初めに思ったのは、どうしようだった。
 何しろ、刀は持っていない、その上、こんな娘の恰好をしている。挙句、酔漢に絡まれている。
 どれをとっても、新選組一番隊組長としてなっていないと、叱られたり侮蔑されたりするのに当然の状況だった。そのため、逃げ出したくなったのだ。
 だが、そんな総司の思惑に関係なく、事は進んでいく。
「この野郎……!」
 男たちは一斉に、懐から短刀などの武器を取り出した。武士ではない、やくざ者なのだ。
 だが、土方にとって、やくざ者ほど嫌いなものはなかった。形のよい眉を顰め、ゆっくりと懐から手を抜き出す。
「相手にして欲しいのか」
 くっと喉奥で低く嗤った。
 刀の柄に手をかけながら、目を細める。
「いいぜ? 俺も退屈していたところだ」
 土方の只ならぬ威圧感に、男たちは後ずさった。だが、それでも総司が惜しいのか、放そうとしない。
 それに、土方は刀を抜き放った。かるく顎をあげ、傲慢な表情で男たちを見渡す。
「さぁ、誰から来る? 新選組副長土方が相手だ。不足はねぇだろう」
「し、新選組の土方……っ」
 誰かがヒッと悲鳴のような声をあげた。
 京で知らぬ者はない、屈強の武装集団を率いる副長土方の名は、誰でも知っていた。その容赦のなさも、冷徹さも、残酷さも。
 男たちは名を聞いただけで、ふぬけたようになってしまった。土方がゆっくりと足を踏み出すと、そのまま悲鳴をあげて逃げ出してしまう。呆気にとられるほどの惨めさだった。
 それを呆然と眺めていると、後ろから声をかけられた。
「大丈夫か」
 慌ててふり返ると、土方は黒い瞳で静かに見下ろしていた。それに、すぐさま頭を下げる。
「は、はい。申し訳ありません」
「謝る事ではない。それより、怪我はないか」
「大丈夫です。あの……」
「また何かあったら事だ、送っていこう」
「……え」
 総司は驚き、土方を見上げてしまった。それに、土方は訝しげな視線を返してくる。
 呆然と、彼を見つめた。
 思ってもみない展開だった。
 彼はまったく気づいていないのだ。今、ここにいるのが総司である事に気づいていない。
 とたん、胸奥がちくりと痛んだ。


 言葉まで交わしているのに、声まで聞いているのに。
 なのに、土方は気づいてくれなかったのだ。
 目の前の娘が総司であることに、気づいてくれなかった。
 それはとりもなおさず、彼が総司に関心がないという事を意味していた。たいして関心がないからこそ、声を聞いてもわからないのだ。


 総司は一瞬、きゅっと唇を噛んだ。
 それから、顔をあげると、大きな瞳で土方を見上げた。小さく笑いかける。
「まだ帰るつもりはありません。もう少し、桜を見ていたいのです」
「だが……」
「私……はると申します」
 桜と名乗ろうかとも思った。だが、春という言葉が自然と頭にうかんだのだ。
 近藤から、以前、土方が詠む句に春の題が多いと、聞いていたためかもしれない。
 一瞬、土方が眉を顰めた。不審そうな表情で、総司を見下ろす。
 だが、すぐに小さく呟いた。
「……はる、か」
 そんな彼に、総司はこくりと頷いた。
「はい」
「俺は……」
 云いかけ、土方は微かに苦い笑みを口元にうかべた。どこか自嘲するような口調でつづける。
「土方という名だ。しかし、先ほどのような事があったのに、まだ花見をするのか」
「いけませんか」
 総司は大きな瞳で、挑戦的に土方を見つめた。それに、土方がふと狼狽したように視線をそらす。
「別に……いけないとは云わないが」
「せっかく花見に来たのです。もう少し楽しみたいと思うのが、当然の事だと思います」
「……はっきり物を云うのだな」
 少し呆れたような土方に、総司は慌てて口をつぐんだ。


 隊にいる時でもこんな口のきき方した事もない。自分だとわからない事で、つい思うままに振る舞ってしまったのだ。
 だいたい、娘が武士にこんな口の利き方をするだろうか?
 これでは早晩のうちにばれてしまいそうだった。今更、ばれれば、もっと叱られるに決まっている。


 総司はくるりと背をむけ、歩き出した。さっさと彼と離れてしまおうと思ったのだ。
 だが、どうした事か、土方は傍にならんで歩いてくる。
「……あのう」
 しばらく黙々と歩いた後、総司は問いかけた。
「どうして、ついてくるのです」
「心配だからな」
 土方はかるく肩をすくめた。
「こんな可愛い子が一人でうろつけば、先ほどのような酔漢に絡まれて当然だ。だからこそ、こうしてついて歩いている」
「もうあんな油断はしません」
「どうだか」
 どこか意地悪く笑った。
「おまえ、隙がありすぎそうだからな。俺が離れれば、すぐさま男が絡んでくるぞ」
「あなただって、男ではありませんか」
「なら、俺が絡んでいると云うのか」
「そうは云いませんけど……っ」
 口ごもってしまった総司に、土方がおかしそうに笑った。


