「私、そんな綺麗……じゃありません」
小さな声で云った総司に、土方は僅かに目を見開いた。
しばらく、まじまじと総司を見つめてから、くすっと笑う。
「綺麗だよ。それに、すげぇ可愛い」
「でも」
「おまえが綺麗じゃないなら、他の誰がそうだと云うんだ。前にも云っただろ? 別嬪だって」
「それは、土方さんの好みだから?」
総司は大きな瞳で彼を見上げた。
娘の姿でいるためか、ついずけずけと云ってしまう。
「私が土方さん好みの容姿で、だから、綺麗だと思うのでしょう?」
「俺の好み?」
かるく首をかしげた。それから、くっくっと喉奥で笑う。
「そうだな。確かに、おまえは俺の好みそのものかもしれねぇな。色白だし、小柄だし、兎みたいだし」
「兎?」
「そう。俺は、兎みたいなのが好みなのさ。兎みたいに元気で可愛くて、勝気なところも、おまえそのものだろう?」
「じゃあ、あの……」
思わず聞きかけた。
こうして逢ってくれるのは、私の姿形だけでなく、性質も気にいっているからなの?
だが、兎のように元気で可愛くて勝気などと、今だけなのに、この姿であるだけなのにと、また胸奥がちくりとなる。
土方は目を細め、手をのばした。ぽんぽんっと軽く、総司の頭をたたいてくる。
「前に云ったじゃねぇか、素直な処が可愛いって。いくら姿形が好みそのものでも、性格が嫌だったら、また逢ってくれなんざ頼まねぇよ」
「本当……に?」
「あぁ」
優しく笑いかけてくれる土方に、総司は安堵の吐息をもらした。娘として偽っている姿形ではなく、気立てを好んでいると云われたのが嬉しかったのだ。
土方が連れていったのは、そこから少し離れた場所にある小料理屋だった。お久実の言葉どおり、昼食をご馳走してくれる気らしい。
慣れた様子で暖簾をくぐる土方の背を、総司は必死に追いかけるばかりだった。何しろ、こういう場所にはあまり出入りした事がないのだ。
「こっちだ」
きょろきょろしていると、土方が手をさし出してきた。それに恥じらいを覚えつつも、手を重ねる。ぎゅっと握られた瞬間、耳朶まで赤くなってしまった。
手をひかれ、階段をのぼった。離れのようになっている二階の部屋に案内される。
川の上に張り出すようにつくられた、二間つづきの部屋だった。小奇麗に整えられ、開け放たれた窓からは春の柔らかな風が入ってくる。
水面にきらきらと陽の光が踊り、遠く桜並木がのぞめた。
「わぁ、綺麗」
総司は思わず欄干から身をのりだした。
それに、土方が苦笑しながら肩を抱く。
「あまり身を乗り出したら、落ちるぞ」
「大丈夫ですよ。これぐらい平気です」
「とんだじゃじゃ馬だな」
「馬じゃなくて、元気な兎でしょう?」
桜色の唇で云いかえすのに、土方は目を細めた。
「確かに、そうだ」
そう云うと、総司の肩を抱いたまま、部屋の中へと促した。卓の上には綺麗な料理が並べられてある。それに目を見開いた。
「……」
綺麗で美しい盛り付け料理だ。どれも、娘たちが喜びそうな料理だと云えるだろう。
もちろん、総司も綺麗な料理は好きだったが、こうして娘の好みを熟知しているような様子を見せられると、何だかたまらなくなる。だが、当然のことなのだ。この人は、遊び慣れているのだから。
「どうした」
気が付くと、心配そうに土方が総司の顔を覗き込んでいた。間近にある端正な顔に、どきりとする。
「この料理、気にいるものがなかったか」
「い、いいえ。とても綺麗で、おいしそうです」
「そうか、よかった」
土方は、ほっとしたように笑った。そうして席につくよう促される。
総司は土方と向かい合って坐り、箸をとりあげた。
お吸い物に漬物、幾種類かの煮物、そして、可愛らしい一段の重箱があり、その蓋をそっと開いた総司は思わず歓声をあげた。錦糸卵などで彩られた綺麗なちらし寿司があったのだ。
「花畑みたいですね」
弾んだ声で云うと、嬉しいという気持ちが伝わったのか、土方は微笑んだ。
「喜んでもらえて良かったよ。こういう綺麗なものならいいかと思って、用意させたんだ」
「おいしそう。頂きますね」
総司は箸を入れ、口にはこんだ。仄かな卵の甘みと酢飯の味が広がり、とてもおいしい。
「味の方はどうだ」
「おいしいです、とっても」
にこにこ笑いながら答える総司に、土方は「そうか」と満足げに頷いた。彼も料理を口にはこんでいる。
食事を終えると、総司はまた窓際に寄った。外の光景を飽かずに眺めている。その傍ら、窓枠に腰かけながら、土方が突然、云った。
