一瞬、土方は、近藤と総司を見比べ、困惑したような表情になった。
「……すまん。話の邪魔をしたか」
「いや、構わん。総司もまだ出ていかなくていい」
 立ち上がりかけていた総司は釘をさされ、しぶしぶ坐りなおした。それを眺めてから、土方は障子を後ろ手に閉め、部屋の中へと入ってくる。
 近藤と向いあう形で話していたため、自然と、土方は総司のすぐ隣に腰をおろす事になった。一瞬、彼の袂が総司の肩にふれ、どきりとする。
「総司がな」
 近藤は土方にむかって、笑いかけた。
「縁談を断ってきた」
「……」
 土方は無言のまま、切れの長い目で総司を一瞥した。だが、総司はそれを見返すこともできない。ひたすら身をすくめ、目を伏せているだけだ。
「おまえも総司も、独り身が余程良いらしいな」
「当然だろう」
 低い声で、土方が云った。
「仕事も忙しいんだ。所帯をもつなんざ、面倒でやってられねぇよ」
「なら、お琴さんはどうする」
 近藤の言葉に、総司はぎくりとした。
 お琴とは、土方の許嫁だった。美しく気立てもよい娘だと聞いている。
 だが、それに、土方は呆気ないほどあっさりと答えた。
「断ったさ」
「は?」
 近藤は目を丸くした。驚いた表情で、土方を見ている。
「断った……?」
「あぁ」
「おまえ、いつのまにっ」
「この間さ。文で断わりを入れたら、うまく話がついて破談になった。やれやれだ」
「やれやれではないだろう! おまえ、それでいいのか」
「いいに決まっている。俺の大事なのに、誤解されたら堪らんからな」
「大事な?」
 不思議そうに問いかけた近藤は、はっと気づき、喜色をうかべた。
「もしかして、誰か好いた者でもできたのか! この京で」
「まぁな」
 かるく肩をすくめた土方を、総司は隣から呆然と見つめた。


 好いた者。
 それは、もしかしなくても……はるの事だろうか。はるという娘を、彼は本気で好きになったのか。それはとりもなおさず、土方が総司のことを好いてくれたという事になる。
 だが、はるは総司であって、総司ではないのだ。
 まさか、自分の隣にいる総司がはるの正体だとは、土方も思ってもみないだろう。
 だからこそ、総司に相変わらず見向きもしないし、声もかけないのだ。
 土方にとって、総司はただの試衛館の道場仲間であり、一番隊組長という部下にすぎないのだから。


