめぇ」
「こんなに可愛いおまえが悪いのさ」
「な…に云って、ぁ、ぁあんっ、ん……」
いつのまにやら、もろ肌ぬいだ格好にされてしまっていた。白い胸もとが露わになったが、土方は「可愛いな」と口づけただけだった。嫌悪も侮蔑の表情もなく、可愛い、綺麗だと囁きながら、愛撫をあたえてくる。
総司が土方の肩にすがりつきながら見上げると、濡れたような黒い瞳で見つめ返された。熱っぽい視線に、どきどきする。
こうして熱情を露わにした土方には、香りたつような男の色気があった。怜悧で端正な顔だちだけに、濡れたような瞳で見下ろしてくる男の表情は、彼の中にある「雄」を強く感じさせる。
「……っ」
黙ったまま土方に抱きつくと、男はそれが嬉しかったらしく喉奥で低く笑った。総司の小柄な躰を抱きすくめ、大きな手のひらで撫でまわす。
それにうっとりと身をまかせていた総司は、ふと我に返った。視界の端に、おいしそうな料理が映ったのだ。
「……冷めちゃう」
思わず呟いた総司に、土方が「え?」と小首をかしげた。それに、言葉をつづける。
「お料理が冷めてしまいます。食べてはいけませんか?」
「……おまえ、男殺しだな」
土方は一瞬黙ってから、苦笑しつつ答えた。ちょっと考えてから「いいぜ」と、総司の躰を畳の上に降ろす。
「せっかくの料理だ。冷めちまったら、もったいねぇものな」
「じゃあ、食べていいの?」
「あぁ」
頷いた土方に、総司はうきうきと席に坐りなおした。さっそく食べようと箸に手をのばす。
だが、そのとたん、手首を掴まれた。びっくりしてふり向いたところを、ちゅっと音をたてて口づけられる。
それも、唇に。
「!」
目を見開いた総司に、土方は悪戯が成功した男の子のように笑った。
「ご馳走さま」
「ひ、土方さんっ……」
顔を真っ赤にする総司の頬を一撫でしてから、自分の席へと腰をおろした。箸をとり、さっさと食事を始めてしまう。
しばらくの間、呆然と坐りこんでいた総司は、のろのろと箸を手にとった。頬を赤くしたまま、料理を口にはこび始める。
それを、土方がとけそうなほど優しい瞳で見つめている事に、気づかぬまま。
好きだと云われた。
男でも女でも構わないから、自分のものになれと云われた。
それは総司にとって、甘い甘い蜜のような言葉だったけれど、その足元に広がっている奈落を知っている。総司は秘密を抱えているのだ。
土方が可愛い、好きだと囁きかけている相手が、新選組の一番隊組長沖田総司だという秘密を。
彼がまさかそこまで気づいているはずがなかった。総司自身もよくわかっている。
おとなしく、どちらかと云えば翳りのある総司は、昔から地味な色合いの着物ばかりを身につけてきた。綺麗なものが好きではあったが、そんなもの自分に似合うはずがないと思いこんでいたのだ。
だが、鏡の中で見た娘姿の自分は、意外にも可愛らしかった。晴れやかな色あいの着物を着たせいか、まるで別人のように明るく無邪気に振る舞う事が出来たのだ。
誰が見ても、新選組の沖田総司と、はるという若者は、まるで別人だった。装いも、表情も、性格さえも。
その証に、一度、原田や永倉たちとすれ違った事があるが、誰もまったく気づかなかったのだ。
「土方さんだって、わかるはずないものね」
そう呟いてから、総司はその事に胸がちくりと痛むのを覚えた。
わかってもらえない、自分が総司なのだと気づいてもらえない事に、胸が息苦しくなるのだ。
確かに、はると比べれば、自分は可愛くないし、綺麗でもないし、おとなしくて何でも後ろむきだ。だが、それでも、この世で一番愛しい男にさえ気づいてもらえないという事は、まるで総司という存在自体を否定されたような気がしてしまった。
彼の傍にいられる。その幸せだけを感じていたいのに。
総司はため息をつき、自分の膝を抱え込んだ。
庭に面した縁側に坐り、外を眺めている。今日は雨だった。庭の緑が雨に濡れて、瑞々しく美しい。
それをぼんやり眺めていると、誰かが縁側を歩いてきた。邪魔になるかと思い、立ち上がりかけると、「動かんでいい」と云われる。
はっとして顔をあげた。思ったとおり、そこに立っていたのは土方だった。
「……土方、さん」
思わずそう呟いてから、総司は我に返った。慌てて立ち上がり、ちょうど障子が開け放たれていた傍らの部屋に入る。
それに、土方が微かに眉を顰めた。
「いいと云っただろう」
「でも、邪魔になりますから。どうぞ」
そうして遠慮する総司に対し、土方は意外なことにすぐに動こうとしなかった。切れの長い目で総司を見てから、低い声で問いかけてくる。
「最近、医者へは行っているのか」
「……え」
目を見開いた。まさか、彼がそんな総司自身の事に言及してくるとは、思ってもみなかったのだ。
慌てて頷いた。
「は、はい。薬を頂いています」
「そうか」
一瞬、沈黙が落ちた。
それきり去るだろうと思ったのに、それでも、土方は動かない。
どうしようと思っていると、低い声がかけられた。
「一緒に……昼飯でもとらないか」
「――」
突然の誘いに、総司は目を見開いた。
新選組副長としての初めてのお誘いです。さて……? 次、お褥シーンがありますので、苦手な方は避けてやって下さいね。