「……来てくれないかと思っていた」
「え」
ふり返ったとたん、まっすぐ見つめる土方の黒い瞳とあって、どきりとする。
慌てて外の方に視線をむけた総司に、土方が言葉をつづけた。
「あんな強引な誘い方をしたんだ。俺から逃れるため、あの場限りで返事をしたのかもしれないと、そう考えていた」
「そん、な」
「だから、今日、おまえが来てくれて本当に嬉しかったよ。こんな気持ちは久しぶりだ、すげぇ嬉しい」
「土方さん……」
目を伏せると、土方が総司の方に手をのばしたのがわかった。そっと頬を指の背で撫でられる。
「可愛いな……おまえは兎みたいに元気で可愛くて、そのくせ、儚い感じがするんだ。初めて見た時から、欲しくて欲しくてたまらなかった」
「欲しいって……」
「俺のものになっちまわねぇか」
「!」
男の言葉に、躰が震えた。
あの時の言葉だった。
宗次郎だった頃、この目の前にいる土方自身から云われたからかいの言葉だ。だが、あの時とは違った。今、彼は真剣な気持ちで云っているのだ。
はるという娘として、今ここにいる総司に対して。
(私じゃない。私に云っているんじゃない……)
そう思うと、涙がこぼれそうになった。
あくまでも総司としては認められない。からかい半分でしか声をかけてもらえず、挙句、もう何年も言葉を交わすどころか、関心さえもってもらえない自分がたまらなく惨めだった。
辛くて悲しくて切なくて、わっと泣きだしそうになる。
だが、それを総司は寸でのところで堪えた。ここで泣くわけにはいかないのだ。
一度彼を騙してしまった以上、ずっと、この先も騙しつづけなければならない。そのためにも、泣くわけにはいかなかった。
「……急、すぎます」
ぽつりと云った。
それに、土方が「え?」と目を瞬く。総司は彼の方を見ぬまま、己の感情を押し隠すように口早に云った。
「急すぎると云ったのです。そんな、この間逢ったばかりなのに、いきなりあなたのものになるなんて……だいたい、私のこと、何も知らないでしょう?」
「知っているさ」
土方は肩をすくめた。
「おまえの名は、知っている」
「じゃあ、私は? 私は、あなたのことを知りません。あなたが何を考えているか、どんな思いでいるか、そんなことさえわからないのに」
「恋をするのに、何が必要だ」
きっぱりとした口調で、土方は云いきった。
「今、ここにいるおまえと俺、それだけでいいじゃねぇか。俺が何を考えているからと云って、それが恋に何の関係がある。俺はおまえが好きだし、惚れている。それだけでいいと、おまえは思ってくれねぇのか」
「惚れている……」
呆然と呟いてしまった総司に、土方はちっと短く舌打ちした。いきなり畳の上に膝をつき、総司の肩を掴んで顔を覗き込むと、真摯な口調で言葉をつづけた。
「今更、驚くことかよ。さっきも云っただろう? 初めて見た時から、欲しくて欲しくてたまらなかったって。俺はおまえに惚れちまっているんだ。おまえの髪も、この綺麗な瞳も、桜んぼのみたいな唇も、みんな俺のものにしちまいてぇんだよ」
真っ直ぐな彼の告白に、頬が熱くなった。
だが、一方で、胸の奥には冷たい棘が突き刺さっている。それが、自惚れちゃ駄目だよと囁いている。
彼が惚れたのは、はるという娘なのだから。
俯いてしまった総司を、土方は不意に胸もとへ引き寄せた。ぎゅっと抱きしめられる。
それに、総司は息を呑んだ。男の逞しい腕、ぬくもり、着物ごしに感じる彼の躰の感触に、かぁっと頭の中が熱くなる。
「だ、だめ……っ」
思わず身を捩ったが、土方はより強く抱きしめるばかりだった。それどころか、小柄な躰を子どものように膝上に抱き上げてくる。
総司は男の肩に腕を突っぱね、抗った。
「こん…な、離して……っ」
抗う総司を抱きすくめ、土方はその耳もとに唇を寄せた。
「一言でいい、返事をくれねぇか」
「な、何を」
「俺のものになるか、ならねぇか。どちらか返事をくれねぇなら、このまま喰っちまうぜ」
「……っ」
驚いて見上げると、土方は形のよい唇の端をあげてみせた。黒い瞳が熱っぽい光を湛え、男の情欲をちらつかせる。
背中がぞくりとした。
総司にとって、土方はこの世の誰よりも愛しい男だった。恋しくてたまらない相手だった。だが、彼もまた、一人の若い男なのだという事を、今、実感したのだ。