 どんどん落ち込んでいってしまう思考に、総司が唇を噛んでいると、近藤が不意に声をかけた。
「もしかして、総司もそうなのか」
「え?」
 驚いて顔をあげると、近藤が困ったような顔で言葉をつづける。
「縁談を断る理由だ。好いた者でもできたか」
「あ、はい」
 反射的に答えてしまってから、しまった! と思った。慌てて「す、すみません。間違いです。いません」と否定をする。
 だが、近藤はそれを照れ故だと思ったようだった。
「成程そうなのか。その好いた者と、所帯はもたないのか」
「いえ、そういう状況じゃなくて……」
「まさか、総司」
 不意に、近藤の顔が強張った。
「相手は男ではないだろうな」
「えっ」
 思わず言葉につまった。
 いや、まったく近藤の言葉どおりなのだが、まさか「そうです」と答える訳にはいかない。
 頬を赤くして俯いてしまった総司に、近藤は低く唸った。
「やはり、そうか。おまえは可愛い顔をしているからな、ありえる話だとは思うが」
「あの、近藤先生、違……」
「相手は斉藤か」
「え……?」
 きょとんとして、総司は近藤を見返した。突然出てきた名前に、意味がわからなかったのだ。
「斉藤、さん?」
「そうだ。斉藤だ。念兄弟の仲ではないかという噂もたっているぞ」
「はぁ」
 総司は思わず気のない返事をしてしまった。
 もしかして、土方との事を見られたりしたのか! と一瞬緊張しただけに、相手が斉藤というとんでもない誤解に、気が抜けてしまったのだ。
 そんな総司の前で、近藤は難しい顔で云った。
「とにかく、歳も総司も身辺をあまり騒がせるなよ。自分の立場を考えて行動しろ」
「あんたには云われたくねぇよ」
 土方が皮肉気に云い返すのを聞きながら、総司はぺこりと頭を下げ、逃げ出すように局長室を出た。とてもではないが、これ以上、土方と同席していられなかったのだ。
 そっと廊下を歩き出すと、渡り廊下で、稽古を終えた後らしい斉藤と行きあった。それに、思わず問いかける。
「斉藤さん、知っていますか」
「何を」
 訝しげに見返す斉藤に、総司は手招きした。背伸びをし、彼の耳元に唇を寄せる。
 そういう事をするから噂がたつのだと、近藤などが見れば呆れそうな光景だが、総司にすれば何の意思もない。
「あの……斉藤さんと私、噂になっているそうです」
「噂? どんな」
「私たちが念兄弟だっていう噂です」
「……」
 斉藤は思わず沈黙してしまった。
 まったく全然、総司はその気がないようだが、斉藤の方は自らその念兄に手をあげて名乗り出たい程なのだ。それぐらい、長く長く片思いをしている相手は、だが、しかし、まったく気にしていない様子で斉藤を心配そうに見ている。
「驚きました?」 
「まぁ、な」
「そうですよね。私も驚きました、でも、全然そんな事ないのに」
「そんな事ない……」
「斉藤さんにも迷惑でしょう?」
「いや、オレは」
 云いかけ、斉藤はぎくりと声を呑んだ。背中に、突き刺さるような視線を感じたのだ。
 そっとふり返ってみれば、局長室の前に佇んだ男がこちらに鋭い視線をむけていた。斉藤が気づいた事を知ると、ふっと視線をそらし、歩み去ってゆく。
 あの時とまったく同じだ。
 だが、総司はそれに全く気付いていない様子だった。
「ごめんなさい。おかしな噂になって」
「いや、だから」
「私も縁談断りましたし……近藤先生に云われるとおり、身辺に気をつけないといけませんね」
「縁談を断った?」
「えぇ。その気がないのに、悪いでしょう?」
 そう云った総司は、ちょっと小首をかしげた。そのとたん、着物の袷が少しずれて、白い肌がのぞく。
 斉藤は思わず目を見開いた。


(え?)


 白い肌に、花びらのような痕があったのだ。
 あきらかに口づけられた痕だ。
 斉藤は呆然と、それを見つめた。だが、総司はまったく気づかず、にこにこ笑っている。
「そ、総司……」
 思わず指さした。
 総司が「え?」と小首をかしげる。斉藤はごくりと喉を鳴らし、おそるおそる訊ねた。
「それ……誰につけられたんだ?」
「?」
 一瞬、総司は意味がわからないようだった。だが、斉藤が指さす方を目で追い、とたん、理解したのだろう。ぽんっと音が出そうなぐらい、真っ赤になってしまう。
 慌てふためいた様子で、総司は袷を引き上げた。
「ち、違いますよっ、これは……っ」
「違うって」
「だから、そのっ、何でもないんです! じゃあ、また」
 口早に告げると、総司はもの凄い勢いで走り去ってしまった。その後姿を呆然と見送りつつ、斉藤は力ない声で呟いたのだった。
「……嘘だろ」