 新選組の屯所で顔をあわせる土方とは、まるで別人だった。
 いつも冷徹で感情一つ伺わせず、果断に命令を下していく男。新選組の実権は副長たる土方が掌握しているのだとさえ、噂されていた。実際、そうなのだろう。
 冷たく澄んだ瞳で相手を見据え、逃げることも誤魔化すことも一切許さない。
 自他ともに厳しい男は、まるで冬の凍りついた樹氷のようだった。
 だが、今、目の前で笑っている彼の表情はとても柔らかで、優しい。


「おまえは素直で可愛いな」
 いきなりそう云った土方に、総司は目を見開いた。
 びっくりして見上げると、土方はとけそうなほど優しい瞳で、こちらを見下ろしている。
 総司は顔を赤くしつつ問いかけた。
「か、可愛いですか」
「困っている気持ちが、全部、顔に出ている。そこが素直で可愛いと云っているのさ」
「そういう可愛いさ?」
 思わず拗ねてしまった総司に、土方はまた笑った。
「ほら、そこが素直で可愛いんだよ。けど、まぁ……確かに、顔も皆、可愛いな。おまえ、すげぇ別嬪だ」
「……」
 まるで江戸の頃のようなくだけた口調に、総司はどきどきしてしまった。


 もちろん、江戸でも、総司は土方とあまり言葉をかわした事がない。
 いつも遠くから、近藤たちと談笑する彼を見ているだけだったのだ。
 それでも、京にのぼってから、土方ががらりと変わった事もわかっていた。言葉使いや口調までかわった彼の姿に、より遠くなった気がしていたのだ。
 だが、今、土方は気さくに笑いかけ、話しかけてくる。そんな彼の姿に、胸が弾んだ。


 二人は桜並木の下を、ゆっくりと歩いた。とりとめのない事を話し、笑いながら歩いてゆく。それは恋人同士の道行のようで、総司はますます頬が火照るのを感じた。
 周囲の人々もそう思っているようで、誰もが似合いの二人の姿にふり返ってゆく。
 やがて、桜並木が途切れ、お久実の店の近くまで戻ってきた。総司はそろそろ別れなければと、土方を見上げる。
「あの……」
 大きな瞳で見上げると、土方も見下ろした。それに、ぺこりと頭を下げる。
「ありがとうございました。おかげで楽しい時が過ごせました」
「あぁ、俺も久しぶりに楽しい時が過ごせた」
 そう云った土方にもう一度頭を下げてから、総司はくるりと背をむけた。そのままお久実の店へ向かおうとする。
 とたん、後ろから手首を掴まれ、びっくりしてふり返った。
「……?」
 見上げると、土方が困惑したような表情で見下ろしている。少し黙ってから、口早に告げた。
「また……逢ってくれねぇか」
「え」
「嫌なら仕方ねぇが、けど、もし……その、嫌でなければ俺とまた逢って欲しいんだ」
「――」
 男の言葉に、総司は目を見開いた。


(これって、まさか……)


 いわゆる、岡釣りというものなのだろうか。
 娘として誘われていると考えていい訳?
「……」
 総司は一瞬、掴まれた手をふり払おうかと思った。
 何故なら、とんでもない話なのだ。今日はばれなかったから良かったものの、もしもばれたら、どんな事になるか。考えただけで、騙されたと知った時の土方の怒りが恐ろしい。
 だが、総司は思わず答えていた。頭より先に、気持ちが先走ってしまったのだ。
「はい」
 答えてから、しまった! と思ったが、もう遅い。
「本当か」
 ぱっと土方は嬉しそうな笑顔になった。それに、ちくりと罪悪感を覚える。
 この人は、可愛い娘だと自分のことを思っているのだ。なのに、騙していることに、たまらない罪悪感を覚えた。
「じゃあ、待ち合わせはこの桜の樹の下でいいな」
「え、えぇ」
「日はそうだな……三日後の昼の九つぐらいに」
「三日後?」
 素早く総司は考えた。確か、その日は非番だったはずだ。
「わかりました」
 と素直に頷いた総司に、土方も手を離してくれた。それに安堵の吐息をもらし、ぱっと駆け出してゆく。その後姿を男が見送っているのはわかっていたが、とてもふり返れなかった。
 角を曲がった処で、総司は両手で唇をおさえた。
 今頃になって、自分が何をしたのか、理解できたのだ。じわじわと実感がこみあげてきたのだ。


(とんでもない事をしちゃった……)


 三日後の約束など、いったいどうすればいいのか?
 すっぽかせば土方は傷つくに決まっているし、かと云って、のこのこ出かけていくのも恐ろしい。
 何よりも、騙されたと知った時の彼の怒りを思うと、身震いしてしまう程だ。
「……どうしよう」
 総司はその場にうずくまり、ぎゅっと目を閉じた。