その男の膝上にこんな姿で抱きあげられていた。危険極まりない。このまま手込めにされてしまっても、仕方がない状況だった。
怯えた表情になったのだろう。土方は総司の様子を見てとると、微かに苦笑した。
「やっちまったりしねぇよ」
「……だ、だって」
「けど、俺も男だ。惚れた相手が腕の中にいれば、その気にもなるさ。むろん、無理強いするつもりはねぇから、安心しな」
そう云った土方は、総司の首筋や頬に、そっと唇を押しあてた。初めてふれた彼の唇に、総司は目を見開く。
「すげぇ可愛い……本当に、可愛くてたまらねぇ」
「土方…さん……」
「そんな可愛い声を出すなよ。尚更、欲しくなっちまうだろうが」
「や、だ……だめ」
「わかっているさ」
土方はため息をつき、総司の躰を膝上から降ろした。すぐさま身づくろいをする総司をおかしそうに眺めながら、問いかける。
「で? 返事は?」
「あ……あの」
総司は口ごもった。とても断る事などできない。愛する男からの求愛を退けられるほど、総司は手馴れていなかった。だが、一方で、受け入れる事は、とんでもない危険をともなう事もわかっているのだ。
土方は総司が娘だと思っている。まさか、新選組にいる一番隊組長沖田総司などと、思ってもいないのだ。だからこそ、求愛された。惚れていると云われた。それを受ければ、正体がばれてしまうに決まっているのだ。
だが、それでも。
「……はい」
小さな声で返事をした総司に、土方は微かに眉を顰めた。しばらく黙ってから、問いかけてくる。
「俺はまた……無理強いしちまったか」
「いえ、そういう事じゃなくて」
総司は慌てて首をふった。
「ただ、とても急だったので、気持ちがついていかないと云うか」
「あぁ……すまない」
土方は片手で煩わしげに黒髪をかきあげると、目を細めた。
「俺ばかり先走っちまったな。他の奴に奪られるものかと、つい焦ったんだ。すまねぇ」
「え? 他のって……」
「いや、それはいい。とにかく、返事をしてくれたと云うことは、少なくともこうして逢ってくれると云うことだな? そうとっていいのだろう?」
「あ……はい」
こくりと頷いた総司に、土方はまた手をのばしてきた。抱きあげられるのかと思ったが、引き寄せられ、耳朶にそっと口づけられる。
「好きだ……」
男の低い声に、総司は胸奥がちくりと痛むのを感じた。
彼を騙しているという罪悪感は、ずっと心の奥底から消えなかった。
だい好きな彼を騙し、たぶらかしているのだ。
自分がとんでもない悪人に思えた。時々、逢ってしまうのをやめようかとも思う。だが、そんな時、屯所の中で土方とすれ違ったりすると、とたんに、あの優しい笑顔が恋しくてたまらなくなるのだ。
愛されていると、信じたかった。
一時でいいから夢を見たいと、願ってしまったのだ。
「縁談を断る?」
近藤は驚いたように、聞き返した。
それに、総司は「はい」と返事をした。
局長室だった。近藤の部屋を訪れた総司は、お話がありますと云って切り出したのだ。
近藤は困惑した表情で、総司を眺めた。
「だが、おまえ……いい縁談だと思ったのだがな」
「近藤先生にはご迷惑をおかけし、申し訳ありません」
ぺこりと頭を下げた。
「でも、私、どうしても所帯をもつ気になれなくて……」
「そうか。なら、仕方がない」
近藤は嘆息し、苦笑した。
「しかし、おまえもそうだが、誰も彼も縁談に乗り気でなくて困るな」
「私以外にも?」
「歳だよ」
突然、出された名前にどきりとした。だが、それに気づかぬまま、近藤は言葉をつづけた。
「歳も昔とは違うのだ。何度も縁談を進めたが、余程独り身が楽らしい」
「そう……ですか」
小さな声で答えた総司を、近藤はじっと見つめた。しばらく黙ってから、問いかける。
「総司は、歳が苦手か?」
「えっ?」
思わず目を瞬いた。
「苦手って……土方さんが、ですか」
「そうだ」
「でも、あの、私……そんなよく知りませんし。ほとんど言葉を交わしたこともなくて」
「そうだな……そうだったな」
近藤はどこか意味深な笑いをうかべ、頷いた。それを不思議に思っていると、足音が近づいてくる。
慌てて腰をうかしかけたとたん、障子の向こうから声をかけられた。
「近藤さん、入っていいか」
「あぁ」
何気なく答えた近藤に、障子がすっと開かれた。書類を手にした土方が入ってくる。
だが、そこに総司がいる事に気づくと、僅かに目を見開いた。
新選組の中での土方さんと総司です。次、どーんと展開します。