「信じられないよね」
 総司は鏡を覗き込み、ため息をついた。
 それに、お久実はくすくす笑った。
 お久実の店だった。土方と約束がある時は、いつもここで娘の姿になってから出かけてゆくのだ。
 その時に、お久実にあれこれ相談したりするので、総司にとっても大事な一時だった。お久実自身も、総司の恋を明らかに楽しんでいる。
「だいたい、こんなところにつけるなんて。私も、全然気づかなかったけど」
「ふうん。そやけど、土方さんも総司さんが可愛くて仕方あらへんのやね」
「どうして?」
 不思議そうに訊ねる総司に、お久実は笑いながら、白い首筋を指さきで突っついた。
「こんな目立つところにつけるなんて、独占欲の現れやん。可愛くて独り占めしたくて仕方あらへんから、自分のもんやって印つけるんやし」
「そ、そうかな……?」
 総司は戸惑ってしまった。
 気づかないうちにつけられた口づけの痕。だが、それが土方の独占欲を表しているなんて、思ってもみなかったのだ。
「はい、出来上がり」
 お久実がぽんっと肩を叩いた。はっと気づいて顔をあげれば、鏡の中の総司は、はるという娘姿になっている。
 いってらっしゃいとにこやかに送り出してくれるお久実に手をふり、総司は待ち合わせの場所に急いだ。


 もう何度目の逢瀬なのか、わからない程逢っている。
 それでも、逢いたくてたまらなかった。屯所の中でのすれ違いは、逢っているとは云えない。冷たい表情の土方を遠く見つめて、ため息をつくばかりなのだ。
 だが、はるという娘として逢う時は違う。
 土方はとても寛いだ様子で、優しく笑いかけてくれる。好きだと囁き、抱きよせてくれるのだ。
 一時の夢でよかった。今だけの夢であって十分なのだ。