「総司!」
 お久実の店で着替えてから屯所に戻ると、慌てた斉藤が駆け寄ってきた。
 それに、はっと彼の事を思い出す。
「あ、斉藤さん」
「どこへ行っていたんだ。随分、探したんだぞ」
「ごめんなさい」
 斉藤のことをすっかり忘れていた罪悪感もあり、総司は心から謝った。
 それに、斉藤がちょっと表情を和らげる。
「いや、いいんだ。おまえが無事なら、それで」
「斉藤さん」
「何か事があったのではないかと思ったから。でも、よかった、何もなくて」
 そう云って促してくる斉藤に従いながら、総司は、ふと顔をあげた。とたん、息を呑んでしまう。
 玄関を入ってすぐの縁側で、土方が近藤と立ち話をしていたのだ。帰ってきた処らしく、先ほどの姿のままだ。
 そのまま知らぬ顔で通り過ぎる訳にもいかず、総司は二人に対して頭を下げた。近藤が愛弟子の姿に相好をくずし、笑いかけてくる。
「おお、総司。どこかへ出かけていたのか」
「え、あ……はい」
 口ごもりつつ、答えた。
 どうしても、近藤の傍にいる土方を気にしてしまうのだ。
 先ほどまで親しく話し、笑いかけてくれていた男だった。だが、今はまるで別人のように冷たく無表情だ。
「……」
 切れの長い目がこちらを一瞥した気がして、思わず身をすくめた。慌てて頭を下げ、足早にすれ違う。
 それを、土方も呼び止めようとはしなかった。そもそも、声をかけることなどありえないのだ。
 だが、その態度は、総司の胸をちくりと刺した。


(はるという娘になら、笑いかけるの……?)


 娘ではない、同性であり、痩せっぽっちの自分には、声をかける程の関心もないという事なのだろうか。
 そう思うと胸が苦しくてたまらなくなった。
 総司は部屋に戻ると、柱に凭れかかり、ため息をついた。
「それでも……好き……」
 小さな呟きがもれた。


 総司にとって、土方は確かに謎の男だった。
 よくわからない部分の方が多く、何を考えているのか、何を思っているのか、まったくつかめないのだ。
 だが、それと恋とは別の話だった。
 宗次郎だった頃、土方に「俺のものになっちまわねぇか」と誘われた時から、意識するようになったのだ。もともと憧れと不安という甘ずっぱい気持ちで見つめていた事は確かだった。
 だが、彼の言葉で、土方を一人の男として認識し、一気に気持ちがふくれあがったのだ。
 初恋だった。そして、初恋だからこそ、激しく一途な恋だった。
 総司はいつも遠くから、土方を見つめているだけだった。江戸にいた頃も、京にのぼってからも、ただ遠くから見つめている、それだけでよかったのだ。
 むろん、ふれたいと思った。話しかけたい、笑いかけられたいと。
 だが、土方は総司にはまったく無関心なようだった。声をかけてくれたのも、宗次郎だった頃の誘い、あれのみだ。
 あれが悪ふざけだった事は確かだが、それでも、総司にとって大切な記憶だった。土方に冗談でも、誘いをかけられたのだ。何度も思い出しては、嬉しさと甘ずっぱい幸せに酔いしれた。
 友人であるお久実には、何度も相談をした。だから、今日、お久実に土方との約束を話すと、良かったじゃないと喜んでくれたのだが。


「全然、喜べない」
 はぁっとため息をついた。
 総司は三日後の事を思うと、ひどく憂鬱な気分になった。












 三日後だった。
 約束の日だ。
 総司はお久実の店で娘の恰好にしてもらうと、そろそろと外へ出た。今日も桜がまだ咲いているため、人通りは多い。
「お昼に逢うんやから、おいしいもの食べさせてくれるんと違う?」
 お久実は着付けをしてくれながら、うきうきした口調で云った。それに、ため息がでる。
「まさか。もしそうであっても、とても喉を通らないよ」
「どうして? 好いた人との食事やよ」
「だって……」
 総司は桜色の唇を噛みしめ、俯いてしまった。
 鏡には花のように愛らしい少女が映っているが、とても自分では正視できない。恥ずかししい、綺麗だなんて思えないのだ。
 今日、お久実が用意した着物は、薄い紫いろのぼかし模様が入った着物だった。髪飾りもつけさせられ、頬が恥ずかしさで火照る。
「おかしいよ、こんな恰好。笑われる」
「何云うてんの。見惚れはるに決まってるやん。ほら、行って行って」
 ぽんっと背中を押され、総司は店の外に出た。とことこ歩いてゆくと、約束どおり、桜の樹木の下に、一人の武士が佇んでいるのが見えてくる。
 その涼やかな立ち姿に、思わず、ぼうっと見惚れた。
 艶やかな黒髪を綺麗に結い上げ、切れの長い目を僅かに伏せている。樹木に背を凭せかけるようにして腕を組んでいるさまは、まるで絵のようだ。
「……あの」
 小さく声をかけると、はっとしたように土方が顔をあげた。総司の姿に一瞬目を見開いてから、すぐさま嬉しそうな笑みをうかべる。
 手をさしのべ、頬にふれた。
「あぁ、綺麗だな」
「え……?」
「おまえがだよ。その着物の色、おまえの白い肌によく映えている。本当に綺麗だ」
 男の率直な言葉に、総司は頬が熱くなるのを感じた。
















総司はいつバレるかどきどきですが、あらためてデートです。