「ちょうど間にあったな」
 桜樹木の近くまで行くと、土方は来たばかりのようだった。
 そう云えば、彼は今日は朝、黒谷屋敷へ行っていたことを思い出す。
 そのまま直行してきたのだろう、黒い羽織に小袖、袴という正装姿だった。水際立って端正な男の姿に、道ゆく女たちが皆、ふり返ってゆく。
 総司も思わず、ぼうっと見惚れてしまった。すると、かるく指さきで頬を弾かれた。
「いたっ」
「そんな目で見るなって云っているだろ。ここで誘われても、どうしようもねぇだろうが」
「誘うって……どんな目ですか」
「だから、男を誘う目だよ。おまえ、今、目が潤んですげぇ色っぽい顔をしているぜ」
 くっくっと喉を鳴らしながら、黒髪を片手でかきあげる彼こそ、大人の男の色香が匂いたつようだ。
 総司は慌てて視線をそらし、答えた。
「気のせいです。そんな事、思うのは土方さんだけだし」
「なら、俺限定で色香をふりまいてくれている訳か。嬉しい話だな」
「何で、そうなるんです」
 いつものように軽口をかわしながら、二人は並木道を歩き出した。いつの間にか、しっかり手も繋がれている。
 しかも、恋人同士のように指と指を絡められていた。男のしなやかな指さきを感じるたび、胸が高鳴る。
 土方が総司を連れていったのは、小さな神社だった。人気がまったくない神社だが、その裏にある庭には柔らかな白い花がたくさん咲いていた。とても甘い香りがする。
「この花は……」
「名は知らん。だが、いい香りがするだろう」
「本当ですね、綺麗」
 総司は花に顔をちかづけ、香りを吸いこんだ。甘く清らかな香りがして、躰がすうっと気持ちよくなる。
 心地よげに白い花にふれたり、顔をちかづけたりしている総司を、土方は静かな瞳で見つめていた。黒い瞳に、愛しさがあふれる。
 やがて、二人は白い花にうもれるようにしてある石の上に、並んで腰かけた。足元でふわふわと揺れる花が柔らかで心地よい。
「先日、ここを見つけてから、おまえに一度見せてやりたいと思っていたんだ」
「どうして?」
「どうしてって、恋人を喜ばせたいと思うのは、当然のことだろう?」
 不思議そうに問い返し、土方はふと眉を顰めた。
「ここに連れてこられて……嫌だったか」
「まさか」
 総司は慌てて首をふった。
「とても綺麗で、いい匂いがするし、だい好きです。ありがとうございます」
「よかった」
 ほっとしたように、土方は笑った。少し照れたような口調でつづける。
「俺はおまえが何を喜ぶか、よくわからねぇんだよ。何か欲しい物があれば買ってやりたいし、どこでも連れていってやりたい。けど、おまえは何も云わねぇからな」
「私は、別に何も欲しくありません」
「無欲だな」
 そう云った土方に、総司は何も答えなかった。
 自分が彼の言葉どおり無欲だとは、とても思えなかったのだ。無欲であれば、こんな事はしない。この優しい人を騙し、裏切るような真似を出来るはずもなかった。
 黙っている総司をどんなふうにとったのか、土方はそっと手をのばし、頬に首筋にふれてきた。それに、はっと思い出す。
「土方さん」
 いきなり大きな瞳で見上げられ、土方は驚いたようだった。「何だ」と問いかける。
「こういうの、困るんですけど」
 云いながら指さしたのは、首筋にある朱い痕だった。この間、土方が唇をおしあてた場所だ。
「あぁ」
 土方は目を細め、低く笑った。
「まだ残っているのか。なら、つけた甲斐があったな」
「つけた甲斐があったって……こんな処につけられたら、私、困るのです」
「どうして」
「誰かに見られたら、答えようがないでしょう」
「正直に答えればいい。恋人につけられたと」
「だからっ、私はまだあなたの恋人じゃないし」
「なら、尚更だ。おまえは俺のものだと印をつけておかねぇと、横からかっさわれちまうかもしれねぇからな」
「そんな事ありえません。とにかく、こういう目立つ場所につけないで」
「ふうん」
 土方は微かに笑った。
「なら、見えない場所ならいいのかよ」
「そういう事じゃ……あっ」
 不意に、首筋を撫でていた土方の手が総司の袷にかかった。柔らかく押しさげ、むき出しになった白い肩に唇を押しあててくる。
 そのまま肌のあちこちに口付けられ、たちまち躰中が熱くなってしまった。躰を撫でまわす男の大きな手のひらも、それに拍車をかける。
「ん、やっ…ぁ、ぁ……」
「すげぇ可愛い……」
「ぁ、んっ、や…ぁ……っ」
 甘い声をあげ、総司は男の躰にしがみついた。だが、不意に、はっと我に返った。
 男の唇が首筋から鎖骨、胸もとへと押しつけられようとしたのだ。いくら娘の恰好をしていても、そこだけはどうしようもなかった。胸のふくらみなど、あるはずもないのだ。
 さぁっと血の気がひいた。
「や、やめて……ッ!」
 悲鳴のような声をあげ、総司は狂ったように身を捩った。土方も油断していたのだろう。案外簡単に男の腕から逃れられ、はっと気づいた時には、白い花の中へ小柄な躰は倒れ込んでしまっている。
 だが、助けようとした土方の手により、着物がひっぱられた。右肩から着物が滑り落ちてしまう。
「……っ」
 男が息を呑んだ気配がした。だが、それを総司はふり返ることもできない。
 半ば泣きながら総司は急いで着物の襟を引き上げた。そのまま立ち上がり、駆け出していく。
 土方も追ってこようとしなかった。今頃、呆然としているのだろう、己が抱いていたのが男だとわかって。
「……はぁ、はぁ……」
 総司は無我夢中で駆けた。すれ違う人々が驚いたようにふり返っていたが、それらも全く目に入らなかった。
 路地裏に逃げ込むと、両手で躰を抱きしめ、坐りこんだ。
 とたん、涙がぽろぽろ零れた。


(もう終わり……全部、終わり……)


 その言葉だけが総司の頭の中をぐるぐる回った。


















泣いている総司に対して、土方さんの行動